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                                *



 北の塔から水晶殿に戻ったアルドゥインは、水晶の間に続く一室に入った。そこにはすでに、海軍提督の面々が揃っていた。
「サラキュール殿は?」
 彼が入ってくるなり、アルフォンソは待ちかねたように尋ねた。
「退屈そうでしたが、相変わらずでした」
「相変わらず、か」
 アルフォンソが苦笑に似た表情を浮かべる。本人は何の痛痒も感じていないかのように振る舞っていたが、公爵ともあろう身が北の塔に投獄されるということが、どれほどの屈辱であるかわからぬではない。
 初めに言い渡されたものよりもずっと軽くはなっているが、この処分によってサラキュールが失うものは決して少なくない。貴族や騎士にとって、名誉が傷つけられるというのは、下手をすれば命を失うよりも重大なことなのだ。
 一族全体の名誉を守るためとはいえ、自分の名誉を犠牲にできるのは、一族の当主たる自覚と責任感、強い誇りがあってこそのことに違いない。それを超然と受け入れられる娘婿を、アルフォンソは改めて強いと思った。それはその場にいた面々全てが思ったことであっただろう。
「……我々も、我々のなすべきことをせねばな」
 アルフォンソは改めて確かめるように言った。
 やがて、控え室に法務大臣アスカリヒが入ってきた。尋問を受けるのが皇后であるということもあって、立ち会うのはこの六人のみであり、侍従や女官らは一切立ち入りを禁じられている。
「皇后陛下は」
「今、お呼び申し上げに参らせた」
「では我々も参ろう」
 一番近い場所に立っていたジグムントが扉を開けた。彼らは無言で頷き、水晶の間へと入っていった。そこは一年前に、アルドゥインも尋問と裁きを受けた場所である。クリスタルガラスと水晶のシャンデリアが幾つも下がり、壁面装飾の所々にも水晶が飾り付けられた豪壮な広間だったが、今夜は玉座前のシャンデリアにだけ灯が入れられ、後は壁際に並んだ燭台に蝋燭が灯されているだけだったので、とても暗い印象があった。
 玉座の置かれている上座の手前に半円の形に長机と椅子を並べ、向かい合うようにもう一つの椅子が置かれている。長机の側にアルドゥインたちは座り、ユナが広間に入ってくるのを待った。
「皇后陛下のおみえでございます」
 しばらくして、扉の影に人影が現れた。案内してきた女官は入口の手前で下がり、ユナ一人だけが広間に歩み入ってきた。座っていた男たちは立ち上がり、皇后に対する礼を取った。
「ご足労をおかけして申し訳ございません、皇后陛下」
 最初に口を開いたのは、一番年長であるアスカリヒであった。
「何の用ですか」
 ユナは不機嫌を隠しもしなかった。突然呼び出されて不機嫌であったし、最初から苛立ってはいたが、身支度には気を配っていたらしい。きちんと化粧をし、公式の場ではないので冠はつけていなかったが、身にまとう暗い赤のドレスは盛装に近いものだった。
「皇后陛下にお尋ねしたいことがあり、このような場を設けさせていただいた次第」
「何もこのような仰々しい真似をせずともよいものを」
「ともあれ、お座りください。皇后陛下」
 机と椅子の配置に不審なものを感じているようすであったが、アスカリヒが丁寧に指し示したので、ユナはゆっくりとした動作で彼らの正面に置かれた椅子に座った。それを待って、アルフォンソが最初の質問を口にした。
「皇后陛下の貴重なるお時間をいただいていることは我々も承知。ですから、率直にお尋ねいたします。まず最初にお尋ね申しあげたいのは、先月の舞踏会――エストレラ伯が襲撃されたその晩、その時、皇后陛下はいずこに、またどなたと共におられたか、ということです」
「何故、わらわがそのような質問に答えねばならぬのです」
 ユナは質問をぴしゃりとはねつけた。だがアルフォンソは引き下がらなかった。
「是非ともお答えいただきたく存じます」
 しかし、ユナは答えない。周囲を見回して、含みのある笑みを浮かべた。
「一体、何なのです、これは」
 自分を取り巻く廷臣たちを一人ずつ見ながら、ユナは言った。
「まるでわらわが罪人で、尋問を受けているようではないか」
「さよう、これは裁きの場でございます、皇后陛下」
 重々しく述べたのは法務大臣アスカリヒであった。ユナはきっとなって彼を睨んだ。
「裁き? わらわが何をしたと言うのです。無礼な」
 女の身でただ一人尋問の場に立たされていながら、萎縮する様子を全く見せなかった点においては、確かに彼女は女傑といってもよいほどの度胸の持ち主であった。それをもっと別の方向に生かしていたなら、彼女も良き皇后として人々の信望を集めることができたかもしれなかった。
「陛下がそのように仰せならば、我らから申し上げねばなりませんか。陛下がアルマンド公を亡き者にしようと暗殺を目論み、さらには皇后たる身でありながら、おん自らの息子パリス皇子を皇帝にせんと、イェライン陛下とリュアミル殿下をも暗殺する計画を立て、実行に移されていたのだ、と」
「世迷言を」
 ユナの目がかっと燃えた。
「そのような下らぬ話で、わらわを煩わすのはおやめ。何ゆえ、わらわがそのようなことをせねばならぬ。証拠もなくさようの疑いをかけられては、わらわも黙ってはおられぬ。そなたらを不敬の罪に問うぞ」
