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 五テルジンと経たぬうちに、カレルが戻ってきた。
「もう少ししたらディオン閣下も来るから、少し肩慣らしでもしとくといい」
「ありがとう。わざわざすまない」
 礼を言うと、カレルはにっと笑ってアルドゥインの肩をぽんと叩いた。
「いいってことよ。気にすんな。めでたく採用になったら仲間になるんだからな。それより、閣下が試験をご覧になるっていうのはめずらしいんだぜ」
 彼は紅玉将軍を呼びに行くついでに、新人採用の試験が行われるということを触れて回ったに違いなかった。いつのまにか、練兵場の周りや場内に向かった窓に、ずらりと見物人が集まってこちらを見ていた。衆人環視のプレッシャーに弱い者は、それだけで萎縮してしまうだろう。
(こりゃあ気が抜けないな)
 アルドゥインが嘆息しているうちに、当の紅玉将軍が執事を連れて現れた。見物人が群れてきてざわざわしていた周りの音が急に小さくなったのですぐにそれと知れた。紅玉将軍は白髪や顔に刻まれた皺から少なくとも六十歳以上はいっていると見えたが大柄で、威厳のある老人だった。
 ざわめいていた兵士たちが、彼の登場だけで静まるところを見ても、人望と尊敬のほどが窺い知れた。
「我が騎士団への入隊を希望しているのは、そなたか」
 将軍が口を開いた。声まで威厳に満ちていた。対するアルドゥインも思わず緊張してしまった。
「はい。アスキアのアルドゥインと申します。紅玉将軍閣下にあらせられますか」
「然様。わしが紅玉将軍、リュシアン・ド・ディオンだ。本来ならばこのような時期に採用はせぬものだがな。しかしここまで来た以上、追い出すのも忍びない。特別に試験を許可する。誰ぞ、相手をするというものはおらぬか」
「それじゃあ俺が」
 誰かが叫んだ。
「レイルが出るぞ!」
 一斉に賛成の声が湧いた。リュシアンはそれを片手で止め、うなずいた。レイルが野次馬の中から出てきた。典型的メビウス人で、顔はごく若そうだががっしりとした体格をしている。
 黒髪の男がこっそりと囁いた。
「怪我しないようにな」
「忠告ありがとう」
 アルドゥインはささやき返して、マントを脱いで練兵場の真ん中に出た。防具らしいものといえばくたびれた胸当てと籠手しかつけていない彼を見て、セリュンジェが驚いたように尋ねた。
「鎧なら貸してやるが、そのままでもいいのかい、アルドゥイン」
「これでも俺は一向に構わないよ」
「すげえ自信だな」
 観客の誰かが言ったのが、アルドゥインにも聞こえた。自信があったわけではなく、寒くて動きが鈍くなりがちなところに、さらに動きを鈍くする重い鎧など着けたくなかったというのが本当のところであった。しかしその説明をするのもわずらわしかったので、彼は言い返さなかった。
 取り囲んでいる兵士たちが歓声や囃し声を上げる。そのほとんどがレイルを応援するものである。アルドゥイン自身はまったくそんなことに影響されるタイプではないのだが、ちょっと気が弱かったりしたら、それだけで負けてしまうだろう。
「双方とも、用意はいいか」
 リュシアンが声をかけた。
 二人は試合用の刃のない剣を抜いてそれぞれ試合の誓句を述べ、一礼した。
「では、始め!」
 これから始まるだろうスペクタクルに、兵士たちは胸をわくわくさせながら身を乗り出し、ある者は前の者の肩につかまって爪先立った。だが彼らの期待は満たされぬまま、次の瞬間には試合は終わっていた。
「な、何があったってんだ?」
「すげえ、見えなかったぞ」
 一瞬の沈黙ののち、またざわざわと囁きや会話が蘇ってきた。レイル自身も何が起こったのか理解できぬように手元を見つめ、はじき飛ばされた剣を見やった。彼が打ち下ろしたはずの剣は敷石の上を回って、やがてぴたりと動きを止めた。
「レイルじゃ駄目だ。いちばん強い奴を出そうぜ」
「そうだ。セリュンジェ! ヴェルザーのセリュンジェが一番の使い手だ」
 兵士たちがまた騒ぎはじめた。雇用試験は今ので終わりではなかったのかとアルドゥインは思ったのだが、どうも場の雰囲気はそれを許してくれそうにも無いようだ。兵士たち同様にリュシアンも先程のレイルとの試合に納得したわけではなかったようで、彼らの要求を認めた。
「よろしい。ではセリュンジェが二度目の相手をするがいい」
(こいつが一番って奴だったのか)
 彼を連れてきてくれた相手と対戦というのはあまり嬉しいことではなかったが、皆のコールを受けたセリュンジェの方はやる気満々のようで、仕方がないな、などと言いつつも嬉しそうであった。
「アルドゥイン、異存はないな」
「はい」
 リュシアンの確認にアルドゥインは頷いた。先程と同じように試合の誓句を述べ合い、号令がかかった。
 先に攻撃を仕掛けてきたのはセリュンジェの方だった。アルドゥインはそれを受け止め、返す刀で剣の柄近くを打った。セリュンジェの手に痺れが走り、思わず剣から手が離れる。離れた剣は撥ね飛ばされて宙を一回転し、石畳をからからと音を立てて回りながら落ちた。
「勝負あり!」
 将軍の大声が響き渡った。アルドゥインはとりあえず一歩下がって、決まりどおり礼をした。セリュンジェもやや遅れて礼を返した。静まりかけていた練兵場が、またもや大騒ぎに陥った。
「セリュンジェにたった二合で勝ちやがったぞ」
「すげえぞ、沿海州の!」
 周りが騒ぐなか、セリュンジェは落ちた剣を拾い上げ、アルドゥインに近づいて肩を叩き、笑った。
