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 議長のワルターが審議には不干渉という言葉どおりに出席しないまま、翌日の議会は始まった。議会自体はコンリナス副議長がいるので問題なく続行できた。しかしコンリナスにしてもできれば避けたかったことだったらしく、気が重そうであった。
(貴殿、今日の議会には出席せぬようなことをおっしゃっていたはずだが)
(このような重大な審議に、出席せぬわけにはゆかぬでしょう)
 開会を目前を控え、議員たちが次々に入場し、席についている。隣同士や近くの者はひそひそと話し合う。普段の議会ならばとりとめのない世間話も飛び出るものだが、それは全て、今日審議されるくだんの議案についてであった。
(とはいえ、気が重くないと言えば嘘になりますな。ことによると、我々議員すべてが反逆罪に問われかねぬとなれば)
(そんなことにはならないだろうと思いますがね)
(アーバイエ候はお若いから、思い切ったことをなさる)
(噂をすれば……)
 シェレンが議場に入った瞬間、朝見に彼が姿を現したときとはまた別の緊張がその場の空気に走った。賛成派の議員には英雄として、反対派の目には反逆者として、そしてどちらにも心決めかねている者には面倒事を引き起こした厄介者としてか――見られていることを彼は意識していた。
 やがて議会開始の時間となった。彼の予想に反して、議員はワルターを除く全員が出席していた。反対派のエセル候も出てきていた。ドヴュリア公が昨日、言いたいことは議場で言うべきだと諭したのが効いたのかも知れない。
 芯からの親帝派である彼を説得できるかどうかは少々自信がないところだったが、浮動票ならば演説しだいで賛成に持ち込めるとシェレンは踏んでいた。
「ワルター・ルデュラン議長が欠席しておりますので、副議長の私が代理として審議を裁量いたしますが、まずはそれについて議院の承諾をいただきたい。承諾するという議員は起立を願います」
 がたがたと椅子の動く音がしばらく続き、全員が起立した。それを見届けて、コンリナスはふたたび着席するように言った。
「では、昨日シェレン・アルゲーディ議員が再提出した皇帝陛下への退位勧告案についての審議を始めたいと思います。発案者に対する質疑は」
 真っ先にクラディウスが手を挙げた。
「オウラリス議員、どうぞ」
 議長席と議員席の間に、演壇と質問席が設けられている。質問席のほうにクラディウスは立った。昨日怒鳴りまくったおかげか、声音も様子も落ち着いていた。自分が激昂しても何にもならぬのだし、ここは正当に論破すべきだと彼も気づいたのだろう。
「いかなる根拠によって、現聖帝陛下に退位勧告をなすものであるのか、まずはそれをはっきりとさせていただこう」
「アルゲーディ議員、質問に対する応答を」
「はい」
 シェレンは席を立ち、議長席の前に設けられた演壇に登った。議長席は扇形の中心にあり、演壇よりも二、三段高くなっていて、黒檀に美しい彫刻を施した目隠しを兼ねた大きな机が正面にあった。演壇の前には書見台が置かれており、それも同じような彫刻を施してある。
 書見台に書類を置いたが、シェレンはそれに一度目を落としただけで、あとは前を真っ直ぐに見つめて喋りはじめた。
「アルカンド聖大帝の書物にもあるように、支配者たるものは民を愛し、つねに真実を見極めるべきであると伝えられています。しかるにアレクサンデル四世陛下のこのたびに行状はこの大前提を無視し、甘言に耳を傾けられ、根拠もなくレウカディア殿下を謹慎とし、また撤回なさるなど、気まぐれに賞罰を執り行いたるところ、まことにもって君主にふさわしからざるべきものであります。よって帝位継承権法二十五条、聖帝がその位にふさわしからぬ行状を行いたる場合には議員の三分の二以上の多数、並びに十二選帝侯の全員一致の賛成を以て退位勧告をなしうる――にもとづきその退位を求めるものです」
 完璧とも言える答弁だったが、クラディウスは引き下がらなかった。
「しかし、突然退位勧告とは穏やかならぬ。まずは陛下をお諌め申し上げ、その上で陛下に行いを改めていただけぬ時、改めてもう一度審議すべきではないか」
 シェレンも負けてはいなかった。
「陛下をお諌め申し上げる機会は今までにも幾らもあったはずです。レウカディア殿下の謹慎につきましてもムラート内大臣は思いとどまられるように進言なさったところ、陛下は内大臣のお言葉を一蹴せられた。それ以前に陛下は確かな証拠もないままに殿下とウェルギリウス大導師を処断なさろうとしたのです。それでも、この審議を行うには充分ではないとお考えですか」
「うむ……」
 逆に切り返されて、クラディウスは答えに詰まってしまった。だが彼は何十年も議員を務めてきたベテランである。
