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6.聖夜の雪 2


 目が覚めたのはごく自然で、頭はすっきりとしていた。起き上がって、クレアは腕時計を確認した。かなり熟睡していたらしく、時計は既に六時を回っていた。窓の外は真っ暗になっている。
「フレッドったら、起こしてくれなかったのね」
 クレアはため息をついた。しかしそれも、起こしてはかわいそうだと言う彼の思いやりというならありがたく受け取っておかねばならないだろう。買い物に行くと言っていたのを思い出して、クレアは頼んでおいたチョコレートを受け取ろうと思い立った。
「フレッド、いいかしら」
 ドアをノックしたが、返事はなかった。窓を覗いてみると、部屋の中は電灯が消されており、人がいる気配はなかった。鍵がかかっていたので入ることもできず、クレアはひとまず自分の部屋に戻った。
「まだ買い物かしら……それとも、夕飯でも食べに行ったのかしら」
 クレアは自分らしくなく苛々しているのに気づいた。部屋の中をうろうろしているのもおかしくて、立ち止まってから一度盛大なため息をついた。この時間なら、眠っていた自分を起こすのを遠慮して一人だけで食事に出かけたのかもしれない。もう少し待ってみようと彼女は決めた。
 フォークリバー署でまだ仕事をしていたリドルに、逗留中の広域捜査局捜査官から電話がかかってきたのは夕方の七時過ぎだった。
「リドルだ」
「フィッツジェラルドです」
「何かあったか?」
 自分達に任せろとは言ったが、やはり彼らの協力があればこその捜査だったので、リドルは彼女からの電話を内心で喜んだ。これからまたこちらに来るというのであれば、付き合うつもりだった。
「そうではありませんが、シンクレアがそちらに来ていませんか?」
 だが、クレアが尋ねたのは彼の予想外のことだった。辺りを見回して、リドルは答えた。
「いや、来ていないようだ。どうかしたのか?」
「いいえ、それならいいんです」
 言いながら、クレアは髪をぐしゃぐしゃにかき回した。モーテルに戻らず、フォークリバー署にもいないということは、どこかをうろついているのだろうか。もう少しでクレアはパニックに陥ってしまうところだった。
「ごめんなさい。気になさらないで。大したことじゃないんですから」
 クレアはそれだけ言い、電話を切った。そして、リドルが今の電話の内容を忘れてくれることを願った。
「こんな時間まで……遅すぎるわ。……まったく、どこに行ったのかしら」
 クレアはコートを羽織ると部屋を出た。彼が行ったであろう食料品店の目星はついていたので、さほど迷うことはなかった。
「すみません、少々尋ねたいことがあるんですが」
 レジにいた店員はのんびりと新聞を読んでいた顔を上げた。そこにはちょっと困り顔の美人の顔があったので、彼は気をよくした。
「何ですか?」
「昼過ぎに、ここに三十代の白人男性が来ませんでした?」
「は?」
 店員は思い切り大きな声で聞き返してしまった。たちまち、目の前の美人の顔に険しいものが浮かんだ。美しいに変わりはなかったが、男でもたじたじとさせてしまうほどの迫力があった。
「憶えていないなら、ここの防犯カメラの映像を見せて」
 クレアは厳しい口調で言った。まだ冗談だと思って曖昧な笑顔を浮かべている店員の目の前に広域捜査局の身分証明書を突きつけた。店員はぎょっとして女の顔を見上げた。底の無い翡翠色の瞳が彼を射抜いた。彼女はあくまで冷静なままだった。
「早くして」
 クレアは慌てて通されたバックヤードでビデオを見せてもらった。防犯カメラには確かにアルフレッドの姿が映っていた。その時のレジ係が呼び出されて、自分は何も悪いことはしていないのだが、と前置きしてから話を始めた。
「この男の人ですか? 店に入る前に黒人の親子と話をしてました。父親と娘です。あまり見てませんでしたけど、親しげな感じで。それから入ってきて、うちで買い物していったんです」
「黒人の親子?」
「ええ」
「ありがとう」
 クレアはぱたんと手帳を閉じた。たったそれだけで尋問が終わってしまったのが意外だったのか、レジ係の少女は目をぱちくりさせた。
(入ったのが三時三十二分、出たのが四十分。それほど長い時間じゃない)
「捜査への協力、ありがとう」
 クレアはもう一度言い、店の事務所を出た。ここを出た時刻が判ればもう用はなかった。さっきの質問の仕方ではアルフレッドが何かをやらかしたと思われてしまうかもしれないかったが、そこまでフォローしている暇はなかった。
 店の隣の路地で携帯電話と手帳をもう一度取り出し、今回の事件に割いているページを開く。知り合いなどいないはずのこの町で、アルフレッドと親しげに会話する黒人の親子がいるとすれば、思い当たるところは一つしかなかった。クレアはためらいなくその電話番号を押した。呼出音はちょうど三回で切れて、相手が出た。
「はい、ノリスです」
 女の子の声ということは、メアリーが出たのだろう。ノリス家に人がいたことにクレアはほっとした。
「広域捜査局のフィッツジェラルドです。お父さんに代わってもらえないかしら」
「はぁい」
 素直にメアリーは答え、ぱたぱたと走る音と、パパと呼ぶメアリーの声が遠くで聞こえてから、もう一つの足音が近づき、やがて受話器の持ちあがる音がした。
「はい、代わりました」
「ミスター・ノリス、憶えておいでですか? 先日お伺いしたフィッツジェラルドです」
「ああ、広域捜査局の」
 レイが快く答えてくれたので、クレアはまたほっとした。
「何か?」
「またプライベートなことをお訊ねして申し訳ありません。今日、シンクレアとスミス食料品店でお会いになりませんでしたか?」
「え?……ああ、会いましたよ。それで話もしました」
 何故そんなことを聞かれるのか疑問に思っただろうが、それでもレイはきちんと答えてくれた。自分の推理が当たっていたので、クレアはまず変なことを言わなくてすんだことに感謝した。
「どうかしたんですか?」
 どう答えたものかと一瞬迷ってから、クレアはことさらに明るい声で彼に告げた。
「シンクレアからの言付です。何か私たちで力になれることがあれば、いつでも呼んでください。それだけ言い忘れたとシンクレアが言っておりました。それでは失礼します」
「ありがとう。さよなら」
 疑いを抱くこともなかったようで、レイはごく普通に答え、クレアは電話を切った。問題は店を出てからアルフレッドがどこに行ったかだった。フォークリバー署に寄った形跡もないということは、まっすぐにモーテルに戻ろうとしたに違いない。
 戻ってから夕飯を食べるために出ていったというなら、車を使っているはずだが車は駐車場に残っていた。つまりアルフレッドは食料品店からの帰り道の間にいなくなったと考えられる。それならもと来た道を戻ってきたはずである。クレアは自分が今やってきた道を逆にたどり始めた。


