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スローターマン事件 3

「お疲れ様」
 検死が終わると、待っていたリドルがまだ気分の悪そうな顔で近付いてきた。そして被害者についての報告書を持ってきてくれていた。
「被害者の知り合いや家族に聞きこみは?」
「これが彼女の友人の名前と住所の一覧。聞きこみは一通り済ませたが、被害者の母親からは話を聞けていない。ショックで倒れてしまって……なにせ死体があれだから。錯乱状態で入院していて、とても話を聞ける状態じゃないんだ」
「前の三人の関係者は?」
 クレアがそっと尋ねた。リドルはそつなく、幾つかの書類を彼女に手渡した。
「事情聴取をした人は全てここに控えてある。最初の被害者のヴァージニア・ノリスの夫もひどいショックを受けていて、失踪当時のことを尋ねている最中に、何か彼の琴線に触れてしまったんだろう、もうこれ以上妻のことを考えさせないでほしいと、暴れ出してしまってね。かなり力の強い男だから、その点には気をつけてくれ」
「覚えておきます」
 クレアは了解した、というように書類をちょっと持ち上げた。それから思い出したように言った。
「それと、リドル刑事」
「何だね」
「三人の被害者の遺体は、どうなっていますか」
「ああ。検死とサンプル採取はもう終わっているし、遺族からも早く葬儀を行いたいと要望が出ていたので、すでに三人とも埋葬されてる」
「ありがとうございます。行きましょう、シンクレア」
 翡翠色の瞳で、クレアが見上げてきた。まだその瞳が苦手だったので、アルフレッドは困ったようにリドルに視線を向けた。
「では失礼します、リドル刑事。何か判ったらこちらにも連絡をお願いします。僕の携帯番号です」
「了解」
 警察署を出ると、昼過ぎから曇り出した空はすでに灰色がかっていた。コートの襟を掻き合わせて車に向かいながら、アルフレッドはクレアの隣に立った。
「君はまずどこに行きたい」
「最初の被害者の遺族、友人にもう一度話を聞きたいのですが」
「わかったよ」
 アルフレッドは再び運転席に乗り込んだ。
 ここに来るまでに読んだ報告書では、ヴァージニア・ノリスの家族構成は夫レイと娘のメアリーの三人。夫はスーパーマーケットの職員。ヴァージニアも同じ職場で働いていたが、結婚後は正社員ではなくパートタイム従業員として働いていた。生活は中程度、夫婦と娘一人ならば充分に暮らしていけるだけの収入はあったようだ。
 ノリス家は小さな住宅が立ち並ぶ一角にあった。だが住宅そのものは古いものが多いが荒れた雰囲気はなく、ただ純粋に、昔からの住宅街であるようだった。ノリス家の壁はパステルグリーンのペンキで塗られていたが、中古住宅なのかそれはだいぶ色褪せて、ところどころ剥げかけていた。
 インターホンは付いていなかったので、何度目かのノックでようやく、娘が現れた。資料によれば娘のメアリーは七歳、ぱっちりとした大きな瞳が可愛らしい子供だった。きちんと洗濯された服を着ていて、生活はまだ荒れていないことを示していた。
「やあ、こんにちは」
 アルフレッドはにこやかに言い、屈みこんでメアリーと視線を合わせた。
「君のパパは居るかな」
 メアリーはこくんと頷いて、家の奥に一旦入っていった。それからレイが顔を出した。浅黒い肌は目に見えて憔悴し、妻を惨殺された衝撃から立ち直るどころか、いまだ尾を引いていることを窺わせた。
「こんにちは、ノリスさん。広域捜査局捜査官のシンクレアです。こちらはフィッツジェラルド。奥様の事件のことで、お伺いしました。お時間をいただけますでしょうか」
「話すことなら、警察で皆話したよ」
 疲れたようにレイは言った。この疲れようからすれば、マスコミが押しかけてきていないだけ、まだ幸せと言えるだろう。
「申し訳ありません。所属が違うものですから」
「ぜひとも伺いたいことがあるんです。一つだけ。ご協力いただけませんか」
 クレアがアルフレッドの一歩前に出た。あの翡翠色の目で見つめられたら、誰だって何か言わなければならないような気がするだろうと彼は思った。そしてそれは予想通りだったらしい。しばらく見つめられていたレイはため息と共に肩を落とし、小さく言った。
「何を聞きたいんだ?」
「報告書で、ヴァージニアさんのお顔を拝見しました。若々しくて、とてもきれいな方でした。彼女は三十四歳でしたね?」
