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 ソレールにせがまれての立ち合いの後で晩餐という運びになった。先にヴラドが言ったように、アルドゥイン一人だけでの罪人としての食事ではなく、友人か賓客を迎える盛大な宴といっても過言ではないものだった。
 晩餐の席にはハヴェッド伯の親戚一同が集い、たいへんに賑やかなものだった。むろん主人はハヴェッド伯ヴラド・ラ・ツーリエロ。続くのは前伯爵ウィンデル老人、ヴラドの夫人クレイア、二人の娘ラトリシア姫とリーン姫、末っ子の長男ヴラディスラフ。そしてシュネー家の面々――ソレールの父カイル・デ・シュネー、ヴラドの妹でもあるパルテロット夫人、それから忘れてはならないソレール。
 彼らにとって、アルドゥインはソレールの好奇心と好意でハヴェッドにやってきたまれびとであった。ハヴェッド伯の息子、ヴラディスラフはまだ十一歳の少年で、その幼さもあってか、初めて見る明らかに肌色の違う外国人――アルドゥインにとても興味を持っているようであった。
 ヴラディスラフはおとなしく、大人たちの会話にあまり口を挟まないようにしていたが、最初顔を合わせた時には、灰色の瞳をまん丸にしてアルドゥインを見つめていた。そしてアルドゥインが時折話をふってやると、嬉しそうに答えるのだった。
 二人の姫、二十二歳のラトリシアと十六歳のリーンは、これは弟ほどあからさまな好奇の目を注ぐことはなかったが、ときどきアルドゥインと目が合うと、はにかんだような、素朴で可愛らしい微笑みを浮かべるのだった。
 メビウスの剛毅なひとびとの雰囲気は、アルドゥインをとても和ませた。それは、アルドゥインにとって久々に心和む、あたたかな家族の団欒に触れた夜でもあった。ペルジア宮廷で食した料理のほうがむろんずっと金がかかっていただろうし、量もあっただろうが、そこにはなかった人と人とのあたたかみが、レウス城の食堂には満ちていた。
「先程のソレールとの立会いは見事だったな。私は武官ではないが、その凄さというものぐらいは判ったよ。じっさい、あれは歴史に残るべき試合だったな」
 ヴラドはしみじみと言いながらワインのグラスを傾けた。
「義兄上(あにうえ)のおっしゃるとおりだ。我々だけで見ていたのは勿体ないくらいだったよ。アルドゥイン殿の素晴らしい剣技を見られたのは、ひとえに皇帝陛下のお怒りのおかげと申せよう。エール・イェライン」
 カイルがそれに答えて悪戯っぽく笑い、ちょっとグラスを差し上げた。彼はハヴェッド騎士団八千を預かる騎士団長である。ソレールと同じ白っぽい金髪で、背もずいぶん高かった。パルテロット夫人も兄に似て背が高かったので、ソレールの長身は鍛えたこともあるだろうが、大半はこの両親の賜物であったのだろう。
「して、アルドゥイン殿、我が息子の腕前はいかがなものかな」
「俺ごときが申し上げるのは僭越ながら、ソレール殿は素晴らしい使い手です。この若さであれほど剣を使えるとなると、いずれ中原の英雄となられるでしょう」
「その若造の剣を、三合で跳ね飛ばしたのは、どこの誰です」
 アルドゥインの言葉に、ソレールは笑った。
「この若さでとおっしゃるが、僕とあなたでは四つしか違わないはずですよ」
「あら、お前があと四年経っても、アルドゥイン殿のように大人らしく振る舞えるものかしらね」
「母上、それはひどい」
 どっと一座が笑う。みな大いに食べ、かつ飲んだ。アルドゥインの疲れや、咎めを受けて処分を待つ身であるということを今だけは忘れてもらおうというのか、誰一人としてペルジアの話を持ち出すものはいなかった。その心遣いはとてもありがたいものだった。何しろ、食事中には思い出したくないようなことも多々あったので。
 あの三公女――とくにリールにさんざん悩まされたペルジアから、その余韻も消えやらぬままに街道をひた走って帰還してきたので、久々に見る「普通の」姫君――ラトリシアとリーンは、むろんもともととても可愛らしい姫君たちであったが、それこそ天使のように美しく見えたのだった。
 それを思うと、残してきた部下たちのことが心に掛かり、アルドゥインの胸は時折ちくりと疼くように痛んだ。しかしそれとても薄らぐほどに、この日の夜は心楽しいものであった。
 ヴラドとカイル、ソレールはもっぱら武術や馬についての話をし、夫人らと娘たち、ヴラディスラフは沿海州の話やメビウスに来るまでの冒険譚などを話してくれるようにせがんだ。
