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     かくて青都イズラルは
     三日の間燃え続けた
     のちに人々はこの大火を名づけ
     『サライルの大火』と呼んだ
           ――ゼーア年代記



     第一楽章 青都炎上


「なんてざまだ!」
 やにわに、アインデッドは吠えた。
 すでにラトキア兵たちはイズラル郊外の野営地に引き上げ、負傷者の手当てやいくさの後始末に忙しい。アインデッドのためにはいつもどおり野営の天幕が本陣として用意されていたが、アインデッドは興奮のあまり、その中に入るか入らないかのうちにさきほどの怒声を発したのであった。
 すでに日はとっぷりと暮れ、凶々しい月がなおも炎が下火にならない夜のイズラルを照らしている。
「馬鹿野郎が、何が軍師だ。何が策士なんだよ――アルドゥインの野郎にすっかり言い負かされやがって! 何のためにわざわざあのままでも戦争は終わったのにイズラルに攻め込んだんだ。すっかりアルドゥインにしてやられるためか? 畜生! サライルめ!」
「そう言いたいのはこっちだって同じだ」
 さしものルカディウスも、あまりに打ちひしがれていたので、いつものようにアインデッドの機嫌を気にしているゆとりさえなかった。
「何もかも予定どおり運んだじゃないか? リール公女だって話の様子じゃいまや討ち取るところだったわけなんだし……それを畜生め、あの男がまさかたった単身で乗り込んでくるなんて――単身で――」
「五千の兵を率いて乗り込んだ俺よりも、五千人分やつがうわてだった、ってことじゃねえか!」
 アインデッドは怒鳴った。
「アイン、アイン! 頼むからもうちょっとだけ声を低くしてくれ。兵たちに聞こえるし――メビウスからの伝令だっていつ何時そのへんに来ないものじゃない!」
「そんなこと知るか!」
 アインデッドはすっかり興奮していたので、そう言われると逆にいっそう声を大きくした。
「俺はこんな所までコケにされるために来たわけじゃねえ。戦うためだ――存分に戦うためなんだぞ! そして貴様は俺に戦わせてやると言った! 俺に手柄を立てさせると言った! 俺にゼ――」
「アインデッド!」
 あまりに切迫したルカディウスの声に、ようやくアインデッドも多少は頭が冷えてきたらしい。
「おい、酒を持って来い。一瓶――いや二瓶だ――いちばん強いやつをどこからでもいいから巻き上げてくるんだ!」
 小姓に向かって怒鳴る。あわてふためいて小姓たちが五、六人いっぺんに転がるように駆けていった。それを見送って、アインデッドは再びルカディウスに顔を向けた。
「貴様が何と申し開きをしようと、自己弁護をしようともう無駄なことだ。きさまのあのたいへん見事なはずだった計画なんざあ、つまるところその程度のものでしかなかったんだ。おこがましいにも程があるってもんだったんだ。アルドゥインのあの悪魔のような頭の中に詰まっているものに、きさまみてえなごく潰しの脳みそがちょっとでも太刀打ちできるなんて考えるなんてよ」
「アイン、アイン」
 ルカディウスは懇願した。そうでなくても彼の自尊心は、アルドゥインのためにもうとっくにずたずたにされていたのである。
「頼むからそんなひどいことを言わないでくれ。俺だって必死の策略だったんじゃないか? それにうまくゆくところだった――リール公女は予定通り引き出されて応戦したんだし、それに対してお前はもうあわや彼女を討ち取るところだったんだ。すべてはアルドゥイン将軍が単身ああやって市街戦の真ん中に乗り込んできたばっかりに――」
「たしかに、ああいうのを、大した男、と言わなくちゃならねえんだろうな。豪傑、とか英雄、とかよ」
 アインデッドは怒鳴った。
「たいていの男にゃ――いや、たいていの戦士だってできはせんだろうよ。ただ一人で恐れ気もなく、何万の軍勢が死闘を行っている最中の戦場に乗り込んでいって、そしてたった十テルジンですべての戦を停戦にさせちまうなんてよ。それも剣一本ふるったわけじゃねえ、舌先一本でだ!
