第二話-2  第三話-1


2.冷たい土の下で 3


 ラルフが勤務していたハンバーガーショップに着いたのは九時過ぎだった。店内にいるのは、たいていが二十代の若者だったが、冬休みだからか十代の子供も多かった。若者たちは恐らくクレアと二、三歳しか違わないはずなのに、アルフレッドには彼女の方がずっと老成しているように見えた。
 奥に進むと油と煙草の匂いが鼻についた。子供のくせに煙草なんて、と思いながら煙草を吸わないアルフレッドは息苦しさに耐えた。この煙の中でも表情を変えないクレアと共にカウンターに近づく。眉が薄いのに目の周りは真っ黒という特徴的なメイクをした女性店員が無愛想に尋ねた。
「ご注文は?」
「ハンバーガーは結構」
 アルフレッドはカウンターに身を乗り出すように肘をついて、身分証明書を見せた。すると店員の顔が心なしか強張った。何の後ろめたいことがあるのか、或いは警察に対する単なる条件反射か、恐る恐るといった感じでアルフレッドを見上げる。彼は安心させるように微笑んで、身分証明書をしまい込んだ。
「ラルフの事で尋ねたいことがあるんだ。店長を呼んでくれないか」
 店員はあからさまにほっとした表情を浮かべるとこくりと頷いて、ぱたぱたと店の奥に入っていった。一分も経たないうちに彼女は店長らしい中年男性を連れて戻ってきた。店長は二人を見て軽く頭を下げ、カウンターから出てくると店の外に行ったん出て、裏手から事務室に案内した。一応ソファとコーヒーテーブルが置かれている。そこでアルフレッドとクレアはもう一度身分証明書を提示して自己紹介した。
「私は店長のウィルソンです。ラルフのことで来られたんですね。この彼女はラルフの事件の後に入った子なんで、話は無理です」
 そう言って、彼はまだそこにいた店員に店に戻るように告げた。
「ラルフと親しかったのは誰ですか? 今日はこちらに出勤しているでしょうか」
 クレアが尋ねると、店長は淀みなく答えた。
「ジミー・アルプとブレンダ・ダウニーです。今日来ているのはブレンダだけですね。でももう二人とも、警察で一通り事情を聞かれていますが」
「すみませんが、我々は広域捜査局です。こちらの警察とは所属が別なので、同じ話であってももう一度聞く必要があるんです」
 ウィルソンは困った、というような顔をしてから不承不承の様子で立ち上がった。クレアのあの目にやられたな、とアルフレッドは想った。しばらくして、この店の制服を着た少女がウィルソンに伴われて入ってきた。
「やあ、こんにちは」
 不審そうな顔をしている少女に、アルフレッドは意識して笑顔で声をかけて立ち上がり、座るように促した。いつのまにか、挨拶と説明はアルフレッド、質問はクレアという役割分担ができてしまっている。自分のする質問はここの警察が既に行ったものとたぶん変わらないだろうし、クレアにはクレアなりの推論に基づいた質問があるのだから、そこに口を挟むつもりはなかった。
「わざわざ呼び出してしまってすまないね。僕は広域捜査局捜査官のシンクレア。それとフィッツジェラルドだ。取り調べではないから楽にしてくれ」
 ブレンダはややぎこちない仕草でソファに座った。
「最初に言っておくけれど、答えたくなかったり、わからないことなら答えなくていいわ。それから、どんな質問でも冷静に聞いて」
 彼女は神妙な顔で頷いた。
「ラルフはボクシングをやっていたそうだけれど、それはいつから?」
「小学生の時から……だから、十年以上になるわ。本格的に始めたのは中学校に入ってからだけど」
 ブレンダは当たり障りのない質問だったことにほっとしたように答えた。
「調子はどうだったの」
