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4.模倣犯 1


「最初に『皮膚』だけで検索をかけたけど、量が多すぎたから『人肉食』と『墓荒らし』を追加して、過去三十年間に限定して再検索したわ。該当したのは四件。どれも犯人はすでに逮捕されていて、服役中あるいは処刑されているから、これらの事件と同一犯ということはないわ。死体に対する執着から墓を荒して死体を盗み、損壊したというのが三件。最後の一つは二十年前にノースアヴェルニアで起こったもので、今回のケースとよく似てる」
「それは興味深いな。それで、ディズレリーのプロファイリングはどうだったんだ? そっちをまだ聞いてなかった」
 昼下がりの食堂は人々のざわめきと熱がこもっていた。フライドチキンをつつきながらアルフレッドは尋ねた。コールスローを口に運んでいたクレアは、飲み込むまで少し待ち、それから口を開いた。
「彼も犯人の性別を特定できないと言っていたわ。被害者が比較的整った容姿を持った人ばかりだから、犯人は容姿に関するコンプレックスがあって、皮膚に関しても病か傷跡を気にしている可能性があるそうよ。綿密な下見で被害者を選び、計画的に犯行を行う点から、性格は几帳面で細かいことにこだわる。些細なイレギュラーも許さない厳格な性格。社会的には問題ないように見える」
「サイコパスか」
「或いは境界性人格障害」
 クレアは残りのコールスローを、少々の品の悪さには目をつぶって、フォークでかき集めて口に流し込んだ。アルフレッドはフライドポテトに挑戦中だった。かりっと揚がったシューストリングスポテトは、フォークに上手く刺さらず隙間を抜けるばかりだ。アルフレッドの眉間にかすかな皺が刻まれた。
「ここからは私のプロファイリングだけど、犯人は男女の二人組ではないかと思うの。ドクター・ディズレリーも賛同してくれたわ」
「それは……このっ」
 何か尋ねようとしたが、アルフレッドはようやく捕まえたポテトの端っこに逃げられかけて声を上げた。しかし最終的に彼は勝利をおさめ、ようやく刺さったポテトはあっという間に口の中に消えた。
「つまり、肌のきれいな女性を殺したい男と、刺青入りの肌を持つ男を殺したい女が、偶然か必然か出会い、二人で犯罪に手を染めた、ということか」
「どちらがどちらの肌を欲しがっているかまでは判らないけれど、そういうことよ。たぶん、リサの皮膚に付いていた精液の痕跡から、女の皮膚を集めている犯人が男で、刺青好きなのが女だと思う。とにかく単独犯では、あんなパラドキシカルな犯罪パターンにはならないはずなの。ああいった犯罪では大体、犯人は自分の作ったルールを厳格に守ろうとする。途中まで切った骨を折る、林檎みたいに皮を剥く、みたいなね。なのに墓荒らしの時はそうじゃなかった」
「そのルールに反していた」
「そう。リチャードソン医師は気づかなかったみたいだけど、心理分析までは彼の専門じゃないものね。それから、棺の壊し方も違っていたわ。最初の、遺体が盗まれていたギルバートと棺とマックリーの棺は、蓋の隙間にバールを入れてこじ開けられていた。けれどクロッグとドーソンの棺は蓋を叩き割られていた。随分乱暴なやり方だわ。この壊し方の違いから見ても、前者と後者の犯人は別人だと判るわ。……どうしたの」
 無言のままちらりと周囲に目をやるアルフレッドの視線を追うと、周りの人々が自分たちに注目しているのが判った。食事時に気持ちの良くない話をしている二人を非難する目と、興味津津といった感じの目が半々。広域捜査局本部ビル内の食堂とはいえ、事務職員も多い。クレアはきゅっと唇を引き結んだ。事件の話をしている時は生き生きと輝く翡翠色の瞳は、あっというまに無機質な色になってしまう。
「……続きは後にした方がよさそうね」
「そうしよう」
 殺人課のオフィスに戻り、クレアは二十年前に起こったノースアヴェルニアの事件の詳細を印刷した紙をアルフレッドに手渡した。
「これが資料よ」
「ありがとう」
 読んでみると、確かにその事件はかなり今回のスローターマンの事件に似通っていた。犯人は単独犯であったが、現場が比較的人口の多い町であること、殺人に踏み切る前に墓荒らしをしていたこと、途中から食肉嗜好が出てきたこと、被害者の頭部を記念として取っていたことなど、大まかな特徴はほぼ同一だった。ただしこの犯人のジョージ・マクレーガーは、死体をビニール袋に詰めて捨てたのではなく、自宅の庭に埋めて慎重に隠していた。
