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                                *



 イェラインは声を張った。
「アスキアのアルドゥイン、こたびの振る舞い、剣を捧げた主君たる我が身に対しまことにもって不服従、不従順のきわみにして不届き千万。その結果は偶々メビウスのために幸いなりといえども、かようのふるまいの先例を認めては、こののちメビウスは国家としてたちゆかぬ。この罪科、もろもろの情状を酌量すると雖も軽からず、もってアスキアのアルドゥインよりメビウス紅玉騎士団千騎長の位及びその権限を剥奪し、その身を実刑に処す」
「陛下!」
「余が話しておるのだ、ソレール」
 ソレールが叫んだが、イェラインの一喝にうなだれた。
「その見せしめの上で改めて処遇を申し渡すものとする。まず、彼の紅玉騎士団千騎長の衣服を剥ぎ取り、一介の傭兵としてそこに立たせよ」
「はっ」
 数名の近習が走り寄った。
「アルドゥイン殿、お立ちを」
 立ったアルドゥインの肩からマントを取り、上着を脱がせる。アルドゥインは一言の抗議も抵抗も見せなかった。彼は下に着ていた木綿のシャツとズボンだけになり、寒さに耐えてじっと立っていた。
「よかろう」
 イェラインは満足げに頷いた。
「では、アルドゥインの服すべき刑と処遇を申し渡す。一同、よく承れ」
 イェラインは、さらに凛と声を張った。
「メビウスもと千騎長アスキアのアルドゥインなる者、そのいたしよう不届き千万につき、ここにメビウス紅玉騎士団団長、紅玉将軍に任じ、罰として騎士団一万の指揮統率を命じる。これはメビウス皇帝イェライン・メビウスの名において決定せしことである!」
 一瞬、虚をつかれて人々はぽかんとした。しばらくは口をあき、平伏するのも忘れて目を見交わしたまま、先の言葉を反芻する。当のアルドゥインもまた黒曜石の瞳を大きく見開き、皇帝を呆然と見つめたままであった。
 そして、やにわに人々は驚きの声を上げた。日頃落ち着き払い、威厳に満ちているはずの諸公諸将の口から、叫びがほとばしり出た。ほとんど、誰が何を言っているのかもわからずわめいていた。
 アルドゥインはイェラインの足元に駆け寄り、膝をついた。
「陛――陛下、それではあまりに……」
「余の命すべてに服すると言うたその舌の根も乾かぬうちに、もう反するというのか」
「なにゆえ、さような」
「では黙っておれ」
 イェラインは言い、宝剣をたかだかと上げた。まだどよめきも冷めやらぬ人々は、はっと口をつぐんだ。その中で、イェラインは宝剣の刃にくちづけ、それから跪いたアルドゥインの肩を剣先で軽く叩いた。
「立つがよい、紅玉将軍アルドゥイン」
 厳かに言い、剣の柄を持ち替えてアルドゥインに向ける。
「この剣は今日の記念にそなたに授ける。以後この剣によりていっそう、わがために忠義を尽くしくれよ」
「は――はッ」
 珍しくも、アルドゥインは何を言ってよいのやらわからぬようであった。剣をおしいただいて鞘に収め、捧げ持ったきり、口も利けない。
「ロサ、例のものをここへ」
「はっ」
 近習が、盆の上にのせた新しいマント、上衣、肩章などを運んできた。アルドゥインに臙脂色の上着を着せ、その喉元に白いスカーフを巻いて垂らし、さらに肩には金色の肩章をつけ、右肩には紅玉の房飾りがついた飾緒を垂らした。仕上げに真っ白い手袋をはめさせた。あきらかにそれは、あらかじめアルドゥインの身長と体格に合わせて作られたものであった。
 さらに肩から、金糸で縁をかがった将軍の正装の真紅のマントがかけられ、勝利を示す神聖古代文字(エロール)を浮き出させた金のとめがねで留めつけられた。腰には今下賜されたばかりの宝剣が吊るされ、出来上がりであった。
