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 休憩の間に競技場のアリーナを五つに仕切っていた柵は取り払われ、今は大きな一つの囲いだけが残っている。その中で最後の戦いが行われるのだ。柵とはいっても角材を組み立てただけの簡素なそれを、周りに色とりどりの旗、出場者の紋章入りの旗などを掛け巡らせて、鮮やかに彩っている。
 ロイヤルボックスに皇帝一家が再び姿を現したのを確認すると、五色の吹き流しを付けたトランペットが吹き鳴らされ、決勝戦の始まりが告げられた。今回はもう、イェラインの演説はない。
 大きな旗を掲げた騎士が二人、囲いの真ん中を仕切るように旗を斜めに交差させて立った。その左右に東軍と西軍がずらりと並ぶ。マントや鎧につけられた紋章、標章もあでやかに麗々しい。馬具や武具の金属が、そこにきらめきを加えている。その華麗さは、これが実際の血なまぐさい戦いではなく、あくまで競技なのだということを強調しているようである。
「決勝戦、開始――!」
 再び、高らかなトランペットの音が競技場に鳴り響いた。今度のは先程のものと違う旋律で、試合の開始を告げるものであった。演奏が終わると同時に、旗持ちの騎士が交差させていた旗をさっと上げて開き、柵の外に逃げ出した。合図を受けて一斉に騎馬が突進を始めたからである。
 人々の歓声も否応なしに高まる。貴婦人たちはひいきの騎士の名を叫び、男たちも知り合いの名を叫んで応援に熱中した。立場上誰か一人、あるいは東西どちらかの軍を応援することを許されないイェラインだが、オペラグラスを掲げて身を乗り出した。
 東軍のアルドゥインとセレヌスは互いに数バールの距離を保ったまま、それぞれの戦いに身を投じていった。
 およそ百人弱が一斉に戦うのである。最初に誰か一人をこれと定めて見ていても、ともすると激しく駆け違う間にどこに行ってしまったのか判らなくなる。周りで観ている観客たちですらそうであるので、実際にその中にいる選手たちも、自分が目指す相手がどこにいるのかを探しあてるのは一苦労だった。
 そんな中であっても、アルドゥインは目立ってしまうらしかった。おまけに、メビウスの新しい英雄である紅玉将軍を試合で倒せば武名が上がることは間違いない。別段それで標的にされることが多くなるとしても、困るほどのことではないのだが、一息つく間もなく次々に相手が来るのはありがたいことでも何でもない。
(ああもう、邪魔だよ! 俺が相手したいのはあんたじゃないんだってば!)
 何度も心の中で悪態をつきながら、アルドゥインは縦横に剣を振るった。だが優雅な――と言うには少々荒っぽいが――宮廷行事であるトーナメントは力よりも技量の方が愛でられるということもあり、力任せになぎ払うことはせずにいた。これが実際の戦闘だったら、蹄にかけようが草を刈るようになぎ払おうが、知ったことではなかったのだが。
 しばらくすると、落馬するなりして負けた選手が何人か馬を引いて、乱戦に巻き込まれぬように足早に柵の外へと出はじめた。
 ところでセレヌスは、リスト外の相手である例のクンツォ卿と一戦まじえている最中であった。クンツォ卿はセレヌスからなるべく離れた所で戦っていたのだが、とうとう見つかって試合を挑まれてしまったのである。
 セレヌスの攻撃は決して決定打にならない、かなり手加減したものであった。むろん、わざとのことである。なので一つ一つの攻撃が入っても大したことはないのだが、これまた避ける事も至難の業と見えるほどの素早い打突、斬撃で、クンツォ卿の周囲で白い光が踊っているようだった。
 クンツォ卿も善戦し、三回に一回は受けることに成功して切り返していたのだが、彼としては癪な事に、セレヌスはそれらの反撃をことごとく避けてしまっていた。むしろわざと反撃させて、それを避けてやるのを楽しんでいる。
 まるで猫が獲物を殺さぬ程度にいたぶって遊んでいるようなものである。クンツォ卿にしてみれば、明らかに手加減され、相手のペースに乗せられている事が判る上に、あっさりと負けさせてもらえないあたりが自尊心をいたく傷つける。
