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 議会で、貴族たちが状況打破のための動きを始めた頃、魔道師の塔でも動きがあった。イスーンに反抗するだろうと思われる魔道師たちの中でも力のある者や、主だった者には表立ってそれとは告げられないが、イスーン側の魔道師が監視についている。そんな中で彼らは集会を開き、計画を練っていた。
「ナエヴィウス師、今日は奥様はいらっしゃらないのですか」
 彼を呼び止めたのは、ラーダ夫妻にそれとなく――そのつもりであっても、監視されている当人たちにはわかっていたが――監視をくれている魔道師だった。ナエヴィウスはつとめて笑顔で答えた。
「シャルラは……あれだよ」
「あれ、とは?」
 察しの悪さに苛立ちながら、ナエヴィウスは低く言った。
「月のものの障りで来られぬのだ」
「ああ」
 相手は納得したように頷いた。神殿とは違い、魔道師は女性の月の物をべつだん穢れたものと見なしているわけではないが、その期間は力が落ちたり、逆に稀ではあるが強まったりすることが知られている。そうしたことから、女性魔道師は期間中は出歩かぬようにしている。
 魔道師の塔に行かなくても怪しまれぬ一番いい理由であり、今回のシャルラの場合それは嘘であった。今朝の朝早く、遠話ができるまでに近づいたノカールから今日中にクラインに戻れると連絡があった。魔道師の塔に現れるわけにはゆかぬ彼のために、シャルラが一日自宅待機ということに決まったのである。
 ノカールの帰還を待って、すべての計画が動き出す予定であった。それまでは皆いつもどおり、逆らうつもりなど毛頭ないのだという顔で過ごさねばならなかった。宮廷魔道士の任を解かれたナエヴィウスは、もともと兼任していた薬学研究の部門の専任になっていたので、そのまま研究室に入った。
 どこの国でも女魔道師の数は少なかったから、そうして休んでいる女性たちの数も全体から見れば少なかったが、女性だけの数として考えればやはり不自然なほどの多さだったことは間違いない。
 しかし、クライン魔道師ギルドに所属しているたった五人の女魔道師のうち、三人が月の障りを理由に魔道師の塔に出てきていないことを不思議に思うものはいなかった。いたとしても、それが嘘か真か確かめる術はなかったのであるし、大抵の男たちが仲間の女性の周期を把握しているはずもなかった。月に一度そういうことがある、という、その程度の認識でしかなかった。その無関心さが今回は有利に働いたのであるから、彼らの無理解もあながち捨てたものではなかった。
 ウェルギリウスの釈放とイスーンの転覆を求める同志である女性魔道師達はシャルラのもとに集っていた。女性は一段低く見られていたこともあって、彼女らが一人で行動している分には、それがよほど力か地位のある魔道師でもないかぎり、監視の目は緩いか、または全く関心が払われていなかった。
 シャルラには彼女自身がレウカディアに告げたように二人の監視がついていたのであるが、彼女の得意とするところはめくらましと結界、つまるところ隠密行動であり、監視の目をごまかすことなどたやすいことであった。シャルラは自分に対して敵意を持つものの魔道的干渉を防ぐ結界を張り、シャルラの結界の上に、同僚のアウグスタが二重の結界を張った。彼女が得意とするのは、そこに結界があるとは全く感知させないほどみごとに気配を隠して結界を張ることだった。
「これで大丈夫よ」
 アウグスタが頷きかけた。そして、くすくすと笑った。
「いちばん楽なのは、監視を消してしまうことなんでしょうけどね」
「あなたも私も、攻撃魔道は不得手でしょう」
「ええ、判っているわ。こっそり隠れて何かをするにはうってつけの力ばかり強いってこともね」
 シャルラとアウグスタがそうして話している間に、もう一人の女魔道師が入ってきた。シャルラとアウグスタは既婚で子供もいるが、二人よりはまだ若く、二十代なかばほどと見えた。しかし三人に共通していたのは、体をすっぽり覆う黒い魔道師のマントと飾り気のなさであった。
