ないないさん
ちょっと目を離した隙に、さっきまで使っていた消しゴムがなくなっている。いつもの場所にしまっておいたはずのペンがなくなっている。そんなことはきっと、誰の身にも一度ならず起きることだと思う。
ところで我が家では時々、物が説明のつかない消え方をする。
父が鉛筆を落としてしまったことがある。フローリングの床に鉛筆が落ちる音を、傍にいた弟もはっきり聞いた。でも拾おうとして父が床へと目をやった時、鉛筆はどこにもなかった。弟の目には、床に当たった瞬間、鉛筆が消えたように見えたそうだ。まるで床に目に見えない穴でも空いていて、そこにすとんと落ちてしまったみたいに。棚の隙間に転がって入りこんでしまったのかと思ってそこら中を探したけれど、落ちた鉛筆は結局見つからなかったという。
父が外したばかりの腕時計を鞄の外ポケットに入れたら、そのまま消えてしまった、なんてこともある。メッシュになっている外ポケットに腕時計が入る所を、その時たまたま正面にいた母と私、そして父本人も確かに見たのに。鞄にはどこにも穴なんか開いてなかったし、鞄を置いていた机の周りをすぐに探したけれど、腕時計は今も見つからないままだ。
なくなったものは見つからないことがほとんどだが、無くしてしまったことも忘れかけたような頃になるとたまに出てくる。たいていは、無くなった場所とは全然違う、おかしな場所から。
私が物心つく前の話なので伝聞だが、父の書斎で無くなったはずの万年筆が、数年後になって居間に置かれたピアノの中から出てきたということがある。調律師さんは子供の悪戯だと思ったらしいが、ピアノを触ったことがある方なら分かるだろう。鍵盤の蓋はともかく、本体の蓋は幼児が二人がかりだって開けられるようなものではない。
でも、家の中にそんな馬鹿な悪戯をする人間はいない。では誰が――ということで、いつの頃からか我が家では物がなくなるのは「ないないさん」という妖怪の仕業だ、ということになった。「ないないさん」は家の至る所に潜んでいて、隙を見ては人の物を自分の住んでいる目に見えない世界に引きこんでしまう。そしてそれを「ない、ない」と探しまわる人の姿を見て面白がるのだ。気まぐれに返してくれることもあるが、決して元の場所には戻してくれない。
実に性格の悪い愉快犯なのだ。
先日、長年愛用していた爪切りが「ないないさん」に隠されてしまった。ソファの下から絨毯の下まで探したが見つからない。仕方がないので新しい爪切りを買ったが、家族全員「ないないさん」に文句たらたらだった。
その時何となく、両親に聞いてみた。私は物心つく前から「ないないさん」の被害を目の当たりにしているわけだが、子供時代にもこういうことはあったのかと。
「変な無くなり方をするようになったのは、前の家に引っ越してからだな」と父は言った。母の答えも同じだった。ということは、二人が結婚するまでは「ないないさん」は存在しなかったということになる。
「じゃあもしかして、私が生まれてから?」
父は返事をせず、何だか不気味なものを見るような目で私を見た。
(2014.8.20up)
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