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                                *



「最後にいま一度確認したい」
 立会人として、シェレンとバーネットの双方が承諾した、ムラート内大臣が重々しく二人の決闘者を前にして告げた。
「シェレン・アルゲーディ、バーネット・ルデュラン、両名はともにクラインの誇る勇者にして、そのいずれを失い、あるいは傷つけるもクラインにとり、大いなる痛手となろう。祖国の平和と防衛への忠誠に免じ、この度に決闘の意思、取り下げてくれる気持ちはあるまいか?」
「折角のお取りなしながら」
 シェレンは答えた。
「このほうはその気持ちさらにございません」
「それがしも飽くまでも受けて立つ所存もだしがたく」
 バーネットも堅苦しく答える。答えを聞き、あくまで好人物のムラートは残念そうに二人を見比べた。
「各々に武人の面目、意地やみがたきことは重々承知ながら、クラインの誇る軍神たる両人いずれを傷つけるもあまりに口惜しければと思ったのだが」
「もはや聖帝陛下のご許可を得たるからには」
「一刻も早き対戦のみが願いにございます」
「では、どうあっても」
「どうあっても」
 二人は声を揃えた。ムラートは仕方なく頷く。
「やむを得ぬ。では、両人に決闘の心得を申し渡す」
 場所はレウカディアの定めた小馬場の中庭。周りに石積みの座席が階段状に作られた、馬責めや臨時の試合のための小闘技場である。
「武器はレイピア一本。刀子、投げナイフ、その他隠し武器を用いた者は、その場で敗れたものとみなす。勝敗は、いずれかが息絶え、あるいは手傷を負って戦えなくなり、あるいは剣を捨て降参の声をあげるまで。――シェレン・アルゲーディ方介添人、クライヴ青鷲隊長官、バーネット・ルデュラン方介添人リセラ・ルベルティノ精鋭軍副隊長、前へ。剣を選び、試し、両人へ」
 すでに早くから、よく見える場所を確保しようとして、人々は押し合いへし合いしていた。がやがやとひっきりなしのざわめきは両人がそれぞれ介添人に伴われて決闘場に姿を現したとき、大きなどよめきにまで高まっていた。
 バーネットは精鋭軍の軍装で、青銅色の胴鎧と肩当、篭手当、革の手袋の上から手甲を身につけ、軍靴を履き、かぶとは被っていない。対するシェレンも白竜隊の軍装を整え、紋章つきの胸当てと背当、肩当、腰当、さらに脛当を身につけて、同じくかぶとは被らなかったがバーネットよりも重装備であった。
 各々の介添人が捧げられた十振りの剣を一本ずつ選び、毒を塗られたり、何か小細工をされたりしておらぬのかを確認すべく交代で試し、そしてナカーリアに誓いを立てている間に、あらかじめ東の中央に設けられたロイヤルボックスとその下の特別席に、皇家の人々と、この決闘に何らかの関わりのある貴族たちが現れて着席した。
 先帝アレクサンデルをはじめ、二代前の皇帝の庶子――つまりは彼の異母姉、エレミヤ人の母を持つドムナ・フリスティナとその夫ミュロン公爵など皇家の血筋に連なる人々がロイヤルボックスに着いた。
 その下に人々の注視を集めつつ、はためにも青ざめた顔をしたフレデグントが地味なドレスに身を包み、クレメント――彼としても、ずいぶん間の悪い立場に自分が置かれていることはわかっていたが、それでもフレデグントへの気遣いのほうが重かったのだ――と、侍女のメルムに付き添われてほとんどくずおれるように席に着いた。
 さらにその隣には渋面というか辛そうな表情のワルター、彼に付き添われて、これもなかば失神しかけたようなアデリシア夫人、ナジア姫、カーティス公サライとお付きのアトとフェンドリックなどが席に着いた。
 最後にファンファーレが吹き鳴らされ、皇帝の出座が告げられたので、全ての人々は決闘者も含めて起立して迎えた。
 レウカディアはいつものように皇家の紫をさりげなくレースに取り入れた、落ち着いた黒のドレスに身を包み、皇帝の環を嵌めていた。そのおもては、いつもよりも青ざめて、バーネットに向けられたり、そらされたりしていた。
 しかしこの彼女の動揺はかすかだったので、あまり人々の目に付かなかった。人々は一斉に皇帝への頌を唱え、そして立会人は、二人の戦士と介添人たちをともなってロイヤルボックスのすぐ下にゆき、そこで彼らに忠義と剣の誓い、またこの勝負がどのような結果になろうとも決して互いに遺恨を残し、仇討ちや復讐の意図を誰にも許さぬことを誓わせた。
 これらの重々しく儀礼的な手順は、二人にとってただただ退屈なだけであった。もう一度、卑劣な振る舞いを見せぬこと、遺恨を残さぬこと、何か言い残すことはなどなどの注意を与えると、ムラートは二人の介添人を退場させ、鞘のまま自らの剣を抜いた。
