前へ  次へ
Not to fairy tale 2


 そんなふうに、立ち寄った先々で新しい場所を教えてもらい、木の実や果実、茸を籠に入れている間に、ロミは知らず知らずのうちに森のさらに奥へと入り込んでいた。その合間に悪戯好きな風の妖精と戯れたり、気難しい地の妖精のごきげんを取ったり、初めて出会う木霊とお喋りしたりするのにすっかり夢中になっていたので、時間の経過をすっかり忘れてしまった。父やきょうだいたちと別れた場所に彼らがまもなく戻り、ロミが近くにいないことを確かめてから逃げるように村に戻ってしまったことを、だから彼女は知らなかった。
 古木が倒れたせいで生まれた、森の中にぽっかりと空いた穴のように開けた場所で野イチゴを摘んでいたロミがふと顔を上げると、先ほどまで森であったはずの目の前には全く別の景色がうっすらと重なって広がっていた。みどりの闇へと続いている木々の梢の下には、遮るもののない紫の空が、陰性の植物が生い茂る地面にはちらちら、きらきらと光を自ら放つ不可思議な花が咲き乱れていた。
 それはまるで磨き抜いた銅のような赤、或いは熱された真鍮のような白に輝いており、花芯のあるはずの場所には青白い陽炎が立ち、実際に燃えているようだった。硬さを予感させる金属質なその花の輝きは、命あるもののようには全く見えなかった。風にそよぐたびに火の粉を散らす、妖しくも美しい異界の花畑であった。
「ふしぎな花……あれは何かしら」
 ロミが独り言のように呟くと、傍らにいたシダの精が耳元に囁いた。
「やっぱり、あなたにもあれが見えるのね。あれは始まりの世界の一つよ、ロミ」
「始まりの世界? それは何? みんなが生まれた世界とは違うの?」
「ええ、ええ。もっと古く、ずっと強いものたちが住まうところ」
「私たちが生まれた世界よりも、ずっと古い世界よ」
「似ているけれど、違うの」
 その場にいた精霊たちは口々に肯定した。
「ふうん」
 ロミは理解できたような、できないような曖昧な状態のまま、首を傾げて再び異界を眺めやった。
 上質な紫水晶のような、透明でありながら濃いすみれ色の空はまるでたそがれゆく夕空のようであったが、太陽や月はおろか星すらもそこにはなく、それでいて暗さは全くないのだった。こちら側では想像あるいは伝説でしか語られぬ動植物が栄え、見慣れぬ色の空が広がり、昼夜の別の無い世界ならばロミはこれまでにも幾度か目にし、その幾つかには実際に足を踏み入れもしていた。
 しかし今、彼女の眼前に広がっているのは、これまでに見たいかなる世界とも似通ったところがない世界だった。ロミの髪を揺らして魔界の風が吹き、炎と金属でできた花々をも一斉に揺らした。途端に黄金の火の粉が舞い上がり、波のようにさざめく花々が放つ炎と火の粉によって華やかな光の饗宴がしばし繰り広げられた。
「わあ……」
 ロミは思わず感嘆の声を上げ、それに見入った。もっと近くで眺めようと、足を動かしたところでシダの精がつと彼女の肩を引いた。
「ロミ、気を付けて。あそこは私たちが住む世界や、あなたが今まで訪れたことのある世界とは全く違う世界。最も古きものの住まう地。私たちは一緒に行ってあげられないわ」
「どうして? 見えるのなら、あなたたちも行けるのじゃない?」
「いいえ、ロミ。世界の入り口は気まぐれに扉を開くけれど、そこを通れる者は限られているのよ。それに私たちのように、地に根ざし生きる者は、同じ地が続く世界にしか行くことができないの。母なる地を離れては生きていけないから。だから行くなら、一人で行かなくてはいけないわ」
 それを聞いて、ロミは少し考え込んだ。というのも、今まで彼女が別の世界を訪れた時には、常にその世界の住人が招き迎え入れてくれるか、こちら側の友人がついてきてくれていたからだ。たった一人で未知の場所に入り込んだことは一度もなかった。完全に一人になることへの不安がロミの心をよぎったが、誘いかけるように揺れてきらめく花畑の、目を瞠るばかりの美しさはそれを上回る圧倒的な魅力をもって目の前にあった。