 要するに両者の力の差は歴然としていて、セレヌスはそれを判っていてあえて相手を翻弄して楽しんでいたのであった。遊ばれているクンツォ卿にしてみれば「もう負けさせてください」と言いたいところだったに違いない。アルドゥインが直感ながらセレヌスの恨みを買いたくないと思ったのは正解であったと言わざるを得ないだろう。
 十五分ほど経って、いいかげん弄ぶのにも飽きたのか、セレヌスはつと間合いをぎりぎりまで詰めて、一気に攻勢に出た。思わず受け止めたクンツォ卿に上体を近づけるようにして鍔競り合いをする。
 兜の下から、冷たい猫のような琥珀色の瞳が敵を見据えた。セレヌスはとどめの一言を言ってやった。
「さてはて――今年もまた、もやしごときに遅れを取られるとは、さぞお悔しいでしょうな?」
 その声は穏やかだったが、相手を一分の同情もなくばっさり切り捨てる鋭さと、冷笑と嘲りとを含んでいた。
 その上、この一言は剣の一撃よりも効果があったらしい。必死に押し返していたクンツォ卿の手から急に力が抜けて、とうとう彼の手からぽろりと剣が落ちた。それを拾う事もせず、クンツォ卿はほうほうのていで馬首を返し、場外に逃げ出してしまった。
 セレヌスはその後姿になどもう目もくれなかった。数日間、クンツォ卿がこの日のことを悪夢に見たのは言うまでもなく、一生もやしを食べられなくなったことは更に言うまでもない。
 瑪瑙将軍が若き日の遺恨を存分に晴らしている間に、紅玉将軍と海軍大元帥はせっせとリストの人物を倒すのにいそしんでいた。計算上は四人倒さなければならないサラキュールであったが、二人を倒した時点で一人が勝手に別の相手と戦って負けていたので、残る所はあと一人であった。
 アルドゥインの方はと言うと、こちらは集中攻撃を受けていたもので、なかなか狙った相手と一騎打ちに持ち込めずにいた。今も三人ばかりを相手にしていて、一人を倒して切り抜けたばかりであった。
 その先に、サラキュールが同じく相手を探して馬を走らせていた。アルドゥインはまっすぐ彼に向かっていく。
 すわ海軍大元帥と紅玉将軍の一騎討ちか――と人々がざわめいた。となれば、かなりの見ものになる。
「おおっ、これはすごいぞ」
「陛下、危のうございます!」
 イェラインなどは更に身を乗り出して近習に袖を引かれていた。満場の期待に満ちた視線の中、二人は手にした剣をすらりと掲げ、まるで武術の教練のように軽く型どおりに刃を交えさせた。兜の下で目を見交わし、どちらからともなく笑みを浮かべる。
「邪魔を片付けたら、ゆっくり手合わせ願おうか」
「ああ、是非ともそうしたい」
 すれ違いざまに、互いにしか聞こえないほどの小さな声で囁き交わすと、二人はそれ以上打ち合うこともなくそれぞれ別の相手に向かっていった。人々の、期待を裏切られたのと、意外な展開に驚く声が上がった。
 サラキュールとすれ違った向こうには、黒金に金象嵌の鎧をまとった選手がいた。今はアルドゥインもそれが誰であるかを知っていた。ハークラー候ルノーである。今度のルノーには、アルドゥインを取り囲む相手を集めている暇がなかった。邪魔立てする相手がいなければ遺憾なく本領を発揮できる。
「ハークラー候、いざ参る!」
 気迫を込めた一声とともに、アルドゥインが殺到した。
 対するルノーは戦場での一騎打ちさながらの勢いに早くも引き腰になりかけていたが、何とか踏みとどまった。逃げるのは敗北よりも不名誉な事なのだ。いかに彼が望んでいなかったとしても、この挑戦を受けざるをえない。
 刃が欠けるほどの勢いで振り下ろされた長剣を辛うじて両手で受け止め、いなしながら背後に回ろうとする。それを見越してアルドゥインは素早く馬の向きを変え、ルノーの動きに追いついた。馬術もさることながら、馬自体も賢く、騎手との連携がなければできない早業であった。
 背後に回りこんだつもりであったのに、馬を回転させるような動きで横にぴったりとついてこられ、ルノーは少なからず動転したらしい。が、それも長くは続かなかった。馬に合わせて上体をひねる動作に乗せて、アルドゥインが剣を横にないだのである。もともとの力に遠心力が加わって、それはかなりの速さと勢いを持った一撃となった。
 アルドゥインの動きに一瞬ついていけなくなったルノーは、もちろんこの攻撃を予測する事も避ける事もできなかった。その勢いと場所からすると、戦場ならば、兜もろとも首を刎ね飛ばされていたはずである。