 いよいよ決闘が始まるのだと知って、ざわざわと嵐の木々のようにざわめき、揺れ動いていた場内も静まり返る。その満場の注視のさなか、シェレンとバーネットは、介添人が選び、試して手渡した剣の鞘を払った。
 そしてその鞘を、ムラートに差し出した。それは、もはや剣を鞘におさめることはかなわない――死、敗北か、勝利か、それを決することなしには、この剣は決して鞘には収まらぬという、無言の最後の誓いである。
 ムラートは二本の鞘を受け取り、一つにして左手に捧げ持った。
「進んで」
 バーネットが東から、シェレンが西から。あらかじめひかれてある二本の線を踏んで、向かい合って立つ。
 その目はもはや、倒すべき相手から一瞬たりともはなれようとしない。
「かまえて」
 二人は剣をあげた。
 作法どおり、かすかな音を立てて、剣の切っ先から三分の一ほどのところを打ち合わせて交差させた。
 ムラートは、鞘ごとの剣を上げ、その交差した二本の剣を上から押さえた。
 これまで何度も誰彼の間で戦われてきた、レイピアによる試合である。レイピアの名手と定評のあるシェレンも、公式の場で戦うことはあまりないけれども、クライン一の剣士といっても過言ではないバーネットも。
 が、今日は違う。
 今日の決闘は、どちらかの息が絶えるまでを条件付けているのだ。恐らく、息を詰め、早くも手に汗握って見守る人々、クライン宮廷の紳士淑女のうち、実際にこの二人のどちらかが血に染まり、息絶えることがあるだろうとまで信じている者は、この瞬間まではほとんどいなかったに違いない。
 皆、いつもの御前試合や、武芸大会のつもりで、どちらが勝ち、どちらが武人の面目を丸潰れにするか、と、ごく無責任な興味で詰め掛けたに過ぎなかっただろう。だが、何がそれを彼らに告げ知らせていったものか――
 ふいに、畏怖ともつかぬ戦慄がクライン宮廷の人々の心を貫き、過ぎていった。
 何かが、これは座興でも何でもなく、真実の決闘――必ず、どちらかの鮮血を大地に吸わせるまではおさまらぬ、不吉なサライルの神託なのだと人々に知らせた。
「三」
 ムラートは自分も蒼白になりつつ、唱える。
 レウカディアは氷のような無表情で、しかし底知れぬ夜の湖のような瞳は情熱めいた狂おしい光をたたえて決闘場から離れない。
「二」
「あ……」
 フレデグントは特別席の中で、半ば気を失ってクレメントの腕にくずれこんだ。
「一――」
 その隣で、心優しいアデリシア夫人が、実の息子と、愛する人の息子との果し合いの緊張に耐え切れず、目を覆った。その肩をワルターがそっと抱きしめた。
「始め!」
 叫ぶと同時に。
 ムラートの剣が二人の剣を叩き、同時に彼は大きくとびすさった。
「わあああっ!」
 小馬場を埋め尽くした人々の口から、この緊張から少しでも解き放たれたいとのぞんでか、獣のような叫びがほとばしる。
 その中で、二人の戦士はレイピアを稲妻のようにひらめかせ、一気に襲い掛かった。常の友情などかなぐり捨て、二人は激しい、白熱した戦いに身を投じていった。
 いつのまにか、人々は――前の列にいた人々は、総立ちになっている。
 レイピアが音高くぶつかり合うたびに、人々の口からははっと息を飲む音が漏れ、二人がとびすさって息を入れるたびに、人々の口からも、忘れていた呼吸を思い出したように、深い呼吸の音が漏れた。
 大概の人々――ことに武人たちの予想に反して、技量に勝り劣りがあるとは、見えない。シェレンは使い慣れた剣さばきを、バーネットは戦いなれた剣さばきをそれぞれ見せている。
 バーネットは、明らかに、うかうかとシェレンに切り込まぬように注意を払っているようだった。それは当然の警戒である。シェレンは肩当、背当、胸当、脛当をつけている。そのいずれかに打ち下ろせば、打ち方次第では細身のレイピアは折れてしまう。
 それがバーネットに攻め込ませぬためのシェレンの作戦であること、一方のバーネットの軽装備も、それほど理に適わぬものではなかったことが、戦いを見守る内の、少なくとも武人たちには理解されてきつつあった。
 たとえフットワークの軽い剣士だとしても、バーネットの方が大柄であるし、素早さではシェレンに劣っていることは確かである。彼ほどの剣技の持ち主ならば鎧なしでも充分防衛は可能であり、それならば身軽く動けたほうが、この際には有利であった。
 二人は激しくとび退り、ぐるぐる回り、打ち合い、という動きを繰り返していた。どちらも優れた剣士である。それぞれ試合、実戦の経験も――バーネットの方が多かっただろうが――積んでいる。今のところ、それぞれ互いの不利はまったく問題になっておらず、互角である。
