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4.模倣犯 2

 クレアが戻ってきたのはそれから一時間ほど経ってからだった。ラボのついでに寄ったのか、検死局から分析結果の報告書を受け取ってきていた。そういうところの如才なさには頭が下がった。
「付着物の分析にはまだ時間がかかるけれど、骨の切断面に関しては面白いことがわかったわ。見て」
 言われるまでもなく、アルフレッドは文字に目を走らせていった。
「マックリーと他の二人を解体したのは別人だという証拠が出たわ。同じ鋸歯状の刃物で切断してはいるけれど、マックリーを解体したのは左利きで、残りの二人は右利き」
「決定的だな」
 これで犯人は複数だという物的証拠が出たことになる。
「しかし、よく判ったな。鋸なんて、そんなに特徴が出るような刃物じゃないのに」
「これを見て。骨に残っていた金属片だけれど、普通の鋸の歯にしては細かいでしょう? これは小型の糸鋸なのよ。だからこんなふうに、普通の大きさのものより小刻みに動かす。そのせいで些細な特徴が大きく出てしまったのね」
「なるほど」
「それから、解体の時も単独ではなかったという証拠が出たわ。キャサリン・マクドナルドの足と腕で、切り方が違っていた。腕を切ったのは左利きで、足を切ったのは右利き」
「つまり右利きは骨を折り取る奴で、左利きは全部きれいに切り取る方か」
「そう」
 クレアは頷いた。
「正確には肉切り包丁か何かで肉を切断してから、骨だけは鋸で切ったってことになるんでしょうけど。でもまだ、骨の切断方法でしか二人を判別することができないわ」
「犯人像のプロファイリングは?」
「今まではあまりにもはっきりしない点が多かったけれど、この二日で色々とわかってきたから、それは大丈夫。スローターマンは白人の男女で、年齢は二十代から五十代の間。どちらか一方か、二人とも教育水準は並みかそれ以上。人付き合いはそれほど悪くないけれど、周囲の人間からはあまり好かれていない。おそらく、ヴァージニア・ノリスの自宅があるブロックか、その近辺に住んでいる。家は一戸建てね」
「どうしてそっちのブロックだと? 二人目以降の被害者が見つかった45号線沿いじゃないかって、初め君は……」
「ええ……でもその分析は改めさせて」
 自分に言い聞かせるように、ゆっくりとクレアは言った。
「捜査の撹乱のために、まったくばらばらの場所に死体を捨てることはままあることでしょう」
「ああ。確かに」
「最初の報道では、犯人がヴァージニアをあの池まで捨てに行った、という見方が有力だったわ。警察でも当初その方面から捜査を始めた。だから犯人はそれを利用しようとした。次の被害者を別の場所に捨て、あたかも全ての遺棄場所をばらばらに選んでいるかのように見せかけた。でも実際にはそこに意味なんかなかった」
「つまりノリス夫人の死体は、こう言っては何だが、何も考えずにあの池に捨てられ――見つかって身元が判明した後も、あの池の近辺に犯人がいると考えられなかったことで、犯人は次からの被害者を離れた所に捨てて、我々が予想する犯人の居住範囲や生活圏を拡げさせていたということか」
「最初はそんなつもりはなかったにしろ、ニュースとかからその筋の情報は手に入るもの。少し頭が働く人物ならこんな工作を思いつくのはたやすいわ」
「そして実行もするだろうな」
 アルフレッドは顎を撫でて、しばらく考え事をしている様子だった。
「だが犯人を示す手がかりはあまりに少ない。証拠自体はたくさんあるのに、肝心なものを掴めない」
 被害者の身元はすぐに判るにもかかわらず、死体が人目に付く場所に捨てられているにもかかわらず、有力な目撃証言は今まで一つも出てきていないのだ。