「まあまあってところ。バンタム級だったけど、彼はもう少し体重を落として階級を下げたいって言ってた。フォークリバーのアマチュア大会では、準優勝まで行ったのよ。下手なプロよりはずっと強かったはずだわ」
「年上の男でも倒せるくらい?」
 クレアの瞳が不可思議な色合いに輝いた。重苦しい話ではないことに安心したのか、ブレンダはだいぶ気持ちがほぐれて来た様子で、肩の力を抜いたようだった。
「ええ。彼はとても強かったわ。油断してたって、殺人鬼にやられるような人じゃなかったはずなのに……」
 涙ぐんで言葉を途切れさせたブレンダは、ぐっと俯いたかと思ったら再び顔を上げた。白くなるほど色素を抜いたショートヘアにショッキングピンクのエクステンションを付けた奇抜な髪型や、幼い顔立ちには不釣り合いなきつい化粧とは裏腹に、その面持ちは真剣だった。
「どうしてラルフはあんな殺され方をしなきゃならなかったの? ラルフがどんな悪いことをしたっていうの? ねえ!」
 叫ぶなりブレンダはわっと泣き出した。アルフレッドが慰めるようにそっと彼女の背を叩いた。
「悪いことをしていたら、殺されても良かったの?」
 クレアが静かに尋ねた。はっとしたアルフレッドはブレンダのつむじを見下ろしていた顔を上げた。彼女の表情は相変らず冷静だったが、瞳の奥にあるものは怒りだと、アルフレッドにはなぜか判った。こんな、相手を挑発するような発言を止めなければならないと頭では判っていたが、クレアのその瞳を見たアルフレッドは口を開くこともできなかった。
「悪意はどこにでもある。誰にでも降りかかるものなの。たまたまそこにラルフが行き当たってしまっただけ。仮にそこにいたのがどうしようもない不良や犯罪者だったとしても、その時間にその場所にいたら被害に遭っていたでしょう。同情が欲しいのなら他を当たってちょうだい」
「何よそれ!」
 アルフレッドの手を振り払い、ブレンダは声を高くした。
「あんたなんかにあたしの気持ちが判るもんですか! ラルフは……ラルフはあたしの恋人だったのよ。あんたがラルフの何を知ってるって言うのよ!」
「判るわけがないわ。知っているはずもないでしょう」
 クレアの緑の瞳は揺らぎもせずまっすぐにブレンダを見つめていた。その射抜くような眼差しの揺るぎなさに、ブレンダはぎくりとして言葉を止めた。そして、今にも掴みかからんばかりに浮かせていた腰を下ろした。
「私たちは何もできないまま四人も死なせてしまった。だからこうして、ばらばらのピースを集めて『事件』というパズルの全体像を掴もうとしている。なぜ彼が殺されたか、その理由に今、彼の人格の良し悪しは関係ない。あなたにとってそれは残酷なことだろうけれど、あなたの感情だって関係ないわ」
「だって……だって」
「ひどいことを言っているのは理解しているわ。私を憎みたいなら憎めばいい。でもラルフを本当に愛していたというなら、犯人を捕まえるために協力してちょうだい」
 ブレンダはがっくりと力を落としたように頷いた。クレアの瞳に一瞬だけ燃え上がった怒りはすでに消えていた。
「ラルフの体に――肌に触れたことはある?」
「そりゃ、あるわ。恋人だもの」
 ブレンダは拗ねたように言った。
「他の人――見ず知らずの人間が触れるような機会はあったかしら。たとえば、試合の時やジムなんかで」
「わからないわ。でも試合の後で観客に背中を叩かれることくらいはあったはずよ。……どうしてそんなことを聞くの」
「この事は捜査上の機密に当たるから、絶対に誰にも話さないと誓える?」
「……うん」
「あなたは、なぜラルフが殺されたのかと聞いたわね。それは、彼の皮を剥ぎとるためよ」
 クレアは淡々と告げた。ブレンダの顔からさっと血の気が引いた。ソファに沈み込んだ小柄な体が、更に小さく感じられた。彼女は悲鳴か嗚咽を押し殺すように、拳をぎゅっと口元に当てた。
