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Not to fairy tale 8


 太陽の恵み薄い北の国で、ゆったりと、しかし確実に時は流れた。ロメリアの周りでは様々なものが変わっていった。象牙色をしていたゴテルの髪は次第に色あせて、金髪というよりも銀髪に近くなった。笑うと目尻や口元に現れていた皺が常に残るようになり、ついにはさざなみのような細かな皺が顔全体を覆った。器用に木の皮を剥ぎ、草を裂いて色々なものを作り出していた手も皺が寄り、染みが幾つも現れはじめ、肉が削げて節が目立つようにもなった。
 森の木々は成長著しいものなら二回り以上も大きく高くなり、あるものは枯れて消え、また別のあるものが芽吹いて伸びた。気の長いものにしか分からない入れ替わりが至る所で起きていた。あらゆるものが変化していく中、ロメリアもまた例外なく変化した。
 更に背が伸び、手足もまた伸びた。ゴテルが老齢によって縮んだこともあって、出会った頃には同じくらいだった身長は、今ではロメリアが手のひら一つ分ほど高くなっていた。顔からは幼さが名残もなく消え、氷河にさす青い影の色をした瞳には、無邪気な好奇心の代わりに落ち着きと深慮とが深い輝きを与えるようになった。
 ゴテルは外見だけでなく、内側も老いた。体の節々が痛み、長いことは歩き回れないようになっていたので、森に出て食料や薬の材料を探すのはロメリアが、家の中のことを行うのはゴテルと、担っていた役割もいつしか逆転した。それでもゴテルは村へ薬を売りに行く役割だけは決してロメリアに譲らなかったし、手伝わせることもなかった。
「どんなに見た目を変えても、狭い村のことだもの。ここに村の者じゃない人間がいるということはすぐに知られてしまうからね」
 そう言って、薬や治療を求めて直接小屋を訪れる者がいればロメリアをそっと裏口から出したり、物陰に潜ませて存在を隠した。浅黒い肌や髪の色によって、はっきりと南から流れてきた者だと分かるロメリアがこの北国にいる理由をかれらが納得いくように説明することは難しかったし、人の流動が少ない共同体は余所者や異端者に対して常に閉鎖的で攻撃的であることもよく承知していたので、ロメリアは自らまじないを使って身を隠すこともあった。
 そうしてロメリアは、二十年以上もゴテルと共に暮らしていながら、近在の村の者にはほとんど知られることなく過ごしたのであった。
「どうもしばらく、村には行かない方がよさそうよ」
 秋のある日、村から戻ってきたゴテルは背負っていた荷をロメリアの手を借りて下ろしながら言った。
「何かあったの?」
「まだ何も起きてはいないけれど、雲行きが良くないのよ。この頃、牛たちに病が流行っているでしょう? それが魔女のせいだと言って、隣村では領主様が遠くの教会から異端審問官を連れてくる騒ぎになったんだって。近いうちに彼らはこの村にも来て、魔女狩りをするに違いない」
「でも、それでどうしてゴテルが村に行けなくなるの? 魔女って、神様の教えに背いたり、人を傷つけたり苦しめたり、畑を荒らしたりする人のことでしょう? ゴテルはちゃんと教会にも通っているし、そんなこと一度だってしたことはないのに」
 悪魔と契約してよこしまな力を手に入れたものが魔女であること、箒に跨って空を飛ぶとか、子供を殺して食べる、墓場を荒らして死体を盗み怪しげな薬を作るだとかいった魔女の悪行というものを、ロメリアもごく幼い頃に信徒を脅す神父の説教や人々の噂話の中で聞いたことがあった。
 しかしそのどれもが荒唐無稽な作り話としか思えなかった。力とは生まれながらに備わっているものであって、自身の鍛錬によって高めることはできても、持たざる者が手に入れることはどうあってもできないものだと知っていたからだ。
 なので心から不思議に思い、ロメリアは思ったままを訊ねた。
 実際にはゴテルとほとんど変わらない年数を生きているにもかかわらず、今なお二十歳そこそこの若い娘にしか見えないロメリアは、人ならざる者たちとの交わりが長かった分、人について知っていることはひどく偏っていた。特に世の中の動きや流れについてはずっと隔絶された暮らしを送っていることもあって実感に乏しく、見た目は同じ年齢の人間よりも、ある種の知識は大きく欠けているところがあったのだ。
 ゴテルはロメリアのそんな妖精めいた純粋さを愛していたので、また一つ人間の愚かな、わけもなく残酷な一面を教えなければならないことに心を痛めた。