「もしかしたら、模倣犯という可能性もあるな」
「ええ。ただ……この事件自体は二十年前のものだし、マクレーガーは十一年前に死刑が執行されているの。今さらという気がするわ」
「その時は実行不可能だったと考えたらどうだろう。十一年経って、社会的な地位や財力、体力が備わった今になって、子供の頃の計画を実行しようとしたと考えれば、今になって模倣犯が現れた理由も解決できる」
「それなら犯人は何故男女の二人組なのかしら」
 クレアは眉をひそめた。アルフレッドは事件の被害者についてが書かれたページを見た。死体の被害を飛ばし、殺人の被害者を見る。最初の被害者は女性だった。名前はマリー・マクレーガー。つまりジョージ・マクレーガーの妻だ。クレアの言葉の意味が判った。模倣犯ならば二人の犯人はこの事件のことを詳しく知っているはずだ。マクレーガーが最初に妻を殺したことも。それならば最初の被害者は犯人の妻でなければならない。もしくは妻に代わる身近な女性。にもかかわらず、男女二人組で殺人を続けているのだ。
「発覚していないだけかもしれない。スローターマンの二人が不倫関係にある男女だとすればの仮定だが、男が手始めに自分の妻を殺し、そして死体を隠して、愛人と犯行を重ねているんだ」
「仮定というより想像ね」
 クレアがぴしゃりと言った。しかしちょっと表情を緩めて続けた。
「でも、犯人同士が親密な関係にあることは間違いないと思う」
「妻殺しが最初の犯行だったマクレーガーのコピーキャットだとすれば、この想像が一番妥当だと思うがな」
「何も、妻じゃなくたっていいわ。要するに自分と血縁関係にあるか、戸籍上のつながりがある女性であれば」
「母親とか、姉妹とか」
「そうね。でも今までの被害者の家族の中に、犯人がいるとは考えられない。だからヴァージニア・ノリス殺害の前に、隠された第一の犯行があったとみてしかるべきね」
「だがどうして、スローターマンは死体を隠さないんだろう」
 クレアは軽く肩をすくめた。
「そこにオリジナリティを出したかったか、自宅に庭がないんじゃないかしら」
「フォークリバーに戻ったら、十一年前からの失踪人を調べたほうがいいな。それと、庭のない家に住んでいる不審者」
「ちょっと、庭の話は冗談よ」
 アルフレッドは話の腰を折られたような気分になって、クレアを恨みがましい目で見たが、彼女は見事に無視を決め込んだ。
「ノースアヴェルニアのこの事件について、もう少し詳しく知りたいんだが」
「どうぞ。この資料で全部だから。私はラボに行ってくるわ」
 クレアはそう言い残してオフィスから出ていった。椅子に深々と腰掛けて、ホットコーナーから持ってきたコーヒーをすすりながら、アルフレッドは資料に目を通した。
 現場はサウスアヴェルニアとの州境付近の町。アルミニアに近いと言えなくもない。犯人のジョージ・マクレーガーには家族があった。殺人の最初の被害者となった妻マリーと、一人娘。娘の名前は証人保護プログラムが適用されたことと、プライバシー保護のため記載されていない。彼が犯行を始める前は両親が同居していたが、最初の事件が起きる一年前に相次いで他界している。抑止力となっていた両親を失い、異常な欲望へのたがが外れたと考えられるだろう。
 ジョージ・マクレーガーの職業は大工。腕はまあまあだったらしい。自宅も彼が建てたものだというが、それが死体を隠す絶好の場所となったのは皮肉だった。家族にも知られないように自分だけの仕事場として離れを作り、そこで掘り出してきた死体を――後には殺した被害者を――解体していた。皮膚を剥ぎ、頭部を切り取った後の死体は庭に埋めて隠す。自分で耕していた家庭菜園の隣に埋めていたのだ。ある日、植え替えを手伝っていた妻が不運にも死体を掘り出してしまった。
 この時の状況だが、調書によるとマリーは気絶し、介抱によって意識を取り戻すと、彼に警察に連絡するようにと言った。マクレーガーは死体の出所を話し、自分のしたことを打ち明けた。すると彼女はマクレーガーに自首するように勧めた。マリーが自分を拒絶したと感じた彼は彼女を衝動的に絞め殺し、その死体の頭を切り取った。そして皮を剥いだ。彼女の皮膚は加工され、彼が仕事場で愛用していた椅子の背に張られた。そうすることで彼は妻を永遠に傍に置いておこうとしたのだ。
 妻を殺してから、マクレーガーは殺人へのためらいを無くし、その後三年間にわたって十四件の殺人と死体損壊、死体遺棄を繰り返すこととなった。妻の失踪は家出をしたのだということにしたが、夫の行動に気味悪さを薄々感じていたマリーがそれを友人に打ち明けていたため、彼女は夫と娘を捨てて家出したのだろうと考えて警察も彼を追及しなかった。彼が逮捕されたのは、意外なところから犯罪が露見したためだった。
