前へ  次へ

     正道を行くが王たるものである
     されど時に欺き、裏切るもまた
     王たるために必要な術と知れ
                ――アルカンド
                「為政術」より




     第三楽章 水晶の間奏曲




 広間のどよめきの中で、サラキュールは悔しげに唇を噛んで黙っていた。
(北の塔に、投獄だと……?)
(それは厳しい……)
 貴族の中でも最高位である公爵が北の塔に投獄されるなど今まで例がない。しかも相手はメビウス帝国一の力を持つアラマンダ公爵である。だが、これが皇帝の譲歩の限界だということは誰の目にも明らかだった。三人とも致し方ないと頭を下げたが、ここで口を開いた者がいる。
「陛下、それならばお願いがございます。わたくしも――このジークフリート・デ・レユニも、北の塔に入れてくださいませ」
「ジーク!」
 サラキュールが驚いて、進み出てきて傍らに膝をついたジークフリートを見た。そして慌てたように彼の肩を掴んで立たせようとする。
「よさぬか。おぬしには何の関係もないことだ。罰を受けるのは私一人でいい」
「いいえ」
 ジークフリートは頑なに首を振って、主人の手をやんわりと振り払った。これまで沈着を保っていたサラキュールのこの狼狽ぶりから察するに、彼の行動は全くの予想外であったらしい。
「どうか、陛下。わたくしの願いをお聞き届けくださいませんでしょうか」
「何ゆえ、従者にすぎぬそなたが」
 イェラインがちょっと気を惹かれたように彼を見る。ジークフリートは片膝をついたまま頭を下げた。
「わたくしは主人のこのたびの行いを事前に知っていながら止めもせず、どなたかに告げ知らせることもいたしませんでした。さらには主人を諌めるどころか、自分の意思で、主人に従ってその手助けをいたしました。ですからこのジークフリートも同罪です。臣下のゆえをもって逃れようとは思いませぬ。ぜひ罰していただきたく思います」
 淡々と言うが、そこには皇帝に対する非難がこめられている。
「好きにするがいい」
 冷ややかに言い捨て、イェラインは謁見の間を出ていった。太刀持ち小姓や侍従たちがそれに続き、皇帝の姿は天鵞絨のカーテンの奥へと消えた。
「アルマンド公、こちらに。レユニ殿もおいでください」
 続いて近衛兵がサラキュールとジークフリートに近づいてきた。
「うむ。剣は?」
「こちらでお預かりいたします」
 サラキュールは素直に下げ緒から剣を抜き取り、近衛兵に渡した。ジークフリートは帯剣を許されない身分であったので、この手続きはなかった。
「サラキュール殿!」
 近衛兵の合間から、駆け寄ってきたのはアルフォンソであった。
「いくらなんでも、貴殿を北の塔に投獄などとはやはり納得がいかぬ! お考え直しいただくように、陛下に申し上げる。近衛兵、もう少し待ってくれ」
 勢いに任せて広間を飛び出そうとするアルフォンソを、同僚の提督たちが慌てて止める。サラキュールも穏やかな声をかけた。
「アルフォンソ殿、どうか私の事はかまわれずに。陛下のお怒りが解けるまでのことです。そのように仰っていただけるのはありがたいことですが、アルフォンソ殿まで陛下のお怒りを買うことになるやもしれません。陛下はできるかぎりの譲歩をしてくださったのですから、ここは甘受いたすのが臣下のつとめというもの」
「しかし……」
「それに、このような機会でもなければ一生できぬ経験です。せいぜい北の塔暮らしを楽しんでまいります」
 そう言って、静かに一礼した。呆気に取られたような廷臣たちを前に、サラキュールは近衛兵たちに頷きかけた。
「では、参ろうか」
 身分高い貴族であるので、縄をかけての連行ではない。ごく穏やかに、宮中を案内されるように二人は出ていった。塔に着くと、二人の身柄は近衛兵から塔の看守に預けられた。そこで一応、収監に際しての注意事項などが告げられた。
「お食事は、朝はリナイスの刻、昼はヤナスの刻、夜はルクリーシスの刻にお持ちいたします。着替えなどお入用のものがございましたら、後ほど伺いに参りますのでその時にお命じください。場所が場所ですので何かとご不便はございますでしょうが、何とぞご容赦下さいますよう……」
 相手が相手なので、看守たちもおっかなびっくりといった感じであった。
「私たちは囚人なのだから、そこまで気を遣わなくてもよいのに」
 とサラキュールが呆れ半分で言ったほどである。
「はあ。それはまあ、ですがしかし……」
 初老の看守長は、困ったように額の冷や汗を拭った。本来ならば言葉を交わすことなど一度もないような大貴族を相手にし、しかもそれを投獄しなければならないというのだから、彼の心労は推し量るに余りある。といって、推し量ってすまない気分になっていたのは主にサラキュールではなく、その後ろのジークフリートであったが。
「別に、そなたらを困らせるようなわがままを言うつもりはないから、気楽にしておってくれ。私たちは海軍生活で粗食にも慣れておるし、そのあたりの心配も要らぬから、普通の囚人と同じように扱ってくれてかまわぬぞ」
 とは言われても、はいそうですかと一般人と同じように扱えるものではない。
「申し訳ないことでございます」
 看守長は深々と頭を下げた。これでは、どちらが囚人で管理者なのか判らない。サラキュールの後ろに控えて黙りこくっていたジークフリートであったが、彼の目にも何とはなくの呆れの色があった。
「では、房にご案内いたしますので」
 二人が収監されたのは北の塔の最上階にある特別房であった。ほとんど使われたことがない部屋だったらしく、鍵を開ける時にやたら錆び付いた嫌な音がしたものだったが、中は案外古びておらず、清潔だった。