「ウェルギリウス大導師の投獄、ルデュラン子爵の投獄についてはわしも了承しかねるところはある。しかしそれならば別の法手続き、証拠によって釈放を認めていただける。退位勧告をなすべき理由にはならぬ」
「無実の罪、取るに足らぬ罪で投獄されている者は二人だけではありません。仮に彼らを釈放していただいたとしても、同じことが二度と起こらぬとどうして言い切れましょう。その度に、釈放嘆願をなさろうというおつもりですか? 今はまだ投獄で済んでいるからよいものの、これが処刑につながらぬと言い切れるでしょうか?」
「それは陛下によくよくご説明申し上げ、思いとどまっていただくしかなかろう。それが十二選帝侯の務めというものだ」
「それでは何も変わりません」
 シェレンはきっぱりと言った。
「無実の者が投獄され、我々が助命嘆願する、その繰り返しに陥るばかりでしょう。それがいつまでも続くとは思いません。今ですらそうなのです。陛下は我々の言葉に耳を傾けてはくださらぬ」
「そんなことはない」
 今や、議場は二人の白熱した議論の場と化していた。議員たちは固唾を呑んで、シェレンとクラディウスのやり取りに耳をそばだて、どちらの意見に付くべきかと考えを巡らせている。
「議長」
 ふいに、ドヴュリア公が挙手して発言権を求めた。コンリナスはただちにそれを認め、質疑応答というよりは論戦を張っていた二人に少し待つように言った。
「かつてゼーアにそのような時代があったにしろ、クラインには他の何者の意見も受け入れず恣意的に政を行うような絶対君主が存在してこなかったことを、我々は誇りに思うべきだろう。しかし、それは聖帝お一人に権力を集中させず、我々議員が専制を行おうとする皇帝を諌めてきたためだ。今、アレクサンデル陛下は貴族らの諫言を聞き入れられず、心根の腐った魔道師に操られておられる。わしは皆に尋ねたい。それを諌めずして、議院の存在価値があろうか?」
 一瞬の沈黙の後、どこからか拍手が聞こえてきた。あっと言う間にそれは議場を包む破れんばかりの拍手となった。熱烈に拍手しているのには、若手の議員が多かった。クラディウスはあっけに取られて議場を見回した。彼くらいの歳の議員はまだ渋い顔をしてはいたが、あえて反論しようという者もなかった。
 聖帝の血筋が絶対神聖なものだという認識は彼らの中に根強いものの、君主としての皇帝を絶対視する向きは、特に若い貴族の中にはあまりなかった。また、滅多に――というよりは実際に行われたことなど一度もないが、聖帝が暴政を行うようになれば退位を勧告できることが法によって認められている、というのが彼らを勇気付けていた。
「静粛に!」
 コンリナスが木槌を叩いて静まらせた。
「質疑があるなら続行してください」
 今質問席に立っているクラディウス以外に、質疑をしようとする議員は出てこなかった。クラディウスも、何となく毒気を抜かれてしまったようにシェレンとコンリナスとを交互に見比べた。
 彼とても、アレクサンデルのこのところの振る舞いが君主らしからぬものであることは充分に承知していた。それでも、皇家に対する忠誠心が優先するかどうかの瀬戸際のところであった。
「いや――これで、質問を終わらせていただく」
 やがてクラディウスは決断し、質問席を離れて自分の席に戻った。
「質疑応答を終わることにしますが、よろしいですか」
 議場を見回し、他に質問者がいないことを確かめてから、シェレンも着席するようにコンリナスが告げた。全ての議員がまた席に着いたところで、コンリナスは緊張したように咳払いを一つした。
「では、議案についての質疑応答はこれにて終了し、今から採決といたします」
 採決は議員一人ずつに与えられた票で行う。それを議長席隣に設けられた否決か可決かどちらかの箱に投票し、その総計によって可否が決まるのである。議長席から向かって右側の議員から順番に投票を行うために前に出て行く。総勢百六十三名の議員すべてが投票を終えるまでには時間がかかった。
 ささやき交わす声や靴音、椅子を動かす音が一斉に湧き起こり、議員の列がえんえんと続くように見えた。半テルほどかかって全ての投票が終わり、投票箱わきに席を持つ速記官が二人、隣の室で開票を行う。票は赤く塗られた小さな札で、十ずつ並べられるようにしたケースに移し変えられ、それで得票数を計る。
 得票計算の間も、人々はざわざわとしている。しばらくして、速記官がケースを手にして戻ってきた。彼らはコンリナスにそれを手渡し、席に戻った。
「可否決が決定いたしました。静粛に願います」
 その一言でしんと議場が静まり返る。空気が、今までとは違った緊張をはらんだものになる。
「反対五〇、賛成一一三。成立です」
 歓声も何も起こらない。自らの手で選び取った結果であったが、声を上げることは不謹慎に思えたのだろう。静かな中、コンリナスの声だけが響く。
「帝位継承権法二十五条にもとづき、本議案を十二選帝侯会議にかけるものといたします。また、これ以上の審議すべき議案はありません。よって本日はこれにて閉会とします。全員、起立」
