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     ナカーリアの聖日の朝
     アウロスの民たちは
     夜明けとともに祝う
     豊かなアラティアーナの地で
     男たちは馬を乗り回し
     巧みに槍を操る
          ――ナカーリアの聖日の物語詩(ロマンセ)





     第四楽章 トーナメント




 こうしてアルドゥインにとってこの日は、生き別れた弟の出現と出自の暴露に始まり、リュアミルへのダンスの誘いやパーティーと、心臓の休まる暇もなく更けていったのであった。
 しかしリュアミルと二人きりで一時を過ごせたこと、リュアミルが心を開いてくれはじめたらしいということに彼は大変満足していたので、前半のごたごたは全て忘れて、心密かにこの日を自分の記念日にしようと思ったほどであった。
 宴が果てて屋敷に引き取ってから、リュアミルから受け取った標章を机の上に飾るように置いて、明日は絶対に優勝してみせると誓いを新たにしたのであった。翌日は朝早かったので、それ以上仕事も何もせず、アルドゥインは早々に床に就いた。
 翌日は見事な快晴であった。光ヶ丘のふもとに設けられている円形競技場が、今日のトーナメントの会場である。
 皇族や貴族たちは開始の少し前に入ってくるのだが、それ以外にも試合の観覧を許されたオルテアの有力市民や、運良く抽選に当たった一般市民たちが早々と競技場の門が開けられる前から入口に長々と列を作り、開けられるやいなや我勝ちに良い席を取ろうと押し寄せた。彼らの中には熱心が高じて、前日の夜から門の前で野宿をして待ち構えている者すらいた。
 かれら市民には二階席の後ろ半分と三階席が割り当てられていたが、貴族たちには見晴らしがよく遠すぎることもない二階席の前列、より臨場感を楽しめる一階席が割り当てられている。ただし一階といっても最前列は競技場に近いだけあって砂埃が襲う危険性が高かったし、飛ばされた武器が観覧席の中まで飛んでこないという保証もなかったので、そこに座りたがるのは概して物見高くて恐れ知らずの若い騎士見習い、青年貴族たちと相場が決まっていた。
 観覧席の上座に当たる南側は、辺りの一階席よりも少し高いところにロイヤルボックスが設けられており、玉座の前の柵にはメビウスの金獅子を織り込んだ長い壁飾りを真ん中に、色とりどりの飾り布が掛けられていた。
 闘技場の砂はきれいに均され、昇りきったばかりの朝日を受けて白っぽく輝いていた。三階席がほぼ埋まった頃になって、貴族たちの席にも人が入りはじめた。貴婦人たちの身につけた宝石、金襴がときおり陽の光を跳ね返し、きらきらとさざめいている。
 アティアの刻を告げる鐘が、ヤナス神殿の塔で鳴らされた。それを合図にファンファーレが吹き鳴らされ、人々は喋るのをやめて、拍手しながらロイヤルボックスの出入口に目をやった。
「エール・メビウス!」
 盛大な拍手と歓声の中、略式冠を被り、礼服の上に緋色のマントをかけたイェラインがユナとともに姿を現し、その後ろにリュアミル、パリスとルクリーシア夫妻が続いて入ってきた。
 皇帝の登場が大会の始まりであったから、俄然人々の盛り上がりも勢いを増してきた。出場者たちが一度、全員が並んで皇帝の前で正々堂々と戦う事を誓う。それが終わり、彼らが出番を待つ席に戻ると、イェラインは厳かに笏を掲げて開会の辞を述べた。
 闘技場は大きかったので、響きが悪いわけではないのだが、ロイヤルボックスの周辺くらいにしかその声は届かなかった。だがその代わり、式辞が終わるとともに鼓笛隊が景気づけの演奏を始めたので、聞こえなかった大部分の人々にもちゃんと始まりが判るようになっていた。
 年に一度のトーナメントはイェラインにとっても楽しみなイベントの一つであったので、式辞も熱の入ったものであった。式辞と言うよりはもう演説だったのだが、聞こえている人も聞こえない人も、それはもう毎度のことで充分承知であったので、ほとんど二テルにも及んだこの長演説をあくびをかみ殺しながら我慢した。それに、開会時間はイェラインの演説時間も計算に入れて設定されていた。
 そしてナカーリアの刻になってようやく、トーナメントが始まったのであった。今日の騎馬試合は東軍と西軍に分かれての戦いである。武器は特に指定されないが、以前アルドゥインが決闘で行ったのと同じく、相手を落馬させるか武器を落とさせるかした方が勝ちとなる。