※     ※     ※


「深刻そうな顔をしてるけど、何かあったのか」
 振り向くと興味津々といった様子のガーフィールドが覗きこんでいた。いつだって事件が解決されないうちは深刻だ、と心外な気分になりながらリドルはむっつりと答えた。
「七時頃にフィッツジェラルド捜査官から電話があったんだよ。シンクレア捜査官が来てないかって」
 ガーフィールドはふうん、というように首を傾げて、自分のデスクに向き直った。
「あの二人、やっぱり怪しいな」
「いいかげんにしろ、ティディ」
 リドルは呆れた。
「彼は既婚者だと言っただろう」
「だから、あやしいんだよ。シンクレアはなんか、あんたとちがって所帯疲れした感じがしなくて、独身みたいに見えるからさ」
「一言余計だが、それはそれで結構なんじゃないのか」
 ガーフィールドは肩をすくめて、今日起こった強盗事件の報告書を仕上げてしまうために袖をまくった。だがリドルはまだ考え事を続けている。
「なあ、ティディ」
「ん?」
「あのフィッツジェラルド捜査官が、『大したことじゃない』のにここに電話をしてくるなんてことがあると思うか? ついでに、その後連絡が取れない。携帯電話の電源を切ってるみたいだ」
 ガーフィールドはちょっと考えてから答えた。
「あまり想像がつかないな」
「だろう」
 リドルは頷いて、コートを取って立ち上がった。
「ちょっと、二人の泊まっているモーテルに行ってくる」
「それなら僕も行こう」
 ガーフィールドは力強く言った。


