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                                *


 宿のおかみさんにメルヌ城の警備員は外門までなら傭兵でも雇ってくれることや、メルヌに参勤している諸侯もメルヌで自分の兵を募集することもあるからあたってみるとよい、などということを聞き出して、ついでにお弁当がわりにトウモロコシ粉のパンまで持たせてもらって二人は宿を出た。
 太陽はすでに中天に高い。ジャニュアでは夜が明けるのも早ければ昇るのも早い。しかし沈むのはけっこう遅いのである。既にマナ・サーラの月も三旬目に入り、暦の上ではもう秋だったが、ジャニュアはまだまだ暑かった。アインデッドは髪のことで色々言われるのにいいかげん懲りていたのと、陽射しよけの意味を兼ねて頭に布を巻きつけ、髪の毛をそこに押し込んで隠していた。沿海州では最南端のアスキア出身のせいか、アルドゥインは暑くてもいっこうに平気なようだった。
 いくつかの伯爵邸や侯爵邸で、領地の騎士団で欠員はないか、傭兵は雇わないか聞いて回ったのだが、いっこうに勤め口は見つからなかった。街路樹の下に置いてあるベンチに腰掛けて、アインデッドとアルドゥインは遅めの昼食を取ることにした。露店でアーフェル水を買い、それで黄色っぽいぱさぱさしたパンを飲み下す。
「ほんとうにここって平和な国なんだな」
 アルドゥインは最後の一かけらを口に放り込み、アーフェル水のびんに口をつけた。ジャニュアではガラス工芸も盛んで、そのびんも安物の不透明な茶色ながらガラスでできていた。飲み終わったあとのびんも回収して、また利用するので無駄はない。
「平和は結構さ。だが俺らの勤め口もないほどというと困りもんだぜ」
 こちらも弁当を食べ終えて、何かもっとおいしそうなものは売っていないかと辺りの露店や店を物色しながら、アインデッド。しかし財布の中身を確かめてから、首を横に振って財布をまたしまい込んでしまった。
「まあ、メルヌ城でも雇ってもらえないようだったらここはあきらめて、次に行くとしようぜ」
「それが一番のようだな」
 二人はさっそく立ち上がり、店や家屋の屋根越しにちょっぴり頭をのぞかせているメルヌ城の青い屋根を眺めた。いきなり門の前に行って、雇ってくれというわけにもいかないし、どこの国でも一応、王宮のほうで――もしくは民間で傭兵に応募してきたもののための宿泊施設や斡旋所のようなものをいくつか設けている。アインデッドとアルドゥインはまずそこを探すことにした。
 メルヌ城の騎士宮らしい建物の横に大きな看板が出ていたので、この場合見つけられないほうがおかしかった。そんなわけで、案外迷わずに外来者用の宿泊所を見つけることができた。それに、そのあたりには一見してジャニュア人ではないとわかる、薄汚かったり壊れかけていたする鎧をつけたままの男たちがうろうろしていたのだ。メルヌ城の騎士宮も真っ白のタイルが張られており、宿泊所はその隣にあるもう一回り横に広くて縦に低い、日乾し煉瓦を積んだ伝統的なジャニュアの建築物で、さすが王宮の付属だけあって高価な白い石粉で塗られていた。
「なんだかここも人手不足にはほど遠そうだな」
 どうやら同稼業らしい男たちがたくさんいたので、アインデッドはこっそりアルドゥインにささやいた。無言のまま彼は頷き返した。しかしこのまま帰るわけにもいかないので、ともかく入ることにした。
 受付のようになっているところに五本ほど列ができていたのでそこに並ぶ。どうやら通行手形をあらためているらしい。大半はそれでパスするのだが、中には無くしてしまったのだとしきりに弁解しながら追い出されるものもいる。偽造の手形というのも多いし、傭兵など、名の知られた傭兵団などに所属していないかぎり、どこの出身のどういう者かなどわからないから当然の処置であろう。
