前へ  次へ



                                *



 普段はカラマンやその他の使用人たちと何という会話もあまりなく過ぎていく夕食の時間だが、この日の夕食はアルドゥインにとって久々に心楽しいものとなった。しかしその楽しい時間も一旦の中断をみることとなった。食堂を引き取って、応接室で食後の茶とともに話の続きをという所で、サラキュールの従者が口にしていた祖父がみずから孫を迎えに来たのであった。
 祖父が来たことをカラマンから告げられると、サラキュールは大して驚きもせず、ただうんざりしたような表情を浮かべて独り言を呟いただけだった。
「いつまで私を子供扱いすれば気が済むのだ、あの老人は……」
「どうするんだ?」
 アルドゥインが訊ねると、サラキュールは肩をすくめた。
「おぬしの所に泊まってもいいと祖父が言えば、おぬしと一晩語り明かしたいのだが……かまわぬだろうか?」
「むろん、歓迎するさ。俺からもお願いしてみようか?」
「それは心強いが、あの老人は難しいぞ。強情で融通がきかぬのは我がアルマンド一族の悪しき特徴でな」
 サラキュールは嘆息して、玄関へ出ていった。それにアルドゥインも続く。
 前アラマンダ公爵リアザンは、いつでも眉間に深い皺を刻み、何かを睨みつけているような、いかにも気難しげな顔をした老人であった。白髪に覆われた頭はてっぺんが薄くなっていたのを、これも後退してきた前髪を上げて隠していた。年は七十の坂を越えているように見えた。
 雰囲気はどことなくサラキュールに似通ったものを持っていないでもなかったが、祖父であるからかあまり彼は似ていなかった。応接間に行くのも煩わしい、と玄関で待っている彼のもとに行くと、アルドゥインの姿を見つけて深々と頭を下げた。
「我が不肖の孫が長らくお邪魔をして申し訳ない、アルドゥイン将軍。わしはリアザン・ド・ラ・アルマンド。サラキュールの祖父である」
「お初にお目にかかります、リアザン殿」
 挨拶が済んでしまうと、リアザンは孫に視線を向けた。何となくアルドゥインの後ろに隠れるように立ったサラキュールは、自分では不当だと思っていることで怒られる子供のような顔をしていた。
「大体の話はジークフリートから聞いたぞ、サラキュール」
「お聞きになられたのなら、来られることもないでしょう、お祖父様」
 厭味をこめてサラキュールは微笑んだ。しかしリアザンも辛辣だった。
「聞いたから来たのだ。つまらん事を言うでない」
「……」
 サラキュールは眉をぎゅっと寄せた。口の中で(この頑固爺め)と呟いたが、幸いにしてそれはアルドゥインにしか聞こえなかった。
「いつまでも居座って迷惑を掛けるのではない。おまけに夕食まで先方に用意させるとは何事だ」
 むっとしたようにサラキュールは言い返した。
「迷惑などかけておりません。それに夕食は、食べていけとアルドゥインが言ってくれたのです。だいたいどこの世界に、成人した孫が帰らないからといってわざわざ迎えに来る祖父がいるのですか。お祖父様だけですよ、そんな奇矯な方は」
「つまらぬ言い訳をするな。とにかく、アルドゥイン殿のご用事もあるだろうに、事前の約束もなく突然訪問して、長々と居座るべきではないだろう」
 サラキュールの表情に、かすかな怒りのような、拗ねたようなものが表れた。どうやら雲行きが怪しいらしいと察して、アルドゥインは助け舟になるのかどうか判らないが口を挟んだ。
「たしかに突然ではありましたが、俺にはむしろ歓迎すべきご訪問でした。俺がお引止めしているのです、リアザン殿。サラキュールのせいではありません。お叱りならば俺がお受けいたします」
「叱られるようなことなどしておらぬではないか」
 サラキュールはアルドゥインを肘でつついて、ささやき声で怒った。
「馬鹿、こういう時は謝るものなんだ」
 同じようにささやき声で返し、アルドゥインは外交用の笑みを浮かべてリアザンの反応をうかがった。
「そのように、この馬鹿者をかばい立てすることなどござらぬぞ」
「何を言うか……」
 馬鹿者呼ばわりされて、サラキュールもさすがに何か言い返そうとしたが、事を荒立てられては困るので、アルドゥインはそれを察して片手を手首のところでちょっと挙げて彼を止めた。
「かばい立てなどしておりません。ともあれサラキュールは海、俺は陸と共に軍務の司でありますし、今まで話していたことも含めて語ることは多いゆえ、一晩でも足りぬほどです。ここはどうかお心をお鎮めあって、新たに生まれた友情に免じて、一晩彼をお貸しくださらないでしょうか?」
「うむ……」
 リアザンはちょっと渋い顔をした。
