前へ * 目次へ

Not to fairy tale 10


 死そのもののような静寂の中で、ロメリアは目覚めた。太陽の光は死に絶え、冷たく冷えた石畳の上にいつのまにか彼女は横たわっていた。
 いつ自分が気を失ったのか、憶えていなかった。意識を失う前の、最後の記憶となっている、約束を果たしてくれた《深きに住まう者》たちと別れの言葉を交わし、扉の向こうへと見送ったのが、まるで幾星霜ものかなたで起きたできごとのようだった。
 月もなく、星も見えない。暗黒の空には息詰まるような雲がどす黒く垂れ下がり、全てのものが黒い影法師と化している。それでも闇に慣れたロメリアの目は、文字どおりの無人となった広場の様子を余さずとらえることができた。
 人々が取り落とした鍬や鋤、棒切れ、置き去りにされた靴、引きちぎられた衣服の残りといったものが闇の中で場違いな花のようにほの白く浮かび上がっていた。復讐の成った証であるそれらを眺め渡しても、ロメリアの心にはさざなみ一つ立たなかった。あれほどにまで胸を締めつけた憎悪、魂を燃え上がらせた怒りは既に消えていた。
「何もない」
 ぽつりと、ロメリアは呟いた。
「……何を消したって、何を失ったって、ゴテルは帰ってこない」
 言葉にすると、その喪失感が更なる現実感を伴って心に重くのしかかってきた。背後に目を転じれば、砕け散った火刑台と、そのすぐ下に横たえたゴテルの亡骸とが見えた。ロメリアはのろのろと立ち上がり、亡骸のそばに跪いた。
 その死顔を撫でるようにそっと添えたロメリアの手は、血の気を失ったゴテルの肌とほとんど変わらぬ色をしていた。そこでようやく異変に気付き、はっとしたロメリアは袖を捲り上げ、腕がどうなっているかを確かめてみた。そこに現れた異変を確認したら、後は見るまでもなかった。艶やかな飴色をしていた肌からは全ての色が抜け落ち、雪花石膏を透けるランプの光のように白くなっていた。使った魔力の大きさを考えれば、異変は全身に及んでいるはずだった。
 かつて一夜にして成長を遂げた後に瞳の色が変化したのと同じで、身に余る力を行使した反動が現れたのだとロメリアは理解した。
 怒りに魂を支配されていたあの瞬間、限界を知らず湧き出すかに思え、血管のすみずみにまで溢れていた力は、本来使うべきもの、使いこなせるものではなかったのだ。だがそれを先に知っていたとしても、きっと自分は同じことをしただろう。己の何を代償にしても贖いをさせねば済まぬ感情があることを、今のロメリアは知っていた。
 そして復讐を終えた今、なすべきことは一つであった。
 硬い石畳を掘り返すには、若い娘の細腕だけでは時間がかかるだろう。だがこれは、誰の手も借りず自分の手と力だけで行いたいと、ロメリアは思った。
「ずっと忘れないわ、ゴテル。あなたと同じほどに私を愛し、私が愛する人以外にはもう、この名は誰にも呼ばせない。あなたの愛した地だから、あなたを生み、育み、あなたが命を終えた地だから、私は決してここを離れない。きっとよ」




 人々が死に絶えた村は、どこから伝わったものか悪魔に呪われた地として人々の噂となり、近隣の村や町からも打ち捨てられ、新たに住みつく者もなく年月が流れた。それは裏手に広がる森がかつて村であった場所を覆い隠し、そこに村があったことを知るものも伝えるものも絶えるほど長い年月であった。
 その森の中にはいつしか、幻のように白い一軒の屋敷が建てられた。敷地のほとんどを占める美しい庭の一隅には、ささやかな壁に囲われて鍵のかかる扉で封じられた場所があった。
「あの、鍵のかかっている扉の向こうには何があるのですか、奥様?」
 光そのもののような金色の髪と、太陽の光を一滴ずつ凝り固めたような黄金色の瞳を持つ十歳ばかりの少女が尋ねた。
「わたくしの大切な人――わたくしに愛を与え、その何たるかを教えてくれた人が、ここに眠っているのだよ、エルベティーナ」
 答えるのは、虹色の光を放つ黒曜石のような髪と、はかなく透ける藍玉の瞳、白大理石の肌を持つ女であった。彼女は少女と繋いでいた手を離し、扉にかけた錠の上で両手を複雑な形にひらめかせた。すると軽やかな金属音が響き、扉は目に見えぬ従僕が内側から開いたかのように独りでに動いた。
 壁の内側に秘されていたのは、一株の野薔薇であった。美しく茂り、自由に枝を伸ばしたその先には幾つもの花がついている。甘い香りを漂わせるそれは、淡く澄んだ青色をしていた。見たこともない色の薔薇に少女は息を呑み、目をぱちぱちと瞬かせた。
「なんて美しい薔薇なんでしょう。この花は、どうしてここに?」
「思い出に、その人が最も好きだった花を植えたのだよ。美しいと、好きだと言って褒めてくれたわたくしの瞳の色を与えてね。墓を建てるよりずっと、あの人が喜んでくれるような気がして」
 遠くを見るようなまなざしで、女は言った。その瞳が柔らかく弛み、心なしか潤むのを少女は見た。少女の視線に気付かぬ態で、女は独り言のように呟いた。
「あの人はわたくしを、初めて同じ人間として認め、扱ってくれた人だった。わたくしを娘のように愛してくれた。今のわたくしがお前を愛するように。そう……もしかしたらわたくしは、あの人に返せなかったものをお前を通じて返しているのかもしれない」
「その方のことを、教えてくださいますか?」
 少女の問いに、女は微笑んだ。
「それを話すには、わたくしの昔話から始めなければねえ。決して楽しくはないし、とても長い話になるよ。だがもう、お前も全てを理解できる年頃だし、いずれは知っておいた方が良いことだから話してあげよう。おとぎ話にはならないけれど」


【Not to fairy tale 終】


(2014.3.10up)

前へ * 目次へ
web拍手
感想を頂けると励みになります
後書きブログ記事へ。
ネット小説ランキング


inserted by FC2 system