 あんなふざけたまねをするたあ思わなかったぜ。くそ、あいつだってともかくも戦士だと思ってたこっちが甘かったんだ。あいつはおのれの目的のためだったらどんなまねだってできるんだ。ああ、そうだとも――あいつはただの戦士じゃねえ。軍師でもなきゃ政治家でもねえ。その全てに必要に応じてなっちまえるんだ――化け物だぜ。全く、あいつはただの化け物だとも!」
「まさかあんなふうにみんなの前で公言されてしまうとは……」
 ルカディウスは強く唇を噛み締めた。
「あれほど大勢の証人のいる前で、あれほどはっきりと、間違いようもなく――それもペルジア兵と、エトルリア兵とラトキア兵とメビウス兵と、そしてリール公女とトティラ将軍と……」
 ルカディウスは無念さに、まさに血の滲むほど唇を噛んだ。
(ともかくも騒ぎを起こしてしまえばこちらのもので、あとはいかなアルドゥイン将軍といえども収拾がつくまい――少なくとも収拾がつけられるまでの様々な外交の取引だの交渉だのに時間を食われて、その間にこちらは充分に所期の目的を果たせると思っていたのだが……)
(あの男は、まずいきなり単身で乗り込んできた……兵を率いてくればいかなペルジア軍といえどもあの乱戦の真っ只中だ、メビウス兵もラトキア兵もあったものじゃなく切りかかったに違いない。それを、あの男はたった一人、それもあの一目で判る姿で駆け入ってくることによって、あっという間に自分の存在を敵味方双方に目立たせてしまった――おまけに、あれだ――)
(まるでアインデッドの無事を何事よりも気にかけているかのような言動をしおって――あれでは、どうにも手向かいのしようがない……あのおかげで何も口に出せぬままに俺は……)
 あれほど大勢の、それも色々な国の兵士や重臣のいる場所で、誰にでも聞こえるようにはっきりと、講和の交渉が遅れたがそれが成った、というようなことを大声で言われたのでは、講和の意思があるとは思えなかったから、というごり押しをしてこの上の略奪を続けることもできない。
 あそこで直接アインデッドにアルドゥインがそれを口に出したのを皆に知られているからには、この上略奪と虐殺を続ければ、それはただの無頼の徒にひとしい所業になってしまうだろう。
 といって、アルドゥインは「あくまで自分の判断で」と口に出して、アインデッドがペルジア側に講和の意思があったのを知っての上でこの戦闘に入ったのではない、ということも――あくまでもアインデッド自身の立場も正当化してしまった。そのように言われてはアインデッドの行動は全て、正義感に逸ったあまりの振る舞いになってしまう。
 それに対して、いや、そうではない、おのれの私利私欲のためなのだ、などとは抗弁できない。だが、そうであれば、その正義のふるまいを自ら裏切ってアルドゥインのペルジアとの和平条約に逆らう行動をするわけにもゆかないではないか。
(くそ、あの男――アインデッドの言うとおりだ。たった十テルジンでやつはラトキアをどうにも身動き取れない状態に――やつのおだてどおりしらばっくれて持ち上げられているしかない立場に突っ込んじまいやがった)
 しかもそれを激昂したリールやペルジアの者たちにも聞かせてしまったのだから、ペルジアに対してもラトキアの立場はおのずとアルドゥインがそう見せたかったとおりのものになってしまうだろう。
 リールがどこまで信用したかは判らないが、トティラまでが登場してのこの一幕であってみれば、頭が冷えればこの状態を利用して素早く全ての講和を結んでしまうのが一番よい、ということに気づくだろう。
 そもそもペルジア宮廷の方はまったく応戦したがってはいなかったからこそ、リール公女一人が徹底抗戦派として宮廷で浮き上がっていたのである。
(これで、第一次ペルジア戦役はおしまいということになるのか。――まあとりあえずアルドゥインの奴がお膳立てしたとおり、アインデッドの武名は高まっただろうし、おまけに正義感に強いきわめて義に篤い将軍だ、というアイン自身が聞いたら引っ繰り返ってしまいそうな美名だってついたことだろう。……それにリールとの一騎打ちという武勇譚もある。おそらく、ラトキアの英雄、若き将軍アインデッドの名は俺が望んだとおりしっかりとゼーア全国に、いや中原じゅうに広まったには違いないだろうが……)
 ルカディウスは首を振った。