「そんな……」
「ブレンダ、大丈夫かい?」
 アルフレッドが尋ねると、気丈に彼女は頷いた。
「……犯人がラルフの皮を剥いだって言うなら、理由はもしかしたら、刺青かもしれない。殺される二週間前に、背中一面に刺青を入れたのよ。羽の図柄の」
「それを知っている人は?」
「あたしと、彼の家族と……あとはボクシングクラブの仲間と、通ってたスポーツジムにいた人くらいかしら」
「貴重な情報をありがとう、ブレンダ。……さっきはごめんなさいね」
 ブレンダは首を横に振った。
「あたしこそ、冷静に聞いてって言われてたのに……ごめんなさい。絶対に犯人を捕まえて。あたし、どうしても許せない」
「全力を尽くすわ」
 クレアは微笑み、ブレンダの差し出した手を取った。
「質問は終わりよ。さっきの話は、他言無用でお願いね」
「協力ありがとう」
 アルフレッドが話を締めくくり、ブレンダと共に店を出た。彼女を店側まで送り届けてから戻ると、クレアはまだソファに座ったままで、何か考え込んでいるようだった。
「クレア?」
「えっ」
 小さく声をかけたつもりだったが、クレアは過剰なくらい驚いて、飛び上がるようにアルフレッドを振り向いた。目を大きく見開いて彼を見つめたが、それは一瞬のことだった。あまりに普通ではない反応だったから、自分がそんなに驚かせてしまったのかとアルフレッドは申し訳ない気分になった。
「驚かせたならごめん。次はどこに行くのか聞きたかったんだが」
「あ、ああ……ぼんやりしていたの、ごめんなさい。次は死体発見現場を見てみましょう」
「ラルフの自宅と、キャサリンの関係者は?」
「ブレンダの話を聞けただけで充分よ」
「判った。じゃあ行こう」
 アルフレッドが促すと、クレアはすぐに立ち上がった。彼女が何を考えていたのか気にはなったが、今聞く気はしなかった。話すべき時が来れば自分から話してくれるだろう。ウィルソンに礼を言い、二人は店を後にした。
 遺体発見現場になった池は、店からダーティル州方面へさらに十キロほど行ったところにある、直径百メートル前後の小さな溜め池だった。昔は灌漑用に使われていたらしいが、農地が無くなってしまった今では近隣住民の釣り堀として利用されている。今日も午前中の陽光の中で、のんびりと釣り糸を垂らす老人たちがちらほらと見受けられた。ヴァージニアの遺体がすぐに見つかったのも、このように訪れる人が多いためである。
 水は緑色がかり、水深は浅いのだろうが見通しは利かない。冬でもこうなのだから、夏ならば植物プランクトンが大量発生して、もっと濁った水になるのだろう。池の周囲には柵などは一切設けられておらず、西側の岸は土がむき出しになり、道路に面している東側は護岸ブロックで固められていた。小さい池ながら、岸辺に建てられた釣り道具店には貸ボートの看板が掛けられ、桟橋にボートが三艘つながれていた。
 ヴァージニアの遺体と遺留品が詰められたビニール袋が見つかったのは、今も立ち入り禁止を示すテープが張られている西側の岸辺で、葦の生い茂っているところだった。そこを気に入りの釣り場所にしている男性が第一発見者となった。
 クレアはその男性に話を聞くつもりはなかった。聞いたところで話は調書にあるものと変わらないだろうし、目新しいこと――知りたいことを聞けそうにもない。彼女はその代わり、アルフレッドの腕をつついて、指差した方向に視線を向けさせた。
「ボートに乗らない?」
 いきなりの発言に、アルフレッドは訝しげに首を傾げた。それから、何かに納得したように頷いた。
「いいけど、料金は君持ちだからな」
「レディーファーストでしょう」
「あいにく、君は昨日の昼食代を僕にまだ払ってないんだ」
「忘れていたわ」
