第五話-2  第六話-1


5.窓辺の女 3


 フォークリバー署に戻ると、クレアにとっては幸いなことにリドルはすでに戻ってきていた。食事ができそうなところを聞こうと思ったのだが、話を切り出す前にリドルは自分の午前中の仕事について報告を始めたので、二人はすっかりタイミングを失してしまった。
「それで、最後に墓地を調べてきたんだが、犯人の標的になりうる年代と死因で、まだ遺体が残っていそうな死者は二十五。調査する許可を役所と遺族に求めているところだ」
「あのー、リドル警部。昼はもう済ませましたか?」
「え?」
 自分の仕事を熱心に語っていたリドルだったが、きょとんとアルフレッドを見て、それから自分の胃の辺りを掌で押さえて思い出したように言った。
「ああ、そういえばまだだったかな。なんだ、君らもまだなのか」
「こちらに戻る途中で済ませようと思ってたんですが、どんな店があるのか判らないものですから。それであなたに聞こうと思ってたんですよ」
「それなら丁度いい。一緒に行こうじゃないか。フィッシュボーン・クラブって店がある。焼き立てでうまい魚を食べさせてくれるグリルだ。知っての通りアルミニアに海はないが、ダーティルから仕入れた産地直送の魚だから新鮮だぞ。ここの署員もよく行くから、店員も心得てて、気兼ねなく事件の話ができるし。――ああそうだ、君たち、魚は大丈夫か?」
「好き嫌いはないですよ。味によりますがね。ちなみにその店、デザートはありますか?」
「頼んだことはないが、幾つかレパートリーはあるみたいだ。シンクレア捜査官、顔に似合わず甘党なんだな」
「……デザートが欲しいのは私です」
 クレアがぼそりと口を挟んだ。これにはリドルも少なからず驚いたらしい。笑うとも、驚くともつかない微妙な表情を浮かべた。
「それじゃあすぐにでも……」
「何だって僕に声をかけてくれないんだ? 僕も行くよ!」
 アルフレッドからは、クレアがわずかに肩を落としたのが見えた。廊下の曲がり角からガーフィールドが拗ねたような顔を出したのだ。呆れてリドルが振り向いた。
「なんだベア、お前も昼抜きだったのか」
「『だったのか』はないんじゃないかな。そりゃあ一人だけ署に残ってたし、建物からは一歩も出てないけど、ずっと資料室と地域課と生活安全課を往復してて、休んでる暇だってなかったんだから」
「わかったわかった。なら四人でだな」
「フィッシュボーンに行くのか?」
「ああ」
 ガーフィールドはぱちんと指を鳴らした。
「そりゃいい。クレア、僕と二人でカウンター席に座らないか? リドルはかみさんがいるから関係ないし、シンクレアだけに君をエスコートさせるのは不公平だ」
 誰が何に不公平なんだ――と、アルフレッドは頭を抱えたい気分になった。クレアもそれは同じだったらしい。
「エスコートって何? 私とフレッドは捜査の相棒よ。一緒に行動しているのは当然でしょう、ガーフィールド巡査部長。それに、リドル警部を既婚者ということで仲間外れにするなら、フレッドもそうなんだから、それこそ関係ないわ。どうせなら四人で、今までに判ったことを話し合いたいわ」
「つれないなあ」
「今は仕事中ですもの。プライベートでの誘いなら考えないこともないけれど」
 先を歩いているリドルとアルフレッドの後ろを、二人はそんなやりとりを続けながらついてきていた。ちなみにクレアは前を見て歩いていたが、ガーフィールドはクレアの方を向いて器用に横歩きしながら盛んに話しかけていた。
「なら、今夜の食事に誘ったら、それは応じてくれる?」
 めげずにガーフィールドは言った。大抵の女性ならその人のよい笑顔と好意に根負けしてしまうのだろうが、クレアは違った。
「あなたはここの人だから、署を出ればプライベートな時間を持ってもいいでしょうけれど、私はここにいる間の時間は全て仕事だと考えているの。フレッドとリドル警部同伴で、捜査上の話だけをすると約束してくれるなら、いいわ」
「……要するにそれ、遠回しな断りだね」
「断っているつもりはないけれど」
「ひどいな」
「おい、ベア」
 どちらを見かねたのか、リドルが足を止めて振り返った。
「お前にはペネロープっていう、れっきとした婚約者がいるだろうが。それ以上フィッツジェラルド捜査官に要らんちょっかいを出すなら、彼女にこの件を報告するぞ」
 アルフレッドは少々呆れの混じった視線をガーフィールドに向けた。可愛い恋人がいるなら、何もクレアに声をかける必要などないではないか。彼のおもてに浮かんだ表情を読み取ったのか、ガーフィールドは恨みがましく言った。
「僕に婚約者がいるからクレアとの食事が駄目だっていうなら、シンクレアはどうなんだ? いつだって一緒じゃないか」
「何で僕がクレアとの仲を疑われなきゃならないんだ」
「さっきも言ったけど、私たちは相棒で、仕事なんだから仕方ないじゃない」
「騒いでいるのはお前だけだよ」
