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ああ、アインデッド
お前のためなら俺は何でもしよう。
この野望を、誰にも邪魔はさせない。
お前を王位につけるそのためならば
サライルに魂を売ってもかまわない。
――ルカディウス
第一楽章 嵐の序曲
エトルリア国境をさらに北上し、ラトキア近くなろうかというルーハルの森。
今は見捨てられ、通るものとてないルーハルの旧街道。その草ぼうぼうの街道を行く、小さな一行があった。
この頃特に盗賊、追剥のやからがやかましいと恐れられる、人けもない道――それを、女物の小さい馬車とその御者、あとは二騎だけで恐れ気もなくどんどんルーハルの森へと入っていく、大胆不敵な一行。
案の定――。にわかに、鋭い鳥の声にも似た指笛と叫びが交わされ、わらわらと汚いなりをした七、八人のひげぼうぼうの男たちが飛び出してきた。両手を広げて一行の前に立ちはだかる。
「止まれ、止まれ」
「その馬車、やらんぞ」
「ここをルーハルの王者、赤い盗賊アインデッド様の縄張りと知って来やがるか」
「有り金を置いて失せろ。そうすりゃ、命だけは助けてやる」
「その馬車の中は女か。置いていけ」
「それとも皆殺しにして皮を剥いで、さかづりにされてえのか」
一行は止まった。馬車を守っていた、巡礼とも商人ともつかぬ旅人がさっと馬車の扉の前に駆け寄った。だが不利を考えてか剣を抜くようなことはしない。かといって怯んだり、怖気づいたりしているようでもない。
勝手が少々違ったが、追剥たちは彼らがおとなしくしているのをいいことに彼らを押しのけ、馬車の扉に手をかけて乱暴に引き開けた。
中には、二人の客がいた。
手前に座っていた、小柄な、顔の左半分を火傷のあとに覆われた、醜い、しかし印象的な顔を持つ黒尽くめの男が残っている片目を開けて彼らを見た。しかしおびえてへたりこんでいるのでもなく、落ち着いていた。
奥の席には同じように黒いマントにすっぽりと身を包んだ若い男が座っていた。こちらは具合でも悪いのか、馬車を止められて扉を開けられても、ずっと目を閉じて身をもたせかけたなり動こうとしない。
顔はこの辺りの人間ではないことが一目で分かる白さで、痩せて、長い赤い前髪がその整った顔の不吉な縁取りになっていた。何か言うに言われぬ何かが、不意に彼らを怯ませた。見たところでは、どうということもないただのやつれた、腕も立たぬ少年のようにしか見えなかったのだが。
が、その一瞬の怯懦が過ぎると、相手の小勢と、思わずも怯んだことがかえって彼らをかっと怒らせた。
「女じゃねえのか、面白くねえ」
「別に身代金を取れそうな王子様でもなさそうだぜ」
「ちっ、とんだしけた獲物だ。無駄足踏ませやがったつぐないに、引きずり出して、どいつもこいつもぶち殺しちまえ」
わっと馬車の中に手を伸ばし、二人を捕らえようとしたとき。
「ギャーッ!」
悲鳴もろとも、その男は後ろに跳ね飛んでいた。腕から吹き出した血潮が草の葉をまだらに染めた。
「やりやがったな!」
追剥たちは色めきたった。何といっても相手は小勢、その上二人は体の不自由な小男と病人、それでなくとも痩せた様子からでは腕は立たぬと踏んだのだ。万が一にもおくれはとるまいと高をくくって、わっと馬車を取り囲んだ。
馬車の周りの三人は、それでも剣を抜こうとしない。
最初の奴を斬ったのは、小男のほうだった。彼は短剣を持って、馬車の入り口にその姿を現し、追剥たちを睨みまわした。
「お前たちはどこの身内だとか言ったな」
予想とはかけ離れた、鋭く力のある声だった。
「何抜かしてやがる。ルーハルのアインデッドの名を知らねえのか」
何か言おうと、小男が口を開きかけたときである。
「よせ、ルカディウス」
静かな、暗い声が馬車の中からかけられた。小男をおしのけて現れたのは、奥の席の若い男だった。黒い厚地のマントにすっぽりと身を包んで身なりはわからないが、そうしてステップに立つと、非常に長身であることが判った。それに、きわめて細身であることも。彼は閉じていた目をゆっくりと開いた。切れ長の、森を映す泉のように深い緑の瞳が、得体の知れぬ光を帯びて追剥たちを見た。
「ルーハルのアインデッド、だと」
変わらず沈んだ声で彼は言った。
「そんな奴は、知らんな。そんなものがいつルーハルの王になった」
「つい去年からだ!」
相手は鼻白みながら、叫んだ。
「レント街道を通る奴はそのうち、アインデッドの名をいやでも覚えるだろうさ」
「それで――お前たちは、そのアインデッドの身内だとでも言うのか?」
ルカディウス、と呼ばれた小男が言った。どこか、あざ笑うような響きがその中にはあった。
「そうだとも、どうだ、恐れ入ったか!」
「今すぐ金目の物を全て差し出して地べたに這いつくばれば、もうちっとはましな死に方をさせてやらんこともないぞ」
再び勢いを盛り返して、追剥たちが叫んだ。
「お前たちは、嘘をついているようだな」
緑の瞳を持つ男が静かに言った。
「何だと、何を証拠に!」
「たしかに俺たちは、ルーハルのアインデッドの身内だぞ!」
「いいや、違う」
