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                                *



 剣を構えたまま、サラキュールは低い声で続けた。
「貴殿が父と母を殺したことは、たとえ二十六年が経とうとも許せるものではない。それでも、一門のためだ。今の今まで表沙汰にする気はなかった。しかし、もう貴殿を生かしてはおけぬ。貴殿は二度までもアルマンド一門を窮地に陥れるような真似をしでかされた。今度という今度はいかな貴殿がフリアウルの嫡男であろうと内輪で伏せておくことができぬ。どうせ表沙汰になるならば、軽い罪の方が傷も浅かろう」
 正眼に構えた剣が、ランプの光を受けて兇悪に輝いた。その輝きに圧されたように、カミーユは一歩下がった。
「貴殿がユナ皇后と、臣下と君主の妻としてあるべき分を越えた親密な関係になろうが、そこでどんな話をしていようが構わぬ。しかし、考えるだけと行動を起こすとでは大違いだ。ラルホーン伯ともあろうものが皇帝陛下とリュアミル殿下を暗殺しようとしていた、などという不名誉が世に知れたらどうなるとお思いだ。皇家に対する暗殺は目論むだけでも死罪だ。私も一族から反逆者を出したとして監督不行き届きの罪は免れぬかもしれぬが――それはまあよい」
 ふっとまた冷たい笑みを浮かべ、サラキュールは言葉を切った。
「だが、この罪は貴殿の命一つであがなえるものではないのだぞ。我が一門の名誉は地に墜ち、その罪は二十の支族、そこに仕える数多の人々全てに降りかかる。反逆罪となれば貴殿の息子にも累が及ぶ。悪くすれば全家門取り潰しということもありうる。それを考えたことはなかったのか? それに比べれば、罪を負うのが私一人なら結構ではないか。ゆえに、これはアルマンド一門の内紛ということにして片付けさせてもらう。同族殺しの不名誉を私一人で負ってやる。安心しろ――フリアウル家の名誉はそれで保たれる。貴殿のあるかなきかの名誉もな」
 壁際まで追い詰められたカミーユは、カーテンの端を後ろ手に掴んだ。かすかな金属音を聞きとめたが、サラキュールは気づかないふりをした。カミーユは最後の抵抗を試みるように口を開いた。
「お前こそ、アルマンドの当主にはふさわしからぬ。そう思ったまでのことだ。ヴァルトゥールもそうだ。そもそも傍系であるはずの者が、直系を差し置いて公爵になるなど許されぬ。おまけに――誇り高きアルマンドの当主ともあろう者が、正妃の産んだ皇子がありながらあのような生まれの卑しい没落貴族の娘、庶子ごときを皇太子と仰ぎ、その騎士であるかのように振る舞いおって」
「だから、パリス殿下を皇帝にするためにイェライン陛下とリュアミル殿下の暗殺を企てた――。そうだな」
 カミーユは答えなかった。その代わり、サラキュールは続けた。
「貴殿には、何も見えておらぬのだな」
 彼は皮肉っぽく唇をつり上げた。
「リュアミル殿下がただの女だったならば、私とて支持しようとは思わなかっただろう。だがリュアミル殿下は人柄にも、教養にも優れた皇女だ。皇太子にふさわしくあるためにあの方がどれだけの苦労と努力をなさっておいでか、私は知っている。だからこそ私は殿下をお護り申し上げると決めたのだ。血統だけで物事が決まる時代はいずれ終わる。貴殿のように実力も頭もないくせに、血筋ばかりに後生大事にしがみつき、恃みにするものとてそれしかないような輩には判らぬだろうが、地位を得、守ってゆくにはそれに見合うだけの努力が必要なのだ」
 痛烈な言葉だった。だが、その本質をカミーユが理解したとは思えなかったし、サラキュールもそれを期待したわけではなかった。そもそも同じような条件を持っていながら、二人の立つ場所は全く異なっていたから。
 だが彼の言葉にこめられた蔑みの感情は読み取れたらしく、カミーユの青ざめかけていた顔がさっと朱に染まった。
「さて――そろそろ無駄話は終わりにいたそうか。時が移る」
「私をここで殺してみろ。それが知れればエルウィッヒは私の仇を討つだろう。ここにいる私の兵たちも、お前を無事には帰さぬぞ」
「ああ――そのことについてだが、一つ言い忘れておった」
 さりげない調子であった。
「どこの愚か者が敵の陣中にのこのこと二人だけで現れるとお思いだ? 確かに私はジークだけを供に参ったが、私たちの後からアラマンダ騎士団がこの屋敷を訪れている。私かジークの合図で、一斉に屋敷を制圧する手筈だ」
