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4.模倣犯 3


 一人目の女性はフェイホア・ウッズ。二十八歳の主婦である。黒髪と黒い瞳、顔立ちと名前で判るように、東方からの移民。捜索願を出したのは夫のジョナサンである。カルチャースクール帰りに失踪したのは今年の八月で、今のところ確認されている墓荒らしの最古の時期と一致していた。
 二人目の女性はジュリエット・テイラーという名の、栗色の髪と灰色の瞳を持った白人。三十三歳で、広告代理店のタイピストとして働いていた。届を出したのは同居していた弟のアーサー。帰宅途中で疾走したのは今年の三月。時期としてはスローターマンとは関わりがなさそうだった。
 最後の女性はミカエラ・ラマーズ。髪はハニーブロンド、瞳はグリーンの二十七歳の白人。フォークリバー市民病院に勤める看護婦で、同棲中の恋人のガブリエル・マカービルから届が出されたのは十月。夜勤明けで帰る途中に失踪している。
「三人とも帰宅途中と思われる夜から早朝にかけて失踪したということになっているな」
「証言が正しければ、ね」
 クレアは男の失踪者も同様に検索して印刷した後、パソコンを待機状態にして、髪をほどいた。リドルは印刷された資料をコピーするために席を外してしまったので、その場には彼を除いた三人しかいなかった。
 アルフレッドは小さく息をついた。
「書いてあることが本当に真実かどうかは判らないって言うんだろ。それくらい僕だって了解済みだよ。ただな……」
「それでクレア、これからどうする?」
 何となく険悪になりかけた二人の間に、ガーフィールドの声が割って入った。そのタイミングは実に絶妙なものだった。自称していたとおりのぬいぐるみのような、くるくるとよく動く瞳で交互に見つめられたもので、二人は毒気を抜かれてそれ以上何も言えなくなってしまった。しばらく間を置いてから、アルフレッドは軽く咳払いした。
「失踪事件の調査、かな」
「捜査方針が決まったのか」
 そこにリドルが戻ってきた。手には人数分のコピーがある。各自受け取って、丸テーブルを囲んで座り。もう一度じっくりと目を通す。クレアが手帳を取り出して何やら書き込み、皆に見えるように中央に差し出した。全員の視線が一斉に、小さな手帳の紙面に吸い寄せられる。見開きいっぱいに三月から十二月に区切られた線が横に引かれ、その下には今回の被害者たちの名前が順番に書かれていた。今のところ最初の墓荒らしが確認されている女性の名前が七月の中頃に書かれており、十二月の最後にはキャサリンの名と死体が発見された日付が書かれていた。
「今までの事件と発覚した日時を並べるとこうなるわ。最初の殺人と目されているヴァージニア・ノリスが失踪した日と、最後の墓荒らしであるパット・ドーソンが死んだ日の間には十日しかブランクがない」
 クレアはボールペンの先でその場所を示した。
「ここがおかしいのよ。スローターマンが墓荒らしをしている間にマリーを殺していたら、ヴァージニアの事件はもっと後になってから起こっていたんじゃないかしら」
「マリー?」
 リドルが首を傾げたのへ、説明するのもわずらわしそうにクレアは言った。
「名前がないと呼びにくいから便宜上、最初の被害者をそう呼ばせてもらうわ」
「じゃあそのマリー殺しは墓を荒らす前に起こっていたということか?」
「だがこいつが二十年前の事件のコピーキャットだとしたら、それはおかしいよ、リドル」
「だったらマリー殺しはそもそも存在してないんじゃないか」
「それじゃ模倣犯じゃないってことになる」
 リドルとガーフィールドが堂々巡りの議論を始めようとした。
「ガーフィールド、仮説はもう一つある。墓荒らしは実はもっと前から行われていたとしたらどうだ?」
 腕組みをしたままアルフレッドは呟いた。確かに、とリドルはガーフィールドから視線を外して頷いた。
「クレアが見つけた墓荒らしは、この一年間で死んだ人だけだ。それより前の死者は調べてない」
「なら、検索した行方不明者の範囲を広げる必要があるわ。マクレーガーが処刑された十一年前か、事件が起きた二十年前からか……」