 心のうちではおのれが追い詰められつつあることを理解していたのだろうが、ユナはあくまで気丈だった。胸を張り顎を上げ、肩をいからせて男たちを睨み回している。その中で、バートリが口を開いた。
「ところで、皇后陛下。エストレラ伯が刺された夜のパーティーで着けておられたブローチはいかがなさいましたか」
 初めて、ユナの表情が大きく動いた。
「それが、何か?」
「皇后陛下が輿入れされた際に、お父上から贈られたものとお聞きしております。確かにあの日、陛下が胸に飾られていたのを私も覚えております。しかし近頃身につけておられぬご様子。どうした理由があってのことか、お聞かせください」
「その日の気分です。わらわが持っている装身具はあれ一つではない。他のものをつけることもあろう。それが、何だと言うのです」
「無くされたのではございませんか?」
 畳み掛けるようにバートリは言った。ユナは眉をぴくりと引きつらせたが、一言も発さなかった。
「いかがでございましょう?」
「無くなってなどおらぬ」
「それは面妖なことですな」
 続いて口を開いたのはジグムントであった。
「そのブローチについて陛下の衣装係の女官たちに尋ねましたが、彼女らは無くなってしまったと申しておりますぞ。陛下ご自身の命令で紫晶殿中、水晶殿から青晶殿まで探したが、どうしても見つからぬ、と。無くなっておらぬと仰せならば、ぜひともお出し願いたいものです」
「何故そのようなことをせねばならぬ。しつこいぞ、パアル候」
 振り払うような激しさで、ユナは言った。
「どのように仰せになろうと、これをうやむやにはできませぬ。どうぞお答えください、皇后陛下」
 対するジグムントも、ユナの燃えるような目を正面から受け止めた。彼のくっきりとした眉は寄せられ、薄く灰みがかった水色の瞳は、厳しくユナを見据えていた。
「女官たちは無くなったと言い、あなた様は無くなっておらぬと仰せになる。真実はどちらなのでございますか」
「くどい。何故わらわが、そんな質問に答えねばならぬのです?」
 ユナの声も表情も、苛立ちを隠さないものになっていた。それでも彼女が取り乱すことはなかった。その精神力は並の女性をはるかに上回るものであった。しかし、彼女を尋問する男たちも、豪傑、英雄と称される者ばかりである。
「では申し上げねばなりませんか。かかるユーリースの月、何者かに襲われたエストレラ伯が、犯人から奪ったとおぼしいブローチ……それが、陛下のものではないかと我々は疑っているのです」
「馬鹿なことを」
 ユナは鼻で笑い、顔を背けた。
「それがこのブローチです。まこと、陛下には見覚えの無いものでございましょうか? お確かめください」
 再びバートリが言葉を発した。彼は立ち上がって机をまわり、ユナのすぐ傍までに近づいた。そして彼女に向かって掌に載せた光るものを差し出して見せた。それは、黒エナメルの地に金と宝石をちりばめた例のブローチであった。ユナはちらりと視線だけを動かしてそれを見たが、顔は決して向けなかった。
「良く似ているようだが、わらわのものではないはず」
「さよう仰せられますか」
 バートリは睨むような目をした。
「――このブローチの裏に刻まれた文字は、ユナ・ド・ハークラー・ドゥ・メビウスの頭文字と同じでございます。同じ頭文字を持つ女性が、他に何人おりましょうか? 陛下のものではないと仰せならば、アリアガ殿が握られていたこのブローチは、一体誰のものでございましょうか?」
「わらわは知らぬ」
 否定する声は、いくぶんか弱々しくなっていた。
「埒が明きませぬな」
 ゆっくりと、アスカリヒが言った。
「いま一人の証人をこの場に呼び出すことにいたしましょう」
「誰が来ようと同じこと。わらわは知らぬ」
「恐れながら、これは裁きの場。誰を証人とするかを決めるのは我々であり、陛下ではございません」
 アスカリヒから、意外なほど厳しい言葉が投げかけられた。ユナは常ならば不敬と言われても当然のこの言葉に驚きを隠せない様子であった。
「アスカリヒ、そなた……」
 その間に、グスターヴが出て行った。証人を呼びにいったものらしい。やがて戻ってきたグスターヴは、もう一人の人物と二人で証人に肩を貸すようにして慎重に歩みを進めて入ってきた。それが誰であるのかを知った途端、ユナの目が驚きに満ちた。
「エストレラ伯……」
 喘ぐような声が漏れた。
 重体で明日をも知れぬと言われているはずのアリアガが、そこに立っていた。グスターヴと二人で彼を支えているのは、翡翠将軍ロランドであった。
「なぜ、翡翠将軍が……」
 ユナにとって、これは全く意外な展開であった。彼女は宮廷の大多数の人々と同じで、アリアガはそのオルテアの住居であるエストレラ館で療養しているものとばかり思い込んでいたのだ。
「アリアガ殿には、我が公邸でご療養いただいておりました。……エストレラ館には、妙な輩がうろついておりますゆえ、落ち着いて看護できぬと思われましたので」
 ロランドが落ち着いた低い声で言った。ユナの顔が初めて動揺を示し、かすかに青ざめた。まだ、男たちは一言も言及してはいない。だが、ユナは悟った。アリアガの容態を探り、まだ生きているのならば止めを刺すべく、その意を受けた者をエストレラ館に送り込んでいたことを、すでに彼らは知っているのだ――。

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