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「そなたは三千人の盗賊団とやらを抱えているので、そのようにたやすく再興の、独立のというのであろうが、三千の、しかも盗人の群れをもってどのように、訓練されたエトルリアの騎士団十万に立ち向かえよう」
「あ、いや、その件についてはご心配無用」
 ルカディウスがゆっくりと手を挙げて、口を挟んだ。
「わたしにいささかの見通し、戦略がございますゆえ」
「そなたは?」
 シェハラザードは訊いた。ルカディウスの容姿に最初はずいぶんと驚きもしたのであろうが、そんな様子は気振りにも見せなかった。
「モリダニアのルカディウス」
「それは判っている。先程聞いた。が」
 シェハラザードのアメジストの瞳がくるめいた。
「では、医師と申したのは偽りか。わたくしに近づこうがための方策か」
「いや、決して」
 ルカディウスは落ち着き払って答えた。
「私は医師ギルドにこそ受け入れられませなんだが、長年医師としてたつきを立てて参った者。私は医師にして占術、薬学、魔道、兵法の全てに精通し、これなるティフィリスのアインデッドに軍師として仕える者でございます。くどくどとおのれやおのれの主の能力を褒め称えはいたしませんが、これだけは、自ら言わぬあるじに代わって申し上げておきましょう。このアインデッドの力、そして私のささやかな頭脳、それこそ、ただいま中原にただ一つ、公女殿下が故国ラトキア再興の夢を真に叶えられる為の手立てに他なりますまい。それだけは、私は全ての名誉にかけて断言させていただきましょう」
「わたくしは只今そちと出会ったばかり。そちにいかなる名誉があろうか、なにゆえ知る術がある」
 シェハラザードは素っ気無かった。
「しかし、たとえばどのような方策を以ってわたくしを救い出し、軍を興すつもりでいるのか、それを言ってみるがいい。それによっては、そなたがどの程度の軍師で、この男がどの程度の将か、はかることもできよう」
「恐れながら、今は申し上げかねます」
 ルカディウスは言い返した。
「それをお聞きになられた上で、それを私ども抜きで、たとえばなきラトキアの旧臣マギード伯などをかたらわれて実行に移される、ということもありえましょうゆえ。――私どもには、殿下に信じていただくべく差し出すものは何もありませぬ。ただ、ここまでこうして忍んでまいりました事実と、あとは殿下がお信じ下さるや否や、それだけで」
「……」
「しかし、このアインデッドが申すとおり先に延ばせば勝算は薄らぐばかり。そしてたとえ三千の盗賊をもってでも十万の兵を打ち破る方策もなくはございません。私どもにしてみれば、このようにラトキアのためのあやうい賭けに乗り出しますよりは、中原で盗賊団として勢力を張っておりますほうが、どんなに楽かと――それもお考え下さり……」
「何が望みだ」
 ふいに、ルカディウスの言葉をぷつりと断ち切るようにシェハラザードは言った。
「え――?」
「何が望みか、と聞いている。――狙いがなくて、そんなことをする人間は世にいるまい。何がお前たちの狙いだ。どういうものを手に入れることが」
「そのような――」
 ルカディウスが何か言いかけるのを、アインデッドは目顔で止めた。そして押し被せるように言った。
「何が望みだと思うんだ、あなたは」
「アインデッドとやら!」
 タマルが叫んだ。
「姫様に対し、その無礼な口のききよう――」
「タマル」
 シェハラザードは手を挙げて止めた。そして言った。
「あまり時もなきこと、肚の探りあいのようなことはしてもおられぬ。――言うがよい。わたくしを助け出し、ラトキア再興の兵を興し、強国エトルリアを敵に回して、そなたには一体どのような報酬がある。――人は、何か狙いなしで、一つとして事を成すものではあるまい」
「なるほどな。やっぱり、あなただけは馬鹿じゃないようだな」
 アインデッドは言った。そして狼のようににやりと笑った。
「――そういうことならしかし、こちらも安心して率直な話し合いができるというもの。まわりくどくぐちゃぐちゃとやらかすのは、俺には向いてないや。こちらも言いたいことを全部言わせてもらうぜ。それでいいだろう」
「姫様」
 タマルはアインデッドを睨みつけ、そっとささやいた。が、そのささやきは皆に聞こえてしまっていた。
「この男たちは、腹の悪いならず者でございますわ。こんな者たちを引き入れてしまいましたことは、後ほどどうやってでもお詫びいたしますから、こんな者たちの言葉にお耳を傾けられることはございません。追い返しましょう」
「タマル」