 近習たちは一礼して盆を持って引き下がり、イェラインは目を細めて、満足げに新たに生まれた将軍の姿を眺めた。
 アルドゥインはまだ、何を言ってよいのか言葉が見つからぬようだった。彼の仕上がりにすっかり満足したように、イェラインは破顔した。
「実に見事だ。まこと一幅の絵だな」
「陛下――まるで、夢を見ているようで……」
「よいか、これは罰なのだ。そのつもりでしっかりと騎士団を束ね、メビウスの守りを固めるのだぞ。さらに、処罰を申し渡す」
 イェラインはいたずらをたくらんでいるやんちゃ小僧のようににやにや笑いをしながら言った。
「明夜、黄金の間において、そなたの凱旋とこのたびの対ペルジア戦役の大勝利、そしてそなたの紅玉将軍就任の祝賀の宴をもよおすつもりで、すでに準備万端整っておる。いやでもそなたには出席し、さらし者となってもらおう。それが、そなたへの処罰だ。よいな、アスキアの――いや、オルテアのアルドゥイン!」
 言いおえるなり、イェラインの口から、ようやく腹の底から心の癒え、底の底まですっきりしたとでも言いたげな笑いがほとばしった。その哄笑につられたように、広間は清々とした笑いの渦に包まれた。
「――さて、と」
 ようやく笑いおさめ、まだ目はなおもほれぼれとアルドゥインの姿にやりながら、イェラインは居住まいを正した。
「もう一つ、私はそなたに申すべきことがあるぞ」
「は――」
「まあ、そうかしこまらずともよい。アルドゥイン、そなた亡きリュシアンから預かりおきしものがあるだろう」
「は」
「それを出せ」
 アルドゥインはびっくりしたようだった。だが素直にシャツのポケットから、小さな巻物を取り出し、イェラインに差し出した。イェラインはその封蝋を破り、広げて、さっと目を走らせた。莞爾とした笑みがそのおもてに浮かぶ。
「そなたほどの大馬鹿者はまだ見たことがない、アルドゥイン」
 やがて放たれた言葉は意外なものだった。
「セレヌス、ロランド、これを」
「は」
 二人は進み出て、その巻物を受け取り、額を集めて覗き込む。
「これは……」
「故ディオン将軍の命令書でございますね。――千騎長アルドゥインは、われリュシアン・ド・ディオンの命令により、一時メビウス軍籍を離脱、ペルジアの公都イズラルへおもむき、タギナエ侵攻の真意を探り、必要とあればその根を断つこと――との。そしてディオン殿の署名と印」
「ディオン候は病躯をおしてオルテアに戻り、私のもとに内密に参上し、そして事の次第を全て語ってくれた」
 今は亡き老将軍を偲ぶように、イェラインは瞑想的な声で言った。
「父の代より皇家に仕えくれし彼なれば、わが真意はたなごころをさすように読み取っていた。実のところ私にはいま現在、対ペルジアの長引く総力戦などに持ち込む気はまったく無いゆえ、メビウスは全く関係ないという立場で決着をつけてくれることが望ましく、しかもそれが最終的にはメビウスとペルジアとの外交的な決着に結び付けてくれることが望ましかった。アルドゥイン、ディオン候は言ったよ。あの男ならばその全てをみごと果たすであろう、ただ一つを除いては――と」
「……」
「そのただ一つとは、すなわちそなたがメビウスに再び帰らぬかも知れぬ、ということだ。自ら皇帝に背いた罪を引き受け、そのままペルジアからメビウスに戻らず、いずこかへ去ってゆくかもしれぬ――あるいは、命を以て罪を償うとて自刃するやもしれぬ、それがとても気掛かりだ、と。尤も、私は彼一人ならばさもあろうが、五千の兵をあずかる身でそのような気遣いは無用だと言ったのだがな。――ともあれディオン候はそのような時のためにこの命令書を作り、一通はアルドゥインに持たせておいた、と、全く同じ命令書――すべてはディオン候の命令と責任においてなされたものであるという証文を私によこしたのだ。このとおり」
