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     恋は風の如く訪れゆき、吹き過ぎぬ
     風の娘、かの人はいずこに吹きゆく風か
     教えておくれ、そのゆくえを
     風に乗せて、風に乗せて
     我が想いの果つる前に
     風の娘、
     かの人のもとに吹く風に
     運んでおくれ、我が言葉を
     我が愛は真なりきと
                   ――エレミヤ民謡
                        「風の娘」




     第二楽章 森の夜風




 ウィリスの話はまだまだ続いた。
「実際のところ、ルーハルのソーチは勇猛、残忍をもって知られていましたけれども、その中身は少しも野望だの大きな賭とは無縁で、ただただ目先の欲を満たし、あわれな隊商を襲って金と女を巻き上げさえすれば満足だったのです。義侠心とも、愛国心とも縁のない男で、はじめからこの使者の申し出を聞いて、エトルリアから敵とにらまれ、国境警備隊に追い回される身になるつもりなど、まったくなかったのです。
 しかし金には目のない男でしたので、この使者の言うのが本当なら、どこかに隠してあるというその金の残りをどうしても巻き上げずにはおくものか、というのが彼の考え――とうてい考えと呼べるようなしろものではありませんが――でした。
『なーに、わけはねえ』
 親分とは似合いの棒組の、頭目の一人が申しました。
『相手はたかたが二人、引っ捕らえて、ひんむいて鞭で叩きのめして金のありかを白状させればすむこった』
『いや、しかし、もし万一、どこかに仲間の兵を伏せていたら、まずい事になる』
 言ったのは、狂犬のシロスと呼ばれる、傭兵崩れの男でした。
『だから、そのへんも拷問して白状させるのさ。本当にラトキア公女の使者かどうか、知れたもんだか。だいたいラトキア人でも、中原の人間でもなさそうじゃねえか』
『あんな歳の若いのを二人ばかりで使者に出すっていうのもあやしいぜ』
『いや、それはどうかな』
 シロスが言いました。
『たった二人でこんなところに乗り込んでくるってのが、そもそもふつうじゃねえ。生きちゃ帰れねえくらい、はなから判っていようじゃねえか。――あんまり突飛だから、かえってやばいような気もするが、もしこれが一個中隊ででもこようもんなら、こっちだって警戒して街道筋にゃ出てこまいし』
『おめえは弱気でいけねえ、シロス。つまりは何でも捕まえて拷問にかけちまえばすむこった』
『拷問だ、拷問だ』
『こいつはいい、俺が引き受けよう』
『なァに、ここんとこ大した獲物もなかった。皆でたんと楽しめるってもんさ。あの若いのはずいぶんと痛めがいがありそうだからな』
『じゃあ手筈を決めるか』
『手筈なんぞ決めるまでもねえ。相手はたった二人、しかも一人は小男じゃねえか。わっと行って、有無を言わさずふん縛って引き出しちまえ」
『よーし、おらぁこてを熱くしておくぜ』
『そうと決まりゃあぐずぐずしてるいわれはねえ』
 まことにたわいなく非道の相談を取り決めると、たちまち手に手にえものを取り、わっとばかりに客を泊めた部屋に殺到しました。
 しかし扉を蹴り開けて、やいやい小僧、使者にたったが不運と思え覚悟しろ……と枕を蹴り飛ばし、手燭をさしつけてみれば、寝床はもぬけの殻。これはどういうことかとうろたえるところへ、外から突然『火事だ!』『西の小屋から火が出たぞ!』の叫び声。
 西の小屋は食物、金、武具の倉庫のはず。うろたえて駆けつける時、後ろで二人の呻きがして、どさりと倒れる音がしました。それにも気付かず飛び出してみると、小屋はぼうぼう燃えている、部下たちは成す術もなく駆け回る、大変な騒ぎです。
 そこへ弓弦がひゅんと鳴り、たちまち頭目の一人が胸を押さえて倒れました。
 うろたえ騒ぐところへ、頭上、屋根の上からくだんの傭兵がひらりと飛び下り、たちまちのうちに頭目のソーチに手傷を負わせ、膝の下に組み敷いてしまいました。
 盗賊どもはうろたえて走り回りますが、何分武器は燃える小屋の中、その上すでに半分ほども頭目を殺されてはあとはとんだ烏合の衆、さしずをあおぐ親分を人質にとられて、遠巻きにして騒ぐところへ、
『騒ぐんじゃねえ!』
 傭兵の大声が響きました。