※     ※     ※


 歩きながら、クレアはアルフレッドがどこに消えたのかをずっと考え続けていた。もしも失踪などということになったら一大事だった。いよいよ見つからなければ、公開捜査で彼の行方を知っている人物を探すという手もある。だが、マスコミに捜査員が行方不明になったなどという情報を与えてはいけないとも思った。
 どんな事情であろうと、アルフレッドをもう一度新聞やテレビに晒すような真似はしたくなかった。たとえそれを彼が見なかったとしても、いつかそれを知った時にまた、心を閉ざしてしまうかもしれない。そして今度こそ、立ち直ろうという気力を失ってしまうかもしれない。
(この捜査は一切の情報を秘密にしての捜査だもの。被害者の名前と手口は最初の時に報道されてしまったけれど、あとはもう、被害者が出たということしか報道されていない。なのにここで、この情報が漏れてしまったら、今まで集めてきた証拠も全て見せろということなるだろうし、そんなことをしたら犯人は残っている証拠を消そうとする)
(それに、アルフレッドをマスコミに晒すなんて)
「駄目だわ」
 クレアは自分に言い聞かせるように、静かに言った。
(まさか……)
 ふと湧き上がった疑念に、クレアはぞくりとした。それはあくまで可能性でしかなかったが、払拭できるほどの不確かさではなかった。
(犯人が彼をさらった、なんてことは……)
(ここは人口も比較的多いし、誰が犯人の捜査をしている捜査員かなんてこと、実際に会った人間とその場に居合わせた人間以外は知らないはず。まして広域捜査局から来た捜査官が誰かなんて、わかるはずもない)
(でも、私たちが被害者の家を訪ねて回っているのを、目撃していたら……。そうじゃなくたって、自分の行ったことの影響を見たくて、わざわざ被害者の様子を窺う犯人もいる。その時にアルフレッドを見たのだとしたら、ありえないことじゃないわ)
 そこまで考えて、クレアはモーテルに一刻も早く戻るため走り出した。
(犯人は、自分の快楽追求の邪魔となるものに容赦をしないわ)
(ためらいなく人を殺す人種)
 犯罪心理学を専攻していたのを、これほど感謝したのは初めてだった。それと同時に、恐ろしい想像をしてしまう自分を呪った。
(アルフレッドは彼らにとって、使い道のない獲物でしかない)
 ディズレリーの話を思い出す。
 十一年前の事件でアルフレッドは四つの銃創を負い、胸部と腹部はめった刺しにされている。なめらかで傷一つない皮膚、刺青のある皮膚だけを集める今回の犯人が、もしアルフレッドを誘拐したのだとしたら、一週間も彼を生かしておく理由がない。
(単純に殺してしまうか、あるいは……食料として殺してしまう)
 モーテルに戻ると、荒い息を整える間もなく部屋に飛びこむ。さっきまで使っていたノートパソコンを開いて起動させ、広域捜査局のネットワークに接続する。どこにアクセスするかはもう決まっている。
 やがて画面に現れたのは、人名の羅列であった。
 それは心理分析課で作成された、過去の大量殺人犯や猟奇殺人犯の家族構成をすべて記録したデータだった。
「私の予想が正しければ……」
 クレアは呟いた。今頃、リドルとガーフィールドはこちらに向かっているだろう。彼らに電話などしなければよかったと思ったが、どうしようもない。彼らがここに来るのを待っている暇もない。
 目的の情報をクレアは食い入るように見つめた。両親の名が記されたその下に、二十三年前の皮剥ぎ殺人犯、ジョージ・マクレーガーの名がある。
「やっぱり……」
 その隣に、ジェフリー・ルイスという名が並んでいた。生年月日から、ジョージの双子の兄弟だということが判る。ジェフリーは生後一年でダンカンという夫妻の養子となり、ジョージはノースアヴェルニアで、ジェフリーはここアルミニアで育った。
 このジェフリーが、G・L・ダンカンのはずだ。
 一卵性双生児の場合、生育環境が大きく異なっても、その生き方が非常に似通っていくることが少なくない。一度も会うことがなかったのに、結婚、離婚の回数や妻の名、子供の名が一致していたという例も報告されている。ジョージとジェフリーの二人も、その例に漏れなかったのだろう。全く健全な両親から生まれ、育ったのに、二人とも猟奇殺人者となってしまった。
 次にクレアはフォークリバー市のデータベースにアクセスした。アドレスは昼の間にリドルから聞いていたので探す手間は省けた。住民の中にG・L・ダンカンの名は三つあったが、住所から一人だけを選び出す。
 その記録によれば、ジェフリーには妻と、娘が一人いた。妻の名前を確認して、クレアは別のページを開く。
「……あった!」
 妻のバーバラには十一年前に捜索願が出されており、現在は死亡扱いになっていることが明記されていた。失踪の日付はジョージ・マクレーガーの処刑の日と一致している。最初から、マクレーガーの処刑の日を目安にするべきだった。それからクレアは眉をひそめた。ダンカン家の娘、ルース・ヴェロニカには捜索願が出ていない。ということは、まだ生きているのだろうか。
 彼女の脳裏に、窓辺で見かけた女の姿がふと横切った。
「あれが……きっと……」
 物思いにふけりかけたが、クレアは頭を一振りしてそれを追いやった。ぼやぼやしていられない。犯人がコレクション目的でアルフレッドを拉致したのでなければ、一両日中に彼が死体で発見されるという最悪の事態を招くことになる。
 脱いで椅子にかけていたジャケットを羽織り、ベッドサイドにおいていた三十二口径を手に取った。弾倉全てに弾が装填されていることを確かめ、補充用のカートリッジをポケットに突っ込む。
「待っていて、フレッド」
 クレアは祈るように呟いて、モーテルを後にした。
 リドルとガーフィールドがモーテルに到着したのは、それから十数分後の出来事だった。アルフレッドとクレアが使っていた自動車も駐車場にないのを見て、ガーフィールドが小さく舌打ちした。
「入れ違いか……」
 リドルは苦い気持ちで呟いた。鍵のかかっていた部屋を管理人に頼んで開けてもらうと、どちらの部屋にも二人の姿はなかった。ただ、クレアの部屋は慌ただしく出かけた形跡があり、机の上には市内の住所が書かれた一枚のメモが残されていた。
「フィッツジェラルド捜査官は、ここに向かったのか」


(2013.9.10)

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