「失礼ながら、鍵をかけさせていただきますので、ご用の際はそこの呼び鈴を鳴らしてください。室内はどのように使ってくださってもかまいませんので」
 指し示された所には、天井から紐がぶら下がっている。これが恐らく階下の看守室あたりにつながって、鈴を鳴らす仕組みになっているのだろう。
「承知した。案内ご苦労であったな」
 五階も上ってさすがに息があがっている看守たちに、息も乱さぬサラキュールは労いの言葉をかけた。ますます囚人らしくない囚人であったが、どちらもそのことを気にしていないようであった。下手にやると尊大にしか見えないのだが、サラキュールはそれを厭味に感じさせないのである。これは生まれ持った態度物腰と、大貴族として育った貫禄のなせるわざなのであろう。
 こんなところに水道が通っているはずもないので、看守たちは一緒に水差しやグラスなども持ってきてくれていて、それをテーブルの上に並べていった。ジークフリートは手伝おうとしたのだが、何となく手が出せずに突っ立っていた。次いでストーブに火が入れられ、薪も用意された。
「では……」
 分厚い木の扉が閉められ、鍵のかかる金属音があった。やがて、階段を降りていく看守らの足音が遠ざかっていった。
 階段を上りきるとすぐにこの特別房があり、最上階の床面積のほとんどを占めている。そのため中はとても広かった。ここは身分の高い者専用の房なので、牢らしくなく明るい色合いの壁布が使われ、床も石ではなく板張りで、絨毯まで敷いてある。装飾はほとんどないが、家具などもしっかりしている。
 窓際には放射状に壁で仕切られた寝室が五つ並んでいたが、入口はカーテンだけで扉はなく、その前には共同スペースらしい居間のようなものがしつらえられ、互いに自由に交流できるようになっている。
「何なのだ、これは。囚人同士でお喋りでもしておれと言いたいのか」
 部屋を検分して、サラキュールは首をひねった。
「まあしかし、くつろげそうですね。私までこんな良い所に入れていただけるとは思いませんでした」
「大した意味はないと思うぞ。まとめて放り込んだほうが楽だからであろう」
「それはそうですね」
 ジークフリートの方は早速自分の寝る場所を決めて、そこに落ち着いていた。ベッドの端に座り込んで、枕の具合を確かめている。サラキュールはまだ室内の検分を続けていて、水差しの蓋を開けて中身が単なる水であることを確認すると、傍目にもつまらなさそうな顔をした。
「なんだ、ただの水ではないか。酒は頼めるかな」
「さすがにお酒は無理だと思いますよ、サラキュール様。頼まれるならアーフェル水になさいまし」
 本気で呼び鈴を鳴らそうとしているサラキュールに、ジークフリートはたしなめるように言った。ほんの少しだけ、二人の間に沈黙がおりた。だが、再びジークフリートがそれを破った。
「……それにしても、エルウィッヒ様はよくやってくださいましたね」
 仕切りになっている壁の手前に身を持たせかけて立っていたサラキュールは、ジークフリートの方を見て頷いた。
「そうだな。陛下の芝居っ気は今に始まった話ではないが、あれのは本当に怒っているのか、演技なのか判らなくなるほどだった」
 この一件が双方の合意によるものだと知られてしまってはまずい。弁明の場で争うことはあらかじめ打ち合わせ済みのことであったし、イェラインの怒りも全て計画の一環だったが、詳しい筋書きを作っていたわけではない。ぶっつけ本番で三者とも事に臨んだのである。
 アルドゥインがとりなしに入るのは予定の行動だったが、他にも賛同者がいなければ実際どうなっていたか判らないところだった。むろん、全く賛同者がいないなどということは、サラキュールの宮廷内での人脈や人望、地位を考えれば、ほとんどありえないことであったが。
 後で事情を知ったら、アルフォンソ殿はカミーユ伯父を討ったことよりも、この計画を内緒にしていたことに怒るだろうな、とサラキュールは思った。何にせよ彼の好意を利用した形になるのだから。
 それから、サラキュールはまたジークフリートの顔を見た。何か?、と問うように茶色とも若草色ともつかない色合いの瞳が見返す。
「しかしな、ジーク。先にも言ったが、おぬしまで私に付き合うことはなかったのだぞ。それはまあ、おぬしがいてくれたほうが心強いが、おぬしは巻き込まれただけで、罪に問われるべき立場ではなかったのだし」
「冗談ではございません」
 ジークフリートの返事は人を食ったようなものだった。
「ここで私一人が戻ったら、リアザン様の雷は全て私に落ちるではありませんか。そんなのはまっぴらごめんです。おまけに今回はことがことですからね。マティディア様と母のお説教もついてくることでしょう。ですからサラキュール様がお一人で、ゆっくり後から存分にお叱りをお受けになればよろしいんです。母の説教の分は、私が引き受けてさしあげますから」
「……」
 思い切り嫌な顔をしたサラキュールである。
「それに、ずっと刺客の調査やら、毒見やらをし続けて疲れておりますし。昨日もほとんど寝ておりませんから、ちょうどよいお休みをいただけました」
 上着と靴を脱いで布団にもぐりこみながら、ジークフリートは実に気持ち良さそうなあくびをした。それを横目で見ながら、サラキュールは小さなため息をついて、呆れたような微笑を浮かべた。
「まあ……私たちは私たちのなすべきことをしたのだ。後は皆に任せて、我々はしばし休戦としようか。おやすみ、ジーク」
 そう言って、サラキュールはカーテンを閉めた。

前へ  次へ
inserted by FC2 system