 競技場の砂地はロープと簡単な柵で区切られ、そこで対戦が行われる。東西合わせ総勢二百名が十人一組に分かれて一回戦が行われる。制限時間半テルの間に勝ち残った者だけが決勝となる二回戦に臨むのである。
 これは、競技場に二百人がいっぺんに戦うだけの広さがさすがになかったことが主な理由であったが、実の所、それほどの人数になると誰が誰なのか判らないし、各々の剣技をできるだけじっくり見たいという、イェラインからの希望もあった。
 とはいえ時間も限られており、一回戦は五組同時に行われる。東軍と西軍それぞれの名前が読み上げられ、人々の歓声と拍手の中、最初の試合が始まった。
 他の戦士たちは観覧席の真下に作られている控え席で自分の出番を待つ。アルドゥインは一回戦の第二試合が出番だったので、第一試合を見ている余裕があった。対してセレヌスは第一試合に当たっており、かねがね見てみたいと思っていた彼の武術の腕前を見る絶好の機会であった。
 セレヌスは瑪瑙騎士団の鎧ではなく、アザミの花を意匠したアエミリアヌス侯爵家の紋章を打ち出した鎧に身を包んでいたので、すぐにそれと見て取る事ができた。
「きゃあああ、セレヌス様ーッ!」
「こちらを向いてぇ!」
「お顔を見せてくださいまし!」
 彼の名前が呼ばれたとたん、貴婦人たちはおろか三階の市民たちの席からも、女性たちの嬌声が飛んだのにはアルドゥインも驚いた。恐らくセレヌスの美貌が目当てなのだろうが、遠くておまけに兜を被っていて顔など見えもしないのに、よくまあ騒げるものだと思いもした。
 そして、そ知らぬふりでそちらを見上げようともしないが、セレヌスが兜の下で顔を苦々しそうにしかめているだろうことが容易に想像できて、一人で苦笑した。だが対戦相手たちとしては、彼の名前ばかりが叫ばれるのは面白くないはずだ。何となく苛立たしそうに、声のしたあたりを見上げていた。
 試合開始を告げる銅鑼が鳴り響いた。同時に戦士たちは馬腹を蹴り、槍や長剣など、それぞれの得物を抜いて馬を前方へと走らせる。たちまち場内には剣戟の音が響き渡った。始まるやいなや、セレヌスの相手は殺気だった様子で突っ込んでいった。よほど、ご婦人達の声援が気に食わなかったのだろう。
「私の腕など、ロランド殿たちが言っているほど大したものではないよ」
 と、試合前のひと時に交わした会話でセレヌスはアルドゥインに言ったものだが、それを本気で言っていたのだとしたら、彼は自分の技量をあまりにも過小評価していたことになる。
 相手は長さも幅もある大剣であったが、セレヌスが用いていたのは細身の長剣であった。胸と頭を狙って繰り出される突きや斬撃を、鎧をまとっているとは思えないほどしなやかな動きでかわし、あるいは剣で止めて受け流す。
 軽くて刃の薄い剣では、力のある相手にはともすれば叩き落されたり、折られてしまう可能性がある。だが、セレヌスは相手の力を真っ向から受け止めるのではなく、受けては刃を滑らせて返し、うまく剣全体に分散させている。それが、遠目に見ているアルドゥインにも判った。
 そのように、セレヌスは相手に一太刀も入れさせなかった。防御もさることながら、攻撃もあざやかなものであった。攻撃を受け止めた剣を返す手で逆袈裟に切り上げ、さらに相手の胴に目掛けて振り下ろす一連の動作は、まるで流れるようだった。
 左手で手綱を取って馬を御しながらの戦いであるから、動きがある程度制約されているとしても、美技と呼べるほど見事な剣さばきだった。馬に乗らずに戦うのであれば、それこそ舞っているかのように見えるに違いない。
「すごいな……」
 アルドゥインは思わず感嘆して呟いた。
 セレヌスは他の将軍たちと比べると、なよやかといってもいいくらいほっそりとしているし、見た目からだけではまるで文官のようである。その体格からして、彼の腕力は他を圧倒するほどのものではない。アルドゥインも、セレヌスは力を恃みにする戦い方はせず、もっぱら技に重きを置いているだろうと予測していた。
 その予測は当たったが、よもやこれほどまで洗練されていようとは、アルドゥインは思っていなかった。セレヌスの一つ一つの動きは剣術の見本のように美しく、無駄がない。無駄がないということはつまり、最小限の力で効果を挙げられるという事であり、体力の消費を抑えられるということである。
