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 その何とも言えないざわめきの中、二人はほぼ同時に入ってきた。御前ということもあって人々は大っぴらにしゃべりあうということはなかったけれども、こっそり隣どうし肘でつつきあってささやきを交わすことくらいのことはした。
 シェレンは、彼のもう一つの官職である白竜隊長官の、白地に紫をアクセントに置いた麗々しい準礼装をまとっていた。対するバーネットも精鋭軍隊長の白と赤の第二礼装に身をかためており、二人がふわりと白いマントを広げて、白いすらりとした二羽の鳥のように玉座の前に並んで跪いたさまは、貴婦人たちが見とれてため息をついてしまうほど凛々しく美しかった。
 どちらの顔も一見穏やかであったし、決して目をあわせようとしないだけで、にらみ合うようなことはなかった。そんなわけで、そうして並んでいると、決闘の許可を得に来たのだというよりは、二人の騎士がただ、女帝に剣を捧げに出てきた――とでもいうような構図であった。
「わが聖帝陛下に捧げまいらせし我が剣にかけて、このたび私ことシェレン・アルゲーディと、この者バーネット・ルデュランとの決闘のご許可をいただきたく、かくは両名まかりこしてございます」
 身分も地位も上のものとして、シェレンが先に口上を述べた。バーネットも、落ち着いた低い声で唱和した。
「決闘とはおだやかならぬな。何ゆえの決闘か」
 レウカディアは驚いた様子もなく言った。バーネットが答える。
「この者が我がきょうだいの絆をはずかしめ、また我が父の名誉をいわれなくおとしめたためにございます、陛下」
 シェレンが続いた。
「この者が代理をつとめます妹御が、我が母をいわれなくはずかしめ、さらにある貴婦人をはずかしめたためにございます」
「アーバイエ候はルデュラン子爵に、ルデュラン子爵はアーバイエ候にそれぞれ決闘を申し込んだと、そういうわけだな」
「さようにございます」
 二人はほぼ同時に答えた。
「面倒なことを」
 レウカディアは渋面とも笑みともつかぬ表情を浮かべた。
「受けて立つか、ルデュラン子爵。ただしは謝罪して受けぬか」
「受けて立つ所存にございます」
「では――アーバイエ候、受けて立つか、あるいは謝罪して受けぬか」
「わたくしも受けて立つ所存であります」
「調停はならぬか」
「はい」
「ではやむを得まいな。しかしどちらも申込人と防衛者とあらば、限度と時と、場所の決定、条件と武器の設定はいかがする」
 シェレンはゆっくりと言った。
「時と場所、条件は陛下の御心に従いまして――武器と限度は」
「すでに相はかったうえ、合意しております。よろしゅうございましょうか」
「よかろう。して」
 バーネットとシェレンは互いに初めて目を見交わし、二人は剣を抜いてまっすぐにかざした。
「武器はレイピア。限度は――どちらかが息絶え、あるいは動けぬ重傷を負い、あるいは降参するまで」
 どっと人々が、驚いたような声を上げる。
「あたら忠義の二守護神を」
 レウカディアはかなりおざなりに言ったが、その目は不安げにバーネットの上に当てられていた。
「両者ひかぬとあるからには詮方あるまい。ならば皇帝の名において決闘を許す。時は本日夕刻ヌファールの鐘と同時。場所は小馬場中庭にて。異存ないな!」
 たちまちにして噂、情報、憶測、ゴシップが場内を乱れ飛び、駆け巡ったことはいうまでもなかった。
 以前に倍するざわめきとたかぶりがカーティス城中を包み、そして人々は一見したかぎりでは二度ともとどおりの静かな生活も秩序も戻ってこないのだ、と確信するくらい、駆けずり回り、騒ぎたて、予想をし、あげく賭けまで始める始末であった。
 むろん、その二人の当事者、またそれをめぐる周辺の人々にとっては、いっそうその騒ぎは大きかった――本人たちが騒いでいたかどうかは別として、とにかく騒ぎの中核に巻き込まれていたことは確かだった。