 それは見ているものたちよりも、実際に剣を交えている当人たちにもっとも厳しく悟られていることであった。
 二人はしだいにとびすさる間が小さくなって、接近戦に入ってきた。剣が打ち合うたびに飛びすさっていたものが、剣を火花立ててぶつからせ、ぎりぎりと力を込めて押し合い、飛び離れると見せて、剣を返して再びぶつかる。
 シェレンは突いてはすかさず引く戦法を使いはじめ、バーネットは手首だけで剣を返してそれをはねのける。稲妻か白蛇のように互いの剣先がひらめき、二人の間で白い閃光が舞っているかのように見える。
「――すごい」
 我知らず、クライヴはうめき声を上げていた。クライヴもレイピアにはかなりの自負を持っている。
「二人とも、まるで鬼神だ。――これは、すごい試合だ!」
「試合ならな」
 低い声が答えた。アルビオンだった。
「これは戦いだぞ。果し合いなんだ」
「にしても――レイピア戦史上に残る名勝負になる」
 クライヴは言った。そして、わああっというどよめきの中で、思わず飛び上がった。
「ああっ! 危ない、シェレン!」
 重い甲冑の分、先に疲れを発したのか。シェレンの剣先が払おうとして、わずかにぶれてよろめいた。バーネットはすかさず一気に殺到する。
「きゃあーッ! シェレン様ーっ」
 姫君たちの悲鳴。
「や――やったか!」
 覚えずムラートは立会人の中立も忘れて絶叫する。
 とっさにシェレンは体勢を直し、避けきることは無理と瞬時に判断して横ざまに左の小手当てでバーネットの剣を受け、それが肩や首筋を襲うのを回避し、弾き飛ばした。しかしバーネットの剣はシェレンの小手当を切り裂き、生身にも傷を負わせていた。ぱっと血がしぶく。
「おおっ――」
 人々はどよめいたが、昏倒に至るまでの傷ではなく、シェレンはすぐに突きかけた膝を上げた。バーネットは躊躇わず、さらに切り込もうと上段に構えた。
「くっ……」
「ああっ!」
 再びシェレンが、今度は右腕だけで打ち下ろされた剣を受け止めたとき。
 すでに、小手当に切り込んだときに弱ったのだろう。
 バーネットの剣は、みごとに真ん中から折れて飛んでいた。
「あっ……」
 満場が息を詰めた。
 バーネットは折れた剣をそのまま構え、なおもひかぬ意思を見せた。
「覚悟――!」
 たとえ友とはいえ、シェレンは容赦しなかった。レイピアを腰の高さで真横に槍のように構え、まっすぐに突っ込んだ。
 わあっ、と人々が恐慌の悲鳴を上げる。
 バーネットは、シェレンがまさに突っ込んでくるという刹那、かすかな笑みを浮かべ、折れた剣でも彼ならば受け止めることができようはずの所を一歩も動かず、その切っ先の前に身をさらした。
「あ――」
 シェレンがはっとしたような表情を浮かべたが、勢いは止まらなかった。
「キャアアアーッ!」
 女たちの絹を裂くような絶叫。
 バーネットの胴鎧の、風通しのために空けられているわずかな隙間に、シェレンのレイピアの切っ先が突き刺さり、抵抗なくその身に埋まってゆき――
 バーネットは、目を伏せた。
 赤い髪、それよりも赤い血の色が宙に舞い、鎧下の白をみるみる染めてゆく。彼の体はゆっくりと後ろにのめり、大地に叩きつけられていった。
「バーネット!」
 誰よりも早くシェレンが駆け寄り、その傍に跪く。
 人々を支配する恐怖と恐慌の中、勝ち名乗りをあげることすら忘れて、茫然とムラート大臣が立ち尽くすうちに。
「お前――お前というやつは――」
 シェレンのうめくような、血を吐くような叫びを人々ははっきりと聞いた。
「バーネット、お前は――自ら俺の剣を受けたな。わざと……これが、これがお前の望みなのか。これが――」
 言いようのない激しい感情のまま、やにわにシェレンはバーネットの上に突き刺さっている剣を引き抜いた。
「な――何をする!」
 クライヴ、ムラート、アルビオンが垣をおどり越えて駆け寄った。シェレンは一思いに、友の血を吸った剣を逆手に取り直し、自らの喉を突こうとした。その彼をクライヴとアルビオンが折り重なるようにして取り押さえた。もがくシェレンの首筋にアルビオンがすばやく手刀を入れ、シェレンは気を失ってくずおれる。
 総立ちになった観衆がわけもなく絶叫し、怒号を続ける中で、思いもよらぬ修羅場となった決闘場に、二人の戦士は倒れ伏したまま動かなかった。
「まだ息がある」
 ムラートの声が響きわたった。バーネットが刺された瞬間、真っ青になって立ち尽くしていたレウカディアがその声を聞いてはっとしたように叫んだ。その声は誰のどんな声よりも会場の中に響いた。
「医師団を呼べ。――早く!」

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