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                                *



 暫く何かを思案するような顔をしてから、アインデッドは言った。
「そうだな、あんただって、どういうふうに物事が進んでるのか、知る権利ってやつはあるかもしれないな。俺の同盟者に違いねえんだから。――正直なところってやつを聞きたいか? 少々かんばしくない話でも、だぜ?」
「どうか聞かせてちょうだい。どれほど絶望的な真実でも、後で知って一気に突き落とされるよりはましだわ」
 シェハラザードの宣言はほとんど叫ぶような勢いだった。タマルは恐ろしがって彼女の袖口にしがみついた。
「なに、それほど絶望的ってわけでもねえが」
 アインデッドは宥めるように言った。
「しかし思ったよりもラトキア残党の集まりが鈍いっていうのは事実だな。というより、一人一人がどれだけ集まってこようと、それは高が知れてる。雨が一滴ずつ集まって大海となる、ということわざは知っちゃいるが、そんなのを待ってた日にゃそれこそ何年とここで待ってなきゃならねえ。俺たち――俺とルカとしては、それこそステラ伯なりエルザーレン伯なりが、そちらで何万こちらで何万と集めた兵を引き連れて、参戦してくれるのをあてこんでいたわけさ。あんたと全く同じようにね」
「駄目なの? マギードは何と言ったの?」
「ステラ伯とは連絡がつかない」
 アインデッドは浮かない顔をした。
「あの戦いを生き延びて、ジェナから領地のカラバルに移動したことは突き止めたんだが――。彼はツェペシュ大公家と関係の深い名家だから、あそこを一番あてにしていたんだが、つかわした奴の報告するには、どうやらマギード卿は地下に潜ってしまっていて、その様子から見て決してラトキア再興の志がないわけではなさそうだが、何と言うか、要するに、これ――俺たちの目論見が、本当にシェハラザード公女を擁してのものなのか、逆にマギード卿を狩りだすためのエトルリアの手の込んだ謀略ではないのか、そこのところを疑っているらしい。使いはどうしてもマギード卿の居場所を教えてもらえず、手紙だけとって追い返され、返事もはかばかしくもらえないということだ」
「そう……」
 シェハラザードは嘆息した。
「マギードこそ、一番の大口だとあてにしていたのだけど。わたくしが自ら行って説得することができれば、話は全く簡単なのでしょうけれどね」
「この様子では、マギード卿が本心からラトキア再興の為に力を尽くそうとしているのかどうかも判らない。もしとっくにエトルリアの手が回っているようなら、みすみすあんたの存在や計画をエトルリア側に知られ、今後いっそう不利になるだけだ」
「マギードはドニヤザード姉様の婚約者だったもの、そんなことはないと思うけれども……でも、人の心ほどあてにならぬものはないと、わたくしにも判るようになったわ。――ラバックは?」
「ラバック卿はエルザーレンで挙兵の機会を窺っているらしい。ルカの手先が探り当てて連絡を取っている。彼は私兵五千を有している。最初の返書で、まことシェハラザード公女ご存命とあらばただちに兵をまとめてタリムに発つと連絡してきた。今のところ一番有望なのが彼の軍勢だな」
「では少なくとも五千は確保ということね。エルザーレン伯はアクティバル将軍の息子だし、名家だわ。彼の呼びかけがあれば一万くらいは集まるでしょう」
 ずいぶん気をよくして、シェハラザードは言った。
「それが姫君の甘いところだよ」
 しかしアインデッドはぴしゃりと押さえつけた。
「確かにラバック卿の兵力は有望だし、それがあれば何とか目処は立つ――だが彼の領地はエルザーレンだ。エトルリア軍がかためているシャーム近郊を抜けないことには、タリムに来ることはできない。それに五千もの軍勢が気付かれずに移動するなんて事は絶対に不可能だ」
「……」
「両方で示し合わせて同時に挙兵し、シャームのエトルリア軍を挟み撃ちにするということも考えられるが、どちらも数が少なすぎる。ペルジア国境沿いにハイランドを抜けてこっちに来るにしても、時間がかかりすぎる。それまで俺たちがエトルリアに気付かれずに持つかどうか」
「そうね……」
「あと一応連絡が取れたのは、ナハソール黒騎士団団長、ポーラ伯アベラルド、戦犯として処刑されたハイラード卿の遺児セオドア子爵、同じくエリフ将軍の遺児セシル男爵といったところだが、セシルやセオドアは何といっても十七、十八の少年だ。三千は集めて加わると言ってくれているが、何人集められるか。アベラルド卿は過日の戦いで受けた傷の予後が思わしくなく、一年も寝付いたままだそうだ。兵を集めることはできても、陣頭で指揮を取ることはできない」
「ナハソールは? 彼なら人望も厚いし、一万はかたいと思うのだけれど」
「たしかに一万持ってんだ」
 アインデッドは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「今シャームでエトルリアの下にある元ラトキア軍を指揮し、ラトキアをまとめているのはナハソールなんだ」
「何ですって」
 シェハラザードは思わず声を高くした。
「裏切り者! 売国奴!――あれほど父上に目をかけられていながら、裏切るなんて」
