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 ラルホーン伯カミーユが当主であるアラマンダ公爵に討ち取られた事件は、オルテア城を揺るがせた。
 一門の間の紛争である。通常なら勝者の正義が通るところだが、国内最大の勢力を持つアルマンド一門のこととて、単なる内紛では済まされない。カミーユがサラキュールの暗殺を企んでいたという情報はすでに明らかにされていたが、それでも皇帝に双方の事情を説明し、仲裁を願い出るのが筋と言うものである。
 その手続きを全て飛ばしての誅伐である。しかも先に暗殺者を送り込んでいたのはラルホーン伯側とはいえ、毒に倒れたかに見せかけての不意打ちで討ち取ったというのだから、褒められた行為ではない。
 当のアラマンダ公爵は事件の釈明のため翌日の朝、皇帝に謁見を願い出た。
 これはすぐに了承された。
 しかし、二人で面談をするのではなく、家臣たちの前での申し開きであった。事実上の査問会である。同時にラルホーン伯の息子から出された仇討ちの決闘許可も同時に判断する、ということであった。
 だがサラキュールはこの扱いに不満を申し立てるでもなく、ごく平静にその場に立ったのであった。当然、父を殺された怒りに燃えるラルホーン伯の息子――この日から、彼が新たなラルホーン伯だったが――とは顔をあわせた途端に激しい言い争いになったのは言うまでもなかった。
「この卑怯者め! 父に弁解の機会も与えずだまし討ちも同然の夜討ちとは、アルマンドの名が泣くわ!」
 広間にサラキュールが姿を見せるなり、エルウィッヒは目に涙を浮かべて彼を罵ったのだった。周囲のものがはらはらして見守り、あるいはエルウィッヒが早まった真似をしないよう、何かあったら止めようと腕を挙げかけながら取り巻いている。
 エルウィッヒの憤激を、サラキュールは冷然と正面から受け止めた。
「何を仰る。卑怯者は貴殿の父ではないか。正式に私が継いだ爵位に綿々と未練を残し、それでもどうしてもアルマンドの家督が欲しければ正々堂々と私に挑めばよいものを、あろうことか当主を暗殺しようなどとは、まこと正気の沙汰とも思えぬぞ」
「おのれ、我が父を殺しただけでは飽き足らず、さらに愚弄する気か!」
 思わず剣に手をかけたエルウィッヒに、サラキュールは挑発するように皮肉な笑みを浮かべた。
「ほう、剣で私に挑まれるか。その勇気もなく毒を飼った父親よりはましなようだな。それならば何故、私が貴殿の父を討った日のうちに挑まれなかった? どうせ怖気づいていたのであろうが」
「兵を率いての無用な戦いを避けたまでのこと、貴公一人であったならば即座に仇を討っておったわ!」
 真っ直ぐに指を指しつけて怒鳴るエルウィッヒに、サラキュールは顔を背けて肩をすくめてみせた。
「本当にそう考えておったかどうか、怪しいものだ。口先だけでなら後から何とでも申せるからな」
「この……!」
「よさぬかアラマンダ公、ラルホーン伯!」
 遅れて現れたイェラインが一喝しなければ、そのまま決闘騒ぎか、それでなくともつかみ合いになりかねない勢いであった。皇帝の叱責があったので、渋々といった様子でエルウィッヒは引き下がり、おのれの位置に戻った。サラキュールも息を整えて、イェラインを真っ直ぐに見た。
 彼らが落ち着いたと見て、イェラインは軽く咳払いして釈明を始めるようにと告げた。しかし、サラキュールはあくまで自分の正当性を主張し、イェラインは皇帝の意向を無視したことを咎める。釈明とは名ばかりで、会話は互いに一方通行であった。
「何度でも申し上げます。私はおのれに一片の非もないものと今も確信しております。ラルホーン伯カミーユは私を殺さんと、刺客に毒を盛らせておりました。それが明らかになったので当主の権限により彼を誅伐したまででございます。私はいわば被害者なのです。お叱り、お怒りは筋違いと言うものでございます」
「それが本末転倒だと申すのだ!」
 イェラインの怒声に、居並んだ家臣たちは首をすくめた。皇帝のこれほどの怒りは久々のものである。最近では体調が悪いとして朝見も早めに切り上げがちな彼の大声に、その怒りの深さが見えるようであった。
「たとえ一門の争いごとだとしてもだ。それならばまず余にうかがいを立て、その判断を仰ぐべきであろうが! その上でまこと卿がそなたに背反の心あったとあれば、皇帝の命によって卿を罰したであろうに! なにゆえ主君をないがしろにするような真似をしでかした!」
 皇帝の怒りの前にも、サラキュールは動じない。
「陛下をないがしろにする心などございません。しかしそのように悠長にかまえていては、私の命が先に奪われていたことでしょう。先に私を殺さんとし、刺客を送り込んできたのはラルホーン伯なのです。それを受けて立ってはならぬと仰せですか。私は自らの身を自らの手で守ったのでございます。それとも陛下は、私がラルホーン伯の手にかかって果てればよかったと仰るのですか!」
「口が過ぎるぞ、サラキュール!」
 イェラインは大喝した。火花が散るようなにらみ合いであった。エルウィッヒもあまりの勢いに口を挟めずにいた。
 イェラインは大きな息をつき、玉座に腰を下ろした。
「よく判った。そなたには皇帝の意を伺わなかった反省も、卿を手にかけた悔恨の情も、かけらもないということだな。ならばこれ以上言葉を重ねる必要はない」