「教えてくれて、ありがとう。だけどやっぱり、わたしはあっちに行ってみたいわ」
 やがてロミは意を決し、精霊たちに告げた。
「そう。ではくれぐれも気を付けてね、ロミ」
 共に行けないことが心から残念そうな様子で精霊たちは言い、はやる気持ちのまま歩き出したロミに手を振った。ロミも手を振り返したが、二つの世界の境界を彼女の体が通り抜けた途端、その姿はかき消すように見えなくなってしまった。もといた森も紗を掛けたように薄らぎ、陽炎が立つように揺らいで、ついには消えてしまった。
 だがロミはそのことにはさほど不安を感じなかった。世界というものは望めばいつでもロミの前に扉を開いてくれるものだったので。それよりは今、目の前にある興味の対象の方がロミには重要だった。
 白熱しているのにほんの少しも温度を感じない花を摘もうと手を伸ばした時、腕に下げたままでいた籠が目に入り、食料集めの途中だったことを思い出した。戻った方が良いのかもしれないと考えたけれども、探検をほどほどのところで切り上げればよいだけのことだし、既に籠はほぼ一杯になっているのだから、ずるけて遊んでいたと叱られることもないだろうと考え直した。
 教会の祭壇でいつか目にした、聖なるぶどう酒を注ぐガラスの杯の足に似た形の、ほんのりと乳白色に虹色を溶かしこんだような色のほっそりとした茎をつまむと、予想どおりガラスのように硬かった。だがその硬さとは裏腹に茎は力を入れるまましなり、どんなに力を込めてみても折り取ることはできなかった。残念ではあったが、この花はそういうものなのだと、三度ほど試してみてからロミは摘むのを諦めた。
 気を取り直して花畑の光景を充分楽しんだところで、他の場所には何があるのだろうかと好奇心に駆られてロミは足の赴くままに歩きだした。驚くべきしなやかさと強靭さを見せた花たちは、ロミが進むのに合わせて左右に分かれて道を作り、踏まれることも折れることもなく彼女を通し、通った後は再び元通りの位置に戻って何事もなかったかのようにちらちらと炎を瞬かせ続けた。
 炎と金属の花畑を抜けると、そこが丘の上であったことが判った。そしてなだらかな下り坂となった斜面いっぱいに先ほどよりも背の低い、赤い花の群生地があった。それは平板な一色の赤ではなく、様々の色相を含み、濃さもとりどりの赤なのだった。
 八重の薔薇にも似た大ぶりで華やかなその花びらは、透るほどに薄い何がしかの石でできており、芯には銀の花粉を戴いた白絹の束のようなしべがあった。葉と茎は花とは対照的に目の覚めるほど鮮やかな濃青で、涼やかな金色の葉脈が走っている。それもまた、ロミが通ることによって左右に揺れると互いにぶつかり合って硬質な音を立てたが、決して折れも砕けもしなかった。
 そうして紅い花畑を過ぎると次には白銀の、更にその先には様々な色合いの水晶でできた花を戴く銀色の植物が茂っていた。どこを見渡しても、通り過ぎても、鉱物でできた不可思議な異界の花が咲き乱れている。
 植物ばかりかと思われたこの世界にも動物はいて、雲母の羽を持つ蝶のような虫が時折ロミの目の前をひらひらと通り過ぎていった。足元には針金のような無数の足を器用に動かして進むトカゲのような生き物や、人間によく似た顔の、白目も黒目もないルビーのような目をした生き物がいた。ロミは最初その生き物と目があった時、イタチに似ていると思ったが、それは手足に比べて胴体がいやに長かったからで、頭と同様に毛の無い尾の様子はどちらかというとネズミのそれに近かった。
