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     若き盗賊の王は
     花のもとに 銀色の公女と出会い
     彼女をその運命にいざない連れ去る
     さながら 狼のごとき激しさで
     嵐と 戦の庭のただなかに
         ――アインデッドのサーガ




     第二楽章 決断




「まったく、なんて、気に、食わねえ、アマなんだ!」
 タマルが出て行って、ルカディウスと二人きりになるなり――
 アインデッドは、おおかたの予想通りであったが、ありったけの力を込めて、一語一語区切って罵った。
「あんな可愛くねえ、くそ生意気なあまなんか、見たこともねえ! あれが、ラトキアの公女シェハラザードかよ! あんな生意気な女のために、こんな危険を冒してまでここまで来たのか、ええっ?」
「そ、そう言うだろうと思ったよ。しかし――」
 ルカディウスは本当は、あまりにアインデッドが怒り狂っていたので、笑い出してしまいそうだったのだが、ここでそんなことをしては七里結界と、必死にこらえた。タマルが彼らを案内してくれたのは、最初にしばらく彼らが待たされたこの婦人室の小部屋であった。
「この両隣は、日頃使われておりませんからご心配はいりませんけれども、前の廊下は時時侍女たちが通りますから、あまり大きな声でお話しにならないよう、お気をつけてくださいね。誰も使っていないはずの空き部屋から、それにこのあたりはお居間近いですから、ふつうは男の人はあまり入ってまいりません。そこに男の話し声がしては、怪しまれて調べられてしまいますから――後ほど、誰もいないときを見計らって、お食事をお持ちいたします。ご退屈でしょうけれど、明日の晩まで、くれぐれも見つからぬようにお気をつけてくださいね」
 タマルは言って、いったん出ていったが、やがて戻ってきて、とりあえずの退屈しのぎにと火酒を一壜、それに肉パイを一包みに、乾したカディスの実を一袋差し入れた。その後はもう、二人には待つよりほかにまったくすることはなくなってしまったのである。
「――あの()はいい。あのタマルって侍女はけっこう可愛いし、いい子だな。気も利くし、親切だし。あの娘ならいいが、あのくそあまときたら……」
「アイン、大声を出しちゃいかんと言われただろう」
 ルカディウスは制した。
「しかしお前だって少しは悪かったんだぞ。うまく取り入って、気に入られなきゃいけないのに、どうしてあんなにつっかかったりひどい口を利いたりしたんだ。俺はかたわらで聞いていて、かなりはらはらしてたんだぞ」
「うまくやろうとは思ってたんだ」
 アインデッドはむっつりと言い、頬をふくらませた。
 このところ、彼はルカディウスに冷たくて、あまり喋ろうともせず、最小限の返事だけで済まそうとしていたくらいだったが、胸一杯に言いたいことがつまっていると、元がおしゃべりということもあって、相手さえいればありったけ吐き出してしまわぬわけにはいかない。
 ルカディウスは密かに、アインデッドの口がほぐれたのでとても喜んでいた。アインデッドはそれも判っていて、腹が立ったのだが、それでもぶうぶう言うのをやめられなかった。
「そりゃ、うまくやるつもりでいたさ。けど、何と言うか、あの女がはじめっから何だか気に食わなくって、何となくあのつんとした、人を見下してるような紫色の目を見たとたんに、このくそあまがと思えちまってさ――抑えが利かなくなっちまった。それでも、王になりたいなんて言わなかったぞ。ちっ。どうも、うまくいかねえな。聖なるディアナの樹にかけて、あの女と俺は相性が悪いに違いない。どうもむかつく。あいつとは組みたくねえ。もし奴の力でもって王座についたりしたら、どんなに鼻にかけて、見下すか――人を自分の臣下のように扱うか……。まったく、腹の立つ女だな。何だってあんなにつんつんしてやがる。たとえ昔はラトキアの公女だって、今はただの妾の淫売じゃねえか」
「おいアイン、アインデッド」
 ルカディウスは閉口した。
「穏当に、おだやかに行こう。ともかくも、ここまで来ちまったんだ。今さら、あの女が気に食わないなんてことで後には引けまい。まして、ここでこの作戦を中止して、それで、お前の国盗りはどうなるんだ? じゃあ他の王女を探してみるってわけにいくのか。そうだろう。同じ条件を備えた女なんか他にはいないんだ」
「わかってるよ」
 アインデッドは、彼をひどく少年らしく見せるむっとしたふくれっ面で言った。
「わかってるよ。そんなこたあ。だから何も、やめるなんざ言ってやしねえ。うるせえんだよ。黙ってやがれ。とにかく俺は、あのあまっちょがどーしても気に食わねえってことを一言いいたくってしかたねえんだ。――俺は大人だぜ。俺だって何もそこまでガキじゃねえよ。てめえの好き嫌いだけで事をひっくり返すような真似をするとは言ってねえ。判ってるんだ」