「まあそう言うな。多分奴にも奴なりの事情があるんだろう。ナハソールはこちらが優勢だとはっきりしたら、配下の一万を連れてラトキア方に戻る。これはどうやら確かだ」
「要らないわ! そんな汚らわしい、裏切り者の軍勢など――」
「一万は一万だ。現実的になりな、シェハラザード公女」
 アインデッドは落ち着いて言った。
「裏切り者だろうが何だろうが、とりあえずナハソールは一万の軍勢もろとも、今回の成功の一方の鍵を握っているんだぜ」
「情けない」
 シェハラザードは唇をかみしめたが、しかしそこは長い辛苦の果てのこと、かつてのようにアインデッドの言葉を聞く耳持たぬと退ける元気はなかった。
「望みを遂げるためには、そのような汚らわしい兵力さえあてにしなければならないなんて。なんて呪わしい」
「戦なんてのは、そんなもんさ。負ければ賊軍、勝てばなんとやら、さ。だからこそ勝敗の見えぬ最初から共に戦い、力を貸そうと言う奴が一番信用できるんだってことを忘れないでいてもらいたいな」
 ちゃっかりとアインデッドは言った。
「わかっているわ!――さっき、今回の一方の鍵と言ったわね。では、もう一つの鍵があるのね? あるいは幾つか」
「まあな」
 アインデッドは頷いた。
「でなけりゃやってられねえってもんさ。バックスの曲がった角にかけてな」
 シェハラザードはこのような時であるので、アインデッドの皮肉な物言いには目をつぶることにした。
「それは?」
「スエトニウス」
 アインデッドはぶっきらぼうに告げた。
「スエトニウスはラエルにいる」
「ラエル?」
「ああ。沿海州の自由貿易都市ラエルだ。黄騎士四千を率いて東辺警備にあたっていたスエトニウスはシャーム落城のみぎり、早々に見切りをつけてわずかな手兵のみを連れて沿海州に脱出した。そしてまだラエルにいる。聞いたところではラエルの議長デーンの弟にスエトニウスの娘が嫁いでおり、そのためラエルでは賓客扱いでもてなされているそうだ。ラエルは小都市だが元々ダリアから分離独立した自治領だし、ダリアはラトキアと縁が深い。たしか、あんたと公子の間に縁談があったとか……」
「そんな話もあったわ」
 シェハラザードは頷いた。
「――もしスエトニウスがラエルとダリアを説きつけて兵を出させてくれれば、一気に形勢は好転する。ただし」
「ただし、何?」
「ラエルとダリアは沿海州で、軍隊もほとんど海軍だってことだ。――内陸のラトキアに欲しいのは千艘の船よりも五百の馬だ。まあそれでもラエルに騎兵がないことはないし、もしダリアも味方につけることができるなら、結構な数の義勇兵を集められる可能性は高い。しかし――」
「まだ問題があるのね?」
「スエトニウスというのが、またけっこうな日和見主義者なんだろう?」
「そう……言えないこともないわね。スエトニウスは武官としては抜け目がなさ過ぎると言われていたこともあるわ。だからこそネフィ・ステラ伯のように華々しく戦死を遂げたり、ハイラードやレスター、エリフのように降伏してから戦争責任者として処刑されることもなく、ナハソールのように売国奴の罵りを浴びることもなく生き延びてこられたのでしょうけれど」
「抜け目がないなんていうのは、普段の俺なら大層な美徳だと思うんだが、この場合はちょっと困ったことになる」
 アインデッドは顔をしかめた。
「さっきも言ったようにナハソールはこっちが優勢ならまず間違いなくラトキア側に寝返るだろう。スエトニウスが集められる兵を仮に一万としておいて、それがこちらにつけばの話だがな。しかしスエトニウスは、こちらが絶対に有利だと判断できなければ戻ってこないだろう。それにはナハソールの軍が必要だ。――と、どちらにせよどっちかが先にこっちについてくれないことには、もう一方もあてにできないってわけさ」
「それでは手詰まりではないの」
 アインデッドの苦い顔が伝染したように、シェハラザードも眉を寄せた。
「とりあえず、だからナハソールとスエトニウスは数に入れられない。そうすると、あとはもうセオドア子爵とセシル男爵、アベラルド伯の軍をあてにするしかない。彼らが申し向けているとおりの人数を集められるとして、それが一万と少し。今ここにはだいたい四千いる。が、目標の二万には程遠い。せめてもの救いはポーラとフェリスがタリムに近いってことぐらいだな」
「嘆かわしいことだわ」
 意気消沈して、シェハラザードはうなだれた。
「たしかにわたくしの見込みが甘かったのかもしれないけれど、そんなに兵が集まらないなんて。ラトキアの民はツェペシュ大公家の支配を――自由であった時代を忘れてしまったと言うのかしら」
 言ってから、シェハラザードはまたアインデッドに嫌な顔をされる不用意な発言をしてしまったのではないかとひそかに危惧したが、彼は突っかかったり、やっつけたりする代わりに慰めるような言葉を口にしたのだった。
「自分の民を、そういうふうに言うもんじゃないぜ。それぞれに違った理由があって、そうできないわけなんだから――まぁ無論、俺だってそれじゃ困ると言いたいのはやまやまだがね」
 しかしアインデッドがどう元気付けてやったところで、自分から教えてくれと頼んだことではあったが、兵の集まりが悪いという事実がシェハラザードを落胆させたことは間違いなかった。

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