「ああ」
 それが何か?と問うようにレイはクレアを見た。
「気に障ったらすみません。これは非常にプライベートなことですから、お答えいただかなくてもいいのですが」
「何を?」
「奥さまは、顔だけではなく、体の手入れにも気を使っていらっしゃいましたか?」
 意外な質問に、レイはもちろんアルフレッドも怪訝な顔をした。だがクレアはしごく真面目な表情でじっとレイの答えを待っている。
「あんた、何のためにそんな……」
「私の推測が正しければ、重要なことなんです。お願いです、ノリスさん」
「……」
 一瞬、怒るかと思われたレイは、悲しそうに顔を歪ませて頷いた。
「ジニーは美容には熱心でね。同窓会じゃ一番若く見えるのが自分だって、自慢にしてたよ。それが、捜査に関わるのかい?」
「恐らくは重要な手掛かりになります。他の三人についても確かめなければなりませんが」
 クレアは正直に答えた。
「ご協力ありがとうございます、ノリスさん。……お嬢さんのためにも、あなたがこの悲劇を乗り越え、立ち直られることを願います」
「あんたたちも、ジニーをあんな目に遭わせた悪魔を早く捕まえてくれ」
「努力します」
 アルフレッドは、一礼するともう歩きはじめていたクレアの代わりに応えると、ノリス家を去った。レイはしばらくぼんやりと二人の捜査官を眺めていたが、やがて寄りそってきたメアリーの肩を抱いて、家の中に入ってドアを閉めた。
「待てよ、フィッツジェラルド。次はアメリア・ジョンソンの家に行くのか?」
「ええ」
「彼女に同居している家族はいないよ。夫とは死別しているし、息子夫婦も別の場所に住んでる。とても一日で行ける距離じゃない」
「家族に聞かなくても、疑問は確かめられるわ。家に入ることができればそれでいいの」
 クレアはいつの間にかすっかり砕けた口調で手短に言い、早く開けて、と車のドアに手を掛けた。軽く肩をすくめたアルフレッドは、言われたとおりに車をアメリア・ジョンソンの自宅があるサルディカ方面へ向かわせた。
 第二の被害者アメリア・ジョンソンは夫を亡くした後の家に、息子夫婦の同居の誘いを断って一人で住んでいた。きれいに芝を刈り込んだ庭の花壇はささやかな家庭菜園になっていたが、手入れするものがいなくなってしまったそこは、ほんの一ヵ月半ですっかり荒れ果てた様子になっていた。鍵は予めリドル刑事から預かっていたので、二人は立ち入り禁止のテープを潜って中に入った。
 アメリアが長年一人で暮らしていた家の中は、彼女の性格が現れているように綺麗に片付けられていた。彼女がいなくなってからは掃除する者もいないために積もった埃以外に散らかされたごみもなく、掃除は行き届いていた。
 白手袋をはめながら、アルフレッドは壁に飾られた家族写真を眺めた。いつの写真であるかは判らないが、息子が独立して家庭を持っている年齢のわりには若々しく見える。明るいブロンドの髪は染めている様子もない。
「何を見たいんだ、フィッツジェラルド」
「彼女の全身が判る写真。アルバムが置いてある部屋はどこかしら」
「居間か物置か……とりあえず調べよう。僕は二階を探すよ」
「ありがとう」
 アルフレッドは階段を一段飛ばしで駆け上がった。閉め切られていた空気は淀んで冷え切っていた。アルバムを保管しておくならどこに置くだろう。やはり物置だろうかと思いながら開けてみる。ここもきちんと整理されているが、棚を一つ一つ見てもそれらしいものはない。物置は違った。
 物置の扉を閉めて、次はどこを探そうかと目を泳がせる。すると寝室の手前に、小さなドアを見つけた。鍵はかかっていなかった。開けると、幅の狭い急な階段が続いていた。アルフレッドはそこを登っていった。階段を登りきったところにあった屋根裏部屋には採光用の天窓が開けられていたが既に日が暮れていたので、まず彼は壁を手で探って電灯のスイッチを探した。明かりがつくと、部屋の中にあるものの姿がはっきりと見えるようになった。アメリアの息子が子供時代に使っていたのだろう、古びた木馬や解体したベビーベッドが奥の方に片付けられている。そして、反対側の壁際には本棚があった。
 背表紙を調べると、年月日が記されていた。試しに一つ取り出して開いてみると、壁に飾られていた写真のアメリアと同じ顔だが、もう少し若い姿の彼女が家族と共に写った写真が貼られている。
