前へ  次へ


                               *



 第二試合が終わり、決勝戦まで三十分の休憩が取られた。ロイヤルボックスの皇帝一家は一旦奥に下がっていった。ざわめきは落ち着いたものになり、観覧席の人々も食べ物や飲み物を買いに立ったのか、いくぶんか疎らになっている。
 出場者たちもいったん競技場内の控え室に入った。敗者はそのまま観覧席に移っていったので、残っているのは決勝戦に出場するものたちだけである。人数は半分以下に減っていた。
「先ほどは見事な戦いぶりでしたね」
 長椅子に座って額の汗をぬぐっているセレヌスの姿を見つけて、アルドゥインは傍に寄った。セレヌスは彼の姿を見て微笑んだ。
「お世辞はいいよ、アルドゥイン殿」
「世辞など言っておりませんよ。本当に……見とれるほど素晴らしかった。美技と言うのはこのことかと納得しました」
「私には、それくらいしか取り得が無いからね」
 尚もアルドゥインが力説すると、セレヌスは軽く首を振った。だが、白い頬にかすかに赤みがさしていた。
「貴殿も知ってのとおり、私はそれほど力があるわけではない。いくら鍛えたところで持って生まれた体格ばかりはどうにもならぬのでね、足りない力を補うには技を磨くより他になかった」
 それで芸術の域にまで技を磨けるのだから、大したものである。むろん技だけでは勝てないので、嘆くほど非力と言うわけでもあるまい。
「……あなたほどの使い手が言うと、厭味に聞こえますよ。セレヌス殿」
 こっそりと囁くと、セレヌスはアルドゥインの目をちらりと見て言った。
「だとしても、貴殿に言ったのではないがな。貴殿もなかなか、素晴らしい使い手だ。さすが十五歳にしてラストニア一の剣豪と言われた方だ」
「よくご存じですね。そんな昔の話を」
「昨日、貴殿の出自を知って思い出したのだよ。そういえば――と」
 それから、彼は長々とため息をついた。
「にしても、あのご婦人方の声には参った。貴殿もだいぶ騒がれたようだが」
「まあ、気が散るほどではありませんでしたけれど」
 アルドゥインの答えを待たず、セレヌスは忌々しそうに、篭手をはめた手で自分の顔に触れた。
「全く、こんな顔の何がいいのか知らないが、私の顔が目当てならば兜を被っているときぐらい静かにしてもらいたいものだ。相手にも要らぬ敵愾心を燃やされる。男が美醜で競って何になるのか」
 顔も負けて剣の勝負にも負けた者にとっては、腹が立つこと限りない台詞である。が、アルドゥインは微苦笑を浮かべただけだった。
「何か一つでも相手に勝ちたいと思うのが男です。それが無意味な事であっても」
「無意味な勝負なら、いくらでも譲ってやるのに」
 困り顔で、またもある種の人々の神経を逆なでするような事をぼやくセレヌスであった。そのことを判っていて言っているのか、それとも判っていないのか、アルドゥインは内心首を傾げた。
「瑪瑙将軍、どうなさいました? そのように困った顔をなさって」
 ふいにかけられた声に、セレヌスは顔を上げた。そしてかすかな微笑みを浮かべた。
「大したことではありませんよ、海軍大元帥閣下」
 サラキュールはちょっと肩をすくめた。それ以上の身振りを示そうにも、鎧が邪魔だったのである。
「アエミリアヌス侯爵殿。サラキュールと呼んでいただけぬかと、いつも申し上げておりますのに」
「肩書きで呼んでくださる方には肩書きで返すのが、私なりの礼儀と言うものですのでね、アラマンダ公爵殿」
「相も変わらず厳しいお言葉ですね、セレヌス殿」
「サラキュール殿こそ」
 二人はにっこりと笑いあい、親しげな様子であったが、交わされた言葉はあまり似つかわしくないものだった。セレヌスの言葉には、聞いていたアルドゥインがひやりとしたくらいである。
 が、それはこの二人にとっての親しみを込めた挨拶だったらしい。セレヌスは無言で左隣に座っていたアルドゥインの方に少し詰めて、右側にサラキュールが座れるだけの場所を空けた。礼を言いながら、サラキュールも腰を下ろす。