 食後のデザートに供されたハランを、クレイア夫人とパルテロット夫人が手ずから人数分取り分けてくれた。
 ハランはくるみや松の実、はしばみなどの木の実を、蜂蜜で炒めたものを冷まして固めた料理というか、菓子のようなものである。それだけで食べてもねっとりと甘くて美味しいが、これをハヴェッド名物のバターをたっぷり使った麦の焼き菓子と一緒に食べるのがハヴェッド流であった。
「どういうわけか判りませんが――アルドゥイン殿、僕には、あなたこそメビウスの守護神である、という気がしてなりませんよ」
 さんざん飽食し、客用の居間に戻ってアルドゥインが一息ついているところへ、夜っぴて語り明かそうという構えで、強い火酒をたずさえてソレールがやってきた時、彼はしみじみと言った。
 言葉を交わしたのはこれがほとんど初めてであったのに、アルドゥインとソレールの間には夜が更けるまでに、またとない友情が――というよりはソレールのは子犬が懐くような好意だったが――育まれていた。
「あなたを初めて見た時から、実はずっと思っていたことなのです。陛下こそメビウスの守護神のはずなのに、あなたがいれば大丈夫だと――何と言うのでしょうね、幼子が父の背を頼りに思うような、そんな感じがするのです」
「将軍、将軍は俺を買いかぶっておられる。俺は何もしていないし――」
「なら、これからするんでしょう。保証しますよ。それに、買いかぶってなどいませんよ。やめてください、そんな敬語は。あなたのほうが年上なのだし――」
 ソレールは苦笑しながら、火酒のつぼをテーブルに置いて向かい合ったソファに腰を下ろした。焚き火の火がぱちぱちとはぜ、二人の横顔を赤く照らす。
「背も負けてしまいましたからね」
「まだ伸びますよ」
 アルドゥインが言うと、彼は首を振った。
「いえいえ。これ以上大きくなったら困ります。ただでさえあっちこっちぶつけるんですからね。ほら、今日も厩舎でぶつけてしまってこのとおりです。僕ときたら、馬よりも大きいらしい」
 ソレールは前髪をちょっと持ち上げて、角材の形にできているあざを見せた。よく頭をぶつけるのはアルドゥインにもいえたことだったので、二人は顔を見合わせて笑った。それからソレールはずっと聞きたくてうずうずしていたに違いない質問をぶつけた。
「ペルジアでの顛末をお聞かせ願えませんか。ペルジア宮廷には五年ほど前に伯父に連れられて一ヶ月ほど滞在したことがありますから、アルドゥイン殿のお感じになられたことは想像がつきますが――どうでしたか、あの三人の女悪魔たちは。きっとさらに美しくしとやかであったことでしょうね! あなたはずいぶん綺麗な方だし、そのように腕が立つとあっては、あれのどれかに見込まれて、ペルジア公女の婿がねに、などと言い出されはしませんでしたか?」
 アルドゥインに敬語で話されるのをソレールが妙に気にしているようなので、きっぱりと彼はやめてしまうことにした。
「そんなことも、全く無かったとは言えないな」
「何ですって! おお」
 ソレールは絶望的な声で言い、天に向かってヤナスの印を切って、ついでに魔除けの印も切った。
「それがあの恐ろしい長女でないことを祈りますよ! 下のはともかく人間ですが、あのバックスの姫ときては、あまりに人間離れしてます。あれを見た後には、かの沿海州の怪物、ルートヴィヒでさえ、ほっそりとスマートに見えることでしょうよ。一体、どれですか。我がラダマントスに言い寄るだなんてキュティアの罪を犯したやつは。――ははあ、リール公女ですね」
 芝居がかった口調で、ソレールは大げさに言ったが、ペルジア公女たちに関してはどれほど大げさだろうと大げさすぎるということはなかったので、アルドゥインは苦笑してしまった。
「まあ――」
「まさか受けはしなかったでしょうね」
「丁重にご辞退申し上げた」
「あの女カシウスがトティラ将軍の愛弟子なのは周知の事実ですが、剣のみか寝室での寝技も教授してもらったともっぱらの噂ですよ。――まあ、こんなことは我々には関係ないですがね」
 それから半時ほど、アルドゥインはペルジア遠征のあれこれを語り、もっぱらソレールは聞き役に徹した。彼はその若さのわりには、みずからも琥珀将軍を拝命し、伯父のハヴェッド伯が外交官的役割を持っていたこともあってか国際事情に通じていたし、双方共に知りたいこと、語りたいことには事欠かなかった。
 それに、何を言うにも二人はまだ若かったのだ――新たな友情が芽生え、しっかりとつなぎ合わされるまでにそれほど長い時はかからなかった。