 激しい金属音が鳴り響いた。
 頭と首を強打したルノーは、ひとたまりもなく馬上で崩れ落ち、鞍から滑り落ちた。周囲に控えている救護兵が慌てて駆け入り、彼の両脇に腕を差し入れてずるずると引きずり、場内から引っ張り出した。馬も一緒に連れ出されていった。
 その間、わずかに一分。
 ロイヤルボックスではアルドゥインの剣技に大はしゃぎしたイェラインが、かたや弟を無様に倒されてしまったユナ皇后にじろりと睨まれていた。しかし彼が皇后の不機嫌を意に介した様子はなかった。さらなる見ものが眼下で行われようとしていたからである。
「アルドゥイン、勝負!」
「望む所だ!」
 先程、本人たちしか知らない理由で回避された、この日一番の――と言っても良さそうな好取組である。たちまち、息もつかせぬ剣戟が始まるかと見えたが、最初に一合だけ全力でぶつかり合い、離れた後は、二人は剣が届くか届かないかのぎりぎりの位置を保ちつつ、互いの隙を探して対峙しているばかりだった。
 別に、戦いたくなかったわけではないし、遊んでいたのでもない。
 熟練した戦士であれば、相手の戦い方の一を見ればその十までを知ることができる。それで、彼らには双方相譲らぬ力と技の持ち主であることが悟られていた。そうなってくると、何合打ち合ったところで勝負はつかないだろう。だから、一撃で決められる隙を相手に探そうとしていたのである。
 武官たちにはこの静の対決とも言うべきものが理解できていたが、そうでない人々にとってはじれったい以外の何ものでもなかった。非難めいた声が場内に起こる。それでも二人は動かない。
 一見したところ互いだけを見据えて隙だらけに見えるが、誰一人としてこの対決に割り込もうとするものはおらず、そうできない、させない気迫が彼らを包んでいた。二人の周りだけがぽっかりと空き地のようになってしまっている。
 次第に大きくなる非難の声に、アルドゥインは兜の下で笑った。
「うるさくなってきたな。どうする――サラキュール」
「観衆などどうでもいいが、戦わねば陛下がご不満だろうな」
 サラキュールは全く動かぬままだったが、肩をすくめたさそうだったのが気配で判った。
 次の瞬間、二人はほとんど同時に馬腹を蹴り、激しく切り結んでいた。といって、互いに一撃も入れさせず、入れられない。それほどまでに、二人の力は伯仲していたのである。体格差から考えると少々アルドゥインに利があるように思われたが、今の所はそれも全く影響ないようだ。
 戦いながら、アルドゥインは久々に戦うことを面白いと感じていた。彼はふだん剣を振るう事にあまり楽しみや喜びを感じるたちではない。戦場では命が懸かっているし、相手には死をもたらすものを面白いとは思えない。練習はただ技を磨き、維持するためだけのものであって、楽しみとは無縁である。
 だから、生死には関わらず、単調な訓練でもなく、純粋に持てる限りの技と力を尽くして渡り合う――それがこれほどおのれをわき立たせることであったのかと、忘れかけていた思いを新たにしていた。
 サラキュールにも、そんな彼の思いが通じたようだ。妥協のないものではあったが、二人の交わす刃はあくまで軽やかだった。
 試合終了を告げるトランペットが鳴り響いても、二人はすぐに剣を収められず、二、三合打ち合ってからやっと戦いやめた。二人とも荒い息をついて、疲労しているのは明らかだったが、それは快い疲労だった。
 東西それぞれに最後まで残った選手を数え、多かったほうが勝ちとなる。今年は西軍の勝利であった。勝利した選手たちには、夕刻からの宴で皇帝からの下賜品と勝利の証の月桂冠が渡される予定であった。
「おぬしと勝負するのは、二度と御免だ」
 歓声の中、引き上げながらサラキュールが囁いた。
「同感だ。何度やっても引き分けだろうからな」
 アルドゥインはそこでいったん言葉を切りかけたが、さらに続けた。
「――が、勝ち負け抜きならまたやりたいものだ」
「やるなら、陛下には内緒だぞ。見たいと仰りだしては面倒だ」
 すかさずサラキュールは言い、二人は顔を見合わせて笑った。

「Chronicle Rhapsody18 太陽の日々」 完

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