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      遠き東の国に生まれし美女
      ジャニュアの地に来たり
      その名は空に光る月の名
      その名のごとく彼のひとは輝きぬ
               ――ジャニュア年代記




     第三楽章 花のカノン




 最後の試験場である中庭には、闘技場のように長方形に敷石が敷かれて整えられていた。ここまで残った傭兵はアインデッドとアルドゥインを含めて十人で、入ってきた順に壁際に並んで待たされた。ジャニュアの軍は傭兵に対しても見栄えを気にするらしく、彼らは人種はまちまちのように見えたが、たいがいは二十を出たか三十前くらいの年の者ばかりで、そこそこ顔立ちの整ったものばかりであった。
 これで十人が騎士たちと順に手合わせをして、それで最終的に雇用の判断が下されるのだろう。実技の試験官らしいものものしい鎧を着た騎士が三人と、審査役らしい、鎧はつけずに略式の軍服をまとった騎士が数人入ってきて、アーケードになった壁際にしつらえられた席にかけた。
「これより最後の審査を行う。一人ずつ呼ばれたものから試験官と試合を行う。武器は模擬試合用の剣のみとし、こちらから貸し与える」
 審査役らしい騎士の中でもとりわけ威厳のある顔つきをした男が言った。最後に入ってきたアインデッドとアルドゥインは必然的に順番も最後になったので、する事もなく順番待ちの傭兵たちとともにその場に腰を下ろした。
「やれやれ、手順がやたらと多くて面倒だな」
 アインデッドは軽く肩をすくめて言った。
「だから、傭兵とはいえ国家で雇うんだから、そうそういいかげんに選ぶわけにもいかないんだろ」
「すっげえ強いのに顔のまずい奴なんてかわいそうだと思わねえか」
「それはまあ、たしかにな」
 アルドゥインは上の空で答えた。すでに一人目の試験は始まっており、アルドゥインは自分の相手になるかも知れない騎士の実力や腕前をあらかじめ見てどれがどれほどのものか確かめておきたかったのだ。そんなアルドゥインの様子に気づいて、アインデッドも口をつぐんだ。
 最初に試験を受けることになった男はジャニュア人のようだった。その男も相手もいきなり全力を出し切っているようではなく、型通りに切りかかる騎士の剣を受け流す、受け止める――騎士が相手の切っ先を受ける、を繰り返しているようだった。
 そもそもこのようなテストの試合では刃の無い剣を使うし、真剣にしても相手を殺すまで戦うような血なまぐさい勝負などありえないのだが、もっと緊迫した真剣勝負を期待していたアインデッドはあっというまに興味を失い、壁にもたれて目を閉じてしまった。アルドゥインのほうは得心いったと思われるところまでよく騎士の太刀さばきをながめて、それからは特に注意するでもなく漫然と試合を見たり、壁越しに頭だけ見える王宮を見ていたりした。
「やめ!」
 審査役の騎士が声を張り上げて、騎士と一番目の男はぴたりと動きを止めた。二人とも少し息が上がっているようだった。
「次の者、前に出るように」
 一番目が列に戻るのと入れ替わりに、次の傭兵が前に出ていった。試験官も二人目に交代し、同じような試合が数テルジン続けられた。小休止などもあったのでアルドゥインの番が来るまでに小一時間が経ち、アルドゥインとアインデッドはすっかり相手の太刀筋を覚えこんでしまっていた。
「次」
 言われて、アルドゥインはやっと、というように腰を上げた。
 作法どおりに一礼し、剣を真っ直ぐに向け合ってから、試合前の誓句を述べる。
「この勝負にナカーリアの祝福があらんことを」
 相手もまた作法どおりの答えを返す。
「この勝負にヌファールの正義があらんことを」
「ヤナスの御名において」
 最後は二人同時に言い、かちんと切っ先を触れ合わせ、もう一度剣を鞘に収めて一礼する。
(さて)
 相手がどう来るかは大体今までのを見て判ってきている。それに、十何分かおきに試合を続けているのだ、疲れていないはずがない。アルドゥインが本気を出さなくてもじゅうぶんに試合を有利に進めることができるだろう。
(あまり本気を出してもしょうがねえし、疲れたくないからな)
 アルドゥインは最初の二、三合は相手の剣を適当にかわして、今度は攻撃に出た。とはいえ決して本気などではなかったが。
「おっ……」
