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隙間


 私は隙間が嫌いだ。
 起きている時はまだいいけれど、眠る時はとても気になる。
 カーテンの隙間、少しだけ開いたドア、押入れの襖のちょっとした隙間、布団と自分の間が開いているのも駄目だ。
 気にしてはいけないと思い無理に目を閉じるが、やはり気になってぴったりと隙間を閉じてからまた目を閉じる。
 カーテンの隙間から部屋を覗く「何か」が居る。ドアの隙間から入ってくる「何か」が居る。押入れの隙間にはじっとこちらを見つめている「何か」が潜んでいる。布団の隙間から入ってきて私の中に入ろうとする「何か」が居る。
 だから隙間はぴったりと閉じてから眠らなければならない。
 私はかれらが何であるのかを知らないし、私が眠っている間かれらが何をしているのか、知らないし知りたくもないからだ。



闇に墜ちる


「想像してみ給へ」
 彼が云つた。
「闇といふものは薄い膜の張つた、どろゞゝしたものなのだと。空気のやうなタァルだと思つて貰えれば善い。タァルよりもずつと黒くてどろりとして、空気のやうに臭ひもなければ味もない冷たい代物だ。何処に在るかといへば、是は何処にでも在るんだ。暗い所でなくたつて可い。普段なら別段何うといふこともない代物だが、何かの拍子に闇に墜ちて仕舞ふこともある。何かいけないのかは墜ちた当人にも判らぬことだよ。ひとの大概は自らの裡に闇を持つてゐるものだから。取り敢へず、其れの上に落ちたら最後、浮かび上がることは出来ない。何処までも沈んでいくんだ。底無し沼のやうにね。併し先刻も云つたやうに闇には膜が有るだらう。だから何時まで経つても闇の内には溶け込めない。膜がぴつたりと肌にくつ付くだけなんだ。さうして闇に取り込まれてしまつたら、意識は闇の一部に成つて仕舞ふんだ。身体ばかり取り残されたまゝ。だがさうなれば、闇の中の意識たちと出逢ふことも出来るわけだよ。ほら斯うして君と僕が出逢つたやうに」
 ああ然うか、彼は孤独であつたのだな、と私は思つた。此処に来る前は私もさうであつたからだ。闇に墜ちた理由を彼は判らぬと云ふが、私には何となく判りかけてきてゐる。我々は皆孤独を抱えてゐた。孤独は如何しようもない程深く、暗く、魂を侵してゆく。ならば我々は無意識の儘、孤独から逃れやうとしてゐて、闇に墜ちたのだらうか。
 否――其れも又違ふ。
 闇は夜見であり、癒見である。恐らくはひとには救いやうもない孤独を癒す為に、闇が我々を容れて呉れたのであらう……



断章


こんなふうに暖かい午後に僕は君のことを考えてみたりするんだ すると僕の思考記憶の断片は僕の中で増殖を繰り返して ほらこんなふうに僕のすべては君に覆い尽くされてしまい 最後には僕が君の記憶に溺れているのか君の中に僕のかけらが混じっているのかわからなくなる
けれども僕はどこまでいっても僕だったりするわけだからいくら僕が君を思っていたとしても僕は僕のままで決して君にはなれない 時折僕はそれが哀しくてひっそり涙をこぼしてみたりするんだがきっと君はそれを知らないだろうしこれから知ることもないだろう僕も知られることを望まない 僕が君になれないように君は僕になれないのだから
君は太陽で僕は暗くて深い水の底で咲いた花みたいなものじゃないだろうかと僕は時々考えてみたりする だってどんなに求めても僕の伸ばす手は君に届かない でも君のひかりは確実に僕のもとに届き僕はただ仰ぐばかりで君に辿りつこうとする思考もこの淀んだ水の底に沈めて君を想い続けているのだから
そして君は誰だったのだろう なぜ君をこんなにも想うのだろう それすらも既に僕にはわからない けれど君を想うことだけが僕のいのちなのだ



2010.2.2〜4.19拍手御礼文
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