「ゴミ袋の中身をいちいち開けて確かめたり、人がゴミを捨てに来るのを不審がったりする人なんて、そうそういるものじゃないもの。下手に隠そうとすると余計に目立つだろうけど、誰もがやることを同じようにしていたって誰も疑わないわ。あなただって、晴れの日に雨傘をさしている人なら不審に思っても、雨の日に同じことをしている人を不審に思うことはないでしょう。それと同じよ」
「しかも中に死体が丸ごと入っているならともかく、断片だからな……。でも、自宅から離れた場所に棄てに行ってるのなら、相当な距離を移動しているはずだ。現場付近は住宅がないから望むべくもないが、わざわざ遠出してゴミを棄てに行っているなら、誰か一人くらい目撃していないのかな」
「望み薄だけれど、聞きこみを続けるしかないわね」
 クレアは息をついた。
「次の犯罪まではまだ間隔があるな」
「わからないわ。殺人の周期はだんだん短くなっていっているし、二人がキャサリンの肉を食べきってしまうまでの時間にもよるだろうから。けれど、これから証拠は増えてくると思う。狭い地域でこれだけ人を殺して、まだ警察が何の手がかりも得ていないと知れば、もっと大胆になってくると思う。そうすれば油断も生まれるわ。決定的な証拠を私たちに与えてくれる」
「ああ。それがチャンスだな」
 アルフレッドは強い光を目に宿して頷いた。今まで捜査を担当してきて、結局未解決に終わってしまった事件もある。だがいつも彼は事件の全てを知ろうとしてきたし、犯人逮捕に向けて全力を尽くしてきた。それは今回も変わらない。
「アルフレッド」
 問いかけるように呼ばれて、アルフレッドはクレアを見やった。彼女はいつものように静かに凪いだ瞳で彼を見つめていた。
「何だい、クレア」
 ふと、この若いパートナーを危険にさらしたくない――死なせたくないと思った。それは愛しさにも似た感情だった。だがアルフレッドには、それがセレストを死なせてしまったことから、同じ年代の女性に対して抱いている感傷のせいだと判っていた。どういうわけか、クレアは何かにつけ彼にセレストのことを思い出させる。だから余計に、そんな奇妙な感情を生むのだと。
「スローターマンは邪悪で危険な犯罪者よ。私たちがかれらを追い詰めたら、どんな手段を使っても逃れようとするでしょう。だから、逮捕には危険が伴うものになると思う。けれど死ぬ覚悟なんてしないでちょうだい」
 母親が出かける子供に、気をつけなさいと注意するような、信じられないほど柔らかで優しい声だった。言われた言葉よりも、その声音にアルフレッドは驚いた。そして戸惑った。フォークリバーで「あなたが心配だ」と言われた時もそうだったが、彼女は時折こちらの心を見透かしたような優しさを見せ、それが不思議なくらいアルフレッドを戸惑わせる。まるで、全く違う二人のクレアが同じ体に同居しているようだ。
 だが戸惑いは一瞬で消えて、アルフレッドはクレアの言葉を心の中で繰り返した。捜査官が相棒に言うこととしては月並みな台詞だ。ターナーにも同じような言葉をかけられたことがあるし、ディズレリーにはいつも命を粗末にするなと注意されている。なのになぜ、クレアに言われると何か別の言葉のように聞こえるのだろうか。異性としての興味などないと、自分が一番よく判っているのに。
 だからアルフレッドの返事も月並みなものだった。
「まるで君が先輩みたいな言い方だ」
「あら、ごめんなさい」
 クレアはそれを冗談と受け取ったのか、くすりと笑った。
 翌日、二人は再びフォークリバーに向かった。前回はアルフレッドが運転役だったので、今回はクレアが運転を買って出た。他人の運転する車に乗るのはあまり好きではなかったのだが、それを言うとクレアは自分もそうだからお互い様だと答えただけだった。
