父の実家には蔵がある。
 といっても、母屋と離れた土蔵のような建物ではない。父の実家は質屋を営んでおり、質草を預かるため家の中に作られた蔵である。納戸に毛が生えたようなものといってもいい。それでもやはり『蔵』というだけあって壁は分厚い漆喰塗で、扉も非常に重くて厚く、金庫のようなダイヤル錠で施錠する仕組みになっている。
 その蔵の中に、私はほとんど入ったことがない。客の財産を預かっている場所だから子供が入っていい場所ではなかったし、それ以前に私は、そこには近づきたくなかった。質屋の営業時間中、蔵の扉はだいたい開けっぱなしになっていたけれど、その前を通ることも滅多にしなかった。
 だから蔵の中には、祖母に連れられて一度か二度入っただけである。窓は天井近くのとても高いところに一つだけあって、背の高い棚がずらりと並んでいる。そのせいで昼間でも薄暗い場所だったということは覚えている。空気がほとんど動かないから空気がこもっていて、預かっている衣服を保管するための樟脳とか、古びた品物の放つ何とも言えないにおいが混ざり合っている場所だった。
 幼い日の私にとって、蔵というのはそれだけで恐怖だった。だが蔵にまつわることがらは、私が体験した話ではない。
 弟がまだ一歳か二歳くらいの頃、夏に起きた話である。
 私と弟を風呂に入れた母は、自分が着替えるまでの間、祖母に子供を見ていてほしいと頼んで先に出した。体を拭いて着替えて脱衣所から出ると、私は居間にいたが弟の姿がない。どこにいるのかと尋ねた母に、祖母は答えた。
「うるさいから蔵に入れた」
 当時の弟は母にべったりで、ちょっとでも離れるとすぐにぐずつくような子供だったが、見ていてほしいと言ったのは着替えるまでのほんの三分ほどの話である。慌てた母が駆けつけると、弟はほとんど明かりのない蔵の中で泣いていた。果たしてそれが孫に対する祖母の態度かと思うが、この話で問題となるのはそこではない。
 その時のことを、当時の弟はまだ言葉が達者ではなかったこともあって何も言わなかったけれど、後年ぽつりと話してくれた。
 彼が言うには、棚の間に白い顔があったのだという。棚の底板とそこに並べた箱の隙間に、棚の幅いっぱいに広がった大きな白い顔が――その目が、弟を見ていたのだという。
 また別の機会に、父からも蔵の話を聞いた。子供の頃、何かの罰として蔵に閉じ込められた時に、やはり白い顔を見たのだそうだ。だがそれは弟が見たような大きな顔ではなく、普通の大きさの頭が、抽斗の間からにゅるりと餅のように伸び出してきていたそうだ。


 けれども、ただそれだけの話だ。
 三十数年の時を隔てて、父と息子が同じ場所で似たようなものを見たというだけの。
 もう、生きている人間は誰も住んでいない父の実家。今も蔵はそこにある。人間以外の誰が住んでいるかなんて、私は知らないし知りたくもない。


(2012.8.30up)

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