 それは彼のたった一人の娘の告発によるものだった。
 母が殺された時三歳だった娘は、その事件当日の状況もはっきりと覚えており、父が死体の皮を剥ぎとり解体する現場まで何度も見ていた。そして逮捕までの三年間、いつ自分が殺されるかと怯えながら暮らしていた。娘が証拠として持ち込んだ人皮製の財布と被害者の所持品によってマクレーガーの犯罪は明るみに出て、終わりを告げた。裁判は一審から最終審まで一貫して死刑判決が維持され、確定した。かくて十一年前に死刑が執行されている。
 ファイルを閉じてデスクに置き、アルフレッドはため息をついた。マクレーガーは娘の告発で逮捕されたが、スローターマンにそんな勇気ある娘がいる可能性に賭けるわけにはいかない。
(しかし、この娘っていうのはどうなったんだろう)
 ファイルには当然ながら娘のその後など載っていないが、無事に成長しているなら今年で二十六歳か二十七歳になっているはずだ。彼女はこの事件をどう思っているのだろう。殺人者の父と、その父に殺された母を持っていることをひた隠しにして生きていかなければならない苦痛をアルフレッドは、同じ性質のものではないが理解できる。事件の関係者であるという過去を隠して生きることの辛さは知っているつもりだった。
 もう一度ファイルを開き、マクレーガーの「作品」のリストを見た。財布、チョッキ、防寒用のすね当て、ランプシェード、ダイニングの椅子。妻マリーの皮で作られた椅子は仕事場に置かれ、他の作品よりも丁寧に扱われて入念な手入れが為されていた。マクレーガーはそんなやり方でしか妻を愛せなかった。後は「記念品」の干し首が二十五個。それは一つ一つこめかみに針金を通して、家の壁の至る所にぶら下げられていた。その中には口紅が残っている物すらあったという。スローターマンの自宅にも、被害者の頭部が記念品として飾られているのだろうか。
「アル、入るぞ」
 突然ドアがノックされ、アルフレッドははっとして振り返った。声で察しはついていたが、やはりディズレリーだった。何となく安心して、彼は笑顔を見せた。
「何だフレッド、よほどお気に召したと見えるが、あいにくフィッツジェラルドは外出中だぜ」
「いや、俺の用事は氷の女王陛下にはない」
「氷の女王?」
 それがディズレリーの付けたクレアのあだ名だというのにはすぐに気づいた。そして実にぴったりなあだ名をつけたものだと感心した。ディズレリーは後ろ手にドアを閉め、今はクレアの席になっている椅子に腰かけた。
「まあ、彼女のことで話しに来たんだがな」
 ディズレリーはアルフレッドが吸ってもいいと言う前にスーツの内ポケットから煙草を取り出し、燻し銀のジッポライターで火をつけた。そのライターは数年前の誕生日にレイチェルがプレゼントしたもので、選んだのはアルフレッドだ。デスクの上の、非喫煙者のアルフレッド自身は決して使うことがない灰皿はディズレリーのためだけに用意されているものである。
「彼女、こっちに引き抜きたいほど優秀なプロファイラーだよ。俺なんかに意見を聞かなくても、彼女一人連れていれば事足りるだろうよ」
「確かに色々と気づくことは多いが、お前が他人を褒めるなんて何年ぶりだ?」
 心底意外というような顔をアルフレッドがしたので、ディズレリーは眉をひそめた。しかし、部下や同僚を徹底的な能力主義で判断するディズレリーが他人を手放しで褒めるというのは本当に滅多にないことだった。
「知らんよ。彼女は俺に意見なんか求めなくたって良かっただろうな。俺の考えていた犯人像よりもずっと具体的な犯人像を掴んでる。しかも的確に」
「二人組の男女って話か」
「ああ。犯罪者の心理は実際に近づいてみたって解らないことの方が多い。だが彼女はそれが解る数少ない分析者の一人だと思っていい。何故彼女が心理分析課に来なかったのか聞いてみたいくらいだ」
「……」
 アルフレッドは黙ったままだった。アルミニアの空港で彼女が呟いた言葉を思い出したのだ。犯罪を犯した者の心は、同じ人生を追体験し、同じ犯罪を犯してみなければ解らないのではないか――。
「多分……」
 ディズレリーがこちらを見た。
「クレアは犯罪者の心の闇に触れたくなかったんだろう。ほら、お前も前に言っていただろう? おかしな連中と一日中話をしていたら、こっちまでおかしくなりそうだって。実際に精神に異常をきたした部下もいたじゃないか。思うにクレアは感受性が強いんだ。だから、仕事にすることはできなかったんだろう」