「それとも、俺はサラキュールの友人にはふさわしくないとお考えでしょうか? この屋敷はアラマンダ公をお迎えするに相応しくないと?」
 アルドゥインは丁重な厭味を言ったが、こちらはサラキュールのとは違って厭味とは気付かれなかったようだ。
「いや、そう言っているわけでは。ただ、もともとそういった約束をしていたわけでもなし、泊まるとてその支度も……」
「支度のことでしたらご心配なさいませんよう。客人の一人二人、突然であってもお迎えする用意はいつでもございます」
「……」
「この期を逃しては、またお会いできるのはずっと先のことになってしまいますゆえ、どうか」
「まあ……アルドゥイン殿がそう仰るのなら……」
 その言葉を聞いたサラキュールの表情が晴れたのを見てリアザンは苦い顔をしたが、ここまで言いかけて、さらに紅玉将軍の頼みとあっては断るわけにもいかず、ずいぶんと口重くなりながら続けた。
「一晩だけだぞ、サラキュール」
「はい。パーティーの前には宿に戻りますゆえ、ご安心を」
 約束を取り付けてしまえばこっちのものとばかりにサラキュールは言った。リアザンが孫を睨み付けたのは言うまでもない。
「朝になったら戻るのだ」
「仰るとおり、朝になったらすぐにも戻りましょう。お一人では宿に泊まれないお祖父様を、私のわがままで一人お残しするのだし、そんなお祖父様一人では何かと心配なこともございますのでね!」
 サラキュールの腹立ちまぎれの発言を、リアザンは鋭い一瞥をくれただけで黙殺したので、アルドゥインはほっとした。ともあれ話はまとまり、馬鹿孫が、わがままで困る――などと呟きながらリアザンは待たせていた馬車に乗って宿へと帰っていった。馬車が門を出てしまうと、見送って車寄せまで出ていたサラキュールは清々した表情でくるりと踵を返した。
「全く、面倒なご老人だ」
「あんなに言い返していいのか?」
「良い良い。何を言われようが所期の目的は果たしたのだから、こちらの勝ちだ」
「……」
 サラキュールは溜飲を下げたのか楽しそうに言ったが、それでいいのかどうか、アルドゥインには判断しかねた。二人は肩を並べて歩きながら、さっきまで話をするのに使っていた応接間に戻った。
「邪魔は明日まで入らぬと決まったのだから、ゆっくり話の続きをしようではないか。おぬし、酒はいけるか?」
「一般的に見れば強いほうだと思う」
 少し考えて、アルドゥインは言った。
「でもその前に寝支度をしておいたほうがいいと思うぞ。寝ようって段でばたばたするのが好きならいいけれど、俺は風呂に入りたい。あまり遅くに湯殿の係を働かせるのは嫌だし、うちはナカーリアの刻には仕事じまいにさせてるから、それ以降に入りたければ自分で焚くんだぞ」
 サラキュールはちょっと眉を上げてアルドゥインを見上げた。夜中の何時だろうと自分の都合だけで使用人をたたき起こす主人というのも珍しくない時代だったので、アルドゥインの雇用方針は珍しかったのである。
「おぬしは色々と気を回す奴だな。まあ、夜遅く云々というのは私も同感だが」
「性格だ。でなければ将軍職なんて勤まらないよ。……ああ、レーナ、トレイス、サラキュールが泊まることになったから、客間の支度をしておいてくれ」
 皮肉か単なる感想かよく判らないサラキュールの言葉に、アルドゥインは軽く微笑んで返した。ついでに通りすがった使用人を呼び止めて、客用の寝室にサラキュールが泊まれるように用意しておくよう命じた。
「着替えは客用のだから新品ってわけにはいかないかもしれないが、いいか?」
「ああ、かまわぬ。すまぬな」
「俺が泊まってほしいんだから、すまないなんて言わなくていいぜ。ソレールなんて、急に押しかけてきて泊めてくれって言うんだ。大きさが合わないからって俺の服を勝手に着るし」
「ソレールか。おぬしは随分と懐かれているようだな」
「ああ。何だか弟を思い出す」
「弟というよりはエストレラ犬だ、あれは。図体といい、金髪といい。惜しいのはあやつの出身がハヴェッドというところだな」
 エストレラ犬はその名のとおりエストレラに産する犬種で、成長すると体長一バール半ほどにもなる、長く美しい金色の毛を持つ犬である。
「……かもな」
 これは本人には言えないな、と思いながらアルドゥインは頷いてしまった。ともあれ二人は二時間後にアルドゥインの居間で、という約束で一旦別れた。楽な室内着に着替えて、用意させておいた酒の酔いも手伝って、さっきよりももっとくだけた雰囲気で、リアザンに言ったのとは大違いで、軍務の話などほとんどせずに、個人的な話をおおいに楽しんだのであった。
「おぬしが何故、そんなに早く昇進したのに、軍の誰にも反対されなかったのか判ったような気がする」
 何かの話の切れ目に、サラキュールはぽつりと呟いた。
