落下する幻



 私が通っていた小学校は偶数学年が入る南校舎と奇数学年が入る北校舎に分かれていて、北校舎の廊下からは、学区の北側がよく見えた。学区は南から北にかけて、なだらかな傾斜地になっていて、視界を遮るような建物は一つもなかったからだ。私が小学生だった時、まだ学区の北側は下水道も整備されていなくて、農地と竹藪ばかりが広がる土地だった。
 これは、五年生の時の話だ。
 その頃、ようやく北側の全ての家に下水管が通り、開発が進んで農地は次第に住宅へと変わっていきはじめた。そして、農地を横切って走る幹線道路沿いに、六階建てのアパートが建てられることになった。平屋か二階建ての家しかない中、着々と大きくなっていくそのアパートが唯一の高層建築だったので、とてもよく目立った。
 ある日、掃除の時間か休み時間だったと思うが、クラスメイトと一緒に、何ということもなく建設中のアパートの屋上で作業している人を見ていた。アパートの外壁にはまだ足場が組まれていて、白い防音・防塵シートで包まれていた。その上で動いている、数人の黒い人影だけがくっきりと見えている。
 私たちは作業員らしき人影に手を振ってみたりとか、手旗信号めいたことをしたりして遊んでいた。もちろん、向こうからは何の反応も返ってこなかった。
 そうして私たちが見ている前で、何の前触れもなく、人影の一つが屋上から落ちていった。ドラマか何かみたいに、現実味のない光景だった。
 この時、廊下でアパートの方を見ていたのは私を含めた女子数人だったのだが、屋上にいる人が落ちてゆくのを、全員が見た。学校からでは、建物の下がどうなっているのかは見えない。だから落ちた人がどうなったのか、そんなのはわからなかった。けれど確かに、屋上から、人が落ちるのを見たのだ。
 私たちが落ちた落ちたと騒いでいる間にも、人影は次々に落ちていく。屋上には数人もいなかったはずなのに、落下は途絶えることなく、まるで飛び降りてはまた戻ってくるみたいに、休み時間が終わって私たちが教室に戻るまで、ずっと続いていた。
 不思議なことに、それを見たのは女子だけだった。その場には男子生徒もいて、同じアパートを一緒に見たはずなのだが、彼らには落ちてゆく人どころか、そこに誰かいるのかすら見えなかったらしい。
 こんなこんなで大騒ぎをしたけれども、そのアパートの工事現場で落下事故があったというような話は聞かず、結局は何事もなかった。後日談が何も続かなかったから、その話題もすぐに忘れられてしまい、私たちはやがて小学校を卒業した。
 今ではもっと高いマンションやビルがたくさん建てられて、小学校から件のアパートを見ることはもうできないだろう。私たちが見たようなものを、他の生徒が見たというような話は聞かない。
 あれは何だったのか、考えてみても判らないままだ。現実的に考えれば思春期の集団ヒステリーで幻覚を見たのだろうけれど、そうではないような気もする。
 アパートが完成した後、本当にその屋上から落ちた人がいるからだ。
 幸いなことに、まだ一人だけなのだけれども。


(2012.8.10)

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