 先に並んだアルドゥインの番になったので、彼はかくしから自分の手形を取り出して受付の騎士に渡した。典型的なジャニュア人の騎士はアルドゥインを上から下までざっと眺めてから手形に目を通した。
「セルシャからの手形だな。ラストニア王国アスキア自治領ラウ市出身、名はアルドゥインで相違ないな?」
「はい」
「よろしい。奥で待つように。次」
 アルドゥインがわきにどいて、アインデッドがゆっくりと足を踏み出した。心配そうなアインデッドに、大丈夫、と目配せをして先にゆく。ティフィリス人と知れれば門前払いされるか、悪ければスパイ容疑で捕まるのが分かりきっている。アインデッドは覚悟を決めて手形を差し出した。
「これもセルシャか。……ティフィリス王国ティフィリス市出身……アインデッド・イミルに相違ないな」
「はい」
「ティフィリス出身なのか」
「はい」
「髪を見せろ」
 受付係の騎士たちの目が一斉にアインデッドに向けられる。アインデッドはしかたなく頭の布を取った。
「お前、ティフィリス人か」
「……いいえ」
 自分の心臓の音が聞こえてきそうな程早く脈打っている。アインデッドはこめかみの辺りに痛みを感じた。ティフィリスという名が出ただけでこれほど警戒されるとは予想していたにしろ驚いていた。疑われると判っていたので、傭兵に応募しにいく前に考えておいた身の上話をもう一度脳裏に思い浮かべた。
「幼いころにペルジアから移住して、国籍が変わりました」
「ペルジア人? それにしては髪が赤すぎる」
「沿海州にいたので染めていました」
「染めた?」
「ええ。ティフィリス人ということになっているので、赤くないと何かと不都合があったんです」
 なおも係の騎士はアインデッドをじろじろと見た。その目が、アインデッドの瞳をまっすぐに見据えた。ぎくりとして、アインデッドは瞳を見開いた。同じ緑色だがアインデッドのそれよりもずっと淡い灰色がかった色をしていた。
(やっぱり駄目かな……)
 しかたがない、と諦めかけたとき。
「よろしい。奥で待て」
 アインデッドはほっと息をついた。アルドゥインが手招きしている。足早に受付を通り過ぎて、彼はそちらに向かった。
「第一関門突破ってとこだな」
「茶化すな」
 アインデッドは額の汗をぬぐった。まだ心臓がどきどきしている。自慢話が過ぎてのほら話ならいくら喋ろうがなんともないのだが、ばれたら何が起こるか判らない状況での作り話にはそうとう神経が参ってしまったようだ。
 どうやら手形を持っていれば誰でもここまでは入れてもらえるらしい。
「しかし、染めたっていうのは大した言い訳だな」
 アルドゥインがにやにやしながら言った。何を言っているんだと言わんばかりにアインデッドは目をぱちくりした。
「お前が何人ティフィリス人を知ってるか知らないけど、あながちそういうわけでもないぜ。ティフィリス人でこんな色の赤い髪だとしたら……俺は自前だけど、たいていは染めてると思ったほうがいい。特に遊女なんかは」
「へえ」
 アルドゥインはちょっと肩をすくめて、相棒の髪を見た。たしかに染めたといっても通じるほど、あざやかすぎる赤である。うまい言い訳を考えたものだ、と彼は思った。多分そう言われたことがあるのだろう。
「色を落とせって言われたら、何色に染めようかな」
 そうつぶやいて、アインデッドは下唇を吸い込んだ。
「茶色にしとけ。いちばん無難だ」
「もったいない」
 自分の前髪を引っ張って、アインデッドはぶつくさ言った。アルドゥインはその頭にぽんと手を乗せた。子供にするようなことをされたので、むっとしたようにアインデッドが視線を上げる。
「当分ここでやってくんならしょうがねえだろう」
「そりゃ、そうだけどさ」