 シェレンとバーネットは皇帝の許可を得たあと、午後四テルほど猶予があったので、それぞれバーネットは精鋭軍の庁舎へ、シェレンは白竜隊の宿舎にひきとり、支度をすることになった。もっとも二人ともあいかわらず、何か少しでも変わったことがあるような顔ひとつしていなかった。
 バーネットの方は部下であり友人であるところの隊員たちが心配したり、あれこれ聞きだそうとするのをすべてやんわりと――または鋭い目つきだけでかわして、市内警備から入ってくる報告に目を通すなどの、普段どおりの仕事をこなしていた。
 武官とはいえ一軍の長であるバーネットがやらなければならぬ事務処理というのはいくらでもあったし、もしも決闘の結果いかんによって中断されるものであるなら――それが一時的にせよ長い間にせよ――いっそう精を出して片付けておかねばならなかった。
 人々の予想には反して、ワルターは息子の引き起こした決闘騒ぎについて何か言いに来ることもなければ水を向けられても一言も返しさえしなかった。彼はあくまで、息子が決めたことに自分が介入するわけにはいかないという立場を一貫してとり続けていた。
 いっぽうシェレンの方も、何か片付けておかねばならぬ仕事があるというわけでもなかったが、静かに決闘までの時を過ごすというわけにはいかなかった。彼に与えられている長官の部屋に、同じくクライン軍の同僚がやってきたのである。
「何だ。クライヴ、アルビオン」
 シェレンは、臨検に出すために選んだ十本のレイピアをずらりと並べ、その刃を磨きながら、じろりと二人の友人を睨んだ。鮮やかな青と白の礼装をまとった青鷲隊長官クライヴは、困ったように肩をすくめた。
「おい、おい、シェレン。俺たちをそんなに睨むことはないだろう。俺たちはお前と決闘しに来たんではなくて、どころか元気付けに来てやったというのに」
「余計なお世話だ。帰ってくれ」
 彼はまたレイピアの刃の方に集中して、友人たちに背を向けた。
「シェレン」
 もう一人の――黄色と白の礼服で、黄虎隊長官とわかる――アルビオンがちょっと強い口調で呼んだ。
「四刻も前からそんなに気を高ぶらせてどうするつもりだ。アルカンドを読んだのか? シェレン。冷静さを失ったら、負けだぞ」
「俺は別に高ぶってやしない」
「どこが、だ」
 クライヴが言った。
「お前、相手を誰だと思っている。あのバーネット・ルデュランだぞ。ただの相手じゃない。ちょっと落ち着いて、どうやったら勝てるか考えてみろ」
「俺が負けるとでも言いたいのか。バーネットが精鋭軍の隊長だってことは、俺のほうがよく承知してる。だが俺だって白竜隊長官、一人の武将だ」
 シェレンはむっつりといった。だがクライヴは容赦なく続けた。
「いいかシェレン、お前もよく承知とは思うが、聞け。精鋭軍は人ならぬ悪魔が相手だから、選ばれ、入隊を許されるものは各騎士隊や近衛騎士団の中でも選りすぐりの若くすぐれた騎士だけ、まさに精鋭中の精鋭だ。人数のことはさておけば、まさにクラインで最も強い軍隊だといっても過言じゃない。それゆえ編成員にはわずかの衰えも許されず、毎年軍内でのトーナメントと審査を行って、少しでも基準に満たなければ即除隊される。その中でも体力、技量、知力すべてにもっとも優れた者が第一隊長になる。バーネットはその精鋭軍に、十四歳からこちら、ずっと所属している化け物みたいなやつだぞ」
 もはやバーネットも化け物扱いであった。
「……」
「それだけだって並外れているというのに、バーネットは第一隊長だ。つまり、今の精鋭軍で最も強く優れた戦士――クライン全軍の中で最も優れた戦士なんだ。もしも相手が前の隊長――サライ公だったなら、なにぶんあの方はあの通りのかぼそい、見るからに体力のない方だったから、そこをつけばお前の方に分があったろうが、バーネットときては体力がないなんて言葉とは永遠に無縁だろうからな」
「それはつまり」
 シェレンはクライヴを睨み付けた。
「はじめから俺には勝ち目がないと決めてかかってるのか、クライヴ」