「そうかもな」
 最後に大きく煙を吸い込んでから、差し出された灰皿に煙草を押し付けたディズレリーは、クレアの顔を思い出した。感情をほとんど表に出さないのは、出すことを恐れているからだ。あの痩せて背ばかりが高い女性捜査官が、アルフレッドの言うとおり感受性の強い傷つきやすい女性だとは到底思えなかったが、とりあえず反論はしなかった。
「それはそうと……今年の生誕祭はどうする、アル。この状態では休みを取るわけにもいかないだろう」
「ああ。多分向こうでスローターマンを追い掛けて過ごすことになると思う。考えてみれば、十年間一度もこうならなかったのが不思議なくらいだ。今年は写真を連れていくよ。一度くらいなら許してもらえるだろう」
 ディズレリーは曖昧な笑顔で返事に替えた。生誕祭前後のアルフレッドの精神状態は不可解極まるものだった。セレストと自分のためと称して二人分のケーキとシャンパンを用意し、これも二人分のディナーをデリバリーやデリカテッセンで購入して用意し、一日中部屋から出ないのだ。事件から三年ほどは、わざわざヴィゼーまで行って、あのレストランから噴水までの道を辿って、現場に花を捧げてから帰るということをしていた。
 あまりにもアルフレッドの母親が心配したので、一度だけその頃に彼の部屋に泊まったことがあったが、アルフレッドは彼の存在など感知していないかように、視線を向けることも話しかけることもせず、暗くした部屋にキャンドルだけを灯して、冷え切った部屋の中でラジオのクラシックチャンネルを付けっ放しにしていた。
 事件の時と同じ服を苦労して見つけたらしく、自分の正面の椅子にはセレストが着ていた紺のワンピースとコートを掛け、自分はダークグレイのスーツを着て、目の前のキャンドルの炎を燃え尽きるまでじっと見つめていた。生誕祭の当日になるとアルフレッドはケーキと料理を一人で片づけ、何事もなかったかのようにまた日常に戻る。まるでその日一日だけ、狂気の世界に足を踏み入れてしまっているとしか思えない行動だった。
 解っているんだ、とアルフレッドは言った。自分が無意味な事をしているということは知っている、セレストが死んだことを理解しているし、受け入れている、と。
 受け入れているのなら何故そんなことをするのかとディズレリーは問いたかった。何を解っているのかと尋ねたかった。だがそれはアルフレッドを完全に狂気へと突き落とす行為のような気がして、できなかった。
 彼がそうなってしまったのはディズレリーのせいではなかったが、親友の心が壊れたままであるのをただ見ていることしかできない当時の自分が歯がゆかったし、完全に治してやることができない今の自分にも不甲斐なさを感じていた。
「新年は俺の家に来いよ。オーガスタとジュリアスが伯父さんに会いたいってうるさいんだ。レイチェルも、メイが歩けるようになったから見てほしいって言ってる」
「それまでにやっこさんを逮捕できてたらね。……フレッド、一つ聞いてもいいか。次の子供が十二月や一月に生まれたらどうするつもりなんだ?」
「うん。それは俺も気にしてるんだ。レイチェルはそのままこの法則を貫けばいいって言ってるが」
 ため息まじりにディズレリーは言った。彼の愛妻であり、アルフレッドの妹でもあるレイチェルの胎内には四人目の子供が宿っている。すでに生まれている三人の子供たちは皆、生まれ月から取った名前を付けられている。アルフレッドは苦笑した。
「いいかげん、誕生月から離れればいいのに」
「ここまで来た以上は続けたいだろ、当然の心理として。まあ、とりあえず生誕祭を無事に過ごせるように祈るよ。じゃあ、また何かあったら教えてくれ。それから、氷の女王陛下によろしく伝えておいてくれ。あだ名のことは内緒にな。それと彼女の言うことは真面目に聞いておくべきだぜ。この俺が言うんだから間違いない」
「わかったよ、フレッド。じゃあな」
 結局ディズレリーが結論として何を言いたかったのかは判らなかったが、クレアが「心理学を少々」程度ではすまない優秀なプロファイラーなのではないかという疑問は彼の言葉から裏付けられた。だが相棒を称賛されたことよりも、アルフレッドには生誕祭のことを心配してもらえたことが嬉しかった。


(2013.4.30up)

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