 イェラインは胸元から全く同じ書き物を取り出し、人々の方に広げてみせ、またしまった。
「そしてすでに死の床にある彼は、私の手を握って言ったよ。ただ一つ心にかかるのは、アルドゥインのやつめはあれでけっこう強情、我慢の奴、全てをみずから引き受けるのはよいが、これをあえて陛下に差し出し、申し開きするを潔しとせぬこともあるかもしれませぬ。これの中身は申しておりませんが、あれほどの切れ者ならばむろん判らぬはずとてなし――この書き付けを一つの手立てに、彼が我が跡目にふさわしい者かどうか、判じてくださいませ、と」
「……」
「タギナエ国境を越えるなり使者を立て、恭順の意を表しつつこの書き付けを届けさせて許しを請うのなら、さようの心がけの者はこのさき我が身に代わる国家の柱石と頼むに足らぬ、我が身がかわいいごく普通の人間。オルテアに戻り、罪に問われ、陛下のお怒りを買い、申し開きせずば罪に落とされるぎりぎりのところでこれを差し出すのならばなかなかの大丈夫、万が一最後の最後まで出さずに、そのようなものを見たことも聞いたことも無いような顔をしているのならば、――よく聞けよ、アルドゥイン。それはただの大馬鹿者、強情者。陛下のお手でとくと、人の情に甘え、身を委ねるもまた一つの処世、人を動かす術であると、お教えをたまわりますよう――ディオン候は遺言にそう言い残し、そなたには、もはやこの世では会えぬが、陛下とメビウスをこの身に代わりお守りせよと、そう言ってから三日後――そなたが戻る少し前に、全ての心残りを取り去ったかのように安らかに死んだのだ」
「将軍――」
 アルドゥインの目から、抑えもやらぬ涙が零れた。
「ディオン候はこうも言っていた。そなたが自分に命を預けていったからには、そなたはロランド同様に血はつながらねど我が息子よ、と」
「その――ように……」
「アルドゥイン、お前は幸せな男だぞ」
 イェラインは目頭に浮かんだ熱いものをぐいと振り払った。
「そのディオン候の志を無にすることは、私が許さぬ。以後、ディオン候の息子、その後を継ぐ紅玉将軍として、その名を辱め、その志を蔑ろにするがごとき振る舞いはきっと慎めよ。――そなたはディオン候の公邸を住まいとなし、紅玉騎士団を統括せよ。いずれ十日ののちに、余も臨席の上、紅玉騎士団の閲兵式を行おう。それまでに、しかるべく騎士団を再編成し、もっとも動かしやすいように訓練しておくがよい。もしも編成に不備あらば改めて傭兵を募るも自由だぞ。紅玉騎士団は五大騎士団の長にしてこのメビウスの武の要、かまえて新将軍の名におくれをとらせまいぞ」
「はっ――」
「よかろう。長旅で、さぞ疲れておろう。まずは、ゆるりと休むがよい。そして、おいおいに遠征のようすなど、私に聞かせよ。紅玉将軍となるからには、いつ何どきなりとも皇帝への謁見は自由だぞ」
「はい――」
 アルドゥインはかしこまり、人々のざわめきが再びもりあがりつつある中で深々と騎士の礼をとった。
「四ヶ月――」
 彼は目を閉じ、小さな、誰にも聞こえぬような声で囁くように呟いた。
(誰一人知る人も無く、アインデッドや、サライたちとオルテアにたどり着いたのは、たった四ヶ月前なのか――。俺はどれほどの長い間、おのが道をみいだすこともなく、剣の主もないままにさまよっていたのだろう。だが、今は判る。俺の道はヤナスのしろしめすまま、常にこのメビウスに向かっていたのだと――)
 それから、わずかに四ヶ月あまり。つねの人には一年といわず、数年にも匹敵するほどの変遷を経て、今アルドゥインはここにいた。彼の胸には、名状しがたい思いがさまざまに去来していた。

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