「私が本当に魔女であるか、そうでないかなんて、魔女狩りをしている連中にはどうだっていいんだよ、ロメリア。彼らが捜しているのは本物の魔女ではなくて、誰に魔女の名をつけることができるかなんだから。私は薬草を売ったり、お医者にかかることができない人たちの傷や病を治すことで暮らしを立てているだろう? そういったことは、呪いをかけているだなんて難癖をつけられやすいんだよ。だから危ないのさ」
 少し考えてから、ロメリアは口を開いた。
「自然のあらゆるものに魂があると知っていることも、それを信じていることも、その人たちに言わせれば魔女の証になるのね?」
 ロメリアはかつて魔界の友に教えられたことを思い出した。この世界はたった一つの『真実』しか許さない世界なのだ、ということを。ゴテルは頷いた。
「何てばかばかしいことなのかしら。現実にはいもしないものを捜そうとして、関係のない人を傷つけたり殺したりするなんて。魔女なんかより、魔女を殺したがっている人たちの方がよほど恐ろしいし、醜いわ」
 ロメリアは美しい眉をひそめ、魔女狩りという名の嵐がここまで及んでこないことを祈った。それから数日後、ロメリアは地中で暮らす妖精から、地上には滅多に出てこない希少な茸や薬草をもらう代わりに異界に出かけ、かれらが求める竜の息吹から生まれる炎を手に入れてきた。
 竜との交渉に少し時間がかかってしまったので、待たせてしまったゴテルを喜ばせてやろうとロメリアは考えた。そこで帰宅する前に足を延ばして森を貫いて流れる小川のほとりに寄り、水辺に生える薬草を摘んだ。円い石の間を縫ってゆく浅くか細い流れは、村の外れで森と村との境界を成す川に合流するのであった。
「茸も手に入ったし、これも摘んでいけばきっとゴテルが喜ぶわ」
 穏やかな午後の陽射しの中で、ロメリアはきらきらと髪を輝かせながら暗赤色の縁取りを持つ草や、川の上に枝を伸ばす木から綿毛のような白い花を摘んだ。唇から自然と歌が零れ出し、陽気に跳ねまわる水と風の精霊たちと声を合わせ、せせらぎの音のようになめらかで軽やかな旋律を奏でる。梢に宿る小鳥たちもそこに加わり、妙なる和音を響かせていた。
 突然、小鳥たちの声がはたと止んだ。水の精はぱしゃりと尾で水面を叩いて潜り、風の精はオパール色の翼を開いて飛び去っていった。驚いて顔を上げたロメリアの鼻先に、不穏なきな臭さが届いた。
 森に満ちる豊かな、清らかで爽やかな植物と土の匂いをはらむ湿り気を帯びた大気の中に紛れこんだ、微かな芳香の混じる何かが燃える匂いが、ひとすじの流れとなって彼女のもとへと運ばれてきている。ふいに不吉な予感が石の翼のようにロメリアを打ちすえた。
 急いでロメリアは駆け出した。獣道を踏み、倒木や小さな茂みを飛び越えて小屋へと近づくにつれ、火災のにおいは強くなるばかりだった。やがて森の外へと続く小道が多くの人と獣によって踏み荒らされ、脇の草花がなぎ倒され踏みにじられているのが見えた。そこでロメリアは一度立ち止まり、うずくまって剥き出しの地面を確かめた。深く刻まれた蹄鉄の跡――この静かな森では今まで一度も目にしなかったそれに触れると、乗り手たちの興奮と、そして敵意とが指先を伝わって感じ取れた。
 熱された金属に不用意に触れてしまった時のように、ロメリアはぱっと手を離してもう一方の手で指先を包んだ。今や予感は確信へと変わりつつあった。あの、優しく善良なゴテルに、つい最近も二人で話し合ったばかりの恐ろしい災いが降りかかったのだ。薬や癒しを求めてやって来る村の人々のため、家全体に目くらましのまじないをかけることは控えていたのを、ロメリアは強く後悔した。
 細い道を抜けて木立が途切れる一角にたどり着いた時、ロメリアは鋭く息を呑んで、握りしめていた薬草を取り落とした。
 家の前に美しく整えていた薬草園は馬の蹄に踏みにじられ、その傍に設けた藁作りの蜂の巣箱もひっくり返り、住みかを荒らされた蜜蜂たちが周囲で怒りと悲しみを表すように不気味な唸りを立てている。そしてロメリアとゴテルのささやかだが穏やかで幸福な生活を抱いていた粗末な家はくまなく炎の舌に舐め取られ、薄く剥いだ木の皮と葉の付いた枝とを被せて作った屋根は全て焼け落ち、蛆にも似た赤い燠火が黒焦げになり焼け縮れた剥き出しの梁や柱の上を這いずり回っているさまが、ロメリアの目の前に広がっていた。
 襲撃を受けて間もないことは明白だったが、しかしついさっきのことでもないのは、家を焼き尽くした火が燻ぶる燠火を残すばかりになっている事、近づいても熱気はほとんど感じられず、地面は冷えはじめていたことから読み取れた。
