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Not to fairy tale 7


 幾つかの季節が過ぎ、ロメリアは多くの土地を巡った。生まれ育った地よりも遥か南の赤い荒涼たる乾燥地帯、西の灌木ばかりが茂る灰みがかった大地、東の緑ゆたかな森と平原を歩み、様々な見聞を広めた。その間に失った力を取り戻し、その使い方にも習熟していった。いつでもキーラウたちの住む世界に戻ることができるようになっていたが、ロメリアは自らが生まれた世界にもまだ知らぬもの、知るべきものは多いことを知り、旅を続けた。
 今では昼間に人々の合間を歩いても目を引かぬ幻を自らの体の上に纏うことを覚え、闇夜にあっても彼女の存在を明らかならしめる虹色の光を隠す術も会得したので、旅はさほど危険なものではなくなっていた。
 そうして人と触れ合う機会が増えた結果、親しくなった者のために力を使うことも多くなった。姉たちと同じように着飾って踊りに行きたいと嘆いていた娘のために、妖精たちが作り上げた美しいドレスと魔法の靴を貸してやったこともあるし、貧しいのにちっとも働かない継母と義姉に家事を全て押し付けられていた娘に同情して、二人にちょっとした悪戯を仕掛けて改心させてやったこともある。だが最も多かったのは、大地に働きかけてほんの少しだけ作物の育ちを助けてやったり、水脈を探し当てて井戸掘りを楽にしてやったりといった穏やかなわざであった。
 もっとも、日々の営みにそっと手を貸してやれるのは平和な時に限られていて、身を守るために少々荒っぽいまじないを使うことも多かった。眠れる魂を狩猟好きの妖魔のもとに送るようなことは滅多に起きなかったが、あれ以来全くなかったというわけでもない。平和よりも騒乱の時の方が長い時代であった。
 訪れたいずれの地においても一月以上とどまることをせず、漂泊の生活を続けていたロメリアだったが、黒々とした森に抱かれた北の国でようやく旅に一つの区切りをつけることとなった。
 綿のように白く柔らかく、それでいて針のように肌を刺す冷たさの雪の中を、ひょんなことから親しくなった水銀色の目をした狼たちと共に歩いていた時のことである。
 雪を被った何かの茂みと思っていた場所に布の模様を見つけたロメリアは急いでそこに近づき、塊の上から雪を払いのけた。すると現れたのは、ぼろぼろの服を身に付けた、ひどく痩せた女の体だった。肉のそげ落ちた頬や色の失せた唇のせいで正確な歳は掴みづらかったが、とても若いわけでもなければ歳を取っているわけでもなく、三十代から四十代の間くらいの歳だと思われた。
 狼の一頭が生死を確かめるように女の首筋に鼻面を押し当ててにおいを嗅ぐと、小さな呻き声が上がり、女の眉がぎゅっと寄せられた。このはっきりとした生命の兆候を見て、ロメリアはただちに行動を取った。女の全身に降り積もった雪を取り除き、服の中にこれ以上の寒気が入りこまないようにまじないをかけてやった。それから群れで一番大きな狼の背を借りて女を乗せ、彼女の住居まで送ってやったのだ。
 足跡はすっかり雪に覆い隠されていたが、ロメリアが女を発見した場所から森の奥の粗末な小屋まで、女が通ってきた道すじには彼女の、ほんの少しだけ木々や大地の精霊に似た気配がうっすらと残っていた。
 膝まで積もった雪のせいで塞がれていた扉を苦労して開け、家の中に入るとそこは外の気温と全く変わらなかった。炉の灰は冷え切っていて、薪はおろか焚きつけになりそうなものも全く見当たらない。台所には氷の張った水がめが置かれていたが、天井から吊るされた風味づけの植物と壺の中の塩以外に食べ物の蓄えはないようだった。
 ロメリアはひとまず女を今にも壊れそうな寝台に横たえてやってから、ここまで一緒に来てくれた狼たちに礼を言い、厳しい冬の間かれらが獲物に困ることがないよう、雪や風にその鼻を邪魔されたり傷つけられたりしないための守りを授けてやった。
「また機会があったら、一緒に森を走りましょう。私はしばらくこの人を看てあげようと思う。悪い人ではなさそうだし、そんな人が死にかけているのを放ってはおけないから。――いいえ、そんな気を遣ってくれなくても大丈夫よ。自分が食べるものは自分で見つけられるから。でも、そうね。こんなに寒いのに、この人のベッドには薄い布しかない。あなたたちが食べ終わった後の毛皮を貰えるとありがたいわ。無理にとは言わないし、思い出してくれたらでいいけれど」