 早朝の便で飛んだので、フォークリバーには午前九時に到着した。あらかじめ前日に連絡していたので、フォークリバー市警察ではすでにリドル刑事と、この前は出張中で紹介を受けなかった彼の相棒が舞っていた。五十代のリドルと並んだ相棒の刑事は、アルフレッドと同年代のようだった。
「おはようございます、リドル警部。そちらは」
「この前は紹介できなくて申し訳ない。彼は私の相棒のガーフィールド巡査部長だ」
 ガーフィールド巡査部長は真面目な表情でアルフレッドに手を差し出し、握手を求めた。濃いブラウンの髪はやや縮れており、軽く後ろに撫でつけられていた。鼻の下から顎まで、髪と同じ色の髭が覆っていて、朴訥な印象を強めていた。瞳は明るい茶色で、くりくりとしていて熊の縫いぐるみのようだった。愛嬌のある顔だ。
「初めまして。僕はセオドア・ガーフィールド」
「こちらこそ初めまして、ミスター・ガーフィールド。何とお呼びすればいいかしら」
 クレアが挨拶すると、たちまちガーフィールドは相好を崩して嬉しそうに笑った。握手だけ済ませたらアルフレッドの存在を忘れたのか、とにかくクレアにだけ視線を向けてにこにこと流れるように喋り出した。
「署の女の子たちはみんな、僕のことをティディって呼んでますよ。あなたもそう呼んでくれて結構です。男どもはベアって呼んでますけどね。この髭のおかげでね。僕としちゃチャームポイントだと思ってるし、女の子たちはティディベアみたいって言ってくれるんだけど、どうも野郎には受けが悪くって。ところでまだ名前をうかがってませんが、僕はあなたを何と呼べばいいですか」
「クレア・フィッツジェラルド、警部補です。クレアで結構よ」
「そう呼ばせてもらいますよ、クレア」
「それから、こちらはアルフレッド・シンクレア警部」
 対するクレアはあくまで礼儀正しかった。ガーフィールドはどうやらきっかけさえ見つければ相当なお喋りになる男のようだったので、クレアのようなそっけない対応にこの時ばかりはアルフレッドも感心した。クレアが話に乗ってくれないのを見てとって、やっとガーフィールドは怒涛のようなお喋りを止めた。それでアルフレッドもようやく口を挟むことができた。
「シンクレアです。僕のことはシンクレアでも、アルフレッドでも結構。それで、あれから事件に進展は?」
 クレアに倣ってアルフレッドも単刀直入に言ってみた。それにはリドルが答えた。
「新たな殺人は起こっていないという点からは何も。ただ、墓を掘り起こしたことで狂信的な連中から抗議電話という名の邪魔が何度か入った。それから昨日の夜、自分こそが犯人だと名乗って暴れる薬物中毒者が一人保護された。それから、差出人不明の犯行声明文が一通届いてる」
「その手紙は?」
「鑑識に回した後、こっちで保管してるが、ただの悪ふざけだ。警察発表以上のことは書いていないし、それも間違っている」
「一応見せて下さい」
「そう言うと思った」
 リドルは待ってましたとばかりに透明な袋に入れたその手紙を差し出した。
「確かに偽物ね。悪質ないたずら」
 ちらりと一瞥しただけで、クレアはきっぱりと断言した。
「捜査妨害で、この手紙を書いたお馬鹿さんをしょっぴいたって構わないけれど、それは私たちの仕事じゃないわ」
「死体が見つかったブロックにパトカーを配置して、二十四時間体制で警邏に当たらせてる。検問を行ってあの道を通るドライバーからの聞きこみも続けているが、今のところ有力な目撃情報はない」
「まだ二日しか経っていませんからね」
 リドルが疲れ切ったように零したので、アルフレッドはどれほど慰めになるかはわからないがそんな言葉を掛けた。
(つまり、状況は僕らが来る前とほとんど変わってないってことか)
「ただ……」
 リドルの台詞に、ガーフィールドが付け加えた。
「昨日の夜、隣に住んでいる男が怪しいから調べてほしいという通報が一件寄せられた。それがスローターマンと関係しているのかは今のところ不明だが」
「通報者の名前と住所は?」