「フィッツジェラルド、君の探し物を見つけたぞ!」
 上の階から大声で呼ばれて、クレアは居間の本棚をとりあえずそのままにして階段を駆け上がった。二階に上がって周囲を見回すと、開いたままになった小ぶりのドアがあった。屋根裏部屋に続く階段だった。上がりきると、アルフレッドが笑って手招きした。
「これだろう?」
 示されたものがアルバムだと気づき、クレアは頷いた。
「ええ。いちばん新しいものはどれ?」
「左端のこれだ。今年の春からの」
「それを見たいわ」
「オーケイ」
 アルフレッドは今年の分のアルバムを引き抜き、クレアに差し出した。春は友人同士で行った小旅行の記録だった。やはりアメリアは年齢よりずっと若く見える。そして夏。息子の家族と共に海に行っている。色こそ地味だが彼女の年齢としては大胆なセパレートの水着を着て、パラソルの下で恥ずかしそうに笑っていた。
 クレアはぱたんとアルバムを閉じた。
「目当てのものは見つかったのか?」
「多分。これで、犯人が被害者を選んだ理由もある程度予測がついたわ」
「それは何より」
 アルフレッドはクレアが閉じたアルバムをまた元の場所に戻した。
「これからどうする?」
「今は何時?」
「七時ちょっと過ぎ」
 屋根裏部屋の階段を降りながら、クレアは少し考えているようだったが、やがてアルフレッドを振り返って言った。
「今からフォークリバーに戻っても、ラルフ青年のことを聞くのは明日ね。さすがに失礼な時間になるわ」
「そうだな。でも宿を見つける前に、夕飯にしよう」
「そうね」
 ジョンソン邸を出て、二人は近くにあったレストランに入った。昼は軽いものしか食べていなかったのだが、アルフレッドはパスタだけで済ませた。しかしクレアが一番小さなサイズとはいえステーキを注文したのには驚いた。
「すごいな、君は」
「何が?」
 そんな夕食を終えて、またしばらく車を走らせると、フォークリバー市に入ってすぐのところに小さなモーテルを見つけた。どうやらこの界隈にはここ以外に宿泊できる施設はないようで、二人はそれぞれの荷物を持ってフロントに入った。フロントには小柄で目つきの鋭い中年女性が座っていて、じろりと二人を見た。
「一泊したいんですが、部屋は空いてますか」
「ツインのお部屋でよろしいかしら」
「いや、シングルを二つ。できれば両隣が空室だといいんですが」
 男女の二人連れなので致し方ないことだが、フロントの女性は二人の関係を夫婦か何かと間違えていたようだった。一人部屋を二つと言われて怪訝な顔をしたものの、隣り合った番号の鍵を二つ差し出した。
「宿帳にサインをお願いします」
「君の名前も僕が書いておこうか?」
 アルフレッドは宿帳に自分のサインを書きこんでから、クレアを振り返って尋ねた。クレアは首を横に振り、ペンを受け取った。
「シャワーの水が熱くならないとか、暖房がつかないとかの問題があるようなら、フロントに電話してください」
「そんなことがないように祈りますよ。フィッツジェラルド、君のキーはこっちでいいか」
「ええ。どっちでも構わないわ」
 二人はフロントを出て、キーの番号の部屋へと向かった。部屋に入る前に、アルフレッドは思い出したように言った。
「明日には、僕にも君の考えを教えてくれよ」
 だがクレアは聞こえていなかったのか、無言で部屋に入り、ドアを閉めてしまった。またはぐらかされたような、無視されたような気がして、アルフレッドは眉を寄せると自分も部屋に入った。バッグをベッドの上に投げ出して暖房のスイッチを入れると、一気に一日の疲れが噴き出してきたような気がした。
「まずはシャワーだな……」
 独り言を言いながら、彼はバスルームに入った。いつもの習慣でそのまま歯磨きもして、全身さっぱりしてから出てくると、部屋はほどよく暖まっていた。下着の上からバスローブを羽織っただけの格好だったが、気にせずにベッドに腰掛け、バッグに入れっぱなしだった写真立てをベッドサイドのミニテーブルに据えられたランプの下に置いた。
 その時だった。
「シンクレア、さっきの話だけれど……」
 鍵をかけていなかったので、クレアはノックしてそのままドアを開けてしまった。彼女の目に飛び込んできたのは、バスローブ姿のアルフレッドだった。だが彼女が驚きを表したのは一瞬で、すぐにいつもの表情に戻った。アルフレッドも、裸であったわけではないし、落ち着いたもので、クレアにこのままでも気にしないなら入ってくればいいと告げた。