 狼たちは了解の返答として一声吠え、雪煙を蹴立てて森の奥へと走り去っていった。それを見送ったロメリアは、家の中に戻って女の手当てを始めた。まずはそれまで自分がくるまっていた、小さな動物の毛皮を集めて縫い上げたマントを脱いで女の体をそれでしっかりと包んでやり、寒気よけのまじないを更に厳重にかけた。それから屋根や壁に空いた穴や隙間を同じようなまじないの力で塞いだ。いずれきちんと修理しなければならないほどの荒れ具合であったが、これで隙間風と雨漏りの問題は当面のところ解決した。
 女が家の中だというのに凍死してしまう危険は無くなったので、ロメリアは外に出て薪になりそうな枯れ枝と食べ物を探すことにした。彼女の才能をもってすれば冬の森でも食べられる木の実や草を見つけるのはたやすかったが、何しろ数が少なかったため時間がかかり、充分と思える量を集めて、両腕にいっぱいの薪と一緒に持ち帰った頃には薄闇のとばりが降りはじめていた。
 雪で水気を含んだ枝はなかなか火がつかなかったか、根気強く内部の水に働きかけて乾燥させ、火の精にも協力してもらった結果、無事に燃えはじめた。充分に火を熾して、鍋で雪を溶かして水を作り、集めてきた木の実と冬越しの芽を煮て食事の用意をしていると、背後で女が身じろぐ気配がした。
「よかった、目が覚めたのね」
 微笑みかけると、女は自分の身に起きたことをいまだ把握しかねているようではあったが、ぎこちない笑みを返した。女の目は北国の者らしい淡い氷の色をしており、起き上がった拍子に外れた頭巾からこぼれ落ちた金髪は古い象牙に似た色をしていた。
「私を運んでくれたのはあなたなの、お嬢さん。もっとたくさん、誰かがいたような気がするけれど」
「あなたを見つけたのは私。でも運んでくれたのはこの森で知り合った友だちよ」
 ロメリアは雪で磨いた木の椀に質素なスープを盛り、椀と同じように戸棚から見つけた匙を添えて女に渡してやった。
「ありがとう」
「どうしてあんな所に倒れていたの?」
「見てのとおり、食べ物が底をついてしまったのよ。だけど外に出てもこの雪で何も見つからないし、村に行っても追い払われるだけで、どうしようもなくて。そのうち寒さと空腹で動けなくなってしまって……それで気を失ってしまったのね。あなたが見つけてくれなかったらきっとそのまま死んでいたわ。お友達にもよくお礼を言わなければ」
 温かいものを胃に入れるだけで体を温めるのにはかなりの効果があったらしく、椀の半分ほどを食べ進めた頃には女の顔色は見るからに良くなり、はっきり喋れるようになっていた。
「そのうちここに来るかもしれないけれど、その時はどうか怯えたり、怖がったりしないであげて。あなたを傷つけることは決してないと約束できるから」
「あら、どうして? 随分荒っぽい人なの?」
「いいえ、人じゃないわ。ここまで一緒に来たのは狼たちなの」
 すると女は大きく目を瞠った。驚くのも無理はないとロメリアは思ったが、嘘をついてもいずれ判ってしまうことだったので最初から何も隠さないことにした。それに、この女はロメリアの友だちが人間でないことをそのまま受け入れてくれるような気がしていた。目を覚ましたその時から、女は薄暗がりに輝くロメリアの髪について一言も言及しなかったし、他人の存在に驚きはしてもその目に奇異なものを見る時の本能的な嫌悪や忌避感は全く感じられなかったから。
「狼が友達? あなたは狼と話すことができるの? ではもしかして他のものと――花や木々と話すこともできるのかしら? 話すだけじゃなくて、風の中や水の中に住む者たちを見ることや、その力を借りることは?」
 肯定の意思を示して頷いてみせると、女はすっかり感心した様子でため息をついた。
「なんてこと! 十字架にかけられたお方がこの世においでなさるよりもずっと前からこの世界を守って下さってきた神々の姿を、あなたは見ることができるんだね。生きている間にもう一度、神々の祝福を受けた人に会えるなんて思っても見なかったわ」
「私の言うこと、おかしいと思ったりしないの?」
 ロメリアは非常な驚きに打たれて訊ねた。自分の風変わりな友だちの存在をそのまま受け入れ、それどころかロメリア自身をもありのままに肯定してくれる相手など、この世界の同胞では彼女が初めてだった。
「何のおかしいことが? 古い神々や自然の万物に宿るものたちに愛されるなんて、望んでも得られることじゃないと言うのに。羨ましいくらいよ。あなたは普通の人には見えないものを見て、聞こえないものを聞く力がある。それは素晴らしい賜物だわ。私にはただ、彼らの存在があるかないかくらいしか判らないのだから」
