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3.過去に降る雪 2


 次の日の朝には雪はすっかり止み、今年初めての雪は融け始めていた。人通りの激しい広域捜査局本部ビルの前の通りでは雪の名残すら、もう見つけることは出来なかった。クレアがラボに分析の進捗状況を聞きに行ってからオフィスに入った時、すでにアルフレッドは手続きをとるために別部署に行っていたので、昨夜の礼を言いそびれたが、今すぐでなくてもいいのだし、と気を取り直した。
 それよりもアルフレッドと分担した仕事を早く片付けてしまおうと思って、クレアは心理分析課のオフィスに向かった。クレアと警察学校で同期だった知り合いも一人だけ、この課に配属されている。自分も心理学が専攻だったので、アルフレッドが言ったように場合によってはここに配属されていたかもしれなかった。
「ディズレリーさんはどこですか?」
「彼のデスクは左から二番目の列、手前から三番目よ」
 受付の女性がにっこりと微笑んで、オフィスの一角を指差した。丁重に礼を言ってから、クレアはそちらに歩いていこうとした。
「話は聞こえていたよ。私がディズレリーだ」
 歩き出すか出さないかといったところで、ふいに後ろから声をかけられた。うっかりクレアはたたらを踏みそうになった。振り返ると、笑みを浮かべた男が立っていた。
 フレデリクス・ディズレリーは一見したところ、アルフレッドと似たタイプに入る男性のようだった。筋肉のほどよくついた引き締まった体格で、すらりとしている。髪は漆黒で目は茶色。肌は健康的な色をしている。アルフレッドと違うのは、二枚目俳優のような甘いマスクだけだった。しかし眼鏡の奥の瞳は鋭い光をたたえており、覗きこんだ者の奥底を見透かすようだった。ある意味で彼にはクレアよりも人を寄せ付けないものがあった。
「おはようございます。はじめまして、ミスター・ディズレリー。私はクレア・フィッツジェラルド。お会いできて光栄です」
 驚いたことなど表情には出さずにクレアは振り返り、手を差し出した。その手をしっかりと握って、ディズレリーは笑った。
「こちらこそ、こんなクールビューティーとお近づきになれて嬉しいよ。素敵なグリーンの瞳だね、ミス・フィッツジェラルド。私のことはドクターと呼んでくれないかな。これでも一応博士号を取得している」
「すみません、存じ上げなくて。お気を悪くさせたのなら謝りますわ、ドクター・ディズレリー」
 容姿に関する発言だとか、値踏みするような視線を全て無視してクレアは答えた。ディズレリーはちょっと軟派な女の子なら蕩けてしまいそうな笑みを浮かべた。
「そんな怒った目をしないでくれないか、ミス・フィッツジェラルド。褒めているんだから、セクハラと訴えないでほしいな」
「でしたら仰らなければよろしいかと」
 クレアはぴしゃりと言った。
「容姿は重要だよ。どんなに頑固な爺さんでも、若い美女には喜んでドアを開けるもんだ。アルは君のおかげで楽ができそうだな。ターナーの爺さんは第一印象が悪いっていつもぼやいていたが」
 ディズレリーの世間話はとどまるところを知らないようであったので、クレアはむりやり話を遮った。
「すみませんがドクター、私はあなたと世間話をするために来たのではありません。スローターマンについてのプロファイリングをお聞きしたくて伺ったんです。できればそのお話は別の機会にということにできませんか」
「見かけ以上に中身はクールなんだな」
 残念そうにディズレリーは呟いた。クレアはまたそれを無視した。それから、ふと奇妙な違和感を覚えた。しかし何なのかよく判らなかったので、クレアは気のせいで片づけることにした。
「そこに適当に座ってくれ。最新の資料はアルからメールで貰ってる」
 言われたとおりにクレアはディズレリーの隣のデスクにあった、持ち主不在の椅子に腰かけた。その動作に紛れさせてさりげなく視線を動かし、彼のデスクの観察をする。一応整理されているようだが、アルフレッドのデスクとさほど変わりがない。本人にしか判らない秩序、或いは本人にも判らなくなった無秩序というものがここにもあるようだった。
 ディズレリーは自分も椅子にかけると、クリップに挟んだ資料を取り上げた。一枚目のページにはクレアにはおなじみになった、死体を詰めたビニール袋とヴァージニアの顔写真が載っていた。
「はっきり言ってしまうと、まだ明確な犯人像というものが掴み切れていない。そこのところは了承しておいてくれ」
「はい」
 クレアが頷くと、ディズレリーは流れるような口調で語り始めた。