「たしかに戦時下っていう状況ではあったけど、早かったかもな。でも年で言えばソレールも二十そこそこで琥珀将軍になってるんだし、サラキュールだってその年頃には海軍大元帥になっていただろう」
「私のこの地位が、私の実力で得たものだとは思わぬ。己の腕と実力だけで昇ってきたおぬしとは違って」
 アルドゥインの言葉に、サラキュールはあっさりと言った。
「おぬしも、メビウス軍のほとんどが世襲軍人でなりたっているのは知っているだろう。海軍は母港が変わらぬから、たいていの場合は領主が世襲でなるのだ。大元帥の位を与えられたのも、たまたま私が提督の中で最も有力な家柄だったからに過ぎぬ。私の父も先々代の大元帥だ」
「でも、家柄とか世襲っていうだけじゃないだろう。実際の戦闘もやってるし……実績だってちゃんとあるじゃないか」
 卑下するような事を言うサラキュールに、アルドゥインは何となく自分の事でもないのにその発言に反対しなければと一生懸命になった。それが面白かったのか、サラキュールは微笑んだ。
「それはまあ、確かにな。水夫の真似事のようなことなら、十にならぬうちから始められるから、船に乗っている経歴だけならばこれでもう十五年以上になる」
 そこで一旦言葉を切り、サラキュールは何かを考えているようだった。
「……だが、やはり私が何の家柄も地位もない男だったなら、同じ功績を上げていても、果してこの年でここまでになったかどうかは疑問だ。アルドゥイン、この国を動かしているのは――いや、どの国でも、国の運命を決めているのは個人の才能よりも、その生まれや血筋なのだ。それでいいとおぬしは思うか? 暗くよどんだ三千年の血筋に、何程の価値があるだろう? たしかに古いこと、そこまで続いてきたことにはある種の畏敬を抱くが、それが国を治めるのにどれほど必要だというのだろう?」
「アルマンド家の御曹司の言葉とは思えないな」
 自分も本当なら、その血筋や家柄だけでどんな地位でも簡単に手に入れられる身分だということを知らずにサラキュールが話しているということが、アルドゥインを皮肉な気分にさせた。アルドゥインの言葉に皮肉な響きを聞き取って、サラキュールはわずかに顔を伏せた。
「ほとんど初対面のおぬしに言うことではなかったな。……呆れたか?」
 アルドゥインは首を横に振った。
「いいや。同じ事を考えているな、と思った」
 その血筋のためだけにアルドゥインは命を狙われ、命を護るために国を捨て、全てを捨てなければならなかったのだ。幼かったころはどれほど自分の血を呪ったことだろう。おそらくサラキュールが感じている漠然とした「これでいいのか」という気持ちよりも、彼のそれは強いだろう。
「でもそれじゃお前は、この国で一番の反逆者だな」
「何も皇家の必要性を認めていないわけではない。イェライン陛下のみがメビウスの君主だと思っておるし、次の皇帝はリュアミルだ。それ以外には考えられぬ」
 憮然としてサラキュールは彼を見上げた。
「そうだろう? 市場で物を売るしか知らぬ者、土を耕すしか知らぬ者を連れてきて、いきなり国を治めろと命じたところでできるはずがない。人にはそれぞれその身や能力に応じた仕事があるのだ。支配者とてそれは同じことだ。その意味で皇家は必要だと思っている。支配者となるために生まれ、その教育を施されて育つのだからな。だが皇家がその仕事に値しなければ、別のものが取って代わっても仕方がないと私は思っている。それに、相応しい資質さえあれば、誰が支配者になってもかまわぬし、そうあるべきだ。ともかく、能がなくても貴族というだけで地位を得られるこの世の中は間違っておる」
「なら、自分はどうなんだ?」
 アルドゥインは、少し意地悪な気分で尋ねた。サラキュールは睨むような目をして、ふと黙り込んだ。
「……正直に言って、私にも自分が本当に大元帥たるにふさわしいのかどうか、判らぬのだ。部下たちはよく従ってくれるし、今まで反抗を受けたこともないが、それは私にその地位があるのと、軍律のおかげとも言えるし、果して私に能力があるからかどうかは判らぬからな。だが、ふさわしくあるべく努力はしているつもりだ」
「努力してるってだけでも、資格は充分にあると思うぜ」
「そう言ってもらえると有り難い」
「しかし、サラキュールがそんな反逆精神の持ち主だったとは意外だな」
「口に出して言ったのはこれが初めてだ。おぬしはどういうわけか――私をとても安心させる。何を話してもおぬしなら判ってくれると思わせる。まったく、ちゃんと話したのは今日が初めてだというのにな」
「どうしてだか、俺もそう思ってしまうんだ。俺たちは、危険だな」
 二人は顔を見合わせて笑った。

前へ  次へ
inserted by FC2 system