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 いざいくさとなれば、誰よりもきびきびしているのはアインデッドといってまず間違いはなかった。さっきまでのだらだらした彼しか見ていない者は、その豹変ぶりに別人ではないかという疑いさえ抱いた。マギードとハディースはそういう感想を持った中の一人であった。
 陣形や軍の編成、作戦などは参謀として、シェハラザードに命じられてルカディウスが全て取り仕切ることになったが、それに異論を唱える者はいなかった。
「マギード殿の青騎士団一万を中心として、ハディース殿の白騎士団の半数を青騎士団に組み入れ、いま進軍中の一隊を迎え撃ち、残る半数を待機させます。旗本隊は本陣に残りシェハラザード閣下をお守り致します。ご意見は」
 ラトキア人というのは、どちらかというとみな他人任せのところが多い人種のようであった。彼に異論を唱える者は一人もいなかった。やり易いことはやり易いが、将来がやや不安な人種であった。それはさておき、青騎士団の面々の準備も整い、マギードは先陣を飾れるという意気込みに燃えて出陣していった。ハディースも命令を伝えに出て行き、アインデッドは一番近いフェリス子爵セオドアに援軍要請の合図の狼煙を上げ、シャームにもナハソールに宛てた手紙を持たせて密使の早馬を出した。
 彼らが忙しく立ち回っている間、シェハラザードはする事もなく天幕でおとなしくしていざるをえなかったが、マギード隊とエトルリア軍の先鋒の衝突が始まると、いても立ってもいられずに飛び出していった。その頃には彼女も軍装を整えており、旗本隊隊長のアインデッドを見つけてその隣に立った。
「どうなっているの」
「いま始まったばかりで、マギード殿が先陣だ」
 どうやら出ているのはエトルリア兵の一部だけで、あとはしっかりと陣を固めて、動く気配もなかった。半数ほどが出ているのならエトルリア軍と数の上では大差なかったが、もし全軍を挙げての攻撃となれば、勝負は判らなかった。
「大丈夫なの?」
「押されそうなら白騎士団の残りをハディース殿が率いて出る。いよいよやばかったら逃げるか、旗本隊が出るしかないだろうな」
「わたくしはどうしていればいいかしら」
 その言葉に、アインデッドは何となく揶揄をこめた調子で言った。
「ここでこうして、立っていてくれればいい。あんたは俺たちの勝利の女神だ。それだけで士気が上がる」
「失礼ね。わたくしはちゃんと剣もとれるわ」
「怒るなよ。ともかく、大公であるあんたが出て行く必要はない。それに、あんたを守るために俺がいるんだから」
 そう言って、アインデッドはそれで見つめられたら女といわず、みな参ってしまう真剣な瞳でシェハラザードを見つめた。シェハラザードも例外でなく、その白い頬にさっと赤みがさした。その間にハディース隊が出てゆき、ミシアの平原は壮絶な戦いの場と化していた。人馬のいななきと、打ち合う刃の音が夜闇を切り裂いていく。
「やばいな……やっぱり数が少なすぎる。あともう一万がとこ増えりゃあ、何とかできるんだが」
 アインデッドは舌打ちして、戦場をじっと見守っていた。たしかに戦況はラトキア軍に不利のようであった。その押され気味の味方を見ているうちに、アインデッドの焦燥感と戦いたいという苛立ちはとうとう臨界点をこえてしまった。
「馬引け!」
 マントを翻して背を返し、アインデッドは声を張り上げた。
「白騎士団第三隊、四隊、騎乗! 旗本隊はその気のある者だけついてこい」
 甲板仕込みのよく通る大声は、ただでさえじりじりとしていた旗本隊の歓声でかき消されていった。その様子を見るかぎり、その気のある者はいても、ない者はいないようであった。ルカディウスが慌ててアインデッドに駆け寄る。
「馬鹿、アインデッド、そうしたらシェハラザード公女はどうするんだ!」
 アインデッドは陽気に言い返した。
「馬鹿はてめえだ。あいつだってシャーム陥落の際、剣をとってランと戦った女だ。てめえの身くらいてめえで守れるだろう。それに、俺がくたばる時にゃあの女もどうせ生きてはいまいさ」
「でも……」
 まだ何か言いたげなルカディウスを尻目に、アインデッドは眼前に集合した旗本隊の方を振り返った。
「旗本隊第五隊は引き続きシェハラザード大公護衛のため本陣にとどまれ。残る全軍は今よりただちにマギード隊、ハディース隊の援護に向かう。ただし深入りはせず、いざとなったらただちに本陣に戻り、シェハラザード大公の護衛に戻る事。いいな? では、行くぞ!」
 アインデッドは手にした剣を振り上げた。歓声とともに一斉に旗本隊の剣が振りかざされると、松明の明かりに照らされ、まばゆく照り映えた。
「全軍、出撃!」
 一声。
「ラトキア――ラトキアのために!」
「シェハラザード大公の為に!」
 総勢一万名あまりの一団が、丘を駆け下りる。
 その新手の勢いに、押されていたラトキア兵たちはにわかに活気を取り戻した。
「おお――」
「なんてすさまじい……」
 アインデッドの剣が閃くたびに、確実にそこには死が訪れる。かけ違いざまに胴を叩き割られたエトルリア兵が目を大きく見開き、この狂気としか思えない戦士の戦いぶりを見つめて倒れていった。