 声をいくぶん厳しくして、シェハラザードはささやき返した。
「誰が主人なの。わたくしに命令するつもり? 黙っておいで。そして、何もかもわたくしに任せて、余計なことを言うのではない」
「も――申し訳ございません」
 シェハラザードはアインデッドを見つめた。
「お前は、なかなか面白いことを言う男だわ。言ってみるがいい。その率直なこととやらを。それによって、わたくしも率直に答えよう。確かにお前の言うとおり、それがいちばん時間が早くてよい。何が望みなの――それとも、どういうことが?」
「大したことじゃない」
 アインデッドは、ものごとを自分のペースに持ち込めそうだったので、大いに満足して言った。
「取引がしたいんだ」
「取引?」
「そう。取引だ。こちらには今あなたの持っていない三千の手兵と軍師、それに武器や軍資金もある。それを全てあなたがラトキアを取り戻すために提供しよう。そして俺たちはあなたをここから助け出し、ラトキアに無事送り届けるためになけなしの生命をかけもしよう。しかし、それだけのことをするにはこちらだってむろん見返りは欲しい。その見返りは――」
「……」
「俺は、ある一つの目的のために今は生きている。そのためには、ラトキアの将軍――でなくてもいい、とにかく、何らかの地位が必要なんだ。だから俺は見返りとして地位を与えて欲しい。それに値するだけの働きは、むろんしてみせるつもりだ」
 その「ある目的」が、王となることなのか、それとも王となることは、金の髪と紫水晶の瞳を持つ美しい青年を殺すための手段なのか――ふと、アインデッドは奇妙な感覚にとらわれた。しかし突き上げそうになる感情を抑えて、慌しく言葉を連ねた。
「今の俺ははっきり言ってただの盗賊だ。たとえ三千人の部下を持っていてさえ。だから俺は、のし上がるための、何と言うのか――足がかりが欲しい。そのために、俺はあなたを助ける。その代わり、あなたか弟君がラトキアの大公になってから、今度はあなたが俺に手を――力を貸してほしい。あなたがいれば、ラトキアの遺臣、残党も集まってくる。きっとラトキア再興はうまくいく――いや、ゆかせてみせる。それから後のことは俺が自分でどうとでもする。とにかく、俺には最初の足がかりとしてあなたの持つラトキア公女の名が欲しい。そしてあなたには、俺の力が必要なはずだ。どうだろう――悪い取引ではないと思う。ずいぶん分がいいはずだ。なぜならあなたはそれがうまくいかなくてもラトキア公女の誇りを持って死ねる。エトルリア大公の妾でいるよりは、遥かにましなはずだ。だが俺たちは、何もこんな危険を冒さなくとも、ずっと盗賊として山の中でやりたい放題、気ままに暮らすことだってできるのだから」
「……」
「――俺が言いたいのはそんなあたりだ。後はあなたが決めることだ。そうだろう」
「たしかに」
 落ち着いて、シェハラザードは答えた。彼女は、アインデッドの話している途中からこうべを垂れ、アインデッドの強い眼差しと目を合わせぬようにそらして、何かじっと考え込むかのように見えていた。しかし、はらはらしているルカディウスやタマルを尻目に、口を開いた時、シェハラザードもまた恐ろしくはっきりと言ったのだった。
「お前は失礼な男だけれど、お前の言うことには一理あるわ。それにお前はわたくしの立場を良く判っているようね。わたくしは今、とても困っているわ。できれば一日でも早くここから逃れたいと思っている。確かにお前を利用するのは一つの手だわ。しかしわたくしにしてみれば、お前は今初めて会った人物、ティフィリスのアインデッドと名乗るのだって、三千人の部下というのだって、お前の言葉だけのこと。わたくしにお前を信用してよいのかどうか、一体どうやって判って? お前がわたくしをだまして連れ出して、どこかに売り飛ばそうとか身代金を取ってやろうと考えているとか、わたくしの本心を知るためのエトルリアの間者だとか、そういうことはないと、どうして言い切れるの?」
「あなたは、さすがに頭がいいや」
 アインデッドはにやりとした。
「それは、俺を信じてくれと百万遍でも繰り返すほか、手がないな。じゃあ早いところ謝っておこう。今俺が言ったのは嘘だ。俺の部下は、いくらなんでも三千はいない。いいところ千――かき集められる奴を含めて千五百と言ったところだ。だが皆一騎当千の奴らばかりだから、まんざら真っ赤な嘘というわけでもないと思うが」
「千五百ではますます無理だわ」
「そんなことはない。問題は数ではなく、知恵や運や、そういうものだと俺は思う。――とにかく俺はク……」