 クレアが困ったように言った。四人の間に重たい沈黙が流れた。それぞれが自分の考えを頭の中で練っていた。だが、どう口に出していいのかわからなかったし、口に出せば脆い仮説が全て壊れてしまうような気もしていた。
(この事件が二十年前のマクレーガー事件のコピーキャットだとしたら、犯人はどこまで忠実にコピーするだろう)
 アルフレッドは虚空を睨むような目をしながら考えた。
 墓荒らしから殺人へ。被害者の性別には特にこだわりがない。皮を剥いで頭部を切り取る。人肉を食らうようになった。それらは同じだ。そして、違う点。殺した被害者を隠さずに目に付く場所に捨てる。共犯者がいる。墓から掘り起こした死体は持ち帰って解体するのではなく、その場で解体して目的を遂げた後埋め戻してしまう……。
(いや、全ての死体が埋め戻されていたわけじゃなかった)
 アルフレッドは記憶の糸を辿った。記憶力が悪いわけではないが、いきなり思い出そうとしたら急に記憶が混乱してしまった。
(一人だけ、死体が消えた墓があった……)
 絡まり合った糸の端を、ようやくアルフレッドは掴んだ。
「消えた死体だよ」
 勝ち誇ったように、アルフレッドは言った。高らかな勝利宣言にも似たそれに、三人は首を傾げた。
「マクレーガーの妻は、庭に埋められた死体を見つけたことで夫の犯罪を知った」
「あ……」
 誰かが呟き、不思議そうにしていたその表情が、言葉の意味を理解していくにつれて驚きのそれへと変わっていく。やにわにクレアは手帳を手元に引き戻し、ページを繰った。
「死体が消えていた、ジョイス・ギルバートね?」
「ああ」
 アルフレッドは口元に笑みを浮かべた。
「多分犯人はジョイス・ギルバートの死体だけは持ち帰り、自宅で埋めるなりして隠した。『マリー』がそれに気づいたら、彼女を殺すつもりで。だが気づくまでに三カ月近くかかってしまった。だから犯人は我慢できずに次の墓を荒らした。最終的に気づいたのは恐らく、パット・ドーソンの墓が荒らされて間もなく――十月半ばだろう。そして『マリー』は殺されて、それから第二の被害者としてヴァージニア・ノリスが殺された。これなら時期的なつじつまは合う」
「それなら、十月に失踪したミカエラ・ラマーズがマリーである可能性がいちばん高いな……。女の方が失踪届を出しているこちらの一件もあわせて、このブロックに住んでいて、十月の失踪者を調査すれば被疑者を絞り込める」
「だいぶ、先が見えてきた感じだな」
 ガーフィールドが嬉しそうに言った。今まで全く見えてきていなかった事件という名のパズルの輪郭が、ようやく掴めてきたような気がする。
「失踪者は生活安全課の管轄だから、そっちへの照会は僕がやっておくよ」
「じゃあそれはベアに頼むとして、私は墓地周辺の聞き込みに行ってくる。それと葬儀会社も当たった方がいいな」
 そこまで行って、リドルは二人の広域捜査官に、君たちはどうする、と問いかけるように首を傾げてみせた。こうして協力する体制をとってはいるが、広域捜査官には独自の捜査権が与えられ、リドルに指揮権はない。二人がどうするかは本人たちの裁量に任されていた。アルフレッドが考えるまでもなく、クレアが答えた。この事件に関しては、クレアが主導権を握りっぱなしだった。
「ヴァージニアが最後に目撃されたブロックでの捜査をしてきます」
「僕も彼女に同行します」
「なら決まりだ。ベア、よろしく頼むぞ」
「了解」
 すでに出ていきかけていたガーフィールドは親指を立ててウインクしてみせた。
 今回借りたブルーの自動車の前まで来ると、クレアは当然のようにアルフレッドに鍵を渡した。運転席のドアを開けながら、彼はクレアを窺った。
「今回は君が運転するんじゃなかったのか」
「運転中に私が考え事をしていてもいいというならそうするけれど、注意力は大幅に低下すると思うわ」
「僕も色々と考え事はしているんだが」
 言い返されて、クレアは困ったように眉を寄せた。
「あなたが運転してくれた方が安心できるのよ。私、町なかの運転には自信がないの」
