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 そろそろ夕食の支度をする時間であったが、客人がどうするのかを、カラマンと料理長のルパートが訊ねに行った時、二人の青年は何のおかしい話をしていたのか、腹を抱えて大笑いをしている最中であった。
「アルドゥイン様」
「あははは……あ? あ、ルパート。何だ?」
 肩をつつかれてやっと気付いたアルドゥインは、涙目を拭いながら振り返った。
「ご夕食はどうなさいますか」
「そうだな、俺は夕食をご一緒してもいいんだが。アルマンド殿のご予定は?」
 アルドゥインはちらりとサラキュールを振り返ったが、彼はまだ笑いの余韻が残って口許を引きつらせたまま頷いた。
「特に予定というものもない。アルドゥイン殿さえよろしければ、否やはないぞ」
「決まりだ。二人分を頼むよ」
「かしこまりました」
 ルパートは一礼してから、サラキュールに視線を向けた。
「アルマンド様、何か料理にご注文などございますでしょうか」
「特に嫌いなものも好きなものもない。貴殿にお任せする。ただ、生きの悪い魚料理だけはやめてくれぬか」
「かしこまりました」
 ルパートとカラマンが退出してから、アルドゥインは扉に向けていた上体を戻してちょっと座りなおした。
「そういえばアルマンド殿、お祖父様が一緒に来ておられるのでしょう。あまり遅くまで引き止めていてお叱りを受けさせるのも心苦しい。夕食が終わったら、帰られたほうがいいのでは?」
「つれないことを言わないでくれぬか」
 サラキュールは笑った。
「むろん貴殿が、私と話をするのが退屈になったというのならそれは仕方ないので失礼するが」
「そんなつもりで言ったわけではないのですが」
 慌てたアルドゥインに、サラキュールは軽く手を振った。
「冗談だ。こちらとて貴殿に意地悪を言うつもりではなかったのだ、許してくれ。それから――アルドゥイン。堅苦しい話し方はお互い止しにせぬか? 私のことはサラキュールと呼んでくれて構わぬ」
「でも……」
 彼にはすでに予想された言葉であったらしく、アルドゥインが何か言うよりも早くサラキュールはそれを遮った。
「私の話し方が爺臭いというのだろう? 元々だ。自分でも判っておる」
「別に爺臭いなどと言うつもりじゃ……」
 何となく困って、アルドゥインは眉を寄せた。たしかに、外見にあまりにそぐわない喋り方であるのだけは本人にも判っているらしい。
「物心付く前から祖父母に育てられたし、ジークフリートくらいしか年の近い遊び相手もいなかったものでな。あやつはずっと私に敬語を使っておるし……。それに、宮廷では皆このような喋り方だろう。別段おかしいとも思わなかったのだ。気がついたら直しようもなくなっておった」
「……ご両親は?」
「死んだ」
 あっさりとサラキュールは言った。
「私は知らぬことだが、赤子の時分に親が乗っていた馬車が崖から落ちたそうだ。その時に二人ともな。幸い私はその時屋敷に残されていたので、アルマンド公爵家は何とか絶えずに済んでいるというわけだ。アルドゥインのご両親は健在か?」
「死んだとは聞いていないから、まだ生きているんでしょう」
「だから、そんな畏まった喋り方をするなと言ったではないか」
「――そんな急に変えられるものか」
「ほら、できるではないか」
 面白そうにサラキュールは言った。
「ところで明日のトーナメントは、騎馬試合に出るのだろう」
「ああ」
「トーナメント表を持っておるか?」
「ちょっと待ってくれ。持ってこさせる」
 アルドゥインはレーナを呼んで、トーナメント表と、ついでに茶のお代わりを持ってきてくれるように言いつけた。五分と経たないうちにレーナは言われたとおりのものを持ってきた。
「で、表なんか見てどうするんだ」
 二杯目の茶を飲みながら受け取った表を眺めていたサラキュールに、アルドゥインは訊ねた。サラキュールはいたずらっぽい笑みを浮かべて顔を上げた。
「おぬしリュアミルをどう思っておる?」
「ど、どうって」