『サナリアのファラジと並び称されるルーハルのソーチと言われるほどならちったあましな、先の見通し、でかいことも考えられるかと思ったのに、何だ、ただの情けねえ匪賊の頭目じゃねえか。この申し出を受けるほどなら生かしておいて右腕にしてやろうと思ったが、これじゃ生きていたところでどうせ先の望みはねえ。皆、さっさと見切りを付けろ。でないと今が生き延びる機会だぞ。ラトキアが落ち着き、新帝のたった今、エトルリアとクラインが次に手を着けるのは街道の治安だ。おめえらは、こんな古びた街道に巣食うネズミになって、一生こそ泥でいたいのか。俺について来い。この、ティフィリスのアインデッドについてこい。こんなけちな盗賊じゃねえ、海の姉妹、山の兄弟をもしのぐ、大盗賊団に仕立てて、必ずおまえたちにいい思いをさせてやろうじゃねえか。さあ、こんなやつとは、さっさと縁を切るがいい』
 言いざま、情け容赦のない鋭い剣が、ソーチの太い首をざっくりと、まっすぐに掻き切ってとどめをさしたのでした。
 驚いたのは盗賊ども、『よくもかしらを!』とわめいて飛び掛かろうにも、武器はみな火の中、せいぜいが手持ちの刀子や短剣ばかり。その上目の前で、こうもあざやかに、ぐうの音も出ず親分を殺されては、三下どもにはちょっとやそっとでは手が出るものではありません。
 それでも懸命に騒ぐのへ、
『うるせえ! 騒ぐんじゃねえ!』
 傭兵はなおも叫び、血染めの剣を振りかざし、ソーチの死骸に足を踏まえてすっくと立ち上がりました。
 さきも言ったとおり、優男とは言えませんが、エーデルの民のようなきつい目元、すさまじいほど美しい気性の激しそうな若者です。それが全身にソーチの返り血を浴びて立つところへ、おりから射し出る月の光、そのもとで、彼は野生の、青い狼のようでした。
『おい、皆、俺の言うことをよく聞くがいい』
 彼はよく響く声で叫びました。
『俺はソーチをしとめた。かしらだったやつらもすでに三人は手にかけた。そうしてもう、おまえたちのせっかく蓄えた冬ごもりの食料も武器も金も、みんな灰になっちまった。これからの冬をしのぐには、また始めから隊商を襲い、町を襲うほかねえだろう。しかしソーチや、頭どもがいなくておまえらにそれができるか? ばらばらになってあちこちに散り、挙句の果てにお尋ね者の賞金首でとっ捕まるのが落ちじゃねえか』
 彼は手にした剣でソーチを指しました。
『――このソーチは領主でもなけりゃご主君でもねえ。こんな無能に忠義立てするいわれはねえぞ。俺を新しい頭目と認めろ。そうすりゃ、俺は金もやる、女もやる、食い物も武器も、何でもやる。おまえらを街道すじに鳴り響く大盗賊団に仕立ててやる。俺はそのために来たんだ。――こんなけちな山塞は捨てろ。俺はソーチとは違う。ただの力だけの馬鹿じゃねえ』
 そう言うと、彼は剣を持っていなかった手を、燃えている西の小屋に向けて挙げました。すると驚いたことに、たちまちのうちに小屋はさらに大きな炎に包まれたのです。小屋をあとかたもなく吹き飛ばしたのは、紛れもなく彼自身の手から放たれた炎でした。
 つまりは、彼は炎のスペル使いだったのです。ソーチをあっという間に倒した手並みもさることながら、この恐ろしい力も盗賊たちを驚かせ、おののかせるには充分すぎるほどでした。
『俺はおまえらの考えたこともない、安楽な暮らしをさせてやる。――嫌というのなら今この場で死ね。俺はたった一人だが、俺の腕はいまおまえらも見たとおり、俺がくたばるまでには、二十や三十は道連れに連れてゆくぞ。何ならこの森ごと燃やしてやろうか。さあ、どうする。ソーチに、もうくたばっちまったソーチに忠義立てしてくたばるか、それとも、このアインデッドを首領と認め、俺についてくるか。二つに一つだ。俺に逆らう奴はどうなるか、見せてやろうか?』
 ふいにヒュンという音がして、頭目の一人がまた、喉に突き立った矢を掴んで倒れました。
 ざわざわと顔を見合わせている連中の中で、
『殺さねえでくれ。俺はソーチに忠義立てするいわれはねえ。あんたについてゆくよ』
 まっさきに叫んで刀子を放り捨て、新しいおかしらに万歳を叫んだのは、狂犬のシロスでした。彼は、どこかに隠れているもう一人の手で、次に射られるのは自分だと悟ったのです。
 それを聞くや、残りの三下どもも先を争って新しい首領に忠誠を誓いました。もともとソーチにはべつだん心酔しているわけではない、腕にさまでの自信もない、加えて、たしかに、この月光を浴び、死体を踏まえて立つ緑の瞳の狼には、何か不思議な、人を心酔させる魅力があったのです。