「ドムナ・シャルラ、今の見張りはラウフだけです。ここから百バールほどの所にいるようです」
「ありがとう、リウィア」
 シャルラもそうであったが、アウグスタとリウィアも結界や魔道察知の能力に長けていた。ノカールがイスーン側に知られることなく無事にカーティスに入り、こちらにレウカディアの親書を渡すことができるように、その援護をするのである。
 ノカールは敵方の結界に触れて察知される危険を冒して《閉じた空間》を使うことはせず、カーティスから程近い場所まで行ってから、徒歩で入るとのことだった。手に入れた親書はラーダ邸で受け渡すと決まっているが、それをいかに勘付かれずに行えるかというところに、成否がかかっていた。
「アナトはどこにいるか判る? リウィア」
 アウグスタが尋ね、リウィアはよどみなく答えた。
「魔道師の塔にいます。ドムナ・シャルラが自宅にいるのなら一人で足りると考えているのだと思います」
「でしょうね。手間が半分になってくれてよかったわ」
 シャルラはため息をついた。
「ノカールの気配はまだ判らないわね」
「はい。区内に入れば判ると思うのですが」
 少しすまなさそうにリウィアが言った。中級魔道師の彼女では、それくらいの範囲が精一杯だった。
「察知したら、すぐにお知らせします」
「ええ、頼むわ。――気が抜けないわね」
「まだまだ、これからもっと抜けなくなるわよ」
 アウグスタが笑った。ノカールがカーティスに入り、彼女らの所に到着するまでは、まだ間があるようだった。結界や気配に気を配りつつ、三人の女性は合間にお茶をたしなんだり、軽い食事を取ったりと、なかなか待ち時間を楽しんでいた。
 昼を少し過ぎた頃、リウィアがはっと気がついたように顔を上げた。
「ノカール殿の気配を感じます。乱れもありません」
「良かった。思ったより早かったわ」
 リウィアが声を上げたので思わず腰を浮かせたシャルラは、それでもノカールが到着するまではまだかかると気づいてもう一度腰を下ろした。結界に緩みがないか確かめるために意識を集中し、誓句を呟いた。アウグスタも同じように結界を張りなおす。
 ノカールがひっそりとラーダ邸の扉を叩いたのは、それから半テルほど経ってからのことだった。シャルラは急いで玄関に出ていった。
「さあ、入って」
「お邪魔いたします」
 礼儀正しく彼は言い、するりと扉の間に身を滑り込ませた。もしその現場を見ている者がいたとしても、シャルラのめくらましで「扉は一度も開いていない」としか思えなかっただろう。
 居間に入ると、シャルラはさっそく尋ねた。
「皇女殿下の親書は」
「ここに」
 ノカールは懐から、丁寧に油紙の袋で包んだ書状を取り出し、シャルラに示した。
「それと、この親書が皇女殿下から送られたものだということを証立てる証拠として、その旨を記したイェライン皇帝の書状を頂いております。ティリュス導師に取り計らっていただきました」
「ティリュスが」
「はい」
 シャルラは瞠目した。メビウス魔道師ギルドの導師ティリュスは女性である。そして、シャルラとは魔道師の塔で共に学んだ学友であった。彼女のほうが実力があり、世界初の女導師となったのであるが、友情は変わらない。事情を知って、親書だけでは心もとないだろうと気を利かせてくれたのだ。
 メビウス皇帝からという書状の封は切らず、シャルラはレウカディアの親書だけその内容を確かめた。たしかにレウカディアの筆跡で書かれており、署名も間違いない。用紙も皇家だけが使う、クラインの紋章である「星と翼ある竜」を透かし模様に浮き出させたものである。
「ご苦労さまでした。ほんとうによくやってくれたわ、ノカール」
 シャルラは親書を畳んで、もとのように袋にしまった。労いの言葉をかけられ、ノカールは照れたようにちょっと俯いた。手に入れた親書をミーヒャムまで届ける役目はシャルラに任されている。
「これでひとまず第一段階は終わったというところね」
 アウグスタが肩の力を抜いて言った。ノカールの仕事は無事に親書を持ち帰るということで、それが済んだら速やかに自宅なり塔に戻ったほうが安全だった。リウィアも、ノカールが戻るのを察知するのが仕事であったから同じことが言えた。
