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 彼ら四人が滞在を決めたのは、《柳の花輪》亭といういかにも春めいた名の旅籠であった。看板には青々とした柳の花輪が描かれていたのだが、それは半分がた雪に覆われて見えなくなっていた。
 オルテアに入って、寒さが和らいだというわけでもなかったのだが、俄然元気を取り戻したのはアルドゥインであった。彼はさっそく新しい勤め口を探しに出かけていった。一方、アインデッドは彼とともに勤め口を探すでもなく、オルテアに少ないながらもちょっと開けた街なら何処にでもある賭博場を探し当てて、そちらに出かけていった。
 彼にはセシュス伯爵からの賠償金と、ここに来るまでに用心棒で稼いだ少なからぬ金額の蓄えがあったので、それほど急いで職を探す必要も無かったのである。サライとアトは伯爵邸での給料しか蓄えがなかったのだが、宿代はアインデッドが気を利かせて彼らの分まで払っていてくれていた。
「おいアイン、お前今日も行かないのか?」
 オルテア入りして二日目の朝、出かけ際にアルドゥインはアインデッドに声をかけた。アインは毛布に包まったまま寝台に身を起こし、彼の方を見上げた。
「悪いけど一人で行ってこいよ」
「お前、風邪をひいたってわけじゃないよな」
 出て行きかけていたアルドゥインはくるりと向きを変えてアインデッドに歩み寄り、彼の前髪をひょいと退けて、額に額をくっつけてみた。寝起きだからか体温が高いようだが、風邪のそれではない。アルドゥインは少し安心した。
「――熱はないみたいだな」
「何すんだよ」
 アインデッドは頬を膨らませた。そうすると、いやに幼い表情になる。頭を払いのけようとして出した手を避けて、アルドゥインは身をかわした。子供扱いすると怒ることを知っていて、面白いので彼はアインデッドの頭を一撫でしてから扉を閉めた。枕がぶつかる音が背後で聞こえた。
「おや、お出かけ?」
「仕事探しにね。朝からご苦労だねおかみさん」
 玄関先の雪掻きをしていたおかみが、彼に気づいてにっこりした。今の時期にオルテアを訪れるのは、商人だとか飛脚くらいしかなく、この《柳の花輪》亭に宿泊しているのは彼ら四人と、昨日出ていった飛脚の男だけだったので、おかみや主人はずいぶん彼らに親しかった。
「にいさんは傭兵だったっけね。冬は傭兵の募集なんてしてるのか判らないわねえ。雪掻きの仕事だったらどこだって人手不足みたいなもんだけど」
「気長にあたってみるよ」
 アルドゥインは儀礼的に返して、昨日行かなかった光ヶ丘方面に行ってみることにした。オルテアの地理には明るくなかったし、どこも雪景色で変わり映えのない風景だったのだが、貴族の館などはさすがに規模や外観から何となくそれと知れた。そういう所を重点的に回って、近辺で傭兵を募集してはいないか尋ねたりもしたのだが、今は何処とも戦争をしていないし、その兆しもないので、なしのつぶてであった。
(こりゃあアインデッドの方が頭がいいかもしれねえな。寝てたって俺のつらを見れば結果が判るってんだから)
 そんな事を考えながら歩いていたので、アルドゥインは反対側から走ってきた男を避け損ねて、思い切り正面衝突してしまった。
「うわっ」
 身長が一バールと九十二バルスもある彼だったので、自身はそれほど衝撃もなかったのだが、ぶつかってきた男はそうもいかず、アルドゥインにぶつかった衝撃で方向を変えられ、慣性の働くまま道の脇に積まれていた雪の塊に突っ込んでしまった。
「すまない、大丈夫か?」
 まさか相手がこんなに見事に転ぶとは思っておらず、かといって自分が原因なので笑うわけにもいかず、アルドゥインはとりあえず謝って相手の腕を掴んで雪の中から引き出した。男は北方メビウス人らしく、短く刈り込まれた髪は雪にまみれてはいたが、亜麻色っぽい金色だということが判った。