「何だと?」
 カミーユは今度こそうわべの冷静を取り繕うことも忘れて叫んだ。
「騎士にもあるまじき行い、騎士の風上にも置けぬぞ! 正々堂々と正面から戦い、勝利を得てこそ騎士の誉れであろう! この、アルマンドの恥さらしめ!」
「黙れ、カミーユ・ド・フリアウル!」
 サラキュールはふいに声を荒げた。カミーユがびくりとしたほどの勢いだった。夜よりも暗い瞳が燃えていた。
「貴殿がまっとうな敵ならば、私とてこのような手を使う気はなかった。それが伯父と呼んだ貴殿への、そして大伯父への、せめてもの礼儀だと思ったからな。貴殿に言われずとも、このようなだまし討ち、卑怯な手段であるのは百も承知だ! だが、貴殿の本当の罪を知られる前にことを終えねばならぬのだ。手段など選んでいられるか」
 吐き捨てるようにサラキュールは言った。
「私を恥さらしと貴殿は言うが、恥さらしはどちらだ。総領を殺し、無関係の者を三人も殺し、さらには主君への謀反、二度目の総領殺しのたくらみ。それでよくも人のことを言えたものだ。ついでに言えば、エルウィッヒはすでにこの事を承知だ――私が貴殿を討つこともな」
「まさか……」
 カミーユは驚愕に目を見開いた。聞いた言葉をほとんど信じられない様子であった。
「エルウィッヒが、そんな……」
 その言葉が相手にどれだけの衝撃になるかを承知した上で、サラキュールはゆっくりと告げた。
「ことが公になれば、成人した息子であるエルウィッヒも疑いをかけられるからな。貴殿の行状と私の決意を打ち明けたらば、涙ながらに承知してくれた。アルマンドの名を守りフリアウルの家を守ることのほうが、父親の命よりもはるかに重い。そう申してな。貴殿の息子とは思えぬ立派な態度であったよ」
 カミーユの顔はいまや紙よりも白くなり、カーテンを掴んだ手はぶるぶると震えていた。それは怒りのためとも、間近に迫る死を予感しての恐れともとれなかった。
「カミーユ伯父――貴殿、なぜ自分がアルマンドの当主になれなかったか、解るか?」
「なに?」
 ふいに発された問いに、カミーユは眉をひそめた。明確な答えを期待していたわけではなかったらしく、サラキュールは言葉を続けた。
「アルマンドの当主たることがどういうことか、貴殿が理解していたなら、私はこの地位など貴殿にいつなりと譲っても良かった。たとえ両親の仇だとしてもだ。アルマンドの名を背負うことは、貴殿が考えておられるほど生易しいことではない。誰が好き好んで、成人もせぬうちからこんな重責を負いたいなどと思うものか。だが、貴殿はこの地位を、名誉と権力と財産の象徴としか見なかった。この名がおのれ一人のものではないということも、広大な領地を治め、一族全てを治め、彼らを守ることに、どれほどの努力が必要かも知らず、分を過ぎた権力を求めた。そしてそのためだけに、父と母を――何の罪も関係もない御者やジークの父までも殺した。そのような者に、ド・ラ・アルマンドの姓を許すことはできぬ。ハーゼルゼット卿らも、同じ思いであっただろうよ。だから貴殿は、アラマンダ公にはなれなかった」
 冷たく、サラキュールは告げた。
「一門を守るためにおのれの全てを捧げ、おのれを捨てる覚悟――貴殿にそれがあるか。エルウィッヒが貴殿を捨てたように」
「……」
「無いだろうな。あれば、このようなことにはならなかったはずだ」
 その声には、哀れむような調子があった。それに気付いたとき、カミーユはおのれが絶対的な窮地に立っていることも失念した。
「貴様に――貴様に何が判る!」
 カーテンの後ろにやっていた右手がサラキュールに向かって横になぎ払われた。鋭い音とともに銀色の軌跡が空を切る。壁にかけられていた剣を、カミーユは目隠しのカーテンの後ろで掴んでいたのである。だが、サラキュールもそれはすでに予測していた。彼はカミーユの右手が動くと見るや身をひねり、最初の斬撃をかわしていた。
「判らぬわ。貴殿の愚かしい心など」
 襲い掛かる白刃を払いのけて、サラキュールは言った。
「この期に及んで悪あがきか。見苦しい。アルマンドの嫡流を名乗るならば、せめて潔く死んだらどうだ」
「何を言うか!」
 時ならぬ剣戟が数合続いた。カミーユとて、武官ではないがそれなりの修行を積んでいる。簡単には勝負はつかなかった。サラキュールは数歩下がり、間合いを取った。心は怒りに燃えているはずだが、剣を構え直して相手の隙を探るその姿は、あくまで冷たく静かだった。静かだが、その全身から青白い炎が燃え立つように感じられた。