 クレアは残念そうにアルフレッドを見上げてから、釣り道具屋へ足早に歩いていった。彼女が店の老人と話をしているのをアルフレッドは何とはなしに眺めていた。女性とボートに乗るなんていつ以来のことだろう。セレストとだって、気恥ずかしくてそんなことはやっていない。
 借りるだけにしては不思議なほど長い時間が経ってから、二本のオールを片手に握ってクレアが戻ってきた。
「どうにか納得してもらったけど、冬場は貸してないんですって」
 彼女の取った行動が読めたので、アルフレッドはにやりと笑った。
「国家権力っていうのはこういう時のために使うものさ」
「同感」
 二人は早速ボートに乗り込んだ。漕ぐのはアルフレッドが担当した。狭い池だったので、真ん中あたりまで来るにはさほど時間がかからなかった。
「この辺りで止めて」
 クレアが言うまでもなく、彼は漕ぐ手を止めた。
「何の話をしたかったんだ」
 人に聞かれたくない話なら車中でもかまわないし、その方が暖房が効いていて快適なはずなのだが、わざわざこの寒空の下でボートに乗ろうというクレアの考えが彼には理解しかねた。もちろんクレアの言動で、アルフレッドにも真意がすぐに読み取れることなどわずかだったが。
「昨日、部屋に戻ってから考えたことよ」
 クレアは水面に手を伸ばして指先を濡らした。ふと目を上げると、池の周りで釣りをしていた人たちが珍しいものを見るようにボートの上の二人を眺めていた。季節外れな上に、若い男女がこの池でボートに乗っているなどというのは滅多にないことなのだろう。
「犯人の人物像について、私たちは重大なミスを犯していたような気がするの」
「ミスを?」
「そう」
 クレアは頷いた。
「ここの警察は、最初から犯人を男だと思っていた。それにマスコミは《スローターマン》なんてあだ名をつけたものだから、その先入観はますます強められていたわ。でも、たとえばヴァージニアを白昼堂々と拉致できる男が何人いるかしら? あの界隈は人の住んでいない区画とか通りなんて一つもなかった。それはあなたも気づいたでしょう? ノリス家はあのスーパーから歩いて五分もかからない場所にある。その間に彼女を人目につかないように拉致するなんて、かなりの幸運がなければできないんじゃないかしら」
「君が言いたいのは結局何なんだ、クレア?」
「見落としていた可能性の示唆よ」
 打てば響くように彼女は応えた。
「犯人は女かもしれない、ということ」
 アルフレッドは目を瞬かせた。北風にさらされてすっかり乾いてしまった唇を舌で湿して、どうにかこれだけを言った。
「だが、女の連続殺人犯はきわめて少ない……」
「でも、全くいないわけではないわ。それに、女の単独犯だとは言っていない」
「つまり、犯人像の拡大と、複数犯の可能性だな」
「ええ。体力的には十代後半から四十代後半――どんなに年を取っていても、五十代までが限界だと思うの。だから、その間の男女全員が犯人となりうる。要するに、子供と老人以外は犯人の可能性があるってことだけど」
「ようやく嵌めたパズルのピースが間違ってたってわけか」
 オールでぴしゃんと水面を叩き、アルフレッドは苦笑いした。
「当てはまるピースは一つしかないもの」
 クレアは濡れた指をハンカチで拭った。それほど冷たくないと思っていたが、指先は赤く充血していた。
「まだそのピースは見つからないけれど」
「でも見つけるんだろう」
 アルフレッドは尋ねた。
「この近くに墓地はあったかしら」
「あるよ。こことは真逆の方向で、さらに郊外になるが。フォークリバー市の死者はほとんどそこに埋葬されるって話だ。行くか?」
「ごみ捨て場よりも有力な手掛かりが見つかるかもしれないわ」
