K公園のプール



 子供の頃、幼稚園児だった頃の話である。
 K公園という遊興施設があり、そこのプールに行くのが夏の恒例だった。料金は安めなのだがいつも適度に空いていて、そこがK公園の一番いい所だった。いっちょ前に流れるプールもあって、泳ぎ疲れると浮き輪に乗ったまま流れに身を任せてぷかぷか浮くのが楽しかった。K公園に行くと決まって昼ご飯は自販機で売っているカップ麺で、それがなぜか家で食べるよりも妙に美味しかったことを覚えている。
 K公園には子供向けのプールが二つあった。一つは乳幼児向けの、水深が三十センチもない浅いプール。もう一つは水深五十センチくらいで、滑り台のついた児童向けのプール。浅いプールの方は真ん中にねじり鉢巻きをしたタコのオブジェがあったので『タコさんプール』、滑り台のある方は、その滑り台が三メートルほどあるパンダを通り抜ける形で設置されていたので『パンダさんプール』と呼んでいた。
 パンダさんプールは人気で、いくらK公園が空いているといっても滑り台の前にはちょっとした行列ができているのが常だった。滑り台は好きだったし、よく遊んでいたはずなのだけれど、どうしてか思い返すと、コンクリート製のパンダの腹の中――滑り台のてっぺんから見た、薄暗い光景ばかりが脳裏に浮かぶ。
 設置された方角のため直接日が差し込むことはなく、出口と入り口からしか光が入らないパンダの中はいつも薄暗くひんやりしていて、水こそ入っていないもののプールの傍だから少しじめじめしていた。滑り台はあの頃の私にはとても高く感じられていたけれど、パンダの大きさから考えると、実際には二メートルほどだったのだと思う。床は砂だったのかコンクリートだったのか、ざらついた灰色をしていた。
 滑り台の階段には落下防止を兼ねた高めの手すりがついていたし、入り口は滑り台の階段の幅ぴったりだったから、よほどのことがないと滑り台の外、パンダの中に降りることはできなかったはずだ。けれども滑り台の下には、いつも女の人が立っていた。
 どんな格好をしていたのか、どれくらいの背格好や年代だったのか、ちっとも思い出すことができない。少なくとも着ていたのは和服ではなかったことと、束ねずに下ろしたままの肩より少し長いくらいの黒髪で、こちらに背を向けて俯いていたことしか思い出せない。
 その人が私を認識していたかどうかは判らない。いつ行ってもパンダの中にいるその存在を不思議に思ってはいたが、声をかけたことはない。顔も見たことがないし、声を聞いたこともない。そもそもの話、動いているところを見たことがない。
 ただ、何となく嫌な感じがしていた。
「変なおばさんが立っているから、パンダさんプールで一人で遊ぶのは嫌だ」
 というようなことを、親に言ったこともある。それについての親のコメントは覚えていないが、パンダさんプールの滑り台に親が付き添ってくれたことは一度もないし、その後も何度となく遊びに行っていたから、意に介していなかったようである。
 私自身も、気味悪く思ってはいたがパンダさんプールで遊ぶこと自体は止めなかったし、K公園のプールは夏の楽しみの一つであり続けた。


 私が小学校に上がってしばらくした頃、K公園は業績不振を理由に閉鎖された。やがて跡地はどこかの不動産会社に売却され、住宅地になってしまった。名前は地名と関係なかったし、連れていかれるだけの場所だったから、K公園がどこにあったのか、おおよその地理関係すら私には判らない。
 自分の居る場所が子供たちがはしゃぎ回るパンダの中になってしまっても、周囲から取り残されたように、時間から切り離されたように独り佇んでいたあの人は、今も同じ場所に立っているのだろうか。
 あの人があの場所にいた理由や正体なんて興味はないし、実際にもう一度見てみたいかと問われたらそんなことはないのだけれど、そのことは少し気になる。


(2017.7.30)

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