「どうしたんだ、フィッツジェラルド?」
「今日中に私の考えを伝えておこうかと思って。構わないかしら?」
「もちろん。聞かせてくれ」
 アルフレッドはベッドに座り、クレアはアルフレッドから一番離れた、鏡台前の椅子に腰掛けた。彼女は今日ほとんど一日中着ていた黒いコートを脱いだだけの格好だった。
「レイ・ノリスの話と、アメリア・ジョンソンのアルバムを見て確信したの。スローターマンはちゃんとある法則――共通の理由で被害者を選んでいたのよ」
「というと……」
「ヴァージニア・ノリスはきれいな肌をしていた。アメリア・ジョンソンも、皺のない白い肌を持っていた」
「ということは、スローターマンは、肌の美しい人間を狙ったってことか」
「ええ」
「なら、なぜアメリア以外の三人は頭を切り取られたんだ?」
「記念品のつもりでしょう。アメリア・ジョンソンが頭皮を剥がれただけだったのは、彼女の髪が目的だったからでしょう。頭皮を剥いだ不完全な頭部を取っておくのは嫌だったのか、もしくは、老けた顔の頭を取っておくのが不快で、髪だけを記念品にしたか」
 アルフレッドは報告書に添付されていた彼女の写真を思い出した。確かに、あの年にしては豊かできれいな髪だった。
「捨てられていたばらばらの遺体はつまり、犯人にとって要らない部分だった」
「そうよ。ヴァージニアの時は彼女の胴体――肌が欲しかった。だから手足と内臓を捨てた。アメリアの時は彼女の髪と上半身が欲しかった。でもラルフの時からは、求めるものが少し違ってるわ」
「手足も一部分しかなかったってところだな」
 クレアは頷いた。翡翠色の瞳が、ランプの光を受けてきらきらと輝いていた。アルフレッドは初めて、彼女の瞳の色を美しいと思った。
「シンクレア、ラルフの腕はどれくらいの太さだったと思う?」
 彼女が予想もつかないことを言い出すのには今日一日ですっかり慣れていたから、もうアルフレッドは驚かなかった。バスローブの袖をまくってクレアに見せた。
「僕は高校の頃から今も、少々テニスをやってる。三十五歳でこんなものだから、ボクシングをやっていて僕よりもずっと若いラルフはもっと筋肉がついていたと思うよ。それとスローターマンとどういうつながりが?」
「キャサリン・マクドナルドの死体で、無くなっていた部分は頭部と胸部、肝臓と小腸、それと全身の肉だったでしょう」
「ああ」
 答えてから、アルフレッドは検死の時に感じていた既視感の正体に思い至った。
「そうか!」
「なに」
「検死に立ち会っている時、どこかで同じようなものを見たような気がしていたんだ。やっと思い出した。あれは食肉工場の光景だ。解体して肉を取った後の牛や豚の、骨に似ているような気がしたんだ……」
 言ってから、アルフレッドは全身が総毛立つような感覚に襲われた。人間の死体を見て、屠殺場を思い出すなんて、どうかしている。思わずクレアを見つめると、彼女は呆れたようでも、軽蔑したようでもなかったが、硬い表情を浮かべていた。アルフレッドが口をつぐみ、視線で促すと、クレアは再び口を開いた。
「アメリアまでは、犯人は純粋に人間の皮膚が欲しかったのよ。でもラルフからは、あなたが言ったように、それに食欲が結びついた。無くなった部分のうち、きっと手足は食肉用に取ったのだと思う。キャサリンの場合はもっとはっきりしてる」
「肉を骨から外して捨てた」
「そう」
「無くなった内臓は……小腸は恐らく腸詰を作るため。肝臓は内臓の中で最も栄養価の高い場所。頭部はノリス夫人のように記念に取っておきたかった……と」
「犯人は食料がなくなった頃に、また殺人を犯すわ。キャサリンの体重にもよるけれど、彼が大食いの男なら、一週間も経たないうちに次の事件が起こる」
「なんてこった」
 アルフレッドは吐き捨てるように言った。
「あだ名じゃなくて、本当に解体屋なのか。奴は狂ってる」
「だから私たちが捕まえるのでしょう、シンクレア」
 クレアの目は真っ直ぐにアルフレッドを捉えていた。しばらくの沈黙の後、彼はクレアの目を見つめ返した。
「もちろんだ」


(2012.10.10)

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