「察するに、甲高い声で騒ぐ馬鹿者どもと、それに惑わされて突っかかってくる更なる馬鹿者のことでお悩みだったのでしょう」
 理由はなんにせよ自分を応援してくれている女性たちに向けるにしてはけっこうひどい言い草だったが、セレヌスはそのことには全く触れず、むしろ感心したように言った。
「よくお分かりだな」
「セレヌス殿のお気持ちは少しは判るつもりですよ。私もあの手合いにはうんざりしておりますのでね」
 サラキュールは淡々と言った。
「なあ、アルドゥイン」
 急に話を自分に振られたので、アルドゥインは慌てた。
「いや、そりゃ俺だって、見境なく騒がれたいなんて思わないが。まあ……でも応援してくれているんだし、そこまで言わなくてもいいんじゃないか」
「おぬしは優しいな」
 哀れむような調子でサラキュールが言ったので、アルドゥインはちょっとむくれた顔つきになった。
「言っとくが、応援してくれるのは一応ありがたいって、それだけだぞ」
「それは判っておる。いちいち勘繰るな」
「……」
 アルドゥインはさらに憮然とした。サラキュールがわざと意地悪な物言いをしているということは判る。対してセレヌスは、これはおそらく自覚のない毒舌である。この二人と話していると、自分がとんでもなくいい人のように思えた。
「その話はまあ措いておくとして、次の試合の話だ」
「おや、西軍の貴殿が東軍のアルドゥイン殿に話など?」
 驚いたふうでもなくセレヌスは言った。
「例の話です、セレヌス殿」
「なんだ、今年はアルドゥイン殿も参加か」
 セレヌスが何もかも承知しているらしいことに、今度はアルドゥインが驚いた。
「……セレヌス殿も承知だったのですか」
「承知も何も、五年前に私がベルトラン殿を誘って始めたのが最初だ」
 セレヌスは涼しげな顔でさらりと言った。それから唖然としているアルドゥインを尻目に、またサラキュールに視線を戻した。
「アルドゥイン殿を誘ったと、教えてくれてもよかったものを」
「申し訳ない。昨日のうちに申し上げようと思っていたのですが、なかなか機会が掴めずにいたもので、今申し上げようと思って来たのです」
「それなら一昨日にでも教えてくれれば、俺から言ったのに」
 アルドゥインが口を挟むと、サラキュールはいまさら気付いたように、それもそうだったか、と小さく呟いた。
「ともあれアルドゥイン殿が加わってくれて嬉しいよ。今年は倒さねばならぬ相手が西軍に多いから、心強いことだ」
「いやはや全く。私も東軍に入れればよかったのですが」
 サラキュールはむしろ楽しそうに言った。
「それでは東軍の者を倒せぬでしょう。――それはさておき、何人残ったのか把握しておられるか?」
「ああ、これだけです。ジークフリートが調べてくれました」
 セレヌスの問いかけに答えて、サラキュールは鎧に手を突っ込んでトーナメント表を引っ張り出した。すでに決勝に進まなかった者を二重線で消してある。数えてみると、東軍に四人、西軍に六人残っていた。
「おや、オーカッサン卿はもう負けていたのか。惜しいな」
 表を確かめていたセレヌスが、ふと残念そうに言った。
「お知り合いですか」
 アルドゥインが尋ねると、彼は軽く頷いた。
「軍に入ったばかりの頃、私を馬鹿にしてくれた男だ。やり返すいい機会だったのだがな」
「一昨年もやっつけておいでではなかったですか、セレヌス殿」
 サラキュールの声は少々笑いを含んでいた。
「何度やっても飽きたらぬのでね」
 あまり感情のない声で言ったセレヌスだったが、琥珀色の目は寒気がするほど冷たかった。一体このオーカッサン卿が若き日のセレヌスに何をしたのかは知らないが、アルドゥインはこの人の恨みだけは絶対に買うまいと心密かに決心した。まだ出場者の名前を指で追っていたセレヌスが、嬉しそうな声を上げた。
「アルドゥイン殿、他の分担はその時でいいのだが、このクンツォ卿が相手になりそうだったら私に譲ってもらえないか? 余裕がなければ貴殿がやってもいいのだが、その時は是非とも徹底的に叩きのめしてほしい。目印は緑地に雄鹿の紋章だ」