「それでは、私は失礼いたします」
「私も失礼します。成功を祈ります。ドムナ・シャルラ」
 ノカールとリウィアは先に《閉じた空間》を使ってそれぞれの自宅に戻っていった。シャルラとアウグスタは、これからミーヒャムとの接触があるので、まだ結界を張り続けていなければならなかった。
「結界を少し強くしておくわね」
「ええ。頼むわ、アウグスタ」
 彼女はしっかりと友人の目を見て頷いた。同時に二つ以上の術を使うことはそれほど難しいことではないが、ずっと集中していたので、かすかな疲労を感じていた。ミーヒャムに遠話で連絡をつけなければならず、そちらにも意識を集中させなければならないので、結界への力を少し緩めた。
 椅子に座って楽な姿勢をとると、彼女は目を閉じて再び意識を集中させた。ほどなく、ミーヒャムの声ならぬ声が頭の中に直接聞こえてきた。
(シャルラ・ラーダだな。ということは、ノカールが戻ってきたか)
(はい。今私の手元に親書がございます。それと、レウカディア殿下の親書であることを証立てるイェライン皇帝の書状があります。ティリュス導師がはからってくれたとのことです)
(ほう)
 思わず、といったような思考が漏れ聞こえた。
(それは気を利かせてくれたものだな)
(そちらではどうなっていますか)
(イスーンのことか。うむ、何やら部屋にこもってやっておる。厳重に警備させているところから見てにせの親書作りではないかと思うが、何しろ私には監視が多くてな。盗み見ることもかなわぬ)
 少し間が開いたが、ややあってミーヒャムは続けた。
(しかし突破できぬ人数ではない)
(私がお届けに参りましょうか)
(いや、それは危険だ。私が行こう。今からでも構わぬかな)
(はい)
(ではな)
 遠話が途切れ、シャルラは目を開けた。アウグスタに頷きかける。
「今からこちらに導師がいらっしゃるわ」
 その言葉が終わるか終わらないかという所で、《閉じた空間》お馴染みのもやもやとした黒い塊が空中に現れ、みるみるうちにミーヒャムの姿をそこに出現させた。十人ではきかぬくらいの監視がついているはずなのに、その登場はあまりにも普通であった。
「これが、親書と書状です。どうぞお預かりください」
 余計なことはいっさい言わず、シャルラは袋を差し出した。ミーヒャムも、判った、とだけ呟いて受け取り、マントの奥に袋を仕舞い込んだ。
「礼を失するが、許してくれい。あまり余裕がないものでな」
「判っております」
 お互いに一礼しただけで、ミーヒャムは再び《閉じた空間》に消えていった。それを確認してから、アウグスタとシャルラは同時に結界を解いた結界を張っていたことを勘付かせないように、慎重に行わなければならなかった。彼女たちにできることが全て終わってしまえば、二人が一緒にいると見張りに知れても大した事はない。
「待つだけというのも、なかなか歯がゆいわね」
 アウグスタは疲れたような、薄い微笑みを浮かべた。すべての準備は整った。だが、多くの監視がついている最中に皇帝のもとへ届けにゆくのはさすがに危険すぎると判断して、ミーヒャムは実行を明日の朝見時と決めた。それには誰も異存を唱えなかった。ミーヒャムに任せておけば上手くいくに違いないという漠然とした安心感が魔道師たちのなかに広がっていた。
 声には出されぬがひしひしと感じられる期待を、ミーヒャムは重く受け止め、そこには少なからぬ重圧もあったが、それを表にあらわしたりはしなかった。その期待に応えられるという自信が彼にはあった。また、ウェルギリウスを慕う気持ちは彼にしても下の部下たちと同じだったのだ。
 議会では今や十二選帝侯らによって、アレクサンデル四世に対する退位勧告と、第二皇女レウカディアを新帝に擁立するための文書の準備が進められていた。貴族たちの動きは魔道師たちの与り知らぬところにあり、同じように魔道師たちの動きを貴族たちは知らない。
 ナカーリアの月一旬、赤の三日はそのようにして過ぎていったのである。

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