「そうは言ってない」
 クライヴはびっくりして言った。
「お前だって皇室トーナメントで優勝したほどの実績を持つ剣士だ。おさおさひけをとるまいさ。だがな、それは人間相手に強いということであって、バーネットみたく、人間とはかけ離れた力を持った悪魔と戦ったことは――まして倒したことなど、お前はないだろう?」
「クライヴ、俺を励ましたいのか落ち込ませたいのか、どっちなんだ?」
 いらいらとしてシェレンは鋭く言った。
「シェレン、人の話は最後まで聞け。どうしてお前ともあろうものがそんなにいらいら、かっかしてるんだ」
 アルビオンはいかにも先輩然と言った。
「とにかく、敵はお前の親友でもあるからには、欠点も弱点も全て把握しているだろう。そうやって苛々したまま突っかかっていったら、二合とたたずに打ち倒されてしまうだろう。友達としてそんな事を見たくないと思うから、こうして忠告してやっているんじゃないか。いいか、判っているだろうがバーネットは掛け値なしに強い。どこにも欠点らしい欠点はない。隙はないしあれだけの身長なのに動きは案外素早い。反射神経は見事なものだし、正統的な手を心得てはいるが臨機応変な戦い方もできる」
「もういい、アルビオン」
 シェレンは彼の目の前で手を振った。
「あいつがどれだけ強いかなんて俺がいちばんよく知ってるぐらいだ。だから追い討ちをかけるようなことを言うのはやめて、あっちに行ってくれ。それでも俺は戦わぬわけにはいかないんだ」
「いいから聞けって言うんだ」
 アルビオンは声を張り上げた。
「いいかシェレン、バーネットはまずは完璧といってもいい剣士だが、あいつにも欠点がある。それはな――」
「何だよ、アルビオン」
「お前は黙ってろ、クライヴ」
 アルビオンは瞬間クライヴに鋭い一瞥をくれ、すぐにシェレンに視線を戻した。秘密めかして言う。
「あいつはいつも悪魔相手に戦っていて、人間相手に戦うことはめったにない、ということだ。――つまり、予想もつかない動きをする相手、自分よりも大きい相手と戦うことには慣れていても、自分と同じ大きさの、正統の流儀で向かってくる人間と戦うことには慣れていないんだよ。要するに、お前と戦うのはいつもと勝手が違うってことだ。それに大抵やつは大剣を使っていて、レイピアみたいな軽い、細い剣は使わない」
「……」
 シェレンは黙りこくって、一度大きな瞬きをした。
「だから、その勝手の違いに戸惑っている間が勝負だ。その間に攻め込んで勝負を決めるか、それとも怪我を負わせるんだ。何も戦闘不能になるほどのものじゃなくてもいい。とにかく奴のけたはずれの強さを殺げるだけの怪我でいい。そうすれば互角に持ち込めるだろう」
「何だかそれは」
 彼はおもむろに口を開いた。
「卑怯なような気もするし、バーネットがそんな単純な男だとは、俺は思わないが」
「何を言ってる」
 クライヴが口を挟んだ。
「これは決闘なんだぞ。お前は母君の名誉がかかってるし、あっちは妹をお前に渡すまいと必死になってくるだろう。それでお前がそんな気弱でどうする。まあ――お前らはどっちも州候、州伯の息子だから本気で殺しあうわけにはいくまいが……」
 元気よく言い始めた彼の言葉は最後のほうで頼りなく口の中で消えてしまった。だが、ふたたび思い出したように続けた。
「とにかく、バーネットに勝たれたら、フレデグント姫は一生いかず後家のままになってしまうかもしれないんだ。彼女のためにも頑張れ!」
「誰がフレデグントのためになど」
 シェレンが言ったが、二人はもう聞いていなかった。三人――というよりはクライヴとアルビオンが喧々諤々となりはじめたところで、カーティスの空気をふるわせて、澄んだ鐘の音が響きわたった。
「一つ……二つ……ディアナの三点鐘だ。そろそろ支度しないと」
「言われなくても行く」
 シェレンはぶっきらぼうに言った。

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