 アインデッドは慌てて口をつぐんだ。王になりたいだとか、クラインを滅ぼすための軍が欲しいなどと口走っては、どんな警戒をされるものかわかったものではなかった。だがそこで言葉を終わらせるわけにもいかなかったので、ごにょごにょ言って続けた。
「とにかく、数の不利程度は戦略一つでどうにかなる。俺は絶対に勝つし、あなたにラトキアを取り返してやり、そしてあなたの力を借りてのし上がりたいんだ」
「なんて図々しい」
 シェハラザードはふんとばかりに鼻で笑った。
「卑しい生まれの無名の男が王座に着くような時代は、何百年も前に終わってしまったはず。お前もそんな下らぬ夢など追っていないで、盗賊として気ままにやっていたほうがよいのではなくて。お前にはわからぬでしょうけれど、王だの大公だのと言うものは、ちっともいいものでも、楽なものでもない。お前が夢見るようなものではないのよ」
「くだらぬ夢――だと」
 アインデッドの顔色が変わった。緑の瞳にいきなりほとばしるように炎が燃えた。シェハラザードは、負けぬ気を全身にみなぎらせて睨み返した。
「聞きたければ何度でも言ってやる。くだらぬからくだらぬと言ったんだわ!」
「この――」
 アインデッドは何か言い返そうとして、ふいに全ての冷静さを取り返した。
「嫌な女だな、あんたも」
 吐き捨てるように言う。
「可愛くないな。どうしてエトルリアの大公や三人のバカはこんな女がいいんだか。女の値打ちはちょっと小綺麗な面なんかじゃねえ。心根の優しさと、心底惚れてくれることだけだぜ。そうやって男を蔑んでバカにしてるから、こんな目に遭うんだ」
「な――」
 シェハラザードの顔色が変わった。
「何ですって!」
「よせって、どっちも子供みたいに」
 慌ててルカディウスが割って入った。
「そんな事を言ってる場合じゃないだろう。時間が惜しい。互いに利益さえ一致しているなら、何も無理して仲良くすることはないし、とにかく落ち着いて理性的に、な」
「わたくしのどこが理性的でないというの。何でこの男は突然やってきてそんなふうに振る舞うの。が、まあよい。わたくしとて、お前――ルカディウスと言ったか? お前の言うことは判る。お前と話したほうがよいわ。話を続けるがいい」
「ほんっとに、可愛くねえな!」
 シェハラザードは憤懣のまださめやらぬていで言い、力を込めてアインデッドは言った。二人は互いを親の仇どうしみたいな目つきでにらみ合った。
「アイン! 頼むから」
「判ってるよ。あとはもう任せた。俺は黙ってるよ」
「要するに、わたくしをここから抜け出させて、ラトキアで兵を募り、軍を興す。その代わり、それがうまくいったらそれを利用したいということね」
 シェハラザードは、この一年ずっと虜囚の苦しみをなめてきた分、以前より大人びていた。アインデッドを彼と同じように冷ややかな目で眺め、胸を静めたように見えた。
「それがうまくゆく保証は?」
「それはやってみなくては判りません、殿下。しかしなるべくうまくゆくようありったけの知恵をしぼるつもりでおりますが」
「手立てはあると言ったわね」
「少しは。具体的なことはやはり、宮殿の中の様子、警備の仕組みなどをうかがってから詰めて考えるようにしないと」
「お前たちがまことに自分で言っているとおりのものだという保証はどこにあるの」
「それも、信じていただくよりほかありませんな。しかしお考えください。これより酷くなるということはないとは、思われませんか」
「それはそのとおりだわ」
「でしたら、二つに一つ――信じるほうに賭けてみるか、それともこのままずっと大公の妾妃でいられるか、でしょう。今回は懐妊ではなかったが、お若いのだし、いずれ遠からずそういうことになられるでしょう。そうなればもう、ラトキア再興など夢の夢――もっとも、その子をラトキア大公なり、エトルリア大公につけようということになるかもしれないし、それはそれで一つの道というものかもしれません。それをお決めになるのは、殿下ですよ。わたしたちはここまで来て、このように申し上げるだけのことです」
「お前の口のききようも無礼だけれど、言うことは確かに正しいわ」
 シェハラザードは目を細め、無意識に爪を噛みながら物思いに沈んだ。奇妙な沈黙が落ちた。三人は、シェハラザードの邪魔をせぬよう、じっと口を利かずに待った。ややあって、シェハラザードは顔をあげた。
「時間が欲しい」
 彼女はゆっくりと言った。
「わたくしにせよ、これだけ運命に関わることを急にこの場では決められない。明日の夜――それまで、隠れ場所を作っておくから、待っていておくれ。明日の夜、もう一度ここに来るがいい。その時、返事をしよう」

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