「すまねえじゃねえ! 道の真ん中をぼんやり歩きやがって!」
 男は身体中についた雪を払いながらわめいた。
「しかも何だよ、俺をすっ転ばしておいて、自分は平気っていうのは!俺をバカにしてるのか? だいたい、そんなでかい図体で道を占領するんじゃねえよ!」
 相手の言いぐさに、アルドゥインは怒るのも通り越して呆れてしまった。
「あんただって、前をよく見て走れよ。俺の図体がでかいっていうなら、すぐ気づくだろうに」
「何だと……」
 彼を見て、相手はぐっと詰まってしまった。相手の男が特に小さかったというわけではなかったが、アルドゥインに対すると見上げなければならなかった。それで初めて、彼らはお互いをよく見ることになった。金髪だということはさっき判ったが、男の目は灰色がかった緑だった。歳はアルドゥインと同じか、一つ二つ上くらいだろう。
 男はわざとらしい咳払いを一つして、もごもごと呟いた。
「ま、まあ確かに、俺だって不注意だったかもしれねえけどよ」
「俺は謝ったんだが、受け入れてはもらえないかな」
 アルドゥインは今度こそ往来の邪魔にならないように、道の端っこに寄った。男もそれについてきた。一通り言いたいことを言って、気持ちがさっぱりしたらしく、随分快活な様子であった。
「こっちこそ謝るよ。ついかーっとなっちまってよ。――あんた、沿海州人にしてもでかい方だな! 何をやってる人だい?」
「傭兵だ」
 それを聞いて、男は満面の笑みを浮かべた。
「奇遇だな! 俺も傭兵なんだ。で、何処に所属してる?」
「今それを探してる所なんだ。あんたは?」
 尋ねると、男は自慢げに胸を張った。
「紅玉騎士団さ」
「へえ、そりゃすげえや」
 アルドゥインはお世辞でも何でもなく感心した。紅玉騎士団はメビウス騎士団の中でも最も格式高く、強い騎士団として世界にその名を馳せている。騎士団そのものが世界最強の名を冠せられており、騎士のみならず傭兵たちにとってもそこに所属している、していたというだけでも、大変な名誉とされたのだ。
 メビウス騎士団の編成は世襲軍人が指揮官クラスのほとんどを占め、また騎士も殆どが世襲である。その下には職業軍人と兵役義務をつとめる二十歳から二十四歳までの青年、一部が傭兵となっている。とはいえ傭兵を雇うまでもなく兵役と世襲軍人だけで常備軍の体裁を整えられるだけの国力を持つ国であるので、実際のところ傭兵にとっては憧れの国であると同時に就職の厳しい国でもあった。
「――そういや、前も見ずに走ってたんだ、急ぎの用があったんじゃないのか。怪我してるわけじゃないし、俺はこれで失礼するよ」
「ああ――ッ、ちょっと待ちな」
 歩き出そうとしたアルドゥインを、男がマントの端を掴んで引きとめた。喧嘩腰ではないものの何事かと思いながら彼は足を止めて振り返った。
「あんた、勤め口を探してるんだろ」
「そうだが」
「俺についてこいよ。紅玉騎士団の兵舎がすぐそこなんだ。今日は将軍閣下も来てるはずだ。いい機会だぜ」
 いきなりそんな親切なことを男が言い出したので、アルドゥインは耳を疑った。
「おいおい、そんな事言って大丈夫なのか。それに、用事は――」
「心配いらねえよ。どうせ、使いっ走りで飯を買いに出てただけだからな」
 男は紙袋をアルドゥインに示して見せた。転んだりぶつかったりしていたものの、紙袋には支障がないようで、アルドゥインはほっとした。おそらく人気のある屋台の食べ物を仲間に頼まれて買ってきたのだろう。
「あんたが将軍閣下の目に留まるほどの実力があるかどうかはしらねえけど、連れていくだけなら何も言われやしないさ。俺は何だか、あんたが気に入ったんだ」
 男は上機嫌で言った。どうしたものかとアルドゥインは一瞬思ったのだが、考えようによっては願ってもいない好機であるし、乗ってみる価値はあるだろうと思われた。それで、彼は男についていくことにした。