 クレアの答えを聞き、アルフレッドは岸を目指してオールを動かし始めた。なぜ墓地に行きたいのか、何を探したいのか、それは聞かなかった。あるいは、薄々判りかけていたからこそ、彼女の口からはっきりとそれを聞きたくなかったのかもしれない。ボートはすぐに桟橋にたどり着いた。釣り道具屋の主人に礼を言ってから、二人は近くの路上に停めていた車に戻った。
 エンジンがかかると同時にエアコンのスイッチが入り、送風口から温かい空気が流れ出す。そんなに長い間外にいたわけではないのに、肌がすっかり冷え切っていたことに気づいた。かじかみかけていた指先に感覚が戻るのを待ってから、アルフレッドは車を出した。フォークリバーに着いてすぐ市内の地図を購入して目を通していたので、ここの地理はだいたい把握していた。
 彼の記憶通り、墓地は郊外にあった。中規模の町ではあるが、フォークリバーは市街地を外れると次の町まで車でも一時間以上かかる、郡の外れに位置していた。そのためか、市の外縁部にある墓地は見渡す限りの林に囲まれた閑静な場所であった。
 墓地に併設された駐車場に車を停め、そこから墓地は目と鼻の先だった。教会の敷地としてではなく、市が管理する公営墓地だからか、並んでいる墓石は没個性的で整然と列を作っていた。敷地は塀とフェンスで囲まれ、入り口の門には『フォークリバー市営墓地』と彫られた大理石のアーチがあった。クレアが先に立って、二人は墓地に足を踏み入れた。
 クレアはいつの間にか手帳を取り出して、何かを書きとめている。一つ一つの墓石に彫られた情報を確かめながら歩いているようだった。オルファルでは土葬が一般的である。だから必要であれば埋葬の済んだ死体をもう一度掘りだして調べることができる。彼女はそうするつもりなのだろうか。
 クレアが急に足を止めた。まだ萎れもしていない花に飾られた真新しい墓石がそこにあった。名前はヴァージニア・ノリス。
 だが彼女は被害者の墓参りをしたかったわけではないだろう。仕事中にそんな感傷に浸るような性格ではないと、アルフレッドは思っていた。彼自身もそうだったからだ。思ったとおり、クレアは黙祷を束の間捧げただけでまた歩きだした。息遣いと足音、時折手帳に走らせるペンの音が聞こえるだけで、二人は言葉も交わさずにただ墓石の間を歩き続けた。
 一時間近くかかって、ようやくクレアは目的を果たしたらしく、ため息をついた。アルフレッドはまだ何も言わなかった。わずかに上気したクレアの頬に、風で煽られた髪が幾筋か絡まりついている。手帳を閉じ、コートのポケットにしまいこんで、彼女はアルフレッドを見上げた。
「メモした死者の死因を、フォークリバー署で照会して、それからここの管理をしている部署に行きましょう」
「墓を掘り返すんだな?」
 アルフレッドの質問に、クレアは無言で頷いて肯定の意を示した。物事には順番がある。連続殺人であってもそうだ。最初に何かで代償行為、或いは練習をする。そのうちに飽き足らなくなり、殺人を実行する。そういうケースが多い。
 今回の犯人の場合なら、最初は動物の皮。次に来るのは人間。人間といっても、さすがに最初のうちは殺すにためらいを覚えるだろう。だから、いきなり生きた人間を殺して皮を剥ぐことはしない。それなら何を使うか。
 死体だ。
 それも、新鮮なものがいい。あらかじめ目を付けておくのもいいだろう。埋葬が済んだら掘り返して、死体を盗む。
「標的になりそうな年代で死んだ人を選んでおいたの。死因を確かめればさらに絞り込めると思うわ」
「帰りの飛行機の予定は今夜の十二時だが、間に合うかな」
「まだ半日以上あるわ」
 アルフレッドは携帯電話を取り出して、リドルに連絡を取った。今から調べたいことがあるので一度署に戻ることと、墓地を掘り返す許可を得たいので、令状を取りたいと告げるとかなり動揺したようだが、そこは長年の経験か、詳しいことは聞かずに承諾した。
