祖父と私


 両親がいとこ同士でもないかぎり、人はふつう父方と母方に一人ずつ祖父を持つものだ。私にも当然二人の祖父がいる。
 しかし母方の祖父は私が生まれる十七年前に事故で亡くなっている。母の一家全員を巻き込んだ事故だったので、その時まだほんの赤ちゃんだった叔母と叔父も亡くなっている。余談だが一家六人のうち三人が死亡し、祖母ともう一人の叔母も大怪我をしたその事故で、なぜ母だけがかすり傷だけで助かったのか、それも一つのミステリーだと私は思っている。
 ともあれ私には生まれた時から、生存している祖父は父方の一人しかいなかった。
 だがこれは、母方の祖父と私の話である。当然のことながら、母方の祖父は白黒の古い写真でしか顔を見たことがないし、声を聞いたこともない――はずなのだが。これまでの人生で、私は何度か、死んだはずの祖父と叔母、叔父たちと出会い、交流と呼べるものすら持っている。
 いちばん古い記録は、親から聞いた話である。
 物心つく前は祖母の家に頻繁に遊びに行き、泊まることさえしていた私だったが、弟が生まれた辺りを境にぴたりとそれをやめてしまった。
「最近、お祖母ちゃんの家には泊まらないんだね」
 両親がからかって尋ねると、私は「おばあちゃんの家には、知らない男の人と赤ちゃんがいるから嫌だ」と答えた。白い着物を着た男の人が小さい女の子と男の赤ちゃんを連れていて、私を見てにこにこ笑っているのだ、と当時の私は説明したらしい。
 その年格好を聞いて、母はそれが自分の亡父と弟妹だと思ったそうだ。(当然ながらその頃の私は、幼くして死んだ叔父と叔母がいることも、彼らが亡くなった詳しい事情も何も知らなかった)
 もう一つ、これは父の体験談。
 祖母の家――つまり母の実家の近くにある寺で、お祭りがあった。七歳以下の子供が参加する稚児行列もとりおこなわれ、私と弟、従弟たちは祭化粧をして、晴れ着を着てそれに参加した。家の前ではしゃいでいる私と弟を撮ろうと、父が家の前でカメラを持ってシャッターチャンスを待っていた時。
 ふふっ――
 玄関の中から、男の笑い声がした。微笑ましいものを見てつい笑ってしまった、といった感じの忍び笑いだったそうだ。その時祖母の家にはおじ達もいたのだが、その誰とも違う声で、そんな小さな声が聞こえるほどの範囲には誰もいなかった。
(お義父さんが見てるんだな)
 孫の姿にきっと、嬉しくなったんだろう。
 父はそう納得したらしい。
 そして私が自覚している、いちばん最初の祖父との記憶は、三歳か二歳の頃の話である。
 その日、ショッピングセンターで買い物用のカートから私は落ちた。原因はごくつまらないことで、子供を座らせておく座席にいた私が、両親に話しかけようとして立ちあがり、バランスを崩したためだ。
 高さは大したことがなかったが、派手に頭を打ったことと、帰宅後に前触れもなく眠り込んでしまったことで、両親は大事を取って救急車を呼んだ。猛烈な眠気でぼんやりしていたが、アパート前の道路に停めた救急車に乗せられたのは何となく覚えている。救急車に乗るなんて生まれて初めてで、ものすごく不安だった。
 私がはっきりと祖父たちの姿を見たのはその時である。
 大通りに出る曲がり角の木の下に、中年の男の人が一人、小さい女の子の手を引いて、赤ちゃんをもう一方の手に抱いて、私の方を見ていた。そして、心配ないよと言うようににっこりと笑いかけていた。
 ――ああ、大丈夫なんだ。
 そう思った後のことは覚えていないが、その笑顔は印象的だった。
 ごく幼い頃はそんな風に、一大事があったときとか、祖母の家に行った時くらいしか祖父との接点はなかったが、頻繁に気配を感じたり、姿を見たりするようになったのはアパートから持ち家に引っ越し、祖母と同居することになったのでそれまで祖母の家にあった位牌を我が家でお祀りするようになってからである。
 旅行好きの両親が私と弟を置いて泊まりがけの旅行に行ってしまった時など、深夜にひっそりと家の中を誰かが見回っている足音がするのだ。そんな時は、風もないのに自室のドアが開いたりもする(開きっぱなしなので、一度だけ「閉めて出ていってね」と言ったら、本当に閉まったことがあってびっくりした)。
 ある意味怪奇現象なのだが、孫を案ずる祖父の愛だと思えばありがたいことである。感謝こそすれ恐がるいわれはない。「お祖父ちゃんが見守ってくれているから」と思うと、意外とこれが心強いのだ。
 大学以降一人暮らしをするようになってからも、祖父は時々私を気遣ってくれる。
 一年生の時、ゼミ合宿で長野に行った時のこと。一人で帰りの電車に乗っていた私は、疲れもあってかぐっすり眠ってしまった。二、三時間は寝ていただろうか。ふいに誰かに肩を叩かれた。声の感じから、中年の男の人だった。
「もうすぐ名古屋だよ」
 その人は親切にもそう声をかけてくれた。
 目を開けると、出入口の上にある電光表示板には確かに「まもなく名古屋」の文字が出ていた。改札した時に車掌さんが女の子一人なのを気にしてくれて、教えてくれたのかな? と思ってから気づいた。声を聞いてすぐ起きたのに、通路に立っている人は誰もいない。がら空きの列車だったから、前後にも隣にも、私の肩を叩けるような位置には誰もいない。じゃあ誰が肩を叩いたのか?
 疑問にとらわれたのはごく短い間で。
(お祖父ちゃんが教えてくれたんだな)
 そんな風に私は考えた。
 夢うつつの中でその場にいないはずの人に声を掛けられて、何らかのトラブル回避(とはいっても些細なものでしかないけれど)につながったことはこれまでにもあったし、それからも何度か――今もあるので。


 いいことがあったのは祖父のおかげ。
 あんまり悪いことにならないのも祖父のおかげ。
 祖父がこの家を――というか、愛娘の血筋にある者を守ってくれているのだ、と、我が家ではそれが当たり前のこととして語られる。守護霊なんて言うとインチキくさいかもしれないし、世間一般から見れば荒唐無稽な話だろう。
 けれどそう思っていれば、何事もない日々もそれなりに幸せなのだ。


2011.2.10

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