嫗の眼


 今から三十年ほど前、私がまだ赤ん坊だった頃の話である。
 その年の秋、両親は私と弟を連れて父の実家である祖父母の家に行った。この時、祖父の母である父系の曾祖母は少し体調を崩して入院していた。そのため、生まれたばかりの弟の顔見せを兼ねて見舞いに行こうとしたのだが、病院の空気が赤ん坊に良くないとかそういった理由をつけて、祖父はそれを父に禁じた。
 そんなわけで、曾祖母は父が帰省していることはおろか、曾孫がもう一人生まれたことも知らずにいた。
 そのはずだった。
 しかし私たち一家が着いた日、代わりに様子を見てくるからと見舞いに行った祖父に、曾祖母は開口一番こう尋ねたそうだ。


「今、家に赤ちゃんが来ているだろう」


 病院から帰ってきた祖父は、やはり曾祖母の見舞いには行くな、行くとしても子供たちを絶対に連れて行ってはいけない、存在を教えるなと命じたそうである。普段、物に動じることのあまりない祖父が、ひどく怯えたような様子だったらしい。
 その年のうちに曾祖母は亡くなった。結局、二度と私に会うことはなく、また二人目の曾孫が生まれたことも知らないまま。
 なぜあの時、赤ちゃん――つまり私が来ていることを、曾祖母が知っていたのか。曾祖母の目には何が見えていたのか。
 それは永遠に解らないままだ。


◆     ◆     ◆


 祖父が亡くなってから痴呆が始まった祖母は老人ホームに入ることになった。叔母がその手配をしたのだが、その施設には叔母の姑S子さんも入所していた。祖母が一方的に嫌っていたため、祖母とS子さんとの折り合いは非常に悪かったのだが、二人の部屋は違う階にあるし、姑と母親を同じ施設に入れれば見舞うのもいっぺんにできて楽だという考えでもあったのだろう。ともあれ同じ施設にいるというのに、二人が日常生活で顔を合わせることはほとんどなかったそうだ。
 それから数年経ったある日、おやつの時間か何かで施設の職員が一緒にいた時、祖母は部屋の奥を指さして急に騒ぎ出した。


「S子さんが来た。そこにいる」


 祖母が指差す先はベランダで、当然のことながらそこには誰もいなかった。そもそもS子さんはその数日前、体調が急激に悪化して施設を離れ入院していた。だからS子さんが祖母の部屋に来るはずなど、なかった。
 祖母がS子さんの訪問を受けたというその時間。
 それは、丁度S子さんが亡くなった時間だったという。


 曾祖母や祖母が、見えないものを見る力を持っていたかどうか私は知らない。少なくとも私の知る祖母はきわめて現実主義的な人で、心霊的なものを信じるような人ではなかった。曾祖母もまた、そうした感受性とは無縁の人であったようだ。けれども二人とも、死ぬ間際のある時、ふいに「何か」を見た――或いは感じ取った。
 偶然であったにせよ、そうでなかったにせよ、年老いた女だけが持つ何かしらの力があるように、私は思う。
 私もいつか更に年老いて、嫗と呼ばれるようになるだろう。その時、私の目には何が映るのだろう。
 ――重なる世界のその向こうを、見る日が来るのだろうか。


(2013.8.30up)

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