帰りたい


 父方の祖母の話である。
 祖父が亡くなったことをきっかけに、長年経営していた質屋を廃業して数年後、祖母は認知症を発症した。それでも近所のデイサービスを気に入っていて、通う日を楽しみにしていた。しかし叔母は祖母のデイサービス利用を気に入らず、一年ほど経った頃にだまし討ちのような形で本来の生活圏から離れた老人ホームに入居させた。
 思い通りのリフォームをした家だったこともあってか、祖母の自宅に対する執着は激しかった。ホーム入居に至った経緯も経緯だったから、お見舞いで訪ねていくと祖母はいつも私たちに「いつまでここにいないといけないのか」と尋ね、外泊すると施設に戻るときには「家に帰りたい」と言って泣いていた。
 痴呆が進むにつれて祖母は祖父のことを忘れ、父や叔母のことを忘れ、孫のことを忘れ、やがて家に帰りたいと訴えることもできなくなった。人間的な感情も失われてしまい、亡くなる直前にはほぼ植物状態になっていた。
 数年前の早春に、祖母は亡くなった。
 長男の父が喪主を務めることになったが、どうしても外せない仕事があって、通夜は亡くなって二日後に行われた。私と母は訃報を聞いた翌日に駆け付けたのだけれど、葬儀場の霊安室に預けると余計な金がかかるからと、叔母は祖母の遺体を祖母の家に運び込んでいた。
 帰りたくて帰りたくて仕方がなかった家に、祖母はようやっと帰ってこれたわけだけれど、死んでしまってからでは『おうちに帰れてよかったね、お祖母ちゃん』とは素直に思えなかった。次の日には遺体を葬儀場に運んで通夜が営まれ、泊まり込んだ叔母が「一晩中ラップ音がした。あれはお母さんの最期の挨拶だったに違いない」なんて言っていたけれど、ああ、この人の霊感って自称でしかないんだな、としか思えなかった。
 だってその時にはもう、祖母は遺体のある場所にはいなかった。
 私と母が祖母の家に入った時、すでに祖母は棺が置かれた仏間にはいなくて、生前の定位置だった、居間のソファの隅に座っていた。でも家に帰れて嬉しいとか楽しいとか、そんな感情は全く感じなくて、祖母の周りには黒々と淀んだ空気しか感じられなかった。祖母は黙ってじっとソファの隅に座っていたけれど、破れたままになっていた仏間の障子を居間に持ち込んで母と二人で張り替えている間中、怖くて寒くて仕方がなかった。


 初盆の法要は祖母の家で行われた。その日は三十五度を超える猛暑日で、ただ立っているだけでも汗が噴き出すような暑さだった。だというのに、居間に足を踏み入れた途端、ぞっと冷水を浴びせらせれたような感覚がして鳥肌が立った。
 祖母は相変わらずそこにいた。小柄な体をソファに埋もれさせるようにして、ちょこんと座っている。ソファの後ろには大きい窓があるから明るいはずなのに、ひどく薄暗く感じた。法事が終わる頃、その寒気のするような、禍々しいとしか言えない空気は、かつて蔵に満ちていた空気と同じだと気づいた。そして空っぽになった蔵は、不思議なほどすっきりと明るくなっていた。
 きっと長年蔵に淀み溜まっていたのは、そこに預けられていた物への執着で、それが祖母の抱えていた家に対する執念と一つになってしまったのだろう。祖母が取り込んでしまったのか、取り込まれてしまったのか、そこまでは私には判らなかった。
 あれから色々あって、祖母の家に私が行くことはもう二度とないのだろうと思う。正直、良い思い出はないので残念と思うこともあまりない。でもどす黒い執着心の塊になってしまった、かつて祖母だった『何か』のことを思うと、ほんのりと寂しくて悲しい気持ちになる。


(2016.7.30)

web拍手


inserted by FC2 system