「性別は全く不明だ。最初は女の犯行かと思っていたが、チェンバーズ青年の殺害は男がやったように思える。年齢は二十代から四十代。被害者を切断し、恐らくは皮を剥ぐという手口と頭部の切断、被害者はみなそれなりに整った容姿を持っていることから、自分の容姿あるいは身体に何かのコンプレックスを抱いている可能性あり。実際に目立つ場所に痣があるとか、何らかの障害、その他身体的に気になる点がある可能性が高い。もしくは相手にも完璧を要求しているか。
 最初の被害者は黒人だが、あとの被害者は白人だということを考えると、人種差別による犯罪ではない。現場が住宅が比較的密集している場所であることを考えると、犯人は多少怪しく思われることはあっても、通常の人づきあいはこなせる人物だろう。社会病質者か境界性人格異常者。あるいは多重人格ということも考えられる。
 犯行は行き当たりばったりではなく、かなり綿密な下見を行い、計画を立てた上で行っている。被害者の一部を切り取り保管することで制服欲を満たす。わずかなミスや誤算を許さない。人から愛された記憶がなく、自分から気に入った人間が離れていくことを許さない自己中心的な性格だと思われる。今のところはこの程度だ」
 さっきまでのふざけた印象とは対照的に、ディズレリーは非常に頭の切れる男だという思いがクレアの中に起こった。アルフレッドが彼を高く評価し、信頼していることにも頷ける気がする。
「現時点では申し分ないプロファイリングだと思います。ドクター」
「まだ資料が足りないな。犯行声明でも出ていればもっとやりやすいんだが」
 謙遜するでもなくディズレリーは言った。
「それで、君はどう考えている? ミス・フィッツジェラルド」
「私などの意見をお聞きになりたいのですか」
「君は犯罪心理学を専攻していたのだろう? 年配者としては若者の意見も聞いてみたい」
 年配という歳でもないのにディズレリーは至って真面目に言った。まだアルフレッドにも相談していない自分の考えを、初対面のこの男に話すのは一瞬ためらわれたが、これからのパートナーシップを彼とも保っていかなければならない以上は仕方ないと諦めた。
「私は、犯人は複数犯ではないかと思っています」
「それは私も考えていなかったな。どうぞ、先を続けて」
 クレアは言葉を慎重に選びながら話した。少しでも下手なことを言うと、この男に見くびられてしまうのではないかと思ったし、そう思ったことが悔しかった。
「シンクレアから新しい情報が来ているのならご存じかと思いますが、昨日、同一犯人が荒らしたと思われる墓を掘り返して、被害に遭った死体を調べました。その中に、明らかに他の被害者とは違った方法で解体された死体を見つけました。これまで、犯人は被害者の首を切り取る際、頚椎に切れ目を入れて折り取るという方法をとっていました。しかしマックリーに関しては、骨は最後まできちんと挽き斬られていました。皮の剥ぎ方に関しても同じです。皮膚を傷つけずに取るため、あらかじめ剥ぎ取る部分を切り込みで囲み、端から剥いでいました。
 他の死体にはそのような方法はとられず、刃渡りの長い刃物で削ぎながら剥いでいました。林檎の皮を剥くのと同じ要領です。つまりその一体だけ、明らかに別の人間が解体したと思うのです。もちろん、この死体だけが別の人間による犯行ということも考えられますが、同じ市内に二人も墓荒らしがいて、同時期に犯行を行ったというのは可能性としてはとても低いでしょう。被害者に女性だけでなく、若い男性であるラルフ・チェンバーズが含まれていることからも、犯人は複数だと思われます」
「ミス・フィッツジェラルド、そう判断した根拠があるなら聞かせてくれ」
「その報告書にはまだ記載されていないと思いますが、チェンバーズは背中に刺青を入れていたそうです」
「他の被害者は入れていない?」
「そうです。三人とも目立った傷や痣のない肌をしていました。犯人は恐らく、美しい肌に執着があるのだと思います。にもかかわらず、刺青を入れたチェンバーズが被害者となった。骨の切り方が違っていた男性も、皮を剥がれた部分に刺青を入れていたことは確認済みです。これが示唆することは一つです。他の三人の女性を選んだ人物と、チェンバーズを選んだ人物は別だということです。その人物はもう一人の犯人と共に墓を荒らし、チェンバーズを標的に選びました。けれど解体作業に加わったのは一度きり。ここからは想像の域を出ませんが、ここに刺青をした男の皮を集めたい人物と、美しい女の皮が欲しい人物がいるとします。
 仮にそれをAとBだとして――Aは女の皮膚を欲しがっていて、解体する時には骨を折り取る。Bは男の皮膚を欲しがっていて、丁寧に切り落とす。解体を担当しているのがAだとすると、マックリーの墓を荒らした時にはたまたまBが解体をしたんです。Aが、好みではない男の解体を渋ったのかもしれません」
