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                                *


 傭兵の二人組がさっさと食事を終えてしまい、宿屋を出て行ったころ、サライとアトの二人は食後のカーファ茶を楽しんでいる最中であった。昨日何も入れないカーファ茶に失敗したアトはたっぷりとミルクを入れて、ほとんど真っ白にしてしまっていた。それでも香りだけは充分楽しめる。
「本当に何でもかんでも早いですね、アインデッドさんとアルドゥインさん」
 二人に気づいて、ちょっと手を振って出て行ったアインデッドとアルドゥインを見送り、アトはつぶやいた。サライは口許に持っていっていた陶製のカップを卓上に戻して、ふっと笑った。
「習慣なんだろうね。戦闘のときなどはいつ何が起こるか判らないから、素早い対応ができるように」
「サライ様はこんなにゆっくりなのに。お食事も着替えも、入浴も。早いのはお仕事と武術ばかりで」
「私はそれでいいんだよ」
「そうでしょうね」
 アトは知ったような口を利いた。
 サライはまた微笑んで、最後の一口をすすった。アトの言うとおり、傭兵であるアインデッドとアルドゥインは何事につけても迅速がモットーのようである。それほど急ぎの用でないときなどは、彼らもゆっくりと食事を楽しみ、他の泊まり客と歓談を楽しむこともあるが、今日のように朝から勤め先を探すとなるとびっくりするほど行動が早い。
「サライ様」
「ん、なに?」
「アインデッドさんとアルドゥインさんを見ていると思うのですけれど、私って本当に世間知らずだったんですね。ほら、アインデッドさんの話なんて……どこからどこまでが本当かどうかわかりませんけど、ああいう話を聞いているとなんだか、自分一人で大きくなったような気がしていた自分が恥ずかしくなるんです」
「三才で孤児になって、というあの話?」
「ええ」
「そうだね……。たしかにアインは、あの若さにしては随分と色々なことを知っていると思うよ。アルドゥインにしろ、それは言えてる。私はいわゆる紙の上の知識のタイプだけれど、彼らは実践して学んできているものね」
 サライはゆっくりと指を組んで、そこに顎を乗せた。
(アルドゥインはいいんだ……。彼はしっかりしていると思う。大人だ。でも、アインデッド……)
(彼はなぜだか、生き急いでいるような気がする……)
 どうして、そんな不安に駆られるのかは自分でも理解できなかった。
(まるですぐ目の前に破滅があるのを知っているにも関わらず、そこに向かって走っていこうと――自ら破滅に飛び込もうとしているような危うさを、時々彼には感じる)
 自分のほうが年下であるのに、時々サライはふと、アインデッドを守ってやらなければならないような気になるのだ。守るというよりも、何をかとははっきり言えないが、彼を止めなければならないと強烈に感じることもある。
「どうしたんですか、サライ様」
「あ、いや」
 サライははっと気づいて、アトを見た。
「ときどき、意識がどこかに飛んでおしまいになるんですもの。レウカディーンに魂を預けたまま戻ってこられないんじゃないかと心配です」
「そんなに長い間ぼうっとしてるかな」
「最近はそんな事もなかったですけれど、クラインにいたころは一テルくらい平気で先程みたいに考え事なさってましたわ。その間は身動き一つなさらずに、まるで彫刻みたいにお静かで」
「そんなに思慮深いタイプだとは思わないけど」
 サライは冗談半分に言った。
「アルドゥインさんとアインデッドさんに比べれば、大人と子供くらいに差があります。あの二人ときたら、ひどいと子供以上に手のつけようが無いんですもの。私のほうが年上なんじゃないかと思ってしまいます」
「君はそれで充分だ」
「それはいやみですか? それとも本気で?」
 アトは眉を吊り上げた。サライは笑って頬杖をついた。
「十七才らしい君が一番だと言いたいんだよ、アト」
「なんだかはぐらかされたみたい」
 アトは唇をカップの影に隠して呟き、匂いだけで苦みの無くなったカーファ茶を飲んだ。アインデッドが朝にくれた腕輪がちかりと光った。夜に悪漢に襲われていた少女からお礼にもらったと言っていたが、その少女はよほどの裕福な家庭の子女に違いない。
 宮廷勤めしていた時分でもこんな腕輪をしているのは貴族の姫君たちくらいなものだった。それに、こんな高価なものを助けてくれたというだけで人にくれてやってしまうくらいなのだ。金銭感覚が欠如しているか、よほどアインデッドに恩義を感じたかのどちらかだろう。それに、いつもならさっさと換金してしまうだろうに、今日に限ってあっさりとアトに譲ってしまったアインデッドも変だった。
「その腕輪がよっぽど気に入ったみたいだね。今度は君がどこかに行ってたよ」
「え」
 アトははっとして顔を上げた。サライが優しい微笑みを浮かべてアトを見ていた。アトはなんだか気まずいような気分で、頬を赤く染めた。
「気に入ったと言うか……こんな高価なものを、たとえ命の恩人とはいえゆきずりの人にあげてしまう方って、どんな方なのかと思っていたんです」
「アインデッドに貰ったのが、そんなに嬉しいのかと思ってた」
 難しい顔をして腕輪を見るアトがなんだか可愛くて、サライは軽く言ってみた。アトは心外だ、というような顔をした。
「違います。アインデッドさんは私にとって、恋の対象じゃありません。アインデッドさんだってそうに決まってます。ただ単に、私が女の子で、ここにはあげるような女性がいなかったから、私にくれただけです」
「いやに断定的だね」
「……サライ様が意地悪だってこと、忘れてました」
「思い出してくれて有り難う」
 サライは天使のような微笑みを浮かべて言った。彼のことをよく知っている者には「天使のような顔に悪魔のような舌」を持っていると評される笑顔だった。