「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
「そうこなくちゃ。あんたの名前は? 俺はヴェルザーのセリュンジェ」
「アスキアのアルドゥインだ」
「ふうん、アルドゥインか。ま、うまくいくといいな」
 セリュンジェと名乗った男は、アルドゥインの背中を思い切り叩いた。おかげでアルドゥインはもう少しで凍りかけた石畳を滑るところだった。
 紅玉騎士団の兵舎は、彼らがぶつかった現場から程遠からぬ所に位置していた。オルテア城にも近く、道々セリュンジェが語った話によると、有事のときは何処の騎士団もほぼ同時にオルテア城に駆けつけられるような位置に配置されているのだという。兵舎は建物それ自体が壁のようになった造りの建物で、兵舎に囲まれた中央の広場が練兵場になっていた。練兵場はさすがにきれいに雪掻きが済んでいた。
 セリュンジェはアルドゥインを連れたまま、彼の友人たちが集まっている一隅に向かった。どうやら兵士たちが住んでいるのは二階以上で、一階は武器庫や食堂、厩が入っているようだった。彼が入っていったのは練兵場の脇に設けられた休憩所のような所で、壁に作り付けた石のベンチがあり、建物の中に入り込むように作られていたので、風が避けられるようになっていた。
「遅かったなセリュンジェ。朝飯で俺たちを飢え死にさせるのかと思ってたぞ。今日はどれくらい行列ができてたんだ?」
 そこには三人の兵士がいたが、セリュンジェの姿を認めて、一人が叫んだ。年齢は大体全員似通ったところだろう。声を掛けた一人はセリュンジェと同じような薄い髪色だったが、あとの二人はそれぞれ栗色の髪と黒髪だった。
「行列はいつもどおりだったよ」
 言いながら、彼は仲間たちに紙袋を手渡した。中にはミールの薄焼きパンに挟んだラッケの包みが四つ入っていた。まだ、湯気が立っている。三人は包みを分けて、一つをセリュンジェに渡した。
「後ろの連れは誰だ? お前に沿海州人の知り合いがいるなんて、今まで聞いたこと無かったぞ」
 黒髪の男が尋ねた。アルドゥインはどうしていいのか判らずに、セリュンジェと彼らとを交互に見やった。セリュンジェは相変わらず機嫌よく答えた。
「さっきニハーレ通りでぶつかったんだ」
「ぶつかって、どうして連れてきてるんだよ」
 尤もな質問を、その男はした。話している間に、彼らは朝食にかぶりついていた。
「傭兵で、勤め先を探してるっていうから、とりあえず連れてきた」
「お前なあ、捨て猫とかを拾ってくるのとはわけが違うんだぞ。――沿海州のあんた、名前は?」
 栗色の髪の男が言った。ミャオと同列に扱われるのはアルドゥインとしても心外だったが、しかしセリュンジェの動機はそれに似たものだったので、彼はその発言に対しては何も言わなかった。
「アスキアのアルドゥインだってよ」
 アルドゥインが答える前に、セリュンジェが言ってしまった。栗色の髪の男は非難めいた口調で言った。
「何でお前が答えるんだよ」
「誰が答えたって一緒だろ」
 というのがセリュンジェの言い分だった。彼らが言い合っている間に食事を済ませた、金髪の男が立ち上がった。
「名前はともかく、連れてきておいて、そこに突っ立たせとくわけにもいかんだろう。俺は将軍閣下と執事殿にお伺いを立ててくるよ」
「おう、すまねえな、カレル」
 セリュンジェは陽気に手を振った。たまたま彼にぶつかっただけだったのに、いきなり紅玉騎士団の採用試験を受けられるとは、幸先は良さそうであった。
(まさにサライルの災い、転じてヤナスの福となるってやつだな)
 アルドゥインは心中でこっそりつぶやいた。

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