 いきなりそんな事を訊ねられて、アルドゥインは慌てた。こんな質問程度、別段慌てることでも何でもないじゃないか――と心では思っていたが、そればかりはどうしようもなかった。彼は戦略上ならいくらでも冷静になれたが、恋愛事に関してはそれはうまくいかないのだった。
「何でそんな事を」
「つべこべ言わずに答えぬか。端的に言うが、惚れておるのか」
「……」
 アルドゥインがとたんに顔を赤くしたのを見て、サラキュールはやはりな、とでも言いたげににやにや笑っていた。目を泳がせてしきりに瞬きしてから、アルドゥインはもぞもぞと口を動かした。
「……リュアミル殿下には……その……お前がいるんじゃないのか?」
「馬鹿を申せ」
 意外な言葉を聞いたように、サラキュールは手を振った。
「あれと私はただの幼なじみの主従に過ぎぬ。強いて言うなら兄と妹のようなものだな。それに、私にはもうイルゼビルという婚約者がいる」
「へっ? イルゼビル姫って……カミラ伯の令嬢の?」
 思わずアルドゥインは間の抜けた声を出してしまった。
「何だ、おぬしはそんなことも知らなかったのか」
「し、知るわけないだろう」
 ちょっと不貞腐れて、彼は言い返した。そしてついでに安心してもいた。皇女とアルマンド公爵なら身分としては申し分ない組み合わせだが、おそらくお互いに親しすぎて、恋愛相手として見ることなどなかったのだろう。とりあえず今のサラキュールの発言で、彼の心配事が一つ減ったのは間違いなかった。
「まあいい。とにかくおぬしがリュアミルを好ましいくらいには思っておるというのはわかった」
「そうでなきゃ誰が決闘なんかするか」
 アルドゥインはこっそりと小さく呟いたつもりだったが、サラキュールにしっかり聞こえていたらしい。彼は一つ頷いた。
「だろうな。どのみちおぬしがリュアミルの意中の男のことなど気にする必要はない。そんなものはおらぬ。今のところは」
「……いいかげん話を戻してくれ」
 これ以上不用意な発言を誘われると困るので、アルドゥインは促した。
「ああ。だから私が言いたいのはだな、騎馬試合で私と組まぬかということだ」
「俺は東軍で、お前は西軍だろう。組めないぞ」
 サラキュールはそれには答えず、眺めていたトーナメント表を机に置いてアルドゥインの方に差し出し、一人の名前を指差した。
「この西軍のウダルリヒという男、最前おぬしと決闘したチトフの友人だ。おぬしならこやつと当たったらどうする」
「一緒になって悪口を言っていた奴か。倒すに決まってる」
 アルドゥインは即答した。何となくサラキュールの言わんとするところが読めてきたので、彼の口許にもサラキュールと同じような微妙な笑みが浮かび始めた。
「ははあ、要するに、俺とお前とでリュアミル殿下を蔑ろにしている奴らを片っ端から負かそうって言いたいわけだな」
 くすくすと笑いながら、サラキュールは頷いた。
「仲間を倒すわけにはゆかぬからな。どうだ」
「やろうじゃないか」
 試合の敵を倒すだけなのだから、決闘よりももっと穏便で、恐らく彼らの意図に気付いたとしても、誰にも文句を言われない方法である。それに、この提案はアルドゥインにとって面白いものだった。絶対に誰にも負けない自信と、それに見合う実力がなければとうてい実行しようという気も起こさないような計画ではあったが。
「面白そうだな。他には誰がいる?」
「おぬし、紋章などはわかるのか」
「名前だけ今日覚えて、あとは明日試合前のパーティーがあるから、それで覚えられる。ああいうのの暗記は得意だから」
 彼も七年前に出奔した身とはいえ貴族である以上、人の顔と名前はもちろん、紋章や身分などを色々と覚えるのには慣れている。三十人程度ならそれで覚えられる自信があった。パーティーに出ると聞いて、サラキュールはちょっと何かを考えるように視線を宙に向けた。
「おぬしが出るのなら私も出ようかな。教えてやらぬとならんしな。女どもが騒ぎ立てて群がってくるだけの、実につまらぬ儀式だが」
 群がってもらえない男の側からしたら腹の立つこと限りないであろう台詞だったが、幸か不幸かアルドゥインも女性に囲まれて騒ぎ立てられる部類の男だったので、その言葉には無言で同意を示しただけだった。

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