「――ではトティラ将軍はずいぶん手ひどくやられたんですね」
 その話はことにソレールの興味を引いた。同じくアルドゥインに手合わせを願った身としても、また外交的な話としても、強い関心を持たざるを得なかったのである。
「これはなかなか、今後あとを引くでしょうね」
「だろう、と思う」
「戦士として挑まれたからには受けて立たざるを得なかったでしょうが――ペルジアは老いて半分死んだような国ですが、あえて他国が静観していたのは、ひとえにトティラがいたから――彼の勇名だけでなんとか保っていたようなもの。それに傷がついたのですからね。これでエトルリアがどう出るか。とはいえ、エトルリアもペルジアにかかずらっていられるようではなさそうですが」
「何か、あったのか」
「というほどのことじゃないですが、あなたが――紅玉騎士団がオルテアを離れてから、中原ではいろいろあったんですよ。ラトキアのシェハラザード公女がとうとうサン・タオの思い者になって、離宮に隔離幽閉されたのですが、それでラトキアで暴動騒ぎが起こりましてね。エトルリアはしばらくラトキアで手一杯でしょう。クラインでは、これはあまり我が国とは関係ありませんが、国外追放されていたサライ元右府将軍が突然呼び戻されて、なんとカーティス公に任命され、摂政になるという大抜擢があったんです」
「えっ」
 アルドゥインは思わず声を上げた。それも無理はなかった。彼の頭の中では、サライはアインデッドとともにどこかへ旅立ったはずだった。
「どうかしましたか」
「いや……そのサライ摂政公とは、縁あってメビウスまで一緒に来たんだ」
「なんと、まさにヤナスの奇しき縁というものですね。そのお話もいつか、聞かせてください」
 ソレールは素直に感心した。
「それはむろん、いつなりと。――そのサライ摂政公がクラインに戻った話だが――もう一人、いなかったか」
「いえ、僕はそんな話は聞いていませんが、誰か気にかかる方でも?」
「俺にはもう一人、旅を共にした友がいたんだ。その男とはオルテアで別れたが、その時にはサライと一緒に――むしろ、サライが彼と共に行く、と言っていたんだ。だが別れたんだな……」
「僕には詳しいことは判りませんが――そうですね、ヴェンド公が使節として皇女殿下に随行していらしたから、いつかお引き合わせしますよ。気になるのでしたら、お尋ねになるといい」
「かまわない――だいたい想像はつくから」
「そうですか。もしよければ、アルドゥイン殿。そのご友人の名を訊いてもよろしいでしょうか?」
「むろん。ティフィリスのアインデッド――みずからは《災いを呼ぶ男》と名乗っていた。血のような赤い髪に、きれいな緑の瞳をしていた。ティフィリス人にしては長身で、剣にもすぐれていた。輝くように誇り高く、高貴で、孤独で……。年は俺の一つ下だったが、まるで少年のようだった。ソレール殿、あなたぐらいに見えたよ。俺にとっては、傭兵になってから初めて得た親友と言ってもいいくらいの男だった。今は、どこでどうしているんだろう」
 限りなく懐かしい口調で、アルドゥインは友のおもかげを思い出していた。そんな彼の顔を見つめ、ソレールはちょっと首を傾げた。
「ティフィリスのアインデッド――」
「どうした」
「いえね、その方はアルドゥイン殿の親友で、もう一度会いたい方なのでしょう? もしも僕が会うことがあれば、そのことを伝えたいなと思って」
「それはヤナスの天命というもの、どうなるかは判らない」
 アルドゥインは軽く微笑み、それから何か思いを振り払うように言った。
「ディオン閣下はどうなさっている?」
「それをお話ししなければなりませんでしたね。メビウスに帰還して早々のあなたにこのようなことを告げるのは心苦しいのですが、いずれ知ることです。――ディオン殿は亡くなられました」
「そうか――閣下はみまかられたのか……」
「あなたがメビウスに帰還される少し前でしたか。タギナエで病を得られてオルテアに戻ってきて、それからずっと床に伏せられていましたが、急に暖かくなったりしたのがかえって悪かったようです。見舞いにゆきましたが、体は病んでいてもお頭(つむり)のほうははっきりなさっていて、あなたのことをとても気にかけておられた」
「それは、いずれあらためて詣で申し上げるとして――惜しい方を亡くされたものだな。メビウスも」
 アルドゥインは感慨深く呟き、ため息をついた。

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