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                                 *



「レウカディア様が終生謹慎に?」
「お兄様、無理をなさらないで」
 バーネットは寝台に起き上がろうとして、傷の痛みに呻きながら体を戻した。フレデグントが甲斐甲斐しく毛布を掛けなおしてやる。
「それは本当ですか」
「私がこんなくだらぬ嘘など言うものか」
 ワルターが頷くのを見て、バーネットは呆れたようにため息をついて目を閉じた。そろそろ、自分がいては二人の会話の邪魔になるだろうと見て取って、フレデグントが部屋を出ていった。
 いつもより少し遅く帰宅したワルターがバーネットに最初に伝えたのは、今朝の一幕――レウカディアが謀叛の疑いをかけられて双子宮に終生謹慎の処分を受けたこと、そして彼女に加担したとしてウェルギリウス大導師が位を剥奪された上にドヴュリア塔に収監されたこと、であった。
「イスーンとか言いましたか、新しい大導師に任命されたというのは」
「そうだ」
 初級から導師までの位は、それぞれに必須とされる術を習得し、試験に合格することによって得られるものであるが、大導師のみはクライン聖帝が導師の候補者の中から選抜して任命するものだった。たいていは本人が辞意を表明するか、死亡した時に後継者が選ばれ、魔道師ギルドからの意向を受けて任命するので、今回のように皇帝ただ一人の意思によって首がすげ代わるのはきわめて稀な例であった。
「おそらくすべてイスーンの陰謀でしょう。自分が大導師なり、ギルドと魔道師の塔を手中におさめるための」
「だろうな。レウカディア殿下のことはその布石に過ぎぬのだろう。殿下はいいように利用されたというわけだ」
 ワルターは苦々しそうに呟いた。
「しかしいずれ陛下が、レウカディア殿下の親書を手に入れたのならばことの真相も明らかになるだろう。イスーンはそうさせぬつもりなのだろうが」
「あるいは贋の親書を手渡すかもしれません。それこそ、殿下が謀叛を企んでいたという証拠になるような」
 最後の夕日の残照も消えて、市内には街灯が灯されはじめる。室内にも、太陽光に代わってもっと暗くおぼろげな燭台の光が満ちはじめた。
「それでもしレウカディア殿下が帝位継承権を失ったとして、イスーンにはどんな利益がある?」
 ワルターの質問に、バーネットは唇を噛みながら考えた。
「自動的に、唯一の帝位請求権者であり、第一帝位継承権者だったルクリーシア殿下が次代の聖帝にならざるを得ません。もしくはルクリーシア殿下の産んだ皇子が、ということになるでしょう。パリス皇子はリュアミル皇女いかんでメビウス皇帝になるかもしれませんから。だとしたら、ルクリーシア殿下の皇子は幼くしてクライン聖帝に即位する。それを裏から操ろうというのではないでしょうか」
「かの暗黒時代にはよく聞かれた話だな」
 バーネットは頷いた。そのおもては苦渋の色に満ちていた。傷の痛みがなかなか引かぬこともあっただろうが、レウカディアがかけられた疑いの発端は自分にあると、痛切に責任を感じてもいた。
「そうはさせぬように我々が阻止するしかないだろうが」
 ワルターは口重く言い、部屋を後にした。
 翌朝、朝見がまたいつものように始められた。昨日の事件のせいで、ますます人々は暗く、寡黙になっていた。そんな中で、大導師のマントをまとって意気軒昂なのは、ひとりイスーンだけのようであった。アレクサンデルが入ってきたが、レウカディアは謹慎の身となったので現れなかった。それで、人々は昨日の朝見は夢ではなかったのだとあらためて感じた。
 いつものとおりの単調な報告の途中、侍従が慌てたように入ってきて報告を遮った。
「申し上げます。精鋭軍隊長バーネット・ルデュラン子爵が至急お目通り願いたいと参っております」