 彼の剣は男の身の丈ほどもある両手剣で、通常はその重さを利用して敵を叩き切るのに使われる。だがアインデッドのそれは刃先まで鋭く尖らせてあり、振り回して相手をなぎ倒すだけでなく、刺す事も可能だった。
 振りが大きくなる分脇が甘くなりがちで、ただでさえその重さと長さとで素人には扱いづらい両手剣である。だがアインデッドは赤い盗賊に身を投じて以来、好んでそれを使っていた。相手を懐近くには絶対に近づけさせない力量と自信があってこそできることであった。
 実際のところ、アインデッドは目の前で彼の行く手を阻む相手を切り伏せ、なぎ倒すことだけに執念を持っていたので、相手が誰であろうとかまいはしなかった。そこにいたのがエトルリア兵であったからよかったものの、ラトキア兵でも彼の前に立てば確実にその剣の餌食になっていただろう。
 丘の上で、シェハラザードはやきもきとしながら、戦況を探ろうと必死になっていた。どうやら、アインデッドの隊が投入されたことでかなり押し気味に持っていけているようであった。しかし、それにも限界があった。再びエトルリアが陣を開き、新たに一個中隊を加えたのである。
 数の上で圧倒的不利にあるラトキア軍は、その数にものを言わせた戦法にはさすがに手の打ちようがなかった。激しく戦いつつもアインデッドは状況を把握する事にも神経を使っていたので、最後の理性まで投げ打っていくさに没頭してしまうようなことだけは決してしなかった。そろそろ持ちこたえるのも限界と見て声を張り上げた。
「退却!」
 伝令の騎士が命令を伝えていく。周りの様子を見て、聞こえない者も意図を察する。
「旗本隊は直ちに退却用意! 本陣に戻り大公閣下をお守りせよ!」
 言いざまに、アインデッドは馬を返して丘に駆け戻り始めた。エトルリア軍に阻まれつつも、かなりの早さで旗本隊はそれぞれの隊長に率いられて本陣を目指していた。アインデッドの行動を見ていたハディースも、いまだ打ちかかるエトルリア兵と切り結びながら次の命令を出した。
「旗本隊を援護しつつ退却! 何としても、シェハラザード様だけはお守りするのだ!」
 マギードは必然的にしんがりとなる。しかし彼も立派な武将の一人である。先鋒としんがりという大役を果たせるだけの実力はあった。
「退却しているわ――負けということ、なのかしら……」
 シェハラザードはともすればがくがくと力の抜けていきそうな体を、大公なのだという自負で辛うじて支えていた。ラトキアが負ける、それはアインデッドの言ったとおり、国民に対する裏切り行為、彼女がここで斃れれば今度こそラトキアはこの地上から抹消されてしまうだろう。
 それを思うと、いまだ十九歳の少女の心は何とも言い知れぬ不安と悲しみ、苛立ちに責め苛まれるのであった。
 ルカディウスも、また違った意味でやきもきしながら、戦場を見やっていた。彼にとってはラトキア全体よりもアインデッド一人の身が大事であった。もしも怪我をしたら――最悪の場合、戦死報告だけが戻り、次の日の朝には槍に突き刺された彼の首級がエトルリアの天幕の前にかかげられているとも限らない。
「ルカディウス」
 ふいに――。
 シェハラザードの声音は大公の威厳を取り戻していた。そして、どうしていつの間に、それを見つけていたのだろう。戦場では新たな歓喜と驚きの鯨波が沸き起こっていた。新たにざわめきだしたその一点に、彼女の目は据えられていた。フェリス国境警備隊の黄色い鎧――それは、夜闇の中にも星明りとかがり火に照らし出され、くっきりと浮かびだしていた。
「勝利の女神は、たしかにこちらを向いているのだわ――」
 シェハラザードはゆっくりと言った。
 わあああ――
 ラトキア兵の歓声とも、エトルリア兵の悲鳴ともつかぬ声が起こる。
 敵味方入り混じっての大混戦、そのラトキアの敗色も濃くなったところに、救いの手は差し延べられたのである。
「遅参つかまつった! それがしはフェリス伯爵ハイラードが遺児、フェリス子爵セオドア! いざラトキアのために!」
 アインデッドの知らせは、間一髪のところで間に合ったのである。アインデッドはほっと胸をなでおろすのと同時に、次にどう動けばいいのかを目まぐるしく考えていた。
「このまま退却! セオドア卿には我々の退却の援護を!――ちくしょう、やるじゃねえか……運命のいたずらってやつは!」
 最後の方は口の中で呟くだけにとどめたが、全くその通りの感想を誰もが抱いていたに違いない。馬首にぴったりと身を伏せ、さながら一陣の白い嵐のように、シェハラザード旗本隊とアインデッドの隊は戦場を駆け抜けていった。ハディース隊とマギード隊がそれに続き、粘り強い反撃にエトルリアが退却のラッパを吹き鳴らしたのを潮時に、新入りのフェリス騎士団が退却してきた。
 シェハラザードは負け戦をどうにか逃れた事と、新たにセオドア率いるフェリス騎士団が加わった事でご機嫌だった。アインデッドをはじめ四人の団長に珍しいくらいのねぎらいの言葉をかけて激励した。
 しかしフェリス子爵セオドアは、まだほんの子供といってもいいような年齢――たった十七歳の少年だったのが、唯一アインデッドの心配な所だった。

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