(いや、しかし、まだ駄目だ。これではまるでアインはアルドゥインの子分だ。……アルドゥインの勧めどおりに動き、アルドゥインの頼みに応えて和平を結び――良くて弟分に過ぎん。これではどうにもならない……俺の望んだもの、中原じゅうに『決して逆らってはならぬ恐ろしい死神のような男』『中原の美しい悪魔』――ゼーアの運命を握る存在、というイメージを強く焼き付けるには、これでは全く足りない。これではただ単にアルドゥインの名声をまた高める手伝いをしてやったようなものだ)
(くそ――まだだ、まだだぞ、ルカディウス……まだ降参するには早すぎる。俺にはまだ、このなけなしの頭がある。いかにあのでかぶつの頭に素晴らしい頭脳が入っていたところで、俺にだって……俺とても自負心がある……)
 ルカディウスはじっと両手の拳に、掌に爪が食い込んで血が滲み出すほどの力を込めて握りしめ、食い入るように前方を凝視しながら必死の思案にふけった。
 その様子を、ようやく多少落ち着いてきたアインデッドは面白くなさそうに眺めていた。アインデッドにとっても思いはルカディウスと同じだが、ただ彼のほうがアルドゥインに対するもともとの好意や、本来は講和の方向に持っていこうとしていたのをルカディウスによって方向転換させられた、というのもあって、いっそう気持ちは錯綜していたのだった。
 アルドゥインが勝手にペルジアと和平交渉を結んでしまったことは、今も腹立たしい。しかしそれはアルドゥインが自分を心配し、思いやってくれた結果なのだということは理解できるし、嬉しいとも思う。
 また、ジムハエでアルドゥインに打ち明けたように、ルカディウスの野望のために多くの人々が犠牲になるのを厭う気持ちが今日一日で消えたわけでもない。結果としてあまり酷いことにならずに済んでよかったのかもしれないと思う自分もいる。
 しかしやはり、さあこれから、というところで戦いを差し止められたという怒りがもやもやと湧いてくるのだった。
「おい」
 あっという間に一瓶空にしてしまって大声で怒鳴る。
「もう一本探してこい。こんな弱い酒、十本あったって足りやしねえや」
「将軍、あまり召し上がりましては……」
「うるせえっ!」
 うかうかと口をはさもうとした小姓が、いきなりその辺にあったものを力任せに叩きつけられて悲鳴を上げて逃げ出していく。ルカディウスはその騒ぎに気づいて慌てて顔をあげた。
「もうちょっと待ってくれ。アイン。もうちょっとだけだ」
 うるたえながら口走る。
「もうちょっとだけ……きっと何か糸口が見つかるから。……きっと、俺の言ったとおりの展開にしてみせるからな。だから――もうちょっとだけ――」
「もうたくさんだよ」
 アインデッドは皮肉たっぷりの答えを浴びせかけた。
「もうお前の頭がどんなにいいかはよーく見せてもらった。俺はもう本当にこんな腐れ果てた国には用がねえや。俺はとっととラトキアに帰って、海の果ての暗黒大陸でも切り取って征服するための遠征隊でも組み上げてやらあ」
「ま、またそんなことを――アイン」
「俺のやることはもうこの厭らしいイズラルじゃ少しも残っちゃいねえ。叩っ切る相手もいなけりゃ、男らしい戦場ももうお終いで、たちまちうだうだした政治ってやつが始まるんだからよ。――俺はもういい。もうたくさんだ。こんなくだらない町は出て、とっととシャームに帰るぞ」
「あっ!」
 アインデッドが突然立ち上がったので、狼狽しきってルカディウスは腰を浮かせた。
「ま、まさか今から帰るなんて無茶を言い出すわけじゃ……いったいどこに行こうと言うんだ、アイン!」
「うるせえな。ただちょっとてめえのツラの見えねえところに行って、新鮮な空気を吸いたいだけだよ」
 アインデッドは邪険に言った。
「いいか、もうついてきたりするんじゃねえぞ。犬っころじゃねえんだから。てめえは他にいくらでもやることがあるだろ」
「ア――アイン……」
「うるせえな」
 アインデッドは本当のところ、自分の感情の激発したり沈んだり、あるいはまたアルドゥインに対する錯綜したものでもつれて収拾がつかなくなるところを、ルカディウスにあまり見せたくなかったのだった。
 それで、ルカディウスについてくるなと怒鳴っておいて、そのままマントをゆらめかせながら大股に、彼はただ一人道を横切り、イズラルの見える方へ歩いていった。


(2016.5.20)

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