 それを見て、彼は大声で笑いました。そして合図すると、屋根の上から、弓を持ったあの小男が飛び下りてきました。そして二人は革袋から金貨を取り出し、惜しげもなく人々に与え、彼らはそれを取り合いました。
『俺についてくるがいい』
 新しい首領は叫びました。
『俺はけちくさいソーチみたいな野郎とは違う。俺について来さえすれば、この十倍も金をやる。女もやる。酒も食い物も取り放題、もっといい暮らしをさせてやるぜ。しかも最後には、いつもいつも警備隊に追われなくても済む、いいご身分にしてやるぞ。ティフィリスのアインデッドと、その軍師のルカディウスについてこい。必ずお前たちが後悔しないことを、俺はこの、青白いリナイスにかけて、刀に誓うぞ!』
 かくて、若干二十二歳の、ティフィリスの傭兵アインデッドは、その軍師ルカディウスの計略がまんまとあたり、ルーハルのソーチに代わってルーハルの盗賊七十人の頭目となったのでした。
 何よりも盗賊たちが驚きを新たにしたのは、たしかに彼らが降参し、もうこの新しい首領をおとなしく受け入れたという見通しが立つや否や、彼らの武器が惜しげもなく返されたことでした。武器は焼き払われたのではなく、あらかじめ武器だけ運び出して、森の中に隠してあったのです。
 しかしそれを返されても、もう人々は、新しい首領に逆らう気などありませんでした。もともとが大した知恵者もいない彼ら匪賊どもとしては、この彼の智略と豪胆に、ほとほと感じ入ってしまったし、だいいちべつにソーチを慕って集まったわけではなく、かしらになるものが誰であれ、彼らとしては大した違いもなかった上、これから厳しくなる冬を前にして、食料その他の蓄えの方は、これはたしかにすべて焼失してしまっていたので、彼らとしては、ともかくもまず、この冬を無事に過ごす方策を立てるほうが第一だったのです。
 そして新しい首領は彼らを率いて、少しばかりの訓練を施した後に、サリア街道へ略奪行に出たのですが、その水際立った手並み、引き上げ方、新首領の勇猛果敢さなどは、一回で彼らにすっかり心から、若い彼に忠誠を誓わせるに充分でした。
 彼のやり口というのは、あらかじめ宿場に軍師のルカディウスを占い師に変装させてさしむけ、隊商の予定を聞きだして網を張っておくという単純極まりないものでしたが、それだけのことでさえ、匪賊どもにとってはたいそうな高等戦略に見えたのです。
 その上彼は、ひまな時には彼らを訓練し、本物の兵隊のようにいくつかの隊に分け、伝令どおりに動くように仕込みました。これも、ただの盗賊どもにとっては天地の引っ繰り返るような驚きだったのですが、それに従うと、引き上げるにも襲うにも、まったくあざやかに振舞えることを知ると、彼らは少しずつ、この若い首領についてゆけばどんなことも不可能ではないという気持ちになってゆきました。
 しょせん、彼らは単純なごろつきの集まりにしか、過ぎなかったからです。
 こうしてティフィリスの傭兵アインデッドは、最初の賭に勝利を収めたのでした。しかし、むろんここには一つの大きな問題がありました。ルーハルのソーチと義兄弟の契りを結ぶ、サナリアのファラジの存在です。
 そののちも引き続いてアインデッドは街道での略奪にあざやかな戦果をおさめました。しだいに部下たちも、アインデッドに――略奪の計画を立てるのは軍師のルカディウスだったのですが――従えば安全で、しかも確実に思うままの成果を挙げられることを知り、その命ずることに忠実に従うようになっていったのです。
 しかし彼の成功が明らかになってゆけばゆくほど、そしてその噂を聞いて、近在から彼に投じる無法者もおいおいに出てくるにつけて、サナリアのファラジにとってはなかなかに無視できぬ存在となっていったのでした。それはアインデッドにとっても同じことでした。ファラジはルーハルの一味の何倍かの部下を持っていたし、しかも、それはソーチのようにそのへんのごろつきの集まりというのではなく、それなりに訓練された軍隊といってもよかったからです。
 そのソーチが義兄弟の非業の死を聞いて、いずれ乗り出してくるのは、目に見えたことでした。それに対してアインデッドとルカディウスは、先手を打ったのです。

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