 がたがたとまた椅子が鳴る。コンリナスの号令で一礼して、議員たちは出て行く。
 十二選帝侯たちは、別個に設けられた小会議室に向かった。すなわちアーバイエ候シェレンを筆頭にアルテア候ブロア、ダネイン候アリオン、エセル候クラディウス、フーリエ候イヴァン、ハルベスト候ケント、アルター候イークレム、ラテラン候フリディガ、パヴィア候レヴィ、ハデリ候ブライセ、ランドバルゴ候フィヒテ、ヴァルスト候カイエムの十二人である。
 選帝侯会議の議長、進行役は議院の議長が兼任することになっており、コンリナスは引き続いてワルターの代理を務めた。上座には議長が座り、選帝侯は揃って円卓に着いた。シェレンにとって初めての選帝侯会議であった。
「それでは、会議を始めます。コンリナス殿、よろしくお願いいたします」
 シェレンは会釈し、少しかたい声で言った。この会議で全員一致とならなければ、せっかく議院で可決された議案も破棄となる。それだけは絶対に避けたかった。最初に、ハルベスト候ケント・レスティエが口を開いた。
「シェレン殿にお聞きしたい」
「何でしょうか」
 ケントと目を合わせて、シェレンは答えた。彼は三十をいくらか過ぎたくらいで、選帝侯の中では若いほうに属する。十近く年上とはいえ、前ハルベスト侯爵が引退するのが遅かったため、選帝侯としての経験はシェレンとそれほど変わらない。
「この議案が我々によって可決された場合、それは事実上の革命となるということを、どれほどご承知か」
「どれほど、と仰られても困りますが。結果としてそうならざるを得なくなることも、考えには入れております」
「アレクサンデル陛下を退位させ、レウカディア殿下を擁立するにしても、陛下が肯じぬことは充分に考えられよう。そうなればこの国は真っ二つに分かれ、内乱となるだろう。その時はどうするおつもりか」
 シェレンは一度目を伏せ、それからケントをもう一度まっすぐに見つめた。
「革命と申せばその通りでしょう。もしも陛下が譲位なさらず、飽くまで帝位を退かぬというのであれば、武力のぶつかりあいが起こらぬとも言い切れません。内乱などはできれば起こしたくない。しかし何かを変えるには痛みを伴います。それを恐れていてはならぬと聖大帝アルカンドも記しております。私は、どのようなものであれ痛みをいたずらに恐れぬ人間でありたい」
「たとえ反逆の烙印を捺されるとしても?」
 たたみかけるように、ケントが尋ねた。シェレンは挑み返すように答えた。
「反逆者と呼ばれることを恐れはしません。勝つにしても負けるにしても、どちらが正しかったかは、歴史が証立ててくれるでしょう」
「覚悟はできておられるようだ」
 ケントはうすく微笑んだ。
「十二選帝侯の意見は常に一致しなければならぬという法はない。しかし、あなたがそうまで己の信ずる道をゆくというのならば私はあえて反対しようとはすまい。して、皆様はいかがか?」
 ケントと共に、シェレンは一同を見回した。彼に小さく頷きかけて見せたダネイン候アリオン・カイキアスは、最初から反対する意志は無いようだった。ケントの隣に座っていたアルター候イークレム・スハイリが苦笑めいた笑みを漏らした。
「やれやれ、若い者の意見には驚かされるな」
 そういう彼は四十八であった。若くはないが、この中では年長と言うわけでもない。誰もそれ以上何も言わぬのを見て取って、コンリナスが声をかけた。
「採決をとっても宜しいでしょうか?」
「私はかまいません」
 答えたのはケントだった。それに、全員が頷く。
「お願いします」
 シェレンがもう一度頭を下げた。
「では、賛成なら起立を、反対ならば着席のままで。どうぞ」
 十二人が立ち上がったのは、ほとんど同時だった。目を閉じていたシェレンは、立ち上がる音が止んでから目を開けて驚いた。最後まで渋るかと思われたクラディウスが遅れもなく立ち上がっていた。
「可決と言うことで、宜しいですね」
 コンリナスが最終確認をとる。彼の声は緊張か、それとも恐れのためか、やや震えているようだった。十二人が異議のないことを伝え、着席した。
「では、アレクサンデル四世陛下に退位勧告をなすことが正式に決定しました。勧告書の作成委員は十二選帝侯とし、引き続き作成会議に入りますが、異議は」
「ありません」
 何人かが答えた。自ら提唱したことであり、自らの意思で決めたことであったのに、いざ決まってしまうと、恐怖にも似たものが心にひたひたと押し寄せてくるのに、シェレンは気づいた。
 反逆者と呼ばれるかもしれないことが恐ろしいのではない。それは恐らく、生まれて初めて経験する体制の変革――それを己の手で成し遂げようとしているのだという晴れがましさと一抹の不安、そんなものが交じり合ったものなのだと、彼は思った。

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