 怪我で動けぬと聞いていたばかりだったので、人々は文字通り目を白黒させてアレクサンデルと侍従とを交互に見やった。何やら浮かぬようだったが、アレクサンデルは結局目通りを許可した。侍従が許可を伝えるために再び退出していき、バーネットが現れるまで不自然なほどの時間が空いた。その間、広間はしんと静まり返っていた。
 やがて扉が開き、第一級の礼装に身を固めたバーネットが現れた。怪我人とは思えぬほどしっかりした足取りで歩いてゆき、玉座の手前で彼は片膝をついて騎士の礼を取った。間近で見れば、顔色はずいぶん悪かったし、額には脂汗がにじんでいた。
「お目通りをお許しいただき、まことにもって感謝いたします」
「して、何用か」
 昨日彼が負傷したとの報を聞いていたのかいないのか、アレクサンデルは全く無頓着だった。それに何か思ったわけでもないようで、バーネットは軽く頭を下げた。
「陛下が昨日レウカディア殿下を終生の謹慎処分になさったと聞き及びまして、こうしてまかり出てまいりました」
「それについては、誰が何と言おうと取り消さぬぞ、たとえそなたがローレイン伯の息子であろうとな」
 アレクサンデルはきっぱりと言った。だが、バーネットは引き下がらずに真っ直ぐにアレクサンデルを見た。その赤い瞳にしっかりと見据えられて、彼はたじろいだ。そして、自分がたじろいだということを隠すために椅子の上でちょっと体の位置を直した。
「恐れながらわたくしがお願い申し上げたいのはその事に他なりません」
 イスーンがつと前に出て、冷笑を含んだ声で言った。
「ルデュラン子爵、陛下の仰る事が聞こえなさらぬか。子爵はどうもお怪我の様子がよろしくないようだ。退出なさったほうが……」
「導師」
 バーネットの射抜くような目が、イスーンを睨み据えた。そして、視線と同じくらい厳しい声がそれに続いた。イスーンはぎくっとして言葉を止めた。バーネットがわざと彼を《導師》と呼んだのにも気づかないほど、それほど激しい眼だった。
「お黙り頂きたい。私は陛下に申し上げているのだ。あなたにではない。それに、私の話をお聞きになるかならないかは陛下御自身がお決めになること。あなたが出る幕ではない。下がって頂こう」
 イスーンが渋々ながら退いたのを確認して、バーネットは再びアレクサンデルに向き直った。
「陛下はレウカディア殿下お一人が陛下の仰る謀叛を企み、実行なさったとお考えでしょうか」
「どういうことだ、ルデュラン子爵」
 今や広間中の人々全てが息を詰め、固唾を呑んでこのやりとりに、バーネットの言葉に耳を傾けていた。
「陛下に申し上げます。レウカディア殿下は謀叛など企んではおられません。ただ、唆されて御名を貸されただけに過ぎません」
 初めて、人々がどよめいた。静まるようにアレクサンデルが手を振ると、それもたちまち止んだ。静かになるのを待って、バーネットは続けた。
「全てはわたくしバーネット・ルデュランが殿下を唆し、行ったことにございます。全ての責はわたくし一人にございます。その旨ご承知いただき、殿下への処遇を今一度お考え直しください」
 今度こそ本当の驚愕が広間を包んだ。いつアレクサンデルからの叱咤が飛ぶかもしれなかったので大きな声で騒ぎ立てるものはいなかったが、それゆえにひそひそと交わされる声は大声であるよりも耳についた。
「それはまことか、ルデュラン子爵」
 驚きか怒りか、どちらともつかぬが顔をほとんど真っ赤にして、アレクサンデルが問うた。バーネットは微動だにせずきっぱりと答えた。
「真実の神ヌファールにかけて、まことにございます。お疑いあるのならば、双子宮の女官がよく存じているはずです」
 弾かれたように立ち上がってからほんの数秒、アレクサンデルはぶるぶると握りしめた拳を震わせていた。
「衛兵! この者を捕らえ、ドヴュリア塔に連行せよ!」
 アレクサンデルは怒鳴るように言いつけ、まだしなければならぬ報告がいくつか残っていたにもかかわらず、足音高くその場を出て行ってしまった。アレクサンデルの姿が広間から消えたと見るや、バーネットの体がぐらりとよろめいて、今まで耐えてきた糸が切れたようにその場に倒れた。