 二人はフォークリバー署に戻ると、まずはクレアが書きとめた死者の死因を調べた。この一年で死んだ者から、事故や病気など、どうみても健康的な皮膚を取れそうもない死因の者を除くと、その数は五まで減った。
 その調査の間に、アルフレッドはリドルと共に裁判所に行き、墓を掘り起こすための捜査令状を発行してもらい、市役所での手続きも済ませた。アルフレッドたちが墓地に到着すると、すでにクレアと応援の警察官が重機類の準備を済ませて待っていた。
「しかし、どうして墓を掘り返すんだ?」
「犯人が殺人を犯す前、死体から皮を剥ぎ取っていた可能性があるためです。これまでの統計から、その可能性はかなり高いはずです」
 リドルはぞっとしたような顔をした。
 その時、準備が整ったという現場作業員の声がかかった。
「よし、始めてくれ」
 こんなに威厳のあるリドルの態度を見るのは初めてだとアルフレッドは思った。ショベルカーが動き出し、土が抉り取られていく。ものの五分も経たないうちに棺桶の蓋が穴の底に現れた。手作業で周囲の土を掘り崩し、引き上げてビニールシートの上に置く。手袋を嵌めて近づき、アルフレッドは死体が荒らされていないことを祈りながら、どこかでその正反対のことを期待していた。
 蓋が開けられる。その場にいた全員が息を詰める。出てきたのは、腐敗の進んだ男の死体だった。死んだのは五か月前だから、これでも状態はましな方なのだろう。隣のリドルを見ると、気丈に立っていたが、どうも近寄る気にはなれないらしい。アルフレッドは死体に近づいて、ひっくり返そうとするクレアを手伝った。
 背中は死後に鬱血するので腐敗が進みやすい。ひっくり返した途端に腐臭がマスクを通り越して鼻をついた。全身を確かめたクレアはほっとしたように言った。
「被害はなし……」
 ほっとしたのは全員だったのだろう。棺を元通り埋め戻すのは全ての作業を終えてから行うことにして、次の場所に移る。すでに作業は進んでいた。この墓は二十代の女性。四か月前に病気で亡くなっている。ある程度は重機で掘り、棺に近くなったところからは人間が降りて手作業で掘る。棺を引き上げるためのロープを投げ下ろす合図を待っていたアルフレッドとクレアは、穴を見下ろして言葉を失った。
「どうしますか!」
 穴の中から引きつった声が響いてきた。
「シンクレア捜査官……」
 リドルが囁いた。穴の中には掘り出す作業に従事していた警官が三人、シャベルを手にしたまま立ち尽くしていた。三人の足元には棺が横たわっている。だがその蓋は無理な力がかけられたように割れ、中に土が流れ込んでぎっしりと詰まってしまっている。しかし埋葬後に割れてしまったということも考えられる。アルフレッドはリドルにそう告げた。いくぶん緊張した様子で、棺が引き上げられた。
 蓋を外し、土を取り除く作業に入ると、待ちきれないようにクレアが作業に加わった。コートやスーツの袖が汚れるのも構わずに、どこか必死な様子で土を掬いだしていく。アルフレッドは止めるためにクレアの隣に立った。
「クレア、君がやらなくても彼らがやってくれる。それに、服が汚れるよ」
「判ってる。でも……」
「クレア」
 もう一度優しく言うと、クレアは仕方なしに立ちあがった。その時、一人の警官が土の中から奇妙なものを取り出した。
「捜査官、これは……」
 一斉にその物体に全員の目が注がれる。クレアは下唇を噛みしめ、アルフレッドは奇妙な充足感を感じていた。
 それは、一本の錆びかけたバールだった。


(2012.12.30up)

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