 王冠のような金の鶏冠を持ち、白い柔毛に全身を覆われた蛇の巣にうっかりと足を突っ込みそうになると、蛇はシューッと鋭い音を出して、鮮やかな赤からすみれ色、澄んだ空色へと移る夜明けの空に似た素晴らしいグラデーションで彩られた皮膜状の翼を広げてロミを威嚇した。同じように銀の鶏冠と、薄紫から淡い橙色を挟んで濃紺へと移り変わる黄昏の空の翼を持つ蛇はどうやらつがいの一方であるらしく、巣の中央にとぐろを巻いて、ガラス玉のようなターコイズブルーの卵を抱いていた。
「ごめんなさい。あなたたちのおうちを壊す気はなかったの」
 素直に謝ると、金の鶏冠の蛇は緑の目を素早く瞬かせ、答えた。
「次からは足元に気を付けておくれよ」
「ええ、そうするわ」
 どこの世界でもよくあることだったので、人語を話す蛇にロミは驚かなかった。むしろ、お喋りできる相手が現れたことを喜んだくらいだった。
「少しお話をしていってもいいかしら?」
「卵を温める邪魔をしないのならね」
「もちろんよ」
「なら、そこにお座り」
 蛇たちの勧めに従って、ロミは腰を下ろした。
「あなたたちは、ここにずっと住んでいるの?」
 蛇は少し誇らしげな様子で頷いた。
「ああ。この花畑は私たちの土地だ。最初の一匹がこの世界に生まれ落ちた時から、そして最後の一匹になるその時までずっと。ときに人の子よ、お前はこの世界のものではないだろう。どこから、どうやって来たのだい?」
「わたしが住んでいるのは、こことは違って、空が青くて太陽があって、緑の木や草が生えるところよ。でも、どういう世界なのかはよく判らないわ。森の中を歩いていたら、ここが見えたから遊びに来たの」
 ロミは素直に答えた。
「お前はよその世界が見えるだけでなく、世界の扉をくぐり抜ける力を持っているのかね。それは素晴らしい」
 そうしてしばらく、二匹と一人は互いの世界について知っていること、知らないことについて語り合った。籠の中の木の実や果実を見せると、蛇たちはそれを珍しいと言って興味を示したが、一つ食べてはどうかという勧めは丁重に断った。
 ふいに空へと目をやった蛇たちは鎌首をもたげ、しゅうっと息を吐いた。
「もうすぐ、この地の王が来る」
「王?」
 ロミは不思議そうに頭をことんと傾けた。
「《遠耳の殿》だよ。きっと、お前の声を耳にされたのだろう」
「わたし、そんなに大きな声を出していたかしら?」
 ロミは目をぱちくりさせ、揃えた指先を唇に当てた。すると蛇は二匹して、鶏冠を震わせて笑った。
「いいや、お前の声が大きかったわけではないよ。けれどお前の声がどんなに小さくとも、どんなに離れていようとも、《遠耳の殿》は聞こうと思えば全てを聞くことができるんだ。ましてここは《遠耳の殿》の土地だからね」
「ああ、それにしても《遠耳の殿》がお出ましになるなんて本当に珍しい! お前はやはり、ただ迷い込んできただけの子供ではないのだね。今まで、人の子がここに足を踏み入れたことは幾度かあったけれど、殿がじきじきにおいでなさるのはこれが初めてだ」
 興奮したように、ひな鳥の柔毛のような羽をふくらませて喋る蛇たちの様子に、ロミは少し不安を感じて呟いた。そういえばロミの住む世界では、『殿』と呼ばれる人々が入ってはいけない土地というものを幾つも持っていて、もし入っているところを見つかれば子供だとて容赦なく罰されることを思い出したのだ。
「もしかして、ここに来てはいけなかったのかしら。もし《遠耳の殿》に駄目だと言われたら、帰らなくちゃいけないもの。わたしはもう少し、ここにいたいのだけど――」
「安心するといい。私はお前を歓迎するよ、人の子の娘」
 小鳥の羽ばたきほどの、ほんのかすかな音とともに、周囲に咲き乱れる海緑色のガラスの花々が一斉に揺らいだ。突如として現れた気配に体ごとそちらを振り返り、仰ぎ見たロミは驚きに目を瞬かせた。
 そこにいたのは、花々の色に溶け込む緑の光沢を放つ鱗に覆われた、見たこともない美しい生き物だった。その背にはうっすらと赤紫色を帯びた、かげろうのように儚く透ける羽が幾重にも広がり、虹色の輝きを放っていた。その虹色は頭頂部から背の中ほどまでを覆うシナモン色から琥珀色に色合いを移すたてがみにも宿っており、靄のように立ち上る光の粒を辺りに振りまいていた。