「それが判っていれば、進展があったと胸を張って言えていたと思う」
 心から残念そうにガーフィールドは言った。
「そう……」
 クレアは目を伏せて軽く肩をすくめた。それから何かを思い出したようにガーフィールドを見上げた。
「ここのコンピューターを使わせてほしいのだけれど、いいかしら。調べたいことがあるの」
「もちろん構わないが、何を? 僕が調べておこうか」
 年下の女性に話しかけられるのがよほど嬉しいのか、ガーフィールドはまた満面の笑みを浮かべた。クレアはわずかに眉をひそめたが、諦めたように告げた。
「今年に入ってから捜索願が出ている、女性の失踪者」
 なぜクレアがそんなことを調べたいと言いだしたのか、アルフレッドは何となく判ったし、クレアが予想もつかないことを言い出すのにはリドルも経験があったから、怪訝な顔をしたのはガーフィールド一人だけだった。
「それって、事件と関係があるの?」
「ええ」
 クレアは辛抱強く説明した。
「スローターマンは二十三年前から二十年前にかけてノースアヴェルニアで起こった事件のコピーキャットである可能性が高いの。詳しい説明をしている暇はないけれど、とにかく女性の行方不明者がいれば、それが犯人の家族である可能性が高い」
 そんな説明で完全に納得できるはずもなく、ガーフィールドはますます首をひねるばかりだった。だが彼は物分かりがよかった。十分後には一同は資料室に移動し、クレアは今年に入ってから届が出された女性の失踪者のリストを閲覧していた。デスクワークの邪魔になるからと、うなじのあたりで髪を一くくりにして、ひっつめたクレアは普段の二割増しでお固い印象を強めていたが、そのことを冗談にしろ口に出せる者はいなかった。パソコン相手ににらめっこを続けているクレアの代わりに、アルフレッドは二人の刑事にノースアヴェルニアの事件の説明をした。
「この犯人のマクレーガーが妻を最初に殺して捜索願を出していることから、スローターマンの一方が、妻かそれに代わる女性を殺した上で動揺に捜索願を出している可能性が非常に高いわけです」
「クレアが今調べているのが、それなんだな」
「そう」
「さすが広域捜査局は目の付けどころが違うが、女の方が男の身内を殺したという可能性もあるだろう」
 リドルは鋭い指摘を独り言のように言って、クレアの背中を見た。視線に気づいたのか気づいていないのか、振り向きもせずにクレアはぽつりと言った。
「それも調べてみますけど、とりあえず二十代から五十代の白人男性が届を出した女性から探します」
 結果はすぐに出た。二百人近い行方不明者の中から、年齢の条件が合致する女性は百人程度。それにクレアはさらに、住所で絞り込みを掛けた。これは二通りで、例の池があるブロックと、ごみ捨て場のあるブロックとで分けた。すると狙いどおり、行方不明者は三人に絞られた。
 その三人の女性の名前が画面上に出ると、ガーフィールドが感心したようにひゅうっと口笛を吹いた。
「この三人の捜索願を出した男の誰かが、被疑者ってことになるのかな、クレア?」
「リドル刑事が言ったように、身内を殺したのが女の方でなければ。今、三人の詳しい情報を出すから」
 クレアはキーボードから手を離し、マウスを動かした。画面の表示が変わり、女性の顔写真と名前、特徴などが記載されたページに切り替わった。
「印刷できる?」
「できるよ。ちょっと代わって」
 ガーフィールドが答え、クレアと交代してデスクの前に座ると、何やら作業を始めた。アルフレッドとリドルはすることがなくて、見ているしかできなかった。しばらくするとプリンターが動き出し、三人のデータが印刷されて出てきた。


(2013.5.20up)

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