 サラキュールは何も言わず、瞳ばかりを黒い炎のように燃え立たせて立ち尽くしていた。それに対して、イェラインは厳然と言い渡した。
「アラマンダ公爵サラキュール・ド・ラ・アルマンド。皇帝の名において本日をもって貴殿を海軍大元帥の任から解く。また貴殿に与えた領地について、フィエゾレ、モエジア、エーバース、ヴィスの四ヶ所を没収する!」
 居並ぶ群臣から驚愕のどよめきが起こった。しかしサラキュールは微動だにしない。真正面からイェラインの怒りを受け止めていた。
「お待ちください、陛下。それは――それはあまりにも厳しい仕打ちというものです」
 声を荒げたのはアルドゥインだった。
「サラキュール殿は詭弁を弄しているわけではございません。確かに陛下のご意向も伺わず、アラマンダ騎士団を動かした一件に関しては咎められてしかるべきですが、それにしてはそのご処分は厳しすぎます」
 さらには翡翠将軍ロランドがきっぱりと言った。
「ご再考をお願いいたします」
 何かを主張させれば、その弁舌で五将軍の中で彼に勝るものはいない。
「今回の公爵の行いが褒められたものではないことは、紅玉将軍も仰るとおりです。しかし、一門の者に穏やかならぬ心が生じた場合には家長が責任を以って糺す。それが古今の法というものでございます。領地に関しましても、今陛下が仰いましたのはいずれも公爵家の屋台骨をなす大領地ばかり。その四ヶ所をお取り上げになったのでは、アルマンド公爵家は公爵家とは呼べなくなります」
 しかし、イェラインは引き下がらなかった。
「我が膝元のオルテアにてのこのような暴挙、許すわけにはいかん」
 二人が何か言いかけるより先に、アルフォンソが叫んだ。
「陛下! 仮にラルホーン伯が無実であったとしても、今のご処分は是非ともお考え直しください!」
 アルドゥインもロランドも、それどころか当事者のサラキュールまでもが驚いて彼を見た。しかしそれでもイェラインだけは表情を動かさない。
「無茶を申すな、ヴァリーニ卿。それでは卿の無念はどうなる?」
「サラキュール殿を罰するなと言うのではございません。また、婿だとてかばうつもりもさらにございません。しかしながら、陛下が今おっしゃった領地を全て没収し、海軍大元帥の任を解いたりすればどのようなことになるか。申し上げるまでもなく、アラマンダ公爵は国内屈指の貴族ばかりを数多く同族に持っております。フリアウル候しかり、ラトー候しかり、ハーゼルゼット候しかり。その彼らが一門としてまとまっているのは、ひとえにサラキュール殿が彼らの上にあればこそ。広大な領地を持ち、海軍大元帥という申し分ない力を持つサラキュール殿が頭にあるからこそ、並みの領主以上の身代である彼らが同じ一族に連なっているのです。その頭から頭としての力を奪えば、頭を失った迷走する大蛇を生むようなもの。そのようなことは、国内の動乱のもとになりますぞ!」
 サラキュールの罪状はどうあれ、混乱が起こるのを防ぐために処分を軽くしろというのである。もちろん、アルフォンソは本心から言ったわけではない。こんな言い分はサラキュールに対して失礼だと思っていた。最初は彼も、婿の行動に憤っていたはずだった。しかしあまりのイェラインの怒りに、そのことはすっかり忘れてしまっていた。
 おまけにイェラインの怒りは容易に収まりそうにない。それならとりあえず減刑だけでもさせねばならないと判断したのだ。
 アルドゥインとロランドも即座にアルフォンソの弁舌に乗った。今度はセレヌスとソレール、海軍提督の面々も加わった。
「カミラ伯の仰るとおりでございます。一時のお怒りに任せての厳重処分はあまりにご短慮というものです」
「なにとぞ、ご再考を」
「陛下!」
 同時に進み出てきた人たちも熱心に頷いた。彼らは何らかの形でアラマンダ公爵家に関わりのある貴族だった。身分的にはそれほど高いものではないので、発言は目上の人に譲ったのだが、心は同じだった。
 謁見の間にいた閣僚や貴族たちもどちらかというとイェラインに対して非難の目を向けている。彼らも最初はサラキュールが罰せられればいいと思っていたはずである。日頃皇帝に目をかけられ、寵愛を受けているサラキュールに対する妬み嫉みもあって、いい気味だと囁く者さえいた。だが、予想外に激しい皇帝の怒りと厳しい態度を目にして、逆にサラキュールに対して同情の念を抱いたのである。
 イェラインはしばらく目を閉じて沈思黙考するようであったが、軽く息を吐いて立ち上がった。
「――わかった。方々がそのようにいうのであれば無下にもできぬ。海軍大元帥の資格と領地についてはそのまま据え置くことにする」
 三人も他の貴族たちも深々と頭を下げた。
「処分はなさらぬと仰せですか! ならば――ならば、せめて一太刀なりともこの手にて父の仇を討たせていただきとうございます!」
 エルウィッヒが一歩進み出て叫ぶように言った。
「ならぬ!」
 獅子吼とも言うべき一喝であった。
「これ以上の流血沙汰は無用のこと。サラキュールの罪は罪として亡きラルホーン伯にも相応の疑いがあったことは否めぬゆえ、この件は余の預かりとし、調査を命ずる。その上で卿が真実無実であったならば貴殿の敵討ちを認めよう。といって公爵を自由の身にするわけにはいかぬ。アルメニー館に閉じ込めたのでは意味がない。即刻、北の塔に入ってもらう」
 一同は再びどよめいた。

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