 今度はえらく殊勝な態度に出たものだな、とアルフレッドは思った。しかし彼は他人に運転されるよりは、疲れていても自分が運転していたほうが気が楽なタイプだったので、クレアが交代を申し出たのに文句をいうつもりはなかった。アルフレッドはさっさと車に乗り込み、クレアがシートベルトを締めたのを確認してから発進させた。
「じゃあ、セントマーチまで直行するか」
「その前に、ギャローズに寄って。ゴミ捨て場の確認をしておきたいの」
 ギャローズは、アメリアとラルフ、キャサリンの死体が見つかったガソリンスタンドがある場所だった。クレアの真意ははかりかねたが、別段断ることでもないのでアルフレッドは言う通りにすることにした。
「わかったよ」
 セントマーチとは真逆の方向だったので、アルフレッドは方向指示機を切り替え、ステアリングを切った。隣のシートをちらりと見ると、クレアは膝の上で軽く手を組み、真っ直ぐに前を見つめていた。
「現地で聞きこみをするのかい? それはフォークリバー署員がやっているはずだが」
「いいえ。周囲をこの目で見てみたいだけよ」
 クレアは素直に答えた。横顔も、高い鼻梁がすっと通っていて、なかなかきれいだとふと思った。彫刻のモデルなどにはぴったりなのではないだろうか。柔らかな印象には欠けているが、はっきりとした目鼻立ちをしている。
「どうしたの?」
「いや……」
「やっぱり、私が運転する?」
 クレアは心配そうに尋ねた。自分はこのところ寝不足が続いているが、アルフレッドもそうなのだろうか。だとしたら運転を代わってもらったのは悪かったかもしれない。
 だがいざ自分が運転するとなると不安なのは事実だった。この近辺は交通量が多い場所ではないから、よほど注意力が散漫になっていなければ事故を起こすようなことはまずないだろう。アルフレッド自身が大丈夫だと自分で言うのなら大丈夫なのだろうと、クレアは結論付けた。
 一方、この頃の自分はやはりおかしいとアルフレッドは感じていた。仕事の間でも、緊張がふっと解けた瞬間などはセレストの事を考えているか、さもなければクレアを見たり、彼女のことを考えてしまっている。セレストを思い出すのは自分でも理解できる。もうすぐアンゼリオ祭だからだ。しかし、クレアに関してはどうしてなのか自分でも判らなかった。
「なあ、クレア」
「なに?」
 そしてアルフレッドは、自身の思いとは全く関係ない質問をしていた。
「殺人が起きる間隔はだんだん短くなっているか、被害者が失踪してから死体が見つかるまでの日数はさほど変わっていないな」
「そうね」
 クレアは顎にちょっと手を当てた。
「獲物を捕らえてから加工するまでの時間は短縮できないからよ」
「え」
 耳慣れない言葉を聞いたようにアルフレッドは眉を寄せて、それから赤信号に気づいてブレーキを踏んだ。辛うじて停止線の前で止まれた。
「聞こえなかった?」
 急ブレーキをかけられて、一瞬だけ前にのめった体勢を整えてから、クレアは平然として――無邪気に近いくらいあっさりと、言った。時々こうして彼女は、アルフレッドをぞくりとさせる。あまりにもその物言いが犯人の側に立ったものだからだろうか。確かに、「獲物」や「加工」といった言葉がぴったりの表現であるのは判る。だが少々人間味に欠けた言い方であるのも否めなかった。
「聞こえていたよ。被害者は失踪してからすぐに殺されているわけじゃないのも知っているが……」
「ええ。最初の死体検案書にも書いてあったし、全てがそうだけれど、被害者は死後二日からその日のうちに捨てられているわ。失踪してから数日は生きていた」
「だが、どうしてすぐに殺さないんだろう」
 アルフレッドの質問に、年下の同僚はまた顎に手をやり、ちょっと首を傾けてしばらく黙りこんだ。今度は言葉を探しているらしい。
「すぐに殺したら、皮を剥ぎにくいからよ」
「そうなのか?」
「人間の皮膚は動物のそれとは違ってとても薄いから、剥ぎにくいのよ。今回の事件みたいに、やろうと思えばできるわけだけど……。それなりの下準備が要るわけ。マクレーガー事件の資料に書いていなかったかしら? 誘拐した被害者を数日間生かしておいて、その間に肌の状態を悪くしない程度に被害者を弱らせて、皮を剥ぎやすいように薬を塗って……それから殺して、皮を剥いでいたのよ」