 アインデッドはぷうっとほっぺたをふくらませた。
「健康診断を行う。次の部屋へ入れ」
 部屋の奥の扉が開き、受付とは違って白い前掛けのようなものをした騎士と、医者の助手のような男が首を出した。今まで待合室にいた傭兵志願者たちはぞろぞろと扉の向こうに入っていく。アインデッドとアルドゥインもそれに続いた。次の部屋は白く曇らせた高価なすりガラスが窓にはまっていて、内装も白いタイルで張られていた。
 部屋の真ん中辺りに布の衝立が置いてあり、志願者たちは一人ずつそこに入っていく。やがて入ってきた扉から出て行く者と、さらに奥に入っていくものとに分かれだした。しばらく観察していると、背が低すぎるものや一見して太りすぎているもの、腕や足が片方無いものはすぐに出され、盗賊でもやっているほうが似合いそうな人相の良くないものもすぐにはねられているようであった。人相の良し悪しが力量に関係しているとはこれっぽちも思っていない二人だったが、これには苦笑せざるを得なかった。
「けっこうチェックが厳しいな」
「顔で選べば俺たちゃ一発だけどな」
「一発どころか」
 アルドゥインはにやりと笑った。
「女王付きの近衛兵になれるさ」
 マナ・サーリアがあきれたほどのアインデッドの自信過剰だが、アルドゥインもなかなかのものであった。ただし彼の場合はアインデッドと違って大いにそれを吹聴するような真似だけは決してしなかったというところが大きな違いであった。
「アスキアのアルドゥイン」
「あ、はい」
 アルドゥインはまた目配せしてから衝立の奥に入っていった。白いローブをまとった。中年の男が医師らしい。
「身長は」
「一バール九十二バルスです」
「背はいいな。ではそこに上着を脱いで座って」
 言われるままにそこにある丸椅子に腰掛ける。上着を脱ぐと、脇に控えていた助手らしい若い男が受け取って持ってくれた。医師はアルドゥインの胸や背中をとんとんと叩いて音を調べ、それから瞼の裏や口のなかを調べた。それから質問が始まった。どうやらこれではねられなければ質問されるらしい。
「以前に何か大病をしたことは」
「ありません。風邪もひかないくらいで」
「傷から悪い風が入ったことは」
「それもありません」
「よろしい。向こうの部屋に行くように。次」
 アルドゥインは上着を受け取って着込むと、医師に軽く会釈して次の部屋に進んだ。振り返ると、呼ばれたアインデッドが衝立のなかに入るところだった。この分ならアインデッドも合格するだろう。予想どおり、すぐにアインデッドが入ってきた。すぐにアルドゥインを見つけて、隣に立った。
「意外と簡単な検査なんだな」
 アインデッドがしみじみと言ったので、アルドゥインも頷いた。
「でもサライならあれではねられるな。顔はともかく、あいつは細っこいから」
「言えてる」
 しばらくすると最後の一人が入ってきて、前の室のドアが閉められた。ざっと見たところ、身長は大体皆百八十バルス前後、それ以上の者たちに限られているようである。顔もまあまあ整っている部類の男たちばかりが残っていた。
 国の象徴である王城の警備をさせるのだから、見た目も重視するのだろうというのが、二人の一致した意見であった。多分それで合っているのだろう。
「最後の審査だ。皆中庭に出るように」
 続きのドアが開き、また騎士が呼ばわった。ぞろぞろと全員が出て行くのに、二人も従って中庭に出て行った。そこはレンガを敷いた広場のようになっており、何人かの武器を持った鎧の騎士たちが立っていた。
「どうやらお手合わせの上ってことみたいだな」
「ま、手形と健康診断だけで選ぶわけにもゆくまいからさ」
 アインデッドはちょっと肩をすくめて言い、腰の長剣の柄をぽんと叩いた。


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