 女の持つ気配が、他の人間とは少し違っていた理由――精霊たちに感じるものに似ていると感じた理由を、ロメリアはここでようやく理解した。彼女はロメリアほどではないが、異界の力を感じ取る力を持っているのだ。
「あなたのような人や、私をおかしいという人が多いのは承知しているよ。でなければ私が人を避けて、人に避けられてこんな所で一人で暮らす必要はないものね。でもやっぱり、おかしいなんてことはないんだ。きっと昔は誰もが持っていた力を失ってしまって、あなたはそれを持っているというだけのこと。ただそんな人間はとても少ないから、そうじゃない人間には奇妙に見えるというだけでね」
「そんなふうに言う人は、私はあなたが初めてよ。ずっと、私はこの世界では居場所のないものだと思っていたわ」
「それなら私だって似たようなものよ。でも、南から来たお嬢さん。私はあなたを歓迎するわ。助けてもらってこう言うのもなんだけれど、どうぞ好きなだけここに居てちょうだい。私の名前はゴテル。あなたは?」
「私はこの世界ではロミと呼ばれているの。でもあなたにはロメリアと呼んでもらいたいわ」
 真実の名を人間に名乗るのは初めてだったが、彼女はそれに値する相手だとロメリアは判断した。そして勧められるまま、しばらくゴテルの家にとどまることにした。飢えと寒さで弱り切っていた彼女にはまだ看護が必要であったし、ロメリアには目指すべき場所も出ていく理由もなかったので。
 雪に閉ざされた冬の間、二人はロメリアが採ってくる草木と、狼たちが気まぐれに持ってきてくれる獲物の皮に残ったわずかな肉を集めて食事とした。その毛皮はあり合わせの道具でなめして縫い合わせ、箱に詰めた枯れ草のベッドを覆う布団にした。薪は常に足りなかったので、毛皮の布団を作ることができたのは非常にありがたいことだった。
 夜語りにロメリアは生まれ育った南の村で出会った人ならざる友のこと、優しく知恵深い《遠耳の殿》のこと、白い羽毛に覆われた美しい蛇の友のことを話した。そのお返しにゴテルはかつて自分が住んでいた村にいた、ロメリアと同じように七色に輝く銀髪を持っていた少女のことを話した。
 その少女からゴテルは、古い神々は言い伝えの中だけではなく今も森や湖のあちこちに住んでいることを教えられ、自然の中に感じ取っている気配は気のせいでも何でもなく、現実にそこにいるものなのだと知ったのだった。だが少女が今はどうしているのかについて、ゴテルは言葉を濁して口を閉ざしてしまった。それでロメリアは全てを察した。少女はロメリアのように逃げきることができなかったのだ、と。
 春になるとゴテルは完全に健康を取り戻し、ロメリアと共に森に出るようになった。そこで彼女は薬効のある草花、木の皮や実、根などを採り、さまざまな薬を作った。それを村で売り、時には交換して、森では手に入らない塩や穀物、布を手に入れるのがゴテルの生活の手段だった。唯一の神以外の存在を信じているというので村の人々から疎まれてはいたが、彼女はそんな村人たちも一目置かざるを得ない優れた癒し手であった。
 ロメリアは彼女の留守の間、まじないで保っていた家の修理を少しずつ行った。そして合間にはゴテルに教えてもらった薬草を集めたり、ささやかな庭に移植したそれらの世話をしたりした。また彼女は食料となる果実や鳥の卵などを毎日採ってきたので、その日その日を暮らしていくのがやっとだったゴテルの生活は、貧しいことに変わりなかったが、秋を迎える頃には冬に向けて幾らかの蓄えを作ることができるまでに上向いていた。
 そして森に最初の雪が降った晩秋のある日、ロメリアはこの冬もここで過ごしてよいだろうかとゴテルに尋ね、ゴテルは快く、かつ喜んでその申し出を受け入れた。一年が過ぎるうちに、二人の間には姉妹のようであり、親子のようでもある奇妙ながらも細やかで深い友情と愛情が芽生えていた。ゴテルは生まれてすぐに亡くした子供に注ぐことができなかった愛情をもってロメリアに接し、ロメリアは初めて得ることができた同胞の理解者に敬意を払い、その愛に友情をもって応えた。
 ロメリアにとってそれは、《遠耳の殿》キーラウのもとで過ごした三十年に次ぐ、穏やかで優しい日々であった。


(2014.1.20up)

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