「あんたは確かにすげえもんだ。この俺に一撃も入れさせねえなんてな。世辞でも何でもねえぞ、今のは」
「僥倖だよ。ただの」
 アルドゥインは同じように笑顔で答えた。元の所に戻ると、さっき彼に忠告してくれた黒髪の男が肩をどやしつけた。
「見直したぜ、沿海州のあんた! こうなったら信じねえかもしれないが、セリュンジェは本当に俺らの中じゃ一番だったんだからな」
「いや、偶然だよ。今度やったら分からない」
 汗をかいたせいでまた寒くなってきて、アルドゥインはおざなりな答えを返しながらマントをしっかり着込んだ。それに、彼らの賛辞よりもとりあえず今いちばん気になるのは、紅玉将軍の判定であった。
 見ると、リュシアンは何やら難しい顔をしていたが、やがてつかつかと彼に近づいてきた。また我知らず緊張して、アルドゥインは背筋を伸ばして待ち構えた。険しいとすら言える顔をしていたリュシアンはしかし、彼の目の前に来ると急に相好を崩した。
「見事だったぞ、アスキアのアルドゥイン。採用は決定だ」
「あっ、有り難うございます!」
 アルドゥインは弾かれたように深々と頭を下げた。だが、もっと驚く言葉が次に待っていた。
「そなたのその腕、一兵卒ではいかにも惜しい。どうだ、傭兵とは言わず、騎士としてわしに仕えるつもりは無いか」
「ええッ?」
 これはアルドゥインだけのせりふではなかった。周りにいた兵士たちも同様に驚きの言葉を発していた。その場でこの言葉を聞いていて驚かない者がいたとしたらその神経は並外れたものだったろう。
「お待ちください、将軍閣下。俺は一介の傭兵です。そのような儀は身に余ります」
 アルドゥインは慌てて断る言葉を探した。
「ではおぬし、採用は断るというのか」
「うっ」
 リュシアンの一言は強烈だった。要するに全てか無か、という選択を迫られたのである。アルドゥインの頭の中で、一気に色々な考えが駆けめぐった。いきなり騎士などになっては、軍内の風当たりは相当なものになるだろう。だがこの雪の中で傭兵としての仕事を探すのはなまなかな事ではない。それに、これ以上の好条件の所がそうそう見つかるとは思えない。
 そのようなことを一瞬で計算して、アルドゥインはとうとう折れた。
「……謹んでお受けいたします」
「よろしい。宿は市内にあるのか」
「はい」
「では宿に戻る前に、執事に部屋に案内してもらうがいい。その上で入り用なものなどあればこちらに移る前に買えばよいだろう。おお、そうだ。一テル後に水晶殿に参る用があった。おぬしもついて参れ」
「は、はい……」
 弱々しく、アルドゥインは答えた。老将軍は、何だか珍しいものを手に入れた子供みたいな喜びようでその場を後にした。将軍が行ってしまうと、集まっていた兵士たちも三々五々戻っていった。その場に残ったのは、彼らとは全く関わりなく個人的に訓練を始めた数名と、先程のメンバー四人とアルドゥインだった。
「閣下ってば、えらくお喜びのようだな」
 カレルが呟いた。黒髪の男がうんうんと頷いた。アルドゥインは思わずぼやいた。
「いきなり騎士だなんて、むちゃくちゃだ……」
「そんなに気にすることじゃないさ。閣下は地位とかじゃなく、腕っぷしだけで人を見てくださる方なんだよ。まあ、見どころのある奴を傍に置くのが好きってのもあるけどな。セリュンジェだってこれでも五番隊の小隊長なんだから」
「これでも、は余分だ」
 セリュンジェが彼をちょっと睨んだ。だが彼はてんで相手にしていなかった。
「それより、採用になったんだ。おめでとうを言わせろよ。ええと――アルドゥインだったっけ。おれはアロイス」
「俺はジョーン。予想はついてるだろうが、俺たち全員セリュンジェの部下だ。これからはあんたの部下にもなるのかな」
 栗色の髪の男がにこにこしながら言った。アルドゥインはいちいち一人ずつにこれから宜しく、と返した。いくら地位が彼らより上に決定しようと、先輩は先輩だったし、彼はそういう所の礼は欠かさない主義だったのだ。
「アルドゥイン、あんたの宿はどこだい」
 カレルが尋ねた。
「 《柳の花輪》亭ってとこだ」
「じゃあ近いな。部屋を見せてもらったらさっさと行ってこいよ。それとも、誰かを取りにやらせるか」
「ああ――でも連れがいるんだ。説明もしたいから自分で行くさ。そんなに多くないし、一人で充分だ」
「そうか。お別れはゆっくりしたいものだもんな」
 ジョーンが訳知り顔に言った。アロイスが興味津々といった様子で尋ねてきた。
「連れは何人いるんだ」
「三人。ティフィリス出身が一人と、クライン人が二人」
「傭兵か?」
「まあ、そんな所かな」
「何だよそりゃ」
 セリュンジェが不思議そうな顔をした。
「一人は傭兵専門ってわけでもないんだよ」
 傭兵はアインデッド一人で、サライとアトはクラインを追放になった元将軍とその従者だが、それを何と言って説明したらいいのか分からなかったので、アルドゥインはお茶を濁してしまった。
 アルドゥインはふと、サライとアトならおめでとう、と言うだけでそれで終わりという気がしたが、アインデッドが何と言うか少し気になった。寂しがり屋の彼である。それに、先に一人だけで職を決めた、と拗ねてしまうかもしれない。
(まさかなあ、子供じゃあるまいし)
 とは思いつつも、やはりそんな気がしてならないのだった。


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