 《遠耳》の名の由来なのだろう、人間であれば耳があるはずの場所には、背の翼に形のよく似た脈翅が扇のように広がっている。ロミは見たことがなかったが、彼女の住む世界に存在する動物にたとえれば、それは象の耳に似ていた。
「このひとが《遠耳の殿》?」
「そのとおりだよ、さあ、お前もご挨拶をするといい」
「ご機嫌よろしゅう、《遠耳の殿》」
 蛇たちは金と銀の鶏冠を立てて鎌首をもたげ、それぞれ夜明けと黄昏の翼を貴婦人がドレスの裾を広げるように開いて、いくぶん風変わりな礼をした。それに倣ってロミも立ち上がり、エプロンの端をちょっと摘まんで頭を下げた。
「はじめまして」
「ああ、はじめまして」
 魔物の声は思ったよりも優しく響いた。そこに彼女の存在を否定するニュアンスが含まれていないことを感じて、ロミは尋ねた。
「わたしがここにいても、怒らない?」
「もちろんだ。ここは私の統べる土地ではあるが、この地を踏む者を拒みはしない。その力があるのならばな」
 魔物は翼を震わせ、笑ったようだった。彼の答えにようやく安心して、ロミは促されるまま蛇たちに別れを告げ、花畑を再び歩き出した。
「《遠耳の殿》、あなたは草や木に住んでいるひとたちとはどう違うの? あなたのまわりの空気はあのひとたちに似ているけれど、やっぱり何か違うもの。あなたは何?」
「ああ。私は何にも属さぬ存在。お前たちが魔物、あるいは悪魔と呼ぶものだ。そこまで感じ取ることができるとは、ますます興味深い」
「ふうん」
 日曜日ごとに連れて行かれる教会でその名をたびたび聞かされていたが、ロミは全く恐怖を感じなかった。確かに初めて感じる気配であったが、それは彼女の友達である精霊が持つ気配にとても似通っていたので。
「ねえ、それはわたしが自分のことを人間というようなものでしょう? 『あなたの』名前は教えてくれないの?」
 ロミは首を傾げた。
「賢い子だ。ならばまず、お前の名を聞こう。名乗り合うのが礼儀というものだ」
「おじいさんがくれた名前はロミだから、みんなはそう呼ぶわ。だけど、それはわたしの本当の名前じゃないの。わたしはロメリアよ」
「なるほど、真の名を自ら見出したのか。それなら、人の身なるお前がここにいるのも頷ける。私の名はキーラウだ」
 相手が同じ妖魔であっても、その名が明かされたことは片手で余るほどしかない――そもそも魔力を持つ者にとり、名前は魂そのものを意味するので名乗り合うことはないという事実を、ロミはこの時知らなかった。
「さてロメリア、お前は自分の世界から、ここが見えたから来たのだと言っていたな。私はお前に、もっと様々な世界を見せ、より多くのことどもを教えてやれるだろう。お前がそれを望むのならば。どうする、ロメリア。私と共に来るかね?」
「もっとたくさんのものを?」
 ロミは目を輝かせ、言った。いまだ腕には籠を提げたままであったけれど、彼女の頭からは食料集めの途中であったことなどすっかり消えてしまっていた。
「わたしは知りたいわ。わたしの知らないことを。だって見ることと、知ることはぜんぜん違うんですもの」
「ああ、お前は本当に賢い子だ。さあおいで」
 キーラウは心から楽しげに笑い、クリーム色の細かな鱗に覆われた掌をロミに差し出した。驚くほどにすべらかで、秋の木の葉のように少しひんやりとした感触だった。彼女が全く別種の生き物として感じたように、キーラウもまたロミの手のふくふくとした柔らかさと、春の木漏れ日のようにじわりと奥からにじむ熱さを感じているはずだった。


(2013.10.20up)

前へ  次へ
web拍手
感想を頂けると励みになります
ネット小説ランキング


inserted by FC2 system