「で、どうして断定できるわけ」
「まだ聞くんですか」
「私は一応君の保護者だからね」
「アインデッドさん、嫌ならサライ様にあげればいいって言いましたもの。要するにどちらでもよかったわけでしょう」
「私に……」
 サライはちょっと眉をひそめた。アルドゥインにも「お前なら似合う」というようなことを言われたのを思い出したからだった。アインデッドが母の形見のペンダントをいつもつけているように、男性がそういった装飾品を身に付けるのはそう珍しいことでも変なことでもないのだが、なんとなくアインデッドやアルドゥインに言われると妙な気分になるのだった。
 アインデッドとアルドゥインに悪気が無いのはわかっているのだが、自分が女扱いされているような気がして、あまり気分が良くないのだ。自分が華奢で、ともすれば女のように見えてしまうと自覚しているから尚更にだ。
「またどこかに行ってますよ、サライ様」
「あ」
 サライは顔を上げた。
「どうしたんですか」
「いや……そんなに私は女っぽいかと思って」
 アトはきょとんと目を見開いた。
「そんなふうに思ったことはありませんけれど、どうしてですか」
「大したことではないのだけれど、何だかあの二人といるとどうしても自分だけ浮いているような気がしてならないから」
「変なことを気になさるんですね」
 何でそんなことで悩むのか、というようにアトは首を傾げた。
「確かにサライ様はアインデッドさんやアルドゥインさんに比べたらほっそりしてらっしゃるし、なみの女性よりもずっとおきれいだとは思いますけど」
「それが嫌なんだ」
「ぜいたくな悩みですね。それを宮廷の貴婦人たちにお聞かせになったらどうですか? 次の日には毒を盛られていますよ」
「君も意地悪だということを忘れていたよ」
「お互い様です」
 アトは肩をすくめてちょっと舌を出した。
「話を戻してもかまいませんか? サライ様」
「何?」
「この腕輪の持ち主の方です」
「ああ……。見せてくれる? まだそれをよく見てないんだ」
 軽く頷いてアトは腕輪を外し、サライに手渡した。それは二バルスほどの太さがあり、蔓草が絡まりあったような紋様を一面にほどこし、一定の間隔を置いて親指の爪ほどの大きさの緑玉を嵌めこんだものだった。一つだけ目立って大きい緑玉には、マナ・サーラの印が浮き彫りにされていた。
「たしかに、いい品だね……もとの持ち主もともかく、アインデッドが気軽に君にあげたっていうのが信じられないな。よほどショックだったのかな」
「何がショックだったんですか」
 ふとした呟きを聞きとがめて、アトは訊ねた。
「アルドゥインに似合うと言われたことさ。はめてみたらぴったりだったそうだよ」
 くすくす笑いながら、サライはアトに腕輪を返した。
(この腕輪を持っていた少女は誰かに狙われていた。その少女を助けた礼に貰った腕輪だから、自分が持っていては危険だと思ったんだろう……《伯爵》とやらにそれで見分けられて命を狙われては元も子もないから。アトか私が持っていれば、売ってしまったものを私たちが買ったようにしか見えないからな)
「でもアト、あまり人前でそれを出しては駄目だよ」
「持ち主の方を襲った人達に見つかるといけないから、ですね」
 アトはサライの言いたいことを先に言ってしまったので、サライはその言葉に頷くだけにした。
「もしかして、最初から判っていた? アインが自分の身に危険が迫るといけないから君にこれを渡したと」
「いいえ」
 アトは静かに首を横に振った。
「アインデッドさんは、そんなふうに思って私にこれをくれたんじゃないと思います。あの人はたしかにいつだって自分に都合のいいことしか考えてませんけど、女の子を危険に巻き込むような卑劣な人ではありませんもの。それに、これをくれる時にちゃんと注意してくれましたから」
 サライはアトの言いたいことが判らなくて、また目を瞬かせた。それに、アトがアインデッドのことをそんなふうに評価しているとはついぞ知らなかったこともある。
「君がアインをほめるなんてね」
「ほめるつもりはないんですけど、旅慣れていない私たちなんて、アインデッドさんにとっては邪魔でしかないはずなのにルーディアの一件からずっとついてきてくれてますし、そこで事件に巻き込まれても自分で言っているように高飛びなんてしませんし、悪い人じゃないと思います。サライ様は考えすぎです」
「そうかもれないね」
 サライは素直に言った。
「私の考えすぎだな。……でも、腕輪の少女を襲った者たちのことは慎重に考えないと。クラインと国交はあるにせよここが異国であることに違いはないし、権力者であった場合それを利用して私たちに何をしてくるか判らないからね」
「そうですね。サライ様、ジャニュアに有力な知己の方はいないんですか?」
「残念なことに無いんだ。いくらなんでも世界中に私の知り合いがいるなんて甘い考えは無しだよアト。私は右府将軍でしかなかったんだから」
「それだけでも充分なんですけれどね」
 小さくため息をつきながら、アトは席を立った。それに続いてサライも立ち上がり、部屋に戻ることにした。アインデッドとアルドゥインは傭兵としての勤め先を探すことにしていたのだが、サライは傭兵というのはルーディアの一件で懲りていたので別の方面で勤め口を探すことにしていた。
 アトはカーティスで宮廷勤めをしていた経験があるので、どこかの屋敷で使用人として雇ってもらうつもりであった。人に剣の誓い以外で使えたことのないサライだが、この際なんでも経験にすべきだと半ば自暴自棄な考えで、アトと同じように小姓勤めでもしようかと考えていたのだった。


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