(それが充分ガキだから困るんだよ)
 ルカディウスはこっそり口の中で呟いた。が、アインデッドに聞こえようものならどれほど彼が怒り狂うかしれなかったので、むろん聞こえるようには言わなかった。それで口にしたのは、
「ともかく問題は、公女があの話をのむかどうか、それだけだ。後のことは、後のことだよ。公女にせよ今は一介の、素性の知れない男に突然助けてやると言われたってそりゃすぐには信用しかねるのが当たり前だ。が、この後ものごとが進んでいきゃあさ」
 という言葉だった。
「……面白くねえな」
 アインデッドは一応言いたいことは吐き出してしまったのでだいぶ機嫌が直ってきていたが、吐き捨てるように言った。
「全く、面白くねえ」
「面白がるためにこんなことをしてるんじゃないからいいんだよ。――それより、アイン。俺はちっとお前に聞きたかったんだが」
「何だよ」
「お前のつもりとしちゃ、あの時はもちろん相手に要らない警戒心を抱かせぬように、ああいうふうに言ったんだろうが、最終的には、つまりあの公女の――夫になって、まずラトキア大公に――それから……」
「ふざけんなよ」
 アインデッドは怒鳴ろうとして、気が付いて声を低めた。
「確かに最初はそう考えちゃいたさ。でも、やめだ、やめ。断固嫌だよ。あんな高慢ちきな、嫌な女を、形だけでも女房にしてやるなんてまっぴらだ。俺はそこまで女に不自由してねえってんだ。たとえそれがどんなに近道だろうと、あの女の力で王になるなんて、こっちから願い下げだ。それぐらいなら、何年かかったって俺は自力でのし上がるぞ。とにかく、誰が、あんな。嫌なこった。なーにが光の天使だ。まったく。何が、光の天使だってんだよ」
「まあそんな怒るな。たしかに美人は美人じゃないか」
「ひとの一番大切なものを、鼻で笑いやがった」
 アインデッドは改めて怒りがこみ上げてきたように唇を噛み締めた。
「だったらあいつは、王たることの何を知ってるって言うんだ。――負けたくせに。国を守ることすらできやしなかったくせに。王としての最初の義務も果たせやしなかった女が、何を威張りくさってやがるんだか」
「おい、アイン」
 ルカディウスの言葉など耳に入らぬように、アインデッドは呟いた。
「俺はあの女が嫌いだ。嫌いだね。女は顔じゃねえ。そりゃ美人にこしたことはねえが、だからってあの女だけは俺は願い下げだ。あいつがラトキア公女じゃなきゃ、誰が助けてなんかやるものか。あの女の目が気に食わねえ。あの、人を見下したような紫の目……」
(あの女の目も同じ紫なのに、全然違う)
あいつ(、、、)は、俺の夢を笑いなどしなかった)
 ふいにアインデッドは言葉を途切れさせた。
 シェハラザードの態度に苛立っているのだとばかり、彼は自分で思っていた。しかし、それだけではなかったのだ。ほんの少し前まで目の前で日光を浴びて金色に輝いていた銀髪と、菫色の、夜明けの色の瞳。それが誰を思い出させるのか、何に自分がそんなに苛立っていたのか、アインデッドはやっと気付いた。
 気付いたとたん、苦く切ない追憶がつきあげてきた。
(お前、月光を浴びると銀髪に見えるな)
(面白いだろう。月の光でこうなるんだ)
 月光を浴びて銀色に輝いていた金髪。たそがれの愁いを含んだ紫の瞳。
(サライ)
 アインデッドは我知らず目を閉じていた。ルカディウスがそばにいなかったら、恥ずかしげもなく涙ぐんでさえいたかもしれない。
(どうして――どうして俺を捨てた。俺と一緒に行くと言ったじゃないか。俺のメディウスになると。――どうして、皇帝に……どうして――)
(俺がお前を必要としていることが判らなかったのか。俺を信じられなかったのか。それとも)
(それとも、俺より――あの――女帝を……)
(サライ――)
 もうあの日から、一年近くが過ぎている。アインデッドの身はクラインにもエトルリアにもお尋ね者だった。そしてサライは目もくらむような栄誉に包まれて、遠く隔てた空の下にいる。
(もう、俺には判らない。王になるためにお前を手に入れたかったのか、今度こそお前を手に入れるために王になりたいのか――)
(それに、俺は、お前をどう思っているのか)
(憎しみだけじゃない。この感情は。でも……)
(わからない――)
「ど――どうしたんだ、アイン。急に黙っちまって」
 ルカディウスがうろたえたように尋ねる。それを、アインデッドは恐ろしく不機嫌な顔で睨み付けた。
「うるせえ。余計なことを言うんじゃねえ。俺は、機嫌が悪いんだ」

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