壁の小人


 今から軽く四半世紀前、父の仕事のため一年間だけドイツに住んでいた。
 レーゲンスブルクという、バイエルン州の古都である。後年世界遺産になったので、今は訪れる日本人も多いだろうが、当時は全市合わせて日本人が十人もいないという状態で、まさしく異邦人として生活していた。余談だが、大人よりも子供の方がより残酷な人種差別をするという深い人生経験をさせてもらった。私の性格が歪んだのはこの経験も大きかろう。
 私たちが住んでいたのはドナウ川を挟んで旧市街を見下ろせる、新市街からも少し離れた住宅地だった。いわゆる上流階級の人々が住む地域だったこともあって一軒一軒の距離が離れており、そんなわけでとても静かな場所だった。
 仕事先の紹介で下宿させてもらっていた家は山の斜面に沿って建てられており、家主が住む本宅が真下にある、離れのようなものだった。とはいえ、地元の名士の家だったこともあり、今まで住んだどの家よりも広い家だった。何せ大理石張りの玄関がある家に住んだのはそこが初めてだし、これからもそんな豪邸には住めないだろう。
 庭はテラスと家庭菜園を挟んで山につながっていて、時おり野生の鹿やリスを見ることができた。狼もいたらしいが、幸いにして見たことはない。
 家の寝室は、その裏山に面した側にあった。子供用のベッドは私と弟が使っていた子供部屋に最初は置いてあったのだが、まだ幼稚園児だったこともあり、両親と同じ寝室にベッドを入れて、一家四人で使っていた(それでも充分余裕があるほど広かった)。
 それを「見た」のは私が最初で、風邪をひいて寝込んでしまった時だ。夜には家族みんなで寝るけれど、平日の昼間だから当然寝室には私以外、誰もいない。静かな寝室でうとうとしていた時、ふと何かの気配を感じた。
(誰だろう?)
 だが寝室にいたのは母でも弟でもなく、影に似たよくわからない「もの」だった。それは五十センチくらいの、生まれたばかりの赤ちゃんくらいに見える小さな人だった。顔かたちはわからない。ただ、人の輪郭のようなものが感じられるだけ。
 その姿を明確にとらえたわけではない。或いは目で知覚していたのではなく、全身の感覚で「それ」を感じていたのかもしれない。なぜなら思いだしてみるとそれは必ず、はっきりした姿形ではなく、「小人であった」という印象と、見えているのに見えていない、見えないのに見えるという不思議な感覚だけにとどまるからだ。
 小人たちは何人も何人も、湧き出すように壁から現れ、ベッドに寝ている私の周りをさわさわと取り囲み、それからベッドの上――つまり私の体の上だ――を横切って、窓を通り抜けて山の方へと出ていく。小人たちが通り過ぎていく、ぽふぽふとした重みを僅かに感じることができた。
 それが私だけの経験なら、熱に浮かされた幻だと断じることもできるだろう。
 だがその後、弟も同じ小人を見た。時間帯は違ったけれど、私と同じように、体調を崩して一人だけであの寝室に寝ていた時に。母の方は、姿は見なかったが「何か」が胸の上を歩いていくのを感じたのだという。
 その当時、私は自分が小人を見たなんて話は誰にもしなかった。なのに、弟と母は全く同じように、壁から出てきて自分の上を通り過ぎ、山に消えていく小人たちを見た。普段全くそういった霊的なものを信じないし、感じない母が何かを感じたのは後にも先にもこの時だけだ。だから、母が感じたのならばそれは本当にいたのだろう、と私は思っている。


 不思議なことに、父もやっぱり風邪をひいて一人だけで寝かされていたのに、父のもとに小人たちは現れなかった。自分だけが仲間外れになっていることを、父は未だに悔しがっている。
 「壁の小人さん」は、大人の男は嫌いなのかもしれない。


2010.12.15

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