「ええ、どうぞ」
 倒すリストには入っていないはずの名前である。これもまた、何の恨みを買ったのか――。アルドゥインは相手に少々同情した。
「――そうだ、サラキュール」
「何だ?」
 気を取り直して、気になっていた事を尋ねることにした。
「さっきの試合、俺に五人でかかってきた連中がいて」
「それは褒められぬな」
 サラキュールは眉をひそめた。
「それを指揮してたらしいのが、赤地に一角獣の紋章の奴だったんだが」
「なら、ハークラー候だ。いかさま、あの男ならやりかねんな」
 即答だった。
「ハークラー候?」
「ブランベギン侯爵ルノー・ド・ハークラー。皇后陛下の弟だ。年はずいぶん下だが」
 考え込むように顎に手を置いて、サラキュールは続けた。
「うむ……リュアミルを侮辱する輩のことだけ考えておったので、ハークラー候のことなどすっかり忘れておった」
 皇后を輩出するほどの家柄の貴族を捕まえて「忘れていた」である。いくらメビウス屈指の大貴族だとしても、少々ひどすぎるきらいがあった。
「侮辱はしてないってことか」
「してはおらんな、確かに」
 含みのある言い方だった。
「あの男、リュアミルの夫になろうと目論んでおるからな。わざわざ嫌われるような事はしておらぬ」
 それが何を目当てとするものか、アルドゥインにもぴんときた。女帝の夫という立場は確かに魅力的なものだ。リュアミルも昨日それを言っていたように思う。
「リュアミル殿下は彼をどう思っておられるんだ?」
「はっきり言って、好いておらぬ」
 周りに人がいたので、サラキュールはそっと声を落とした。
「あれが皇太子になる前は、皇后陛下に便乗して妾腹の卑しい生まれだの、貧乏貴族の娘だの、さんざんに言っておった。なのに皇太子になったとたん、口から出るのは褒め言葉と愛を語る言葉ばかりときてはな」
「……」
 聞くうちに、アルドゥインの顔が険しくなった。昼間なら淡く茶色がかって見えるはずの瞳が、闇のような色に変わる。
「しかし何でおぬしをそうも目の敵にしたのかな」
「大方、アルドゥイン殿の武名が妬ましかったのだろう。倒せば己の名が上がるとでも考えたのだろうが、それには正々堂々一対一で、という条件がつくことも判らぬらしいな、あの男は」
 セレヌスが口を挟んだ。先ほどまでの自覚のない毒舌と違って、今度ははっきりと相手を嫌っている事を隠さない口調だった。
「……周りの評判もよくないようだな」
「おぬしは確かに強いだろうが、にしても、五人がかりで潰しにかかるような奴に良い評判など立つと思うか?」
 逆に聞き返されて、アルドゥインは首を横に振った。
「だろう? まあ、悪口を言うつもりはないのだがな。とにかくあやつの名を加えておかなかったのは私の手落ちだった。次に来るようなら遠慮なく叩き落してしまえ。何ならしばらくリュアミルがあやつの顔を見ないで済むようにしてやっても良いぞ」
 つまりは、怪我をさせてしまえということである。
「やれというのなら、本当にやるぞ」
「では言おうか。やれ」
「判った」
 サラキュールの物騒な言葉に、アルドゥインは素直に頷いた。まもなく、開始五分前を告げる鼓笛隊の演奏が始まった。気付けば、人々が戻ってきたらしく、場内のざわめきも大きくなっているようだ。
「おや……もう時間か」
 セレヌスが最初に立ち上がった。それにアルドゥイン、サラキュールの順に続く。控え室で休んでいた他の出場者たちも、マントの位置を直したり、兜を被ったりしながら出入り口に向かいはじめた。
「健闘を祈る」
「おぬしこそ」
「ではアルドゥイン殿、サラキュール殿。勝利を願って騎士の誓いをしておこうか」
 三人は向かい合って立ち、差し出した右手を交互に重ねた。共に戦うことを誓う騎士の儀式である。本来は剣を重ねて行うのだが、控え室で抜刀することは許されなかったので、手だけにしたのだ。
「エール・メビウス」
 掛け声と共に手を下ろして離す。
 そして彼らは、再び歓声の中へと歩み入っていった。


前へ  次へ
inserted by FC2 system