彼は見下ろすように目を細めた。整いすぎて恐ろしいほどの美貌だったが、そうするとよけいに凄みが増した。
「なぜなら身内を名乗るからにはアインデッドの顔ぐらいは知っていようからな。それに俺は、ルーハルのアインデッドと名乗った覚えはない。俺は――」
「えっ――」
「ま、まさか……」
ぎくりとして、彼らが後ろに下がろうとしたときだった。
「俺の名はティフィリスのアインデッドだ!」
叫びざま、黒いマントがばさりと跳ね上げられ、その背に負われていた身の丈ほどもある長剣がひるがえり、白蛇にも似た一条の光が走った。
「うわあああ……」
「ギャアアーッ」
絶叫が尾を引いた。
同時に二つの首が宙を飛んで、どさりと街道の煉瓦に叩きつけられた時には、すでにアインデッドは、もとの沈んだ表情で剣をおさめていた。
「うわ、わ、わ……」
「本物の」
「アインデッド……」
残る連中がへたへたと座り込む。
「アイン」
ルカディウスが言った。
「こいつらはどうする」
「俺の部下を偽って、追剥を働いたとあっては許すわけにはいかん。死んでもらうしかないだろう」
同じ静かな、沈んだ声だった。
「ひいっ」
「お、お許しを――」
「首領、どうか、一味に……」
必死に命乞いする追剥たちに、感情のほとんどない冷たい一瞥を投げたきり、アインデッドは馬車の前へ歩きながら物憂げに指の長い手を差し延べた。追剥たちは、その動作の理由が判らずに見つめているばかりであった。
黙って見守っていたルカディウスと供の者たちのわきを、一瞬の激しい熱風が通り過ぎた。今度は悲鳴すら残さず、追剥たちの体は一瞬にして炎に包まれ、焼け焦げた人の形をしたものと化していた。
「レクス」
一人がすぐに振り向く。
「気色悪い仕事をおっつけて悪いが、こいつらをそこいらの木にぶら下げて、その下に赤い布を刀子で縫い付けておけ。それでこの界隈の馬鹿どもにも、俺の部下を詐称することがどれほど危険か判るだろう」
「はい」
「首領、馬車はどうしますか」
もう一人が尋ねた。
「後からまわして来い。俺はルカと馬で行く。どのみちこんな奴らを引っ掛けるための馬車だったんだからな。もう必要ねえ。まったく――この分じゃ、砦がどうなってるか知れたものじゃねえ。先を急いで、先触れを頼む」
アインデッドはぶっきらぼうに答え、馬車を引いていた馬に寄った。ルカディウスが急いで梶棒を取った。アインデッドは剣を支点にしてひらりと馬にまたがり、再び剣を背負った。
「ルカ、乗れ」
「ああ」
ルカディウスは俊敏にその馬の後ろに飛び乗った。二人を乗せた馬は笞を当てられ、たちまち走り出した。おのれの殺した悲惨な死体にはもう目もくれなかった。
「――アインデッド」
ルカディウスが、アインデッドのベルトを掴んで馬に揺られながら言った。
「どうかしたのか」
「――何が?」
「機嫌がよくないみたいだ」
「……」
無言のまま、アインデッドはマントを後ろに払いのけた。その顔は前よりももっと痩せて青白くなり、顎がとがって、まるで美少女めいて美しく見えたが、同時に以前にはまだ残されていた若々しい陽気さや、明るさをすっかり失って、常に暗い炎に包まれているかのように見えはじめていた。
もともとつり上がり気味の目は鋭くなり、つねに物騒な、けわしい光をたたえるようになっていた。彼はこの数ヶ月で、いっぺんに十近くも年を取ったように見えた。
「たった二旬だ。それでもう、あんなバカどもが出てきやがった。少しの留守も預けられないようでは、どうにもならない。そう思えば機嫌のいいはずがない」
「何もかもが駄目になったというわけではあるまい」
「時を無駄にするのが嫌なんだ」
吐き捨てるような声だった。
「今すぐにでもサッシャに入りたいのに」
「急いては、事を仕損ずるというぞ、アイン」
ルカディウスはアインデッドの、骨ばった肩に手を回してささやいた。
「焦るな。焦ることはない。まだ一年だって経っちゃいないんだ。俺を信じてくれ。俺が必ず、お前を大国の王につけてやる。俺はそのためにだったらサライルにだって魂を売ると誓ったんだ」
「……」
ルーハルの森は暮れ方に向かい、大きな赤い夕日がゆっくりと沈んでいこうとしている。もうすぐ訪れる冬をおもわせて色づいた木々の葉が、そのあかね色にさらに赤く染められている。
「お前は、何だかますます無口になってしまったみたいだな。――先週エトルリアに行ってからというもの。部下どもの前では、もうちっと明るくしてくれるほうが、親しみが持てるんだがな」
アインデッドは肩をすくめただけだった。ルカディウスも何を話しかけたらいいのか判らずに口をつぐんだので、二人はしばらく黙ったまま、一頭の馬の背に揺られていた。その間にも、夕日はどんどん沈みつつある。
「――変わったというのじゃない。思うことが色々あるだけだ」
ふと、ひとりごとのようにアインデッドが呟いた。
二人を乗せた馬はたくましい草原種であるし、アインデッドは長身ではあったが痩せていて、ルカディウスも小柄だったので、二人乗せていても何の痛痒もなく、街道をぽくぽくと進み続けていた。
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