(かつ)える鬼


「お祖父ちゃんは、餓鬼を見たことがあるんだって」
 幼い頃、祖父の思い出話のひとつとして母がそんなことを教えてくれた。
 初めてその話を聞いた時、私はただそれを事実として聞いただけであった。私の祖父は山岳信仰の修験者で、先達というそれなりの位がある人だったのだそうだ。修業を積んだ人ならば妖怪とかお化けのたぐいを見ることができたのだろう、と幼い頃の私は納得していた。いつ、どこで、どんな状況で見たのだろうかと、疑問に思うことはあっても深く考えることはしなかった。
 だが長じてから、ふと思った。
 祖父が見たという餓鬼。
 それは果たして、昔の絵巻物に出てくるような、いわゆる「あの世のもの」であったのだろうか。
 祖父は先の大戦で南方戦線に出征し、終戦をそこで迎えた。恐らくは陸軍であったのだろうと思うが、どの部隊に所属していたのかは知らない。グアム、サイパン、フィリピンなど――激戦地となった島は多いが、どの地に送られたのか、祖父が体験した戦いがどのようなものであったか、私は知らない。他の経験者の語る記録や当時の資料を読んだり、ドキュメンタリー番組を視聴して、想像することができるだけだ。
 かくて私は想像する。常に死と隣り合わせの戦場を。圧倒的な人員・物量差を考慮せず、精神論を振りかざし繰り返される無謀な作戦、強行される行軍、その果ての玉砕。兵士たちの命を脅かしたのは愚かな命令と敵兵だけではない。熱帯の暑さと病。飢えと渇きも彼らを苦しめたはずだ。
 事実として、南方戦線における日本兵の死は、戦闘によるものよりも飢えと病によるものが多かった――大半を占めていたという。中には飢えに耐えかね、人肉食が行われた部隊さえあったという。
 戦場とは、人が人でなくなる場所だと私は考えている。殺された者は言うに及ばず、殺した者もまたある意味で人ではなくなるのだと思っている。戦場では死者に与えられるべき尊厳すらも敵であるという理由で奪われ、朝には言葉を交わした戦友が夕方にはもの言わぬ骸となり果てる、残酷な非日常が日常となる。
 まともな治療も受けられずに傷口に蛆が湧くまま放置される負傷者、動けないからと野営地に見捨てられ、或いは自らをそれを望んで残り、死んでいく傷病者。中には手足をもがれ、腹を裂かれながらも死にきれぬ者の悲痛な叫びもあっただろう。一瞬前まで人間だったはずの存在が、たちまちに肉塊となる無残。積み重なる死者によって元の地形の判別がつかなくなる悲惨。死と憎悪と恐怖が支配する戦場。
 それはこの世の地獄だったのではないだろうか。


「お祖父ちゃんは、餓鬼を見たことがあるんだって」


 今も時折思い出したように母が語るのを聞いて、私は思うのだ。
 祖父は、餓えと渇きに苛まれながら地獄を這いずった日々――そこにいた己自身にこそ、餓鬼を見出していたのではないだろうか、と。


(2011.8.15)

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