「じゃあ、今回の被害者も、一週間近く監禁されてから殺されていたのか」
「コピーキャットですもの、きっとそうよ」
 最初の被害者であるヴァージニアや、まだ連続殺人と断定されていなかった時に被害に遭ったアメリアはともかく、ラルフやキャサリンは自分を捕らえた相手が何者であるかを理解する時間があったに違いない。やがて殺されるとわかっていて生かされる恐怖はいかばかりだったのだろうか。
「じゃあ、その時間が短縮されることはないんだな」
「薬や衰弱を待たなくても皮をうまく剥ぎ取る方法を思い付かないかぎりはね」
 クレアは楽観的な見方をしなかった。会話が途切れ、青信号になったのでアルフレッドは再びアクセルを踏み込んだ。このあたりには中小規模店舗や雑居ビルが多い。そこを少し走ればそのようなビルはまばらになり、ノリス家のある場所のような、時代がかった住宅街へと変わっていく。さらに東に向かえば、アメリアの自宅があった比較的高級な住宅地となる。スローターマンが潜んでいると目されているブロックは、この二つの地域の中間地点となる。
 隣の家の夕飯までわかるような密接な近所づきあいがあるわけでもないが、一日中隣家の人間と顔を合わせずに過ごすことができるような場所でもない。居住者同士の関係性や、その社会的地位、階級まで、全てにおいて中くらいで、真ん中に位置する地域だ。
 犯人の自宅はどんな家なのだろう。アルフレッドの想像力では、死臭のたちこめる暗い部屋に置かれた血まみれの解体用の台や、血糊で錆びついた鋸、飾られた人間の頭部、剥ぎ取った皮膚で作った奇怪なオブジェといったものが浮かんでくる。
(被害者を一時的に監禁しておく場所としたら、どこだろう?)
 やはり地下室だろうか? 以前に見たホラー映画では枯れ井戸だったが、そんなものが残っている家があるだろうか。床下に自分で穴を掘って、そこに押し込むという手口を使った連続殺人犯もいた。仮に地下室だとすれば、置かれている家具は廃棄寸前のぼろぼろのベッドかマットレス、トイレがわりのバケツぐらいが関の山だろう。明かりは全くないか、小さな電球程度か。そんな場所に一週間も閉じ込められて、恐怖でおかしくならない人間などいるだろうか。
 ましてや、そこには自分より先に閉じ込められ、殺された人間がいるのだ。その痕跡すら残っているかもしれない。
「ねえ、フレッド」
 思い出したようにクレアが言った。
「何だい?」
「今までの殺人の周期を覚えているかしら」
 言いながら、彼女は自分の記憶に自信がなかったらしく、手帳を取り出した。書きとめているなら聞かなくてもいいものを、と思いながらアルフレッドは右折した。その角を曲がって、二番目の交差点を左折すれば、一か所目のごみ捨場に着く。
「ヴァージニアの死体発見とアメリアの失踪との間は一週間。アメリアとラルフの間は五日、ラルフとキャサリンの間も五日」
「……」
 アルフレッドは何も言わなかった。クレアが何を言いたいのかは判ったし、自分でもその想像で間違いないと思った。だが自分の口から言いだすのは恐ろしかった。彼が黙ったままだったので、クレアは囁くような声で、しかしはっきりと言った。
「……キャサリンの死体が発見されてから、今日で六日よ」
「リドルとガーフィールドも気づいているかな。もし気づいていないなら、言っておかないと」
 自分でもびっくりするほど感情のない声だった。彼のそんな反応が意外だったのか、クレアは緑の瞳を驚いたようにちょっと見開いた。
「ええ。そうしましょう。……でも」
 クレアの声はかき消えるように途切れた。最初の現場に到着したのだ。収集日ではないのか、あるいはすでに収集車がごみを回収した後だったらしく、ごみは一つもなかった。どこか遠くを見るように、煉瓦の低い壁で囲まれたそこを見やり、アルフレッドは薄い灰色の混じった青い目を細めた。そして、虚ろな声で呟いた。
「でも、五人目の殺人は止められないだろうな」


(2013.5.30up)

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