 柔よく剛を制す、という言葉はまさにこの瑪瑙将軍のためにある言葉のようだった。相手もトーナメントに出場するくらいなので、その技量はかなりのものだろう。なのにもう十五分ほどが過ぎようとしているのに決着がつかない上、いまだセレヌスには一太刀も入れられずにいた。相手が巧者ならば巧者であるほど、セレヌスの剣技も冴え渡っていくようである。
 セレヌスの方はすでに二、三度相手の鎧を打っていたのだが、そのいずれも決定打とはなっていなかった。これは相手の粘り強さが主な原因のようであった。この場は刃先を潰した試合用の武器を使っていたからいいものの、もしも真剣勝負であったら、それだけで重傷は免れない急所を狙われていたので。
 決着はつかないかと思われた戦いであったが、最後の五テルジンを残すばかりのところになって、ようやく勝負がついた。先に焦りを発したか、相手がこれで最後の気迫を込めて大きく剣を振りかぶったところで、脇腹が一瞬だけ無防備になった。その隙をセレヌスは見逃さなかった。
 相手の攻撃を予見したのか、その寸前に素早く手綱をさばいて距離を詰め、体当たりするように打突を繰り出したのである。これには相手もたまらず、馬上で体勢を崩した。落馬だけはすまいと踏ん張った所で、駄目押しの一撃が襲った。力の緩んでいた手から、剣が弾き飛ばされて砂地に突き刺さる。
 落馬しなくても、武器を落とせば負けである。負けた戦士はそれ以上戦うことなく、馬を引いたり、あるいは馬首を返して囲いの外に出る。まだ試合が続いていれば、勝った戦士は次の相手を見つけて戦うのだが、ちょうどその時第一試合の終わりを告げる銅鑼が鳴り響いた。
 それを合図にまだ戦っていたものは手を止め、自分の陣地に戻る。それが済むと、第一試合の勝者を読み上げている間に慌しく下働きのものたちが入ってきて、戦いで乱れた砂地をきれいに均して整える。
 再び砂地が平らになったところで、第二試合の戦士の名が読み上げられ、それに合わせて囲いの中に馬を進めて並ぶ。
 先ほどはセレヌスの名のところで女性たちが嬌声を上げたものだったが、今度はそれほどの騒ぎはなかった。ただ貴婦人たちの席あたりから、アルドゥインとサラキュールの名が呼ばれたときに何やら悲鳴めいた甲高い叫び声が聞こえただけであった。それでも彼らをげんなりさせ、相手を苛立たせるには充分であったが。
 海軍の長であるサラキュールが騎馬ではどのように戦うのか、アルドゥインには興味の尽きせぬところであったけれども、残念ながら同じ第二試合に出る上、アルドゥインが戦うのは競技場の一番東側に作られた試合場で、サラキュールは真ん中だったので、見ることはできなかった。
 それに、一対一になるとはいえ二十人が入り乱れての戦いだったので、離れた所で戦っている人を見ている暇はあまりなかった。先に勝負をつけた者が割り込んで二対一にならないとも限らないし、手ごわい相手となると普通に何人かで襲い掛かってくるので、自分の試合だけに専念しなければならなかった。
 今年初出場となるアルドゥインの武勇のほどは、相手方で話題になっていたらしい。示し合わせでもしたのか、試合が始まるや他の相手をとりあえず放り出して、五人が一斉にかかってきたのである。
「こりゃきついな……」
 アルドゥインが呆れた声を出したのは、最初の一撃をやり過ごした後であった。さすがに背後から襲うほど卑怯な事をするものはいなかったが、五人がかりというのも騎士らしくない行動である。
 息つく間もなく槍や剣が襲ってくるのをかわし、打ち返していたのはほんの十合ほどの間であった。最初の一人を駆け違いざまに馬から叩き落し、人数を減らしたところですぐに同じ東軍の者が急いで寄ってきて加勢してくれたので二人減り、アルドゥインの相手は二人になった。
 一人はあまり変わり映えのない銀色の鎧であったが、もう一人は黒金に金で象嵌をほどこした、あまり実用的でない華美な鎧を身につけていた。盛装ならばともかくも戦いの場での派手な格好は好きでないアルドゥインは、それだけでいい気がしなかった。それに、さっき五人がかりで向かってきたとき、この騎士がどうも指揮していたようだと見て取っていた。
(全く、腹の立つ奴だな)
 さっさと片をつけてしまいたかったのだが、二人を相手にするとなるとなかなか思うようにいかなかった。派手な格好のわりにその相手は腕が立ったし、一人に集中すればもう一人に攻撃する隙を与える事になってしまう。そんなわけで、派手な騎士の方は時間内に倒す事ができなかった。

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