 どんなに激しい感情が心に渦巻いていようと、決して感情に流されることはない。状況を見極め、確実に敵をしとめられる瞬間、あるいは方法を見つけ出す。それが、この若きアラマンダ公爵がわずか二十歳にして海軍大元帥にまで上り詰めることができた理由であった。
 その気迫が、武官ならぬカミーユをすら圧倒したかのようだった。動けば隙ができると本能的に悟りでもしたものか、彼もまた剣を握ったまま、動くことができずにいた。
 まるで数時間にも感じられた、数分の息詰まるような対峙。
 隙が見えた。
 瞬間――。
 白銀色の光線が閃いたかに見えた。サラキュールの剣は一直線にカミーユの心臓を貫いていた。
 反射的に振られたカミーユの剣先をかわし、サラキュールは剣ごと体を引いた。たちまち吹き出した血が彼の全身に降りかかった。それでもサラキュールは氷のような表情を変えなかった。
「あ……が……」
 断末魔のうめきを上げて、カミーユの体が数歩後ろによろめき、壁にぶつかり、そしてずるずると崩れ落ちていった。壁を汚し、見る間にどす黒い血だまりが床に、絨毯に広がっていく。
「そなたの死は有効に利用させていただくぞ。伯父上」
 もう聞くものとていなくなった部屋で、サラキュールは静かに告げた。剣を拭って鞘に収めるとくるりと背を返し、サラキュールはカミーユの死体をその場に残して部屋を出ていった。そこではジークフリートが待っていた。サラキュールの姿を見るなり、彼は深々と頭を下げた。
「お見事でございます」
「――おぬしの父の仇は討ったぞ、ジーク」
 どことなく哀しげな微笑みを浮かべて、サラキュールは言った。実際、父母の仇を討ったという安心感も達成感も、彼の中にはなかった。あるのはただ、寂寥と虚しさばかりであった。
「それは、サラキュール様も同じこと。これでヴァルトゥール様とリュクレイア様の御魂も安らげることでございましょう」
「どうであろう。それは判らぬな。……私のしたことはつまるところ全て、アルマンドの名を守るためのものなのだから」
 サラキュールは目を伏せて軽く首を振った。その声には自嘲するような響きがあった。ジークフリートは労るように言った。
「サラキュール様は当主として果たすべき務めを果たされたのですから、同じことでございますよ。ご両親の仇を討つことも、謀反者を誅することも」
「おぬしの言うことは、気が利いておるのかおらぬのかわからぬな」
 足早に歩いていくサラキュールは眉をひそめて難しそうな顔をしていたが、声は和らいだものになっていた。
「伯母上と、エルウィッヒたちは」
「ジャスリン様にはサラキュール様が仰ったとおりにご説明を申し上げました。当主として謀反者を討つのだ――と。ジャスリン様はひどく取り乱されましたが、エルウィッヒ様が鎮めてくださいました」
「そうか」
 つぶやくように答えたサラキュールの顔は、心なしか安堵の色を浮かべているように見えた。
「――お会いになられますか」
「いや。今は会わぬほうが良いだろう」
 サラキュールは緩く首を振った。
「理由はどうあれ、私は彼の父を殺したのだ。納得したからとて、わだかまりがないはずはなかろうし、気持ちの整理もつきかねよう。それに私とエルウィッヒはこれから仇同士、という格好を作らねばならぬ。馴れ合いがばれてはまずい。全ての問題にかたがついてから――それからだ。ましてこのような姿ではな」
 サラキュールは顔の血はさすがにぬぐっていたが、血が染みこんでしまった服を引っ張って見せた。言われて初めて、ジークフリートは主人が血まみれであることに気づいたようだった。しかし彼が言ったのは、この殺伐とした雰囲気にはあまりにもそぐわない言葉だった。
「ああ――お召し替えを持って参るべきでしたね。これは気がつきませんで、申し訳ございません」
「おぬしは本当に、判らぬ奴だな」
 呆れたようにサラキュールは言った。それから、彼はつとおもてを引き締めた。
「この屋敷の兵とは戦闘にはなっておらぬな?」
「はい。すべてエルウィッヒ様が抑えてくださいました」
「ならば我々も全ての兵をひき、屋敷に戻る。クリジェスたちにそのように伝えよ」
「かしこまりました」
 同じように真面目な面持ちになり、ジークフリートは答えた。

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