 クレアの追い討ちにリドルが止めを刺した。ガーフィールドは叱られた犬さながらにうなだれて、ディナーへの誘いはそれきりになってしまった。四人はそのままろくに話もしないで歩いた。リドルお勧めの『フィッシュボーン・クラブ』は署の前を走る幹線道路を横断し、ちょっと歩いたところにあった。軒先に木彫りの薄っぺらい魚型の看板が吊るされており、その名の通り骨の形がペインティングされていた。
 店はそこそこの広さがあり、テーブル数は見たところ五十人ほど入れそうだった。客はまばらに席を埋めていた。リドルは言葉通りこの店の常連らしく、店員は彼の姿を見ると無言で笑顔を浮かべて頷きかけただけで、リドルは通りに面した隅の、四人掛けのテーブルに着いた。全員がそれに続き、リドルとガーフィールド、クレアとアルフレッドというペアで収まった。
「ほら、またシンクレアがクレアの隣だ」
 クレアが色よい返事をしてくれなかったのがよほど気に入らなかったのか、ガーフィールドはぶつぶつ言っていたが、ふいに顔をしかめて黙った。リドルが彼の爪先をかなり手加減なしで踏みつけたからであった。
「足をどけてくれ、リドル」
 痛みに顔をしかめながら、ガーフィールドは抗議の声を上げた。だがリドルはそっけなかった。
「ベア、シンクレア捜査官とフィッツジェラルド捜査官は、二人の間には仕事以外には何もないと言っているんだし、俺もそう思う。そうやって、男と女が二人いればすぐに勘ぐるのがお前の一番悪い癖だ」
「わかったよ、もう言わないから」
 ガーフィールドは今にも泣きそうな声で訴えた。見ているだけのクレアとアルフレッドには想像もつかなかったが、どうやらとてつもなく痛いらしい。ガーフィールドとリドルは長い付き合いのようだから、二人が組んでからずっと、リドルはこうやって相棒を諌めたり教育したりしてきたのだろう。
 ようやくガーフィールドは広域捜査官の二人についてとやかく言うのをやめ、四人はそれぞれメニュー表を開いた。たしかに魚料理の専門店らしく、メニューの中には魚の名前ばかりが並んでいた。
「ここのスズキの香草焼きは逸品だぞ、シンクレア捜査官。それからこの、魚介のピッツァもなかなかいける」
 リドルが親切かつ熱心に勧めてくれたので、アルフレッドはありがたく拝聴することにし、そのスズキの香草焼きを注文した。クレアはやはりデザートにチョコレートケーキを頼んでいた。
「ところでガーフィールド、君の成果はどんなものだったんだ? 教えてくれないか」
「行方不明者のリストはクレアが言っていたカテゴリーに入る人物を選んで、年齢・男女別に分けてみた。とりあえず五年前からを調べた。行方不明になったセントマーチの居住者は今のところ十一人だから、ここから絞り込むのはそれほど難しくないと思う。で、そっちの具合は?」
「セントマーチで、クレアがプロファイリングした犯人の家に似た特徴を持つ家を控えてきた。君の作ったリストと照らし合わせれば、うまくすれば被疑者をピックアップできるかもしれない」
「そりゃすごい」
 ガーフィールドは一旦フォークを置いて、指を鳴らした。食事中だったが、誰もそれを咎めなかった。
「だが、犯人の家がプロファイリング通りだという確証はないんだろう」
 どうやらプロファイリングには信用を置いていないらしいリドルが指摘した。ガーフィールドは興ざめだと言わんばかりの顔をし、アルフレッドはそうきたか、と思った。だが、クレアの言うことなら間違っていないだろうという不思議な確信は揺らがなかった。
「そうです、リドル警部。確証はありません。ですが被害者が失踪した現場で殺されたのではないこと、死体を解体していても周囲に気づかれないだけの敷地、家の構造などを考えれば、一つの類型が考えられます」
「ふうん。そういうものか」
 リドルは首をひねりながらであったがひとまず納得した。食事を済ませて署に戻ると、一行はさっそくガーフィールドが作成したリストを見ることにした。彼は軽い言動とはうらはらに、なかなか優秀な刑事ぶりを発揮していた。リストの内容は詳細だったし、他の課で背景事情なども調べ、市役所に問い合わせて失踪者の細かい家族構成も調べていた。
「へえ……すごいじゃないか」
 アルフレッドが心から褒めると、ガーフィールドは自慢げに胸を張ってみせた。クレアは、調子に乗らせると何を言い出すか判らないと思ったので、ことさら褒めたり驚いたりしてみせることはなかった。何も言わないかわりに、彼女はアルフレッドと二人でセントマーチを歩きまわって作ったリストの名前と、行方不明者の名前を照らし合わせていった。
 その結果、残ったのは二件だった。夫のイブリンが六月から行方不明だというマチルダ・レイノルズ。妻のクララが十一月から行方不明のロナルド・モーティーマー。それぞれ四十代と三十代である。