「君の仮説に従えば、解体手順の違いについては謎が解けるが、なぜ二人が共に行動する必要がある? 欲しいものは別々だろうに」
 ディズレリーはクレアの話に関心を示している。少なくとも、まだ貶す気にはなっていないらしい。
「AはBにできないことができて、BはAにはできないことができる。たとえば、Bは力仕事ができないけれどもAはできる、というように。たとえば、若くて美しい既婚女性や、夜中に犬を散歩させている老婦人なら、同じ女の方が安心させやすい。ボクシングをやっている青年なら、男性の方が気楽に話しかけられる。魅力的な十七歳の女の子に声をかけるのも、男の方が一般的でしょう。そんな風に、二人は互いの目的のために協力しているんです」
「ギブアンドテイク、というわけか」
「ええ。それで、私が立てたもう一つの仮説ですが、この二人組は男女のペアではないかと思っています。それと、墓荒らしが無差別ではない点から、少なくとも一人は医療関係者、もしくは葬祭に関係する職種の人間ではないか、とも考えています」
「さっきの話から、言うと思ってたよ」
 ディズレリーはにやっと笑った。もうクレアを見くびっている様子や、からかう様子は見られない。彼女の仮説も真面目に受け取っているようだ。仕事に関しては真面目な人間らしいとクレアは思った。
「このことはアルにはもう話したのか?」
「犯人が女かもしれないという仮説は話しましたが、今の仮説は昨夜組み立てたものなので、全てあなたが初めてです」
「君の方が素晴らしいプロファイリングだよ。はっきり言って驚いた。うちにも君のように優秀なプロファイラーが来てくれればよかったのに」
 どうやらこの賛辞は素直に受け取っておいてもよさそうだった。
「ありがとうございます」
「捜査は、男女の二人組という線でいったほうがいいな。報道機関にはこの情報は伏せるとして……アルもどうせそう判断するだろうし」
 ディズレリーの独り言で、クレアはさっきから少し気にかかっていた違和感の正体に気づいた。アルフレッドの愛称だ。彼はフレッドと呼んでくれと言ったし、課の誰もが彼をフレッドと呼んでいる。しかしディズレリーだけが彼をアルと呼んでいるのだ。クレアの怪訝そうな顔に気づいて、ディズレリーが尋ねた。
「まだ何か仮説があるのか? ミス・フィッツジェラルド」
「いいえ。個人的な疑問です。よろしいでしょうか」
「プライバシーに触れない程度のことならどうぞ」
 ディズレリーは明るく答えた。
「シンクレアのことを、フレッドではなくアルと呼んでいらっしゃるから、少し不思議で」
「ああ、そのことか」
 何を聞かれるのかと少し身構えていたらしく、彼は目に見えて気を抜いたように微笑を浮かべた。その表情ははっとするほど素敵だ。彼も既婚者だろうかとさりげなく左手を確認すると、薬指に金の指輪が輝いていた。
「簡単なことさ。私の名前はフレデリクス。あいつはアルフレッド。昔は二人とも親しい人にはフレッドと呼ばれてたんだ。あいつと親しくなったきっかけも、たまたま共通の知り合いに呼ばれて同時に返事をしたことからでね。それで、お互い判りやすいように、私はフレッドのまま、あいつはアルに愛称を転向した。まあ、今となってはあいつをアルと呼ぶのは私と私の妻だけになったがね」
「なぜ? 彼の奥様はドクターのことをご存じではないのですか?」
 ディズレリーは彼女の質問に驚いたようだった。大学で知り合ったというアルフレッドと彼の妻なら、それ以前からの友人であるディズレリーのことを当然知っているだろうし、それなら彼をアルと呼ぶのは彼女を含めた三人なのではないのか。
「君は知らないんだな。アルのやつ……」
「?」
 苦い顔をして、ディズレリーは告げた。
「彼女は死んでるんだ」
 その言葉を聞いた時、クレアの脳裏にモーテルで交わしたアルフレッドとの会話と、ベッドサイドの写真が蘇った。そういえば、と思い当たる節はある。二人の写真は婚約時代のものだった。子供はいないと言った。パフェを頼んだ彼女を見て、不思議なくらい動揺していたアルフレッド。
 ディズレリーはクレアの表情を見て、困った奴だと呟いた。
「詳しい話を聞きたいかい?」
 ほとんど反射的に、クレアは頷いていた。仕方ないな、とまた小声で呟いて、ディズレリーは立ち上がった。
「私が喋ったということ、君が知ったということは黙っていてくれ。あいつはこの件に触れられることをひどく嫌がるから。私の研究室で話そう。こっちだ」


(2013.3.10up)

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