 兜の下で、騎士が軽くうめくように呟いたのがアルドゥインにも聞こえた。なかなか手応えがある奴だ、とでも思ったらしい。にわかに騎士の太刀筋が鋭くなる。
(やりやがるなこいつも)
 ほんの少しだけ力を入れて、アルドゥインは剣を振り下ろした。がきっと音を立てて刃がぶつかり合う。刃が欠けそうなほど激しい打ち合いが続いたが、しかし騎士は攻勢に出ることができず、結局審査役の声がかかるまでアルドゥインが一方的に攻めつづけるかたちになってしまった。
 汗一つかかずに戻ってきたアルドゥインを、アインデッドは不気味そうに見て立ち上がった。
「目立つなよな」
 すれ違いざまにこっそり呟いて、アインデッドが出ていった。
「別に」
 アルドゥインもにやりと笑ってささやき返した。
 それに対しては何も言い返さずに、アインデッドは出ていった。最後の騎士はすでに真ん中に出てきて待っている。それに軽く頭を下げてから試合前の儀式を行う。この儀式に関してはさしも信心深くないアインデッドにしても怠るような真似はしなかった。それに傭兵というものは不思議なほどに軍神に対する敬意と試合の礼儀だけは重んじるものであったのだ。
 始め、の声が掛かる前の軽い緊張の中、お互いに剣を構える。試合前に飽きるほどよく見ていたが、アインデッドは用心深く相手を観察した。相手の目には隙を探そうという様子はないが、こちらにも隙を探させない。
(やっぱりそれなりにできる奴を選んでるってわけか)
 心の中で独りごちて、アインデッドはぎゅっと下唇を噛んだ。
「始め!」
 最初に攻撃に出たのは騎士の方であった。アインデッドはそれを受け止め、切っ先をかわす。数合打ち合ったのち、彼以前に三人を相手にしていた騎士の動きに乱れが生じた。その隙を、アインデッドは見逃さなかった。
 風のように赤い髪がなびき、気がついたとき、騎士の鎧と兜の隙間に切っ先が迫っていた。あともう少しでも相手か自分が動けば、切れそうな位置だ。冷や汗とも脂汗ともとれない汗が、兜の下を伝っていく。下から踏み込んできた男の瞳はまっすぐに彼を見つめており、それはぞっとするほど鋭い殺気を放っていた。
 一瞬のうちにアインデッドは相手との間合いを詰め、さらに懐にもぐりこむように下から剣を突き上げていた。相手には剣を動かす暇さえ与えずに。
「そこまで!」
 呆然と見つめていた審査役の一人があわてたように叫んだ。
 その途端にアインデッドはすっと剣を引いて収め、相手に向かってきちんと礼をしてから戻っていった。
「お前のほうが目立ちすぎだ」
 戻るなり、アルドゥインが軽くにらみつけた。
「俺はいつだって一番が好きなんだ」
 悪びれるふうもなく、アインデッドは言ってのけた。
 すべての試合が終わった後、試験官が審査役のもとに戻り、数分間の協議の後に合格者の名が先ほどの号令をかけていた審査員から読み上げられ、全部で五人の名が呼ばれてそれぞれに名前の書かれた合格証明が渡された。もちろん、その中にはアインデッドとアルドゥインの二人の名も入っていた。
 編成が決定するのは明日ということで、明日の朝マナ・サーラの刻にこの証明書を持ってもう一度訪れるようにとの指示が出て、合格者たちは反対側の通路から中庭を抜けて外に出ていった。
「きっと目をつけられたぜお前。最初からあんな派手にやる奴があるか」
「うるせえな。あーあ……今日中に茶色く染めたほうがいいな」
 アインデッドは叱られて不貞腐れる子供のような顔をして、前髪を引っ張った。
「これはこれは、伯爵」
 彼らが出ていく寸前に、中庭にいかにも位の高そうな騎士が入ってきた。年かさの審査員が進み出て何かの紙を渡し、彼はそれをちらりと一瞥してから、出ていこうとする二人連れに目を留めた。
 鮮やかな赤い髪の青年と、背の高い黒髪の青年。
「あれは……」
 彼が見とがめたのに気づいて、年かさの騎士が説明した。
「今日志願してきた傭兵です。確か二人とも沿海州の出です。なかなかの使い手で、一番に合格と決まりましたので、王宮内警備にまわそうかと」
「まだ所属部署は決まっていないだろう。あの者たちを私の隊に入れるように手配してくれないか」
「は」
「伯爵の、直属でよろしいですか」
「ああ。面白そうなやつらだ。興味がある」
 伯爵、と呼ばれた男は不思議に残酷そうな笑みを浮かべて、二人が出ていった通路を眺めた。


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