「だが地域課で聞いたところによれば、レイノルズの場合は三月に失業して、家のローンやら生活費の工面やらを苦にして家族を捨てたというのが実際のところみたいだ。三人の子供はまだ幼いし」
「それじゃ、奥さんは生活で手一杯だろうな」
 ガーフィールドの説明に、アルフレッドは相槌を打った。もちろんそれだけで容疑者から外すわけにはいかないが、失業した夫が行方不明となり、女手一つで家計を支えなければならない妻という立場を考えると、疑いたくない気持ちがあった。リストを覗きこんで、ガーフィールドはまたため息をついた。
「で、クララ・モーティマーは十一月三日に捜索願が出てる。夫が出張中に姿を消したそうだ。これも、浮気の末に相手と逃げたらしい」
「それじゃあ結局、容疑者の絞り込みなんてできてないじゃないか」
 リドルが額に手をやって椅子に身を深々ともたせかけた。どうにも腑に落ちない雰囲気の中、とりあえずこの二人の身辺調査をしようということで話は決まった。その後、署長と刑事部長が事件の経過を知りたがっているというので、リドルはアルフレッドを伴って説明のために出ていった。
「なんでそんな浮かない顔をしてるんだ、クレア?」
 ガーフィールドとクレアは一息つくために殺人課の隅にあるホットコーナーでコーヒーを淹れた。
「あの二人は、違うような気がする」
「まあね。だが……」
「ええ、もちろんあなたが作ってくれたリストが間違っているわけでもないし、いけないわけでもない。だけど、レイノルズとモーティーマーはプロファイリングには当てはまらないのよ。もちろん、プロファイリングが常に正しいなんて思ってはないけれど」
「どういうことかな」
 ガーフィールドは真面目に訊き返した。
「午前中にセントマーチを回ってみて、近所の噂話になんかも聞いてきたのよ。だけど、レイノルズとモーティーマーに関しては、同情の声は聞いても、悪い噂は何一つとして聞かなかった」
「君の分析では、犯人は社会適応性が低いというか、『ちょっと普通じゃない』と周囲に思われているような人物だったな」
「ええ。だから腑に落ちなくて」
 クレアは素直に頷いた。
「なら犯人は、捜索願を出していないんじゃないか? どこまでも忠実にコピーする必要はないわけだし、君みたいな捜査官が二十年前の事件との関連性を疑ったとき、そこから足がついてしまう可能性だってあるわけだから」
「だけど、今は他に手掛かりがない状態だわ。それに捜索願が出ていないなら、周辺を捜査する口実が無くなってしまう」
「口実なんか後からいくらだって作れるさ。そいつが真犯人ならなおのことね」
 物騒なことをガーフィールドは言った。だがそれでクレアは、微笑む余裕を作ることができた。
「あなたって、本当に面白い人ね」
「見直してくれたかな」
「あなたの恋人は幸せものね、と言える程度には」
「そりゃあそうさ」
 二人は笑いあった。ちょうどリドルとアルフレッドが戻ってきたので、いつのまにクレアの態度が軟化したのか、二人は首を傾げた。
「ボスはどうだった、リドル」
「もうすぐ解決しそうだと伝えたら、ずいぶんほっとしたみたいだった。州外のマスコミもそろそろ動き出しているからな。部長は相変らずさ。シンクレア捜査官がいたから、まだ抑えてたみたいだが」
 高血圧に悩まされていそうな刑事部長の顔をアルフレッドは思い出した。二カ月近く経った今も容疑者すら浮かんでいないことに相当苛立ちを募らせていたらしく、入っていくなり頭ごなしに二人を怒鳴りつけたのだ。慣れているリドルは平然としたものだったが、アルフレッドはすっかり驚いてしまった。ようやく黙ってもらって、容疑者の絞り込みができる段階まで来たことを報告すると、赤ら顔を一転、にこにこと綻ばせて広域捜査局への謝辞を述べ、送り出してくれたのだった。
(あれで抑えてたっていうのか……)
 それなら普段、フォークリバー署の刑事たちはどんなものを見ているのかと、アルフレッドは密かに彼らに同情した。
「フレッド」
 いつのまにかクレアが傍に来ていて、そっと袖を引っ張った。
「あなた、さっきのリストに上がった二人のどちらかが犯人だと思う?」
 アルフレッドは目を瞬かせた。まだ話を続けているリドルとガーフィールドを見て、それからクレアに視線を戻した。彼女の翡翠色の瞳は真剣そのものだった。アルフレッドは囁き声で返事をした。
「ちょっとピンとこない。疑わしいとは思うな。君も?」
「確信が持てないわ。妙に気にかかることがあって。ここの人たちには内緒で調べられないかしら」
「何を調べたいんだ?」
「大したことじゃないけれど……」
「それじゃあ協力できないよ」
 小声のままで尋ねると、クレアは真剣な顔のまま奇妙なことを尋ねた。
「フレッド、何があってもあなたは私を信じてくれる?」
 その瞳はどこか頼りなさげに揺れていた。


(2013.8.10up)

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