 二人が育て、貯えていた種々の薬草が燃えて発する芳香を、樹脂の多い丸太が燃える焦げ臭いにおいをロメリアの鼻は嗅ぎ取り、そこに厨房で嗅ぐおぞましくも食欲をそそる焦げた肉の臭気が混じってはいないかと神経を研ぎ澄ました。
 驚愕と悲嘆とに計り知れぬ衝撃を受け、自分自身をも見失いそうになるほど混乱していたロメリアが、その場に残されたぐちゃぐちゃに入り乱れた人馬の気配、毒に満ちた煙さながら大気にわだかまる悪意の中に、ゴテルの気配の残り香――微かな上に、恐怖によって乱れていたのでさらに気付きにくかった――が埋もれている事に気付いた時には、既に太陽は西方の山々の彼方に姿を消そうとしていた。
 女の骨格にしかできない形で、太股の内側を地面にぺたりと付けてその場に呆然と崩れ落ちていたロメリアの目に、さっと光が戻った。風の中に天敵の匂いをかぎ取った野生の獣のように顔を上げ、全身を受信機と化して周囲の気配を探る。すると敵意と害意、狂乱が渦巻く混沌の中に、ゴテルの魂が放つ優しく清らかな光が、かすかな水脈(みお)を引いて森の彼方へと続いていっているのがようやくにして見えてきた。
「……生きているのね、ゴテル」
 ロメリアは呟いた。家を焼いたのは住人を殺すためではなく、火による浄化のつもりだったのだろう。襲撃者たちはゴテルをこの場で殺すことはせず、いずこかへと連れ去ったのだ。だが即座に殺さなかったからといって、ゴテルが無事でいると楽観的に考えることを、ロメリアはしなかった。人々がゴテルに魔女の嫌疑をかけたのだとすれば、ただ殺されるだけよりもなお悪い、恐ろしい運命が彼女の身に降りかかっているだろうことは間違いない。
「早く……早く助けなきゃ」
 立ち上がったロメリアは、今度は森の出口をさして走りだした。木々の枝に遮られて、空に残る光も既に届かなくなった青い闇の中を、記憶と蝙蝠さながらの反射音への敏感さを頼りに、木の幹を避け、ねじくれた根を跳び越えていった。息の続く限り、足を動かせる限り、ロメリアは速度を緩めることなく走り続けた。これほど必死に走ったのは、数十年前に生まれ育った村を出た時以来だったが、あの時とは全てが異なっていた。
 危険から逃れ、離れようとするのではなく、待ち受ける危険のただなかに向かって彼女は走っていた。そして自分の生命や身を守るためではなく、他者を救いだすために、そうするのであった。
 ほんの一刻ほどの仮眠と休憩を取っただけで、ロメリアはひたすらに夜を駆け抜けた。青々と茂る木々の密度が次第に低くなり、まばらな木立となってやがてなだらかな丘陵地が姿を現した。色合いも様々な緑のパッチワークのような畑と牧草地を過ぎたその先には小さな村があり、そのさらに向こうには再び森が現れる。
 村の建物の屋根々々が、曙色に染まり始めた空から射す檸檬色の光に照らされて黒く浮き出していた。その中に一つだけ抜きんでて高い、十字架を頂くほっそりとした白い鐘楼があった。それが村唯一の教会であり、村の中心部である。
 仮面のように、全ての表情が消えたロメリアの顔に、緊張に満ちた生気が蘇った。彼女は鋲を打った靴の足跡のことを、踏みにじられた庭のことを、内包する思い出ごと燃やしつくされた我が家のことを考えた。そして村へと真っ直ぐに続いているであろう、足元の馬蹄の跡と轍とをもう一度眺めた。
 気配を追うまでもなく、あらゆるものが、襲撃者は町から領主の命令で――或いは領主に請われてやって来た者の命令で――ロメリアとゴテルの静かな生活を破壊し、迫害を加えたのだと指し示していた。
 ロメリアは乱れるまま背に流れていた髪を束ね、腰に巻いていたエプロン代わりの布を外してそれで慎重に髪を包み、頭を覆った。
 日が完全に昇る頃には村に着いているだろうが、明らかに異国の者だと知れる姿では人目を引きすぎるし、下手をするとそれだけで犯罪者や妖術使いだと疑われることもあるのを見越して、長らく使うことがなかった姿を変えるまじないを己にかけた。ダイヤモンドの炎にも似た光を放つ黒髪をくすんだ金髪に、浅黒い肌を夜明けの白雪のような青白いピンク色に見せるまじないである。それでも狭い共同体では誰もが顔見知りで、異邦人ならずとも知らない顔はすぐにそれと分かってしまうので、姿を消すほどではないが気配を絶ち、人々の目をそらすまじないもかけた。
 そのほか、必要と思われる全てのまじないをかけ終わり、ロメリアは暁の光の中を、一歩一歩を確かめるような力強い足取りで村目指して進み始めた。


(2014.2.20up)

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