「ルデュラン子爵!」
「バーネット殿、大丈夫か?」
 衛兵たちよりも早く、一番近くにいたシサリーとムラートが駆け寄ってきた。助け起こそうと肩に触れたとき、マントに染みるほどの出血があるのに気づいた。バーネットが本来ならば動き回ってはならぬほどの怪我を負っているのだと、彼らは悟った。
「これはひどい……」
 シサリーは呟いた。ムラートもその言葉を受けるように頷いた。
「まさかこれほどの重傷とは……よく立っていられたものだ」
 やや遅れて衛兵たちがその場に到着し、半ば気を失っているバーネットを担架に乗せた。広間中の貴族、侍従たちが見守るなか、バーネットは運び出されていった。その中でワルターは心持ち青ざめて見送っていた。
「顔色がすぐれませんが、だいじょうぶですか、ローレイン伯」
「いや……心配無用」
 シェレンに会釈して、ワルターは息子から視線を離した。
「殿下を謹慎から解くためとはいえ、あそこまで無茶をする奴だとは思っていませんでしたよ。……まだベッドでおとなしくしていなければならぬはずでしょう」
「我が息子とはいえ、予想外だった。全てを自分で背負うつもりだったとは。謀叛の疑いとあれば、まずドヴュリア塔から出ることはできぬだろうに……」
 ワルターの声は、聞くのも辛い響きを帯びていた。
「死刑だけは、なんとしても思いとどまっていただきます」
 シェレンは冷静に言った。彼のように全ての事情と内容を知っているものはもちろん、何も知らぬ人々でも、バーネットの言葉をそのまま鵜呑みにしてしまう者はいなかった。彼に敵意を持っている者であっても、彼がレウカディアに謀叛を唆すようなタイプの人間ではないということはよく承知していた。
 だからこそ余計に、昨日から続くこの投獄には、大導師の地位を手に入れたイスーンへの疑惑と反感が影のようにつきまとっていた。
 バーネットが意識を取り戻したのは、ドヴュリア塔の中だった。それと知れたのは、彼が横たわっている寝台の傍らにドヴュリア公がいたからだった。
「貴殿も命知らずな方だな。殿下を謹慎の身からお救いするためとはいえ、あのような無茶をするとは」
 からかうようなドヴュリア公の言葉に、バーネットは弱々しく微笑んだ。実際にかなりの無理を強いた体は、思っていた以上に疲れていた。ようやく収まりかけていた傷の痛みもぶり返してきていた。それに気づいたのか、ドヴュリア公は薄紙に包んだ薬と水の入ったコップを取り上げた。
「医師が痛み止めを処方してゆかれた。傷が痛むのなら一服飲んだほうがよいだろう」
「かたじけない」
 バーネットは薬を受け取り、喉に流し込んだ。
「ここはドヴュリア塔の最上階だ。隣にはウェルギリウス大導師がおられる。塔の中では一番良い部屋の一つだよ」
「私如きにそのような厚遇をなされずともよろしいのに。また陛下に知られては公の身が危険です」
 部屋を見渡して、その言葉が偽りでないと知り、バーネットは慌てた。だがドヴュリア公は笑うばかりだった。
「安心なされ、バーネット殿。聖帝陛下がここに入ってくることなどないのだから。傷の養生にはちと湿気が多すぎるかもしれないが、貴殿は若いし、体力もある。良い機会だと思ってゆっくり体を休めたらよい」
「何から何まで、かたじけなく思います」
 バーネットは恥ずかしそうに言った。
「良いのだ。これはウェルギリウス大導師にも申し上げたがな、貴殿が謀叛を企んだとか、殿下を唆したなどと本気で信じている者など、陛下ただ一人しかおらぬよ。それより、何か入り用なものがあれば言うてくれ。まあもちろん、武器は許可しかねるが」
「